3 ウエイトレスは破壊神
開店中は主にごみ捨てをする時にしか使わない裏口だが、そこには先客がいた。
ごみ箱の前で地面に散乱した皿の破片を拾い集めているのは、ウェイトレスのアウラだった。
ゼストはその姿を目に留めた瞬間、思わず眉を顰めていた。
「…………………、何してんだ、お前」
長い沈黙の後ゼストは心底仕方なく声を掛けることにした。
「あ…、ゼストさん……。あの、えっと…、お皿の破片を落としてしまいまして……」
ついさっきクラートから、アウラが皿を割って裏口に行ったとは聞いていたが、たかが皿の破片を捨てに行くだけの作業に何を手間取っているのだろうか、とゼストは疑問に思わずにはいられなかった。
(ヴァローナといい、アウラといい、なんだってこんなに使えねえ奴が多いんだ……)
てきぱき仕事をこなせなんてのは到底無理だと理解しているが、せめて普通に仕事できるようになってくれよ、とゼストは溜め息をつきたくなった。
身体中についた小麦粉をはたき落としながら、もたもたと皿の破片を集めているアウラを横目で見る。
(つーか、どうすりゃこの短い距離で持ってるもの落とすんだよ……)
あまりにも手際の悪いアウラに、ゼストは見ているだけで苛々していた。
「……おい。後は俺がやっておくから、お前は店に戻れ」
見兼ねたゼストは冷ややかな声で言った。
「は、はい…。すみません……」
ゼストの苛立ちを含んだ低い声に、しょんぼりと落ち込みながらアウラは店内に戻っていこうとする。────が。
「あうっ!」
途中、段差に躓き、びたーんという盛大な音と共に顔から床に倒れこんだ。
目を覆いたくなるような間抜け振りに、ゼストは眉間の皺を揉み解しながら絶句する。
「い、痛い……」
涙目になりつつ頭を押さえながらアウラが身を起こす。擦りむけた膝からは僅かに血が流れていた。
痛みはあるが、背後から殺気のようなものを感じ、アウラは慌てて立ち上がる。
これ以上ゼストの前で失態を犯すわけにはいかない、とアウラはそそくさと店に戻ろうとした。
「おい」
扉に手をかけた瞬間ゼストに呼び止められ、アウラの肩がびくりと跳ねる。
「は…、はい……」
普段、失敗の度にゼストに説教を食らっているアウラは、この後起きる事を想像し、恐る恐る後ろを見る。
──ぺしっ。
振り向いたアウラの額に、ゼストの掌が音を立てて当たった。
「…………?」
叩かれたにしては衝撃が小さいと疑問に思っていると、離れたゼストの掌の中から、紙切れのようなものが落ちた。
顔の前を通ってひらひらと落ちてきたそれを、アウラは慌てて両手で掴んだ。
紙か何かだと思ったそれは絆創膏だった。
「貼っておけ」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、ゼストは無言で散乱した皿の破片を片付け始めた。
「あ、……ありがとうございます」
アウラは僅かに顔を赤らめ、急ぎ足で店内に入っていった。
残されたゼストは静かに息を吐く。
「まあ、あのくらいどんくさかったら皿も割れるし、破片も落とすだろうよ……」
普通躓かないだろうという僅かな段差に目をやりながら、ゼストは二度目の深い深い溜め息をついた。
今日も彼の苦労が絶えることはない。
ゼストが再びホールへ戻ると、カウンターではクラート食器を拭いているところだった。
「あ、ゼスト君お帰りー。小麦粉被ったって聞いたけど、大丈夫?」
「私は問題ありませんが、ウィアさんは大丈夫でしたか?……慣れない仕事をお願いしたものですから」
ウィアはケーキを作る事を専門としていて、厨房から出てきて仕事をすることは殆ど無い。
ウィアがホールの仕事をする時はゼストとクラートで手が回らなくなったときだけだ。
「全然大丈夫だったよ。女性客からラブコールが飛んで大騒ぎになったけどね」
「まあ可愛いですからね、ウィアさんは」
ウィアを言葉で表すなら、「妖精」の一言に尽きる。
ふわふわした質感の金髪に、大きな琥珀色の瞳、子供のように小さい背。
その小さな体でケーキを乗せたトレーを懸命に運ぶ姿は、女性客の母性を瞬時に射抜いたであろう、とゼストは容易に想像できた。
実際、ゼストは以前「あの扉の向こう(厨房へ続く扉)は妖精の国で、可愛い妖精達が可愛いケーキを作っているのよ!」と女性客が熱弁しているのを耳にしたことがある。
「ウィア君のあの容姿なら、失敗しても許されちゃいそうだよねー。アウラちゃんもそのパターンなんだろうけど……」
「見た目だけはいいですからね」
にっこりと笑みを浮かべるゼストの声は限りなく冷たい。
ゼストの中で使えない従業員ナンバーワンの称号を欲しいままにしているアウラの仕事ぶりは、たとえゼストでなくとも目を覆いたくなるようなものばかりだ。
皿を洗わせれば割る。物を運ばせれば落とす。料理をさせれば素材が消し炭になるか、最悪、爆発と煙のオンパレードで自警団沙汰になる。
ゼストは自分は短気な方だと自覚しているが、アウラに限っては怒らない方がどうかしている。
以上の話から、ゼストにとってアウラは戦力外確定要員なのだが、にもかかわらずクレームが来ないのは何故なのか。
それは彼女が、同じ女性でも見惚れてしまうくらい綺麗だからに他ならない。
美麗な容姿に、艶やかな長い黒髪。短いスカートから伸びる足には余分な脂肪など一切見当たらない。
女性としては長身だが、引き締まった体は隙一つ無く、女性の理想型といってもいいようなスタイルをしていた。
(これで仕事さえできりゃあな……)
見た目なんて普通でいいから、仕事できるようになってくれとゼストは切に願っている。
従業員の少ない割に来客数の多いA&Aは、いつも猫の手も借りたい程忙しい。
ゼストが神懸かった速度で仕事をこなしている為、なんとかなってはいるものの、そんな中アウラの不祥事の後始末で仕事が増えることも少なくない。
カウンターに寄り掛かって愚痴の一つでも零したくもなるが、今は客の視線がある手前、それを態度に出すことすら出来ない。
(なん……ってストレスの溜まる仕事だ……!)
「そういえば、さっきアウラちゃんが顔真っ赤にして戻ってきたけど、なにかあった?」
「……?別に何も」
心当たりの無いゼストは素っ気無く答える。
「ほんとにー?」
クラートが疑いのまなざしを向けると同時に、入り口の鐘の音が新たな来客を告げる。
接客に向かおうとしたゼストだが、そういえば、と呟いて足を止め、
「黒でした」
と呟いて颯爽とお客様の出迎えに行ってしまった。
その背中を眺めながら、わけのわからないクラートはカウンターで首を傾げるばかりだった。
見ようとしなくても見えることってあるよね。
ちなみに私は青と赤が好きだよ。