5 酒場は毎日騒がしい
お酒は二十歳になってから!
──夜。
ローズアヴェニューの昼間の活気は静まり返り、辺りは人気も少なくなっていた。
昼間、あれほど賑わっていたアテイスタアジールも明かりが消え、店内には誰もいない。
しかし、アテイスタアジールの扉は、客を招き入れるのをやめてはいなかった。
「悪い、少し待たせたな。こっちがスクリュードライバー、こっちがパナシェな」
昼間の接客態度はどこへいったのか、ゼストは敬語も笑顔もなしに客に酒を出した。
「いいってことよ!さんきゅー」
「待ってました!仕事終わりの酒は最高だぜー!」
客もゼストの態度を気にすることなく、出された酒を受け取る。
アテイスタアジールのもう一つの姿は酒場である。昼は一階の喫茶店、夜は地下で酒場を営んでいる。
昼間とはうって変わって、客層も風変わりな人間ばかりだ。
喫茶店の面倒な仕事から解放されたゼストは、水を得た魚のように生き生きと仕事をしているが、傍から見れば無表情で無愛想としか言いようがない。
しかし、この酒場ではゼストの態度など問題ではないのだ。
A&Aの常連客は癖のある者達ばかりだが、共通することは大の酒好き。
そしてここにくればゼストが美味い酒を作ってくれる。
毎晩通う理由はただそれだけで、接客態度など二の次、むしろ堅苦しいのが苦手な客が多いくらいだ。
「おはよーさん。なんだー?もう結構客入ってんなー…」
わしわしと乱暴に頭を掻きながら、髭を生やした長身の男がカウンターに入ってきた。
「おい、この役立たず。二日酔いは治ったのかよ?」
ようやく店に顔を出したヴァローナに、グラスを磨いていたゼストが咎めるような視線を送った。
「お、ゼスト。なんだー?心配してくれてんのかー?」
ヴァローナは筋肉質な腕をゼストの肩に回した。
「んなわけあるか、役立たず二号。馬鹿なこと言ってる暇があるならさっさと仕事しろ」
肩に乗せられた腕をぺしっと払いのけ、ゼストは綺麗に磨かれた様々な形のグラスをカウンターに並べていく。
「役立たずはねーだろ、役立たずは。大体、ハースの野郎が飲み比べなんて吹っ掛けてくるから……」
「受けたアンタが悪い」
ゼストは弁解しようとするヴァローナの言葉を途中で切り捨てた。
ハースというのはA&Aの常連客の一人で、大食らい大酒飲みの大男だ。
「だって、仕方ねーだろ。売られた喧嘩は買うのが男ってもん───」
「ゼスト!ヴァローナ!いるか────!」
またもヴァローナの言葉は途中で遮られ、ばーん、と大きな音を立てて扉が開き、体格のいい男がずかずかとカウンターに歩み寄ってきた。
その肩には巨大な獣を抱えている。
「噂をすれば……。煩いのが来たな」
背中に巨大な剣を携えたこの男がハース。モンスター狩りを生業としているハンターだ。
常人より二回り以上大きい筋肉の塊のような体に、無造作に掻き上げられた金色の髪。
左頬に大きな傷のある男の巨躯は嫌でも目に入る。
「ゼスト!今日はこんなでかいヴォルグを仕留めたぜ!」
「そんなもん見ればわかる。そして俺に言いにくるな。それ調理して欲しいならヴァローナにでも言えよ」
ついでにもう少し静かに入って来いと言いたいところだが、今更ハースに言ったところで変わるわけはないと、ゼストは口に出す前に諦めた。
「俺はお前に自慢したかっただけだ!」
「んな事言って、どうせ後でヴァローナにも自慢するんだろ?」
と横にいるヴァローナをちらりと見やる。
「まあな!とりあえずこれ、やるから」
そう言ってハースは肩に担いでいた巨大な獣をゼストに差し出そうとするが、ゼストはあからさまに顔をしかめた。
「お前、俺がそんなもん持てると思ってんのか?……おい、ヴァローナ。突っ立ってないでこれ持っていけよ」
どうせお前が調理するんだからよ、とゼストは付け加えた。
「へいへい、わかってるよ」
ヴァローナは明らかにゼストよりも重量があるヴォルグを受け取ると、軽々と肩に担いで厨房に姿を消した。
「なんだあ、ゼスト?お前、あんなもんも持てねーのか。……まあ、この細っこい体じゃ無理かもな!」
なにがおかしいのか、ハースは豪快に笑いながらゼストの方をばしばし叩く。
「俺は標準だ。お前等がおかしいんだ」
ゼストの倍以上ある筋肉質な腕で叩かれ、衝撃が体に響く。本人は軽く叩いているつもりなのだろうが、華奢なゼストにはかなり堪える衝撃だ。
「ま、お前の腕は美味い酒作る為の腕だからな。ゼスト、何かくれ」
カウンター席にどっかりと腰を下ろしたハースは、いつも通り酒の種類をゼストに任せて注文する。
「お前はホント酒に拘りがないよな……」
「俺は小難しい名前なんて覚えてねえし、お前に任せときゃ間違いないってわかってっからな!」
ゼストにとっては普段、喧しいだけの天災のような男だが、さらりと人を褒めるあたりが憎みきれないところだ。
(無意識で言ってるあたり質が悪いな……)
お前の作る酒は美味い、というのはゼストにとって最高の賛辞だ。
昼は喫茶店で女性客に美形だなんだと褒めちぎられているが、ゼストにとっては他の何を褒められるより、酒を褒められるのが一番嬉しい。
とはいえ、その賛辞に礼を言えるほどゼストは素直な性分ではなかった。
その代わり、と言わんばかりにゼストは手早く酒を作り始める。
氷をタンブラーに入れ、ジンを注ぐ。冷蔵庫から取り出したトニックウォーターを注ぎ、バースプーンで軽く混ぜ、カットしたライムを放り込む。
「ほら、出来たぜ」
「お、おお。早いな」
ものの数十秒で出されたことに驚きつつ、ハースはタンブラーを受け取った。
「まあ、簡単に作れるカクテルだし」
グラスに直接材料を注いで作る方法をビルドと言い、簡単な方法に見えて、実はバーテンダーの技量が一番良く分かると言う奥の深いものなのだが、脳味噌まで筋肉のハースに説明したところで明日には忘れていることだろう。
「仕事の後はやっぱ酒がねえとな!」
ハースは出されたカクテルを一気に呷る。
「っかー!うめー!やっぱお前の酒は最高だな!疲れた体に染みるぜー!」
「俺が言うのもどうかと思うが、よくもまあそんなに毎日酒が飲めるもんだ」
「仕方ねえだろー?狩りに出ちまうと長期間飲めねえ時だってあるし、飲める時はじゃんじゃん飲んでおかねえと!」
もう一杯!と勢いよく差し出された空のタンブラーを受け取ると、次いで入り口の扉が大きな音を立てて勢いよく開いた。(本日二度目)
「ハースはいるかあああぁぁ!」
殺気立った目をして叫びながら店に入ってきたのは、フラワーズガーデンに駐屯している自警団の隊長、ホーネットだった。
仕事も終わる時間だというのに制服姿のままで、その上普段は綺麗に整えられているはずの銀髪を振り乱している様から、彼の必死さが伺えるようだった。
ゼストは、またこのパターンか、と頭を抱えた。
「貴様!また我等の標的を横取りして!今日という今日は許さん!」
ホーネットはハースの姿を見るなり、怒りのままカウンターに詰め寄る。
今にも喧嘩が始まりそうな空気に、周囲の客の目が一気に集中した。
「そんなん早い者勝ちだろ?……なんだ?ここでやろうってのか?」
仕事内外問わず、基本的に暴れるのが好きなハースは、既に戦闘態勢に入っていた。
二人の話から察するに、先程ハースが持ってきたヴォルグは、自警団の標的でもあったらしい。
自警団の仕事の一つに街の治安維持があり、その職務内容には人に危害を加えるモンスター等の討伐も含まれている。
ヴォルグというモンスターは、人肉を好んで食すわけではないのだが、動くものに襲い掛かる習性があるため、自警団に討伐任務が下ったのだろう。
一方ハースは、モンスター狩りを主とするハンターで、ギルドの依頼を受け、街周辺・郊外問わずに現れたモンスターの討伐を行い、その報酬で生計を立てている。
自警団に下る任務は国からが主で、ギルドの任務は街の人や商人など様々な人が依頼を持ち掛ける。
依頼内容が被ることも珍しくはなく、つまり自警団とハンターはライバル関係にあると言ってもいいだろう。
「覚悟しろハース!今までの恨み、思い知らせてやる!」
「そりゃこっちの台詞だぜ!」
周囲の客が好奇の目で見守る中、二人は距離を取る。
ハースは背中の剣に、ホーネットは腰に差した剣に手を掛けた。
睨み合うこと数秒、二人は同時に床を蹴った。
一般人の目では捉えられないような速度で間合いを一気に詰め、互いの獲物を引き抜こうとした瞬間──。
「全くお前らは──―!」
二人の間に割って入ったのはゼストの声だった。
カウンターを飛び越えたゼストは、二人が交錯するその瞬間、ハースの後頭部を掴み、
「もう少し静かに!」
次いでホーネットの後頭部を掴み、
「できねえのかっ!」
彼らの勢いを利用して二人の頭を力いっぱい合わせた。
ガツン!と、おおよそ普通では聞くことのないような頭蓋骨同士が激突する音が店内に響き渡った。
「いってえええええええ!」
「─────っっっっっ!」
咄嗟の事で何の対応も出来なかったハースとホーネットは、額を押さえてその場に崩れ落ちた。
各々のスピードプラスゼストの腕力。
いくら強者の彼らと言えど、己の力プラスアルファで頭に衝撃を受けたのではたまったものではなかった。
額を押さえたまま転げまわるハースと、蹲ったまま身動きできずにいるホーネットを見下ろして、ゼストは言い放った。
「他のお客様のご迷惑になりますので、店内での暴力沙汰はお控えください」
酒場では見せたことのない壮麗なまでの作り笑顔に、二人の顔が一瞬にして青ざめた。
なにせ二人を見るゼストの目が、全く笑っていないのだ。
日常的に身を危険に晒す仕事をしている二人は、危機的状況には慣れているはずなのだが、この時のゼストの笑みは血の気が引くほど恐ろしかった。
「わ、悪かったって、ゼスト……」
「も、申し訳ありませんでした……」
「よろしい。……ったく、店の中で剣抜くなんて馬鹿なこと考えんなよ」
再びカウンターに戻ったゼストが眉間に皺を寄せながら言うと、二人は申し訳なさそうにうなだれ、素直に頭を下げた。
「まあ、ハースが暴れるのはいつもの事だが、アンタまで喧嘩腰ってのは珍しいな、ホーネット?」
「返す言葉もありません……」
自警団隊長のホーネットは、温厚で品行方正、街人からの信頼も厚い真面目人間なのだが、ハースのこととなるとむきになることが度々ある。
(それだけハースに迷惑掛けられてるって事なんだろうけどな……)
「ま、いい。アンタも飲みに来たんだろ?座ったらどうだ?」
先程の騒ぎを気に病んでいるのか、立ったままのホーネットの前に今しがた話しながらシェークしていたカクテルを差し出す。
「すみません…、ありがとうございます」
先程の激情もようやく落ち着いたのか、ホーネットはハースの隣に座り、カクテルを受け取った。
「マタドール……ですね。これは闘牛士のようにハースをあしらえるようになれと言う皮肉のおつもりで?」
黄色のカクテルを一口飲み、ホーネットは苦笑した。
「他意はない」
ゼストも笑みを浮かべて返した。
「しかし…。やはり貴方の作るカクテルは他とは比べられないですね。酸味と甘味の調節が絶妙です」
マタドールとはテキーラベースのカクテルで、パイナップルジュースとライムジュースを加えてシェークしたものだ。
ライムの分量を変えることで酸味や甘味を調節でき、常連客のホーネットの味覚を理解しているゼストは、それに合わせたカクテルを出しているというわけだ。
「それは光栄だね。俺の酒の凄さが分かるアンタには特別にサービスしてやろう。アフターディナーにも一杯出すぜ?どうせ飯も食って行くんだろ」
「そうですね、ハースのせいですっかり忘れていましたが、夜は非番ですので」
「ゼスト!俺の分はねーのか?」
「アンタの分はねぇよ」
包み隠さずはっきりと断言されたにも関わらず、ハースは諦めずに食らいついた。
「ひいきだ!ホーネットだけずりぃじゃねーかよ!」
子供のような言い分に、ゼストは思わず呆れ顔になった。
「仕方ない奴だな……。そうだな……、暴れず騒がず大人しく飯食えるっていうなら考えてやるよ」
そう言ってゼストがカウンターの後ろの扉に目をやると、料理の皿を両手に乗せたヴァローナが厨房から出てきた。
「悪い悪い、待たせたな。ほれ、ヴォルグの肉をソテーにしてみた」
香ばしい匂いのする料理を目の前に出されハースは、ゼストの言葉通り、暴れず騒がず静かにフォークを手に取ったが、ホーネットはその料理を見て顔を顰めていた。
「ハース…これはまさか……」
「おう。今日狩ったヴォルグだ」
ハースは分厚い肉をフォークで刺し、それを丸齧りしながら答えた。
本来なら自警団が討伐するはずの獲物が、こんがりソテーに成り果ててしまったことに複雑な気分を覚えつつ、ホーネットは料理を口に運んだ。
「ヴァローナの料理だけあって、さすがにおいしいですね」
「そうだろ。俺のおかげだぞ。感謝しろよ」
肉を頬張りながら、何故かハースが威張る。
「いや、作ったのは俺なんだが……」
「獲ってきたのは俺だぜ?」
「貴方が邪魔をしなければ、私が討伐していたはずの獲物ですが」
実際にヴォルグを調理したヴァローナがカウンター越しに指摘すると、大人しく料理を食べていたはずのハースがすかさず返し、それに対してホーネットが不機嫌そうに言う。
美味い料理を目の前にして手柄を取り合う男三人に、ゼストはスクイザーでレモンを絞りながら眉を顰めていた。
店内にいる他の客も、また揉め事かとざわつきながら好奇の目を向けている。
ああでもないこうでもない、と不毛極まりない討論にも満たない口喧嘩を続ける三人に、再びゼストの怒りが頂点に達する。
ぐしゃり、と不吉な音と共に放たれた強烈な殺気に、三人はぴたりと口論を止めた。
そして恐る恐る視線を動かしたその先には、とても言葉では表現し尽せない程の極上の笑顔を浮かべたゼストがいた。その手には、これでもかと言わんばかりに弾けたレモンが握られており、指の隙間から瑞々しい果肉と果汁を滴らせていた。
本日二度目の命の危機に、三人は咄嗟に弁明を試みる、が。
「あ、あのな、ゼス────とおおおぉぉっ!」
口を開いた途端、叫び声と共にヴァローナの姿が消えた。
バァンと勢いよく厨房の扉に何かがぶつかり、両開きの扉を押し開けて、それは厨房の中へと転がっていった。
それは遠巻きに見ている客には何が起こったか理解できないほど一瞬の出来事だったが、俊敏な獣の動きをも捉ることのできるハースとホーネット目は、その一部始終を見た。
ヴァローナの体躯は、彼より華奢な体格のゼストに、常人の目には映らない程の速度で蹴り飛ばされていた。
揉め事の処理さえ客には気付かせないというゼストの仕事に対する徹底振りは、今の二人にとって恐怖以外の何物でもない。
逃げなければ殺られる。
この緊急事態に、二人の心は一つになった!
己の力をもってしても抗うことの出来ない命の危機を悟った二人は、全力で出口まで走り抜けようと立ち上がった──瞬間。
逃げる間もなく彼らはカウンター越しに顔面を鷲掴みにされていた。
ぎりぎりと五指に力を込められ、二人の脳裏には無残にも握り潰されたレモンの姿が浮かび上がった。
「静かにしろっつってんのが分かんねえのか……!」
耳元で静かに低く、唸るような声でゼストが言う。
「「すい(み)ませんでした」」
弁解の余地なしと悟った二人は視線だけでお互いの表情を伺うと、先程までいがみ合っていたとは思えぬ程息の合った呼吸でゼストに平謝りしたのだった。
実際にあるカクテルを引用してますがそのうち実際ないやつも出たりします。
私はお酒には特に詳しくありません、全て本とYouTubeで調べていますが基本にわかなのは許してください。