パン職人②
「ぎゃー!お姉ちゃん!私が拾ってきた死にかけの男が、すごいパンチを放った後、血を吐いて胸から血が噴き出して、血だらけになって倒れたー!」
シンシアは借金の取り立てで、押しつぶされそうなほどの絶望感に堪え続けていた。今日は堪えていた涙が頬を伝い、思わず助けを求める言葉を呟いていた。貧民街で暮らし始めたときも、両親が流行病で死んでしまったときも、「助けて・・・」と神様にお願いした。しかし、願いは叶わなかった。貧民街で貧しいその日暮らしが続き、借金取りに毎日追い回され続けている。神様の気まぐれだろうか?今回のシンシアの願いは叶えられた。誰からも助けてもらえない、貧民街の大人たちから搾取され続けた姉妹を助ける男が現れた。シンシアも幼いころは夢見る少女だったころもある。いつか白馬に跨った王子様がこの貧民街から私を連れ去ってくれるって。
「もしかしたら、白馬の王子様なのかな・・・」
「お姉ちゃん!なに、ボーっとしているの!こんな、汚くて死にかけのパンツ一丁の男が白馬の王子様のわけがないよ!そんなことよりも、本当に死んでしまいそうだから、家に入れて手当したいよー」
パンツ一丁の男は、もともと死にかけていたが、今は出血が多く体がビクビクと痙攣している。本当に今にも死んでしまいそうだ。シンシアはパンツ一丁の男を観察し、
「家に入れても良いけど・・・かなり汚いから、よく汚れを落としてから、家に入れること!」
「わーい!」とリサは汲んだばかりのバケツの水をパンツ男にぶちまけて、デッキブラシでゴシゴシと洗いはじめた。時折、男から「ぐふっ!」とか「ひでぶ!」と言った断末魔の声が聞こえるが、うちは清潔がモットーのパン屋だ。譲れないものもある。パンツ男はリサによって、徹底的に洗われてピカピカになった。
「お姉ちゃーん。体はピカピカになったけど、このパンツは血が染みついて、なんだか分からない汚い染みもあって、きれいにならないよー。どうしよう・・・」
「うーん・・・汚いから、パンツは脱がして捨てちゃいなさい」
「はーい」
リサがパンツ男の汚れたパンツを脱がし、パンツ男は全裸男になった・・・リサは全裸男を「エイ!」と持ち上げ家の中に入った。
何だろう・・・この香ばしい匂いは。今まで嗅いだこともないようないい匂い。これは幸せの匂いだ・・・エイトは幸せの匂いに中で目が覚めた。あたりを見回すと小さな家の中のようだ。エイトはベッドに寝かされ、2人の少女が心配そうに見つめていた。
「お兄さん、大丈夫?すごい怪我だったから、もう目が覚めないと思ったよ!」
小さな少女が心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら言った。エイトは自分の体を確認する。胸に大きな傷・・・これは、合成獣の討伐ミッションで副団長に刺された傷だ。全身の小さな切り傷は・・・記憶に無い・・・そして、薄い掛布団の中の体は・・・全裸だった・・・全裸だったが、胸の大きな傷には包帯が巻かれ出血を抑えようとしたらしい。どうやらエイトは2人の少女に助けらたようだ。
「どうやら、お前たちに助けられたようだ。俺は暗黒騎士エイト・・・」
「私はリサだよ。こっちはお姉ちゃんのシンシアだよ。エイトは川で私が拾ったんだよ!」
「シンシア、リサ、改めて礼を言おう。ありがとう・・ぐー!」
エイトのお腹が盛大にぐーっと鳴った。そういえば、何日も食事をとっていない気がする。それに、部屋に漂う香ばしいいい匂いが空腹感に拍車をかけている。シンシアとリサは視線を交わし「うふふ」「えへへ」と微笑んだ。
「お腹が減っているみたいですね。すこし待っていてください」
「お姉ちゃんが焼いたパンは、すごくおいしいんだよ!」
シンシアがトレイに焼き立てのパンを乗せてエイトに手渡した。エイトはゴクリと唾を飲み込みながら、パンを手に取って一口かじる・・・美味しかった・・・信じられないくらい美味しい!小麦の香ばしい香り、外はサクサクで中はしっとりと柔らかい。これが食べ物なら、今まで食べてきたものは何だったのだろうか・・・エイトはあまりの美味しさに感動し・・・感動のあまりに涙が溢れて止まらなくなった。
「えー!どうして、泣いているんですか?どこか体が痛むんですか?それとも、私の焼いたパンなんて美味しくなかったですか?」
シンシアは突然泣き出したエイトが心配になり、オロオロと質問した。エイトはもう一口、パンをかじった。時間かけてゆっくりと咀嚼し飲み込んだ。やっぱり美味しい。
「俺はこんなに美味いものを食べるのは初めてだ。美味過ぎて感動のあまりに涙が溢れ出てしまった・・・」
「確かに私のパンは美味しいけど、特別なものじゃなくて普通のパンですよ。こんなに感動してくれて、凄く嬉しいけど・・・エイトさんは、いったい今までどんな食生活を送っていたんですか!」
「・・・俺は物心ついたときから、帝国の軍事訓練施設で生活していたから・・・施設の食事は、激まずい筋力強化剤とか、激すっぱい魔力強化剤しか無いから・・・今でも強くなる為に強化剤だけを食べている食生活を続けていた・・・食事が・・・パンが美味しいというのは、書物で読んだ知識では知っていたが、まさかこれほどのものとは予想できなかった」
「・・・エイトさんも大変な生活をおくられていたようですね・・・もっとパンを食べますか?うちはパン屋ですから売るほど、パンはありますよ・・・」
エイトは山盛りのパンを受け取り、幸せそうに食べ始めた。やっぱり美味しい!そして食事により体に栄養が、エネルギーが蓄えられていくのがわかる。食事の効果か、驚異的な回復力により傷はどんどん塞がっていった。
(お姉ちゃん!男の人がたくさん食べる姿って可愛くていいね!もっと、ゆっくり食べれば良いのにー見ていると胸が高鳴ってくるよー)
(何を言っているの。美味い美味いって褒めまくられているのは、お姉ちゃんよ。胸が高鳴る権利があるのは、お姉ちゃんだけでしょ。それにしても、古い伝説の言葉に「男を落とすには胃袋から」というのがあるけど、伝説は本当だったようね)
エイトは焼き立てのパンをむしゃむしゃと食べ続け、シンシアとリサはエイトを眺めながら、勝手なおしゃべりを続けていた。3人の楽しい幸せな時間・・・しかし、そんな時間は長くは続かなかった。
突然、窓ガラスが割れた。外からの投石を受けている。エイトは立ち上がり、姉妹を投石とガラスの破片から守った。
「シンシアとさっきの男、出てこい!ゴードン商会に歯向かったら、どんな酷い目に合うか体に教え込んでやる!さっさと出てこい!!」
ダミ声の中年男の声が響いた。どうやらエイトが殴り飛ばして追い返した、ゴードン商会が戻って来たようだ。エイトは心配そうに見つめてくる姉妹に、「大丈夫」と微笑みながら家の外に出ようとするが・・・
「・・・エイトさん、全裸で外出するのは・・・緊急事態とはいえ、さすがにご近所の目が痛いです・・・」
「キャ!」エイトは自分の姿・・・全裸に気が付き悲鳴を上げた。いやに開放感があるような、すーすーする気がしていたが・・・シンシアから、戸棚に残っていた死んだお父さんの服を借りたエイトは、改めてゴードン商会が待つ外に向かった。