1 アテイスタアジールへようこそ
石畳の上に響く足音と、人々の声。
アリーヴァ王国フラワーズガーデン一番街ローズアヴェニューでは、日が昇ると同時に多くの店が開き活気に満ちる。
店を営む人、買い物に来る人、朝食をとる人と、様々な人で賑わうのがここ、ローズアヴェニューだ。
人の多さに負けない程に数々の店が立ち並ぶローズアヴェニューの中で、一際客入りの激しい店があった。
カランカランと扉に備え付けられた鐘の音が、今日何人目かという来客を告げる。
「いらっしゃいませ。アテイスタアジールへようこそ」
アンティークな雰囲気を漂わせる店内で、ウェイターが恭しく頭を下げ、お客様を出迎える。
「本日はこちらでお召し上がりでしょうか?」
皺一つ無い制服をきっちりと着こなした青年は極上の笑顔をお客様に向ける。
「───────」
青年に笑顔で問いかけられた女性客は、彼の姿を注視したまま扉の前で固まってしまっていた。
「お客様?どうかなさいましたか?」
青年の端麗な容貌に硬直してしまった女性客に対し、彼は動揺する素振りもなく僅かに首を傾げた。
「……えっ、あ…はい!た、食べていきます!」
「かしこまりました。ではお好きな席へどうぞ」
惚けた表情を浮かべる女性客二人が座ったテーブルの上に、メニューと冷たい水の入ったグラスを二つ置く。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
失礼します、と一礼しウェイターは次の接客に向かう。
背中に女性客の熱い視線を浴びながら。
「あーくそ、かったるい!」
時刻は十時を回る頃、朝食ラッシュと昼食ラッシュの間の僅かに気を抜けるひと時。
仕事も少しだけ減り、ようやく手の空いたゼストは、スタッフルームに戻るなり盛大な溜め息と共にソファに腰を下ろした。
その一連の動作に先程までの優雅さは欠片ほども感じられない。
「ゼストくーん、愚痴はいいけどお客様には聞こえないようにしてねー」
ゼストの声を聞きつけ、カウンターから安閑とした声が飛んでくる。
この店の、クラートの声だ。
アテイスタアジールのスタッフルームはカウンターのすぐ後ろにあり、お客様から声が掛かれば即座に応対できるようになっている。
つまり、いくらスタッフルームといえど、大きな声を出せばホールに筒抜けになるということだ。
「わーかってるよ。けど疲れるんだよ、この堅っ苦しい敬語!なんとかしてくれ…」
ゼストは女性客を惑わせる容姿を不機嫌そうに歪め、気だるげにソファに寝転がった。
「ここは可愛らしいお嬢様方の来る喫茶店だから、言葉遣いはしっかりね!」
ひょっこりとカウンターから顔を出したクラートが満面の笑みで釘を刺す。
「なんだって俺がウェイターなんか……」
はあ、と再び溜め息をつくゼストの肩を、クラートが宥めるように軽く叩いた。
「夜までの辛抱だから、頑張ってよゼスト君!お給料は弾むからさっ!」
「はいはい、わかりましたよ……」
やればいいんだろ、やれば。とゼストは投げやりな態度で立ち上がり、スタッフルームを出た。
つい先刻まで面倒くさいという字が顔に貼り付いていたかのような体だったが、一歩ホール出た瞬間の彼の豹変振りは、さながら二重人格者のようだった。
「ご注文はお決まりになりましたでしょうか、お客様?」
あの気だるげな態度は一体どこへ消えたのか。
ゼストは鉄壁を思わせる紳士的な笑みを浮かべ、お客様に問いかける。
「あ、はい!ええと、ラズベリーフロマージュとハーブティーを。それから……」
「わたしはガトーショコラとアイスコーヒーで」
「かしこまりました。ラズベリーフロマージュ、ハーブティー、ガトーショコラ、アイスコーヒーがお一つずつですね。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
「では少々お待ちくださいませ」
後光が差しているのではないかというほど眩しい笑顔で応対するゼストを惚けた表情で見つめる女性客。
彼女たちは、ゼストの本性を知らない。
優雅や紳士的などという言葉とはまるで正反対の本性を柔らかい笑みで包み隠し、ゼストは一礼した後速やかにカウンターに戻る。
「マスター、オーダー入ります。ハーブティー1、アイスコーヒー1でお願いします」
客に対してだけでなく、クラートに対する口調まで変えている徹底ぶり。これで本当に内心面倒臭がっているのか甚だ疑問ではあるが、彼は仕事においては誠実な人間なのだ。それこそ完璧なまでに。
「ところでマスター、アウラはどうしました?」
伝票をカウンターに貼り付けようとしたところで、ゼストはふと思い出す。しばらく目にしていないもう一人の従業員の存在を。
「あの子はさっきお皿割ってたから、裏に行ったよ」
「そうですか」
ゼストは笑顔のまま、手に持っていた伝票を握りつぶした。
(またやったのか、あの馬鹿女……)
アウラというのはゼストと共に接客を担当しているウェイトレスのことだ。
裏に行ったということは割れた皿の始末に行っているのだろうが、それにしても帰ってくるのが遅い。
(全く…ピークタイムが過ぎているからいいものの…)
思わず素が出そうになったゼストだが、表情筋をフル稼働させて辛うじて笑みを作り、ぐしゃぐしゃになった伝票をさりげなく伸ばした。
「仕方がありませんね。私が運びますので、セッティングだけお願いします。厨房に行ってきますので、できればその間に」
「了解ー、ごめんねー」
「いえ。し ご と ですから」
ゼストの言葉に棘を感じたクラートだが、いそいそと飲み物の準備を始めることでわざとらしく聞き流す。
ささやかな嫌味をスルーされたゼストは、内心舌打ちをしながら厨房へ向かった。
セッティング→お客様に出す食器類の準備。
喫茶店てスプーンとかフォークとか色々種類あって大変そうですな。