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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ずっとキミに愛されたいと思ってた

作者: 柄内 想

 コンビニで弁当を買って、殺風景な部屋に戻るとスマホに浅霧(あさぎり)紗緒里(さおり)からメールが届いていたのに気がついた。

 ずいぶん久しぶりだ。

 紗緒里は高校の頃からの友人で、卒業してからは時折LINEや電話で連絡を取り合っていたがメールは始めてだった気がする。

 床にコンビニで温めてもらった弁当とペットボトルのお茶を置いてメールを開く。

「話したいことがあるので、今夜会えないかな?」

 たった一行の短い文章。これならLINEで十分だろう?まあ、俺も会って話がしたかったからちょうどいい。

 メールで送られてきたってことは返信もメールのほうがいいってことだよな?返信ボタンをタップして文章を打ち込む。十九時に紗緒里の家と俺のアパートの中間にある駅を降りてすぐのファミレスを指定する。

 今まで彼女と会う時はそのファミレスか近くの飲み屋と自然と決まっていたので、今回もそのノリで決めたのだが深刻な話だとしたら、あまり人が多いところじゃないほうが良かっただろうか?何しろずいぶん久しぶりだし。

 だが、引っ越しが終わったばかりのこの部屋に誘うのは気が引ける。

 板張りの床に直にあぐらをかいて座り、幕の内弁当を開ける。紅鮭を割り箸でつまんでジッと見つめる。そういえば、紗緒里と初めて話した、きっかけは鮭だったな。


 高校の入学式が終わった翌日。最初の授業の日。席は男女合わせての五十音順。

 窓際前方から出席番号一番で、俺の後ろの席が紗緒里だった。一番からの自己紹介で俺の無難な紹介が終わって紗緒里の番になった。

 正直、あの時の彼女が自己紹介で何を喋ったのか、あまり覚えていない。ただ、

「陸上部に入ります」

 と、言ったのは、なんとなく覚えてる。

 その頃の紗緒里は華奢に見える体つきで色白のショートボブ。背は当時の女子高生の平均くらいだったと思う。

 二重まぶたで目尻が上がっていて、人によってはきつい印象を持ったかもしれない。あまり運動部らしくないなという感じだったが陸上部に入ってからの彼女はメキメキと頭角を現した。

 後に髪はさらにベリーショートにして、肌も日に焼けて浅黒くなって見た目もスポーツウーマンっていう感じになった。

 実際、百メートル短距離では先輩たちも敵わないくらいの実力を身につけていた。聞けば中学の頃から有名な選手だったらしく、スポーツ特待生としてうちの学校に入ったらしい。

 ある日の午前中の授業が終わった昼休み。俺は自分で作った弁当をバッグから取り出して机の前で広げた。

 俺の家は母ひとり子ひとりで、俺が小二の頃、両親が離婚した。以来、お袋が女手ひとつで俺を育ててくれた。

 昼も夜も働きに出るお袋のために、家事をするのは自然と俺の役目になった。お袋は、

「とりあえずご飯を炊いてくれたらいいよ。後は母さんがなんとかするから」

 と言ってくれたが、俺も甘えていられないと思い、みそ汁や野菜炒めなどのレパートリーを地道に増やしていった。料理をするのは苦にならなかった。

 百均ショップで焼き網を買って、それで焼き魚を焼くことも覚えた。だから、弁当の中に鮭が入ってることくらい当たり前だった。

 そんな俺の弁当を見て、

「もし、その鮭とわたくしのコロッケを交換してはいただけぬでしょうか?」

 と声をかけたのが紗緒里だ。

 キョトンとしてる俺に向かって

「今日はお口が揚げ物よりも魚が食べたいモードになってるの。助けると思って変えてちょうだい」

 さらに頭を下げて、畳みかけてきた。

 これは自分で焼いたから、たいして美味しくないと言ったのだが、かえって感心されて

「自分で作ったなんて凄すぎる!ぜひ恵んでください」

 と言うや、コロッケを俺の弁当に置いて鮭を奪っていった。

「せっかくだから一緒に食べない?」

 そう言って俺の席を動かして自分の席にくっつけた。まだ俺が返事をしないうちから。

 彼女はそうやって誰彼かまわず仲良くなっていった。人見知りの激しい俺とは大違いだ。だが、そうでなかったら俺と彼女が友人になることなどなかったと思う。その後も何かにつけて一緒に昼ごはんを食べたり、休み時間にだべったりする仲になった。


 ……正直に言おう。俺は当時、紗緒里のことを好きになっていった。明るく物怖じしない性格。その上、美人だ。俺とは真逆。惹かれるのも当然だと思う。

 そして今でも……。


 話っていったいなんだろう?手術の日程が決まり、あまり時間がない。本来ならもっと早く伝えたかったのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。彼女の方から連絡をつけてくれたのは渡りに船だ。

 弁当を食い終わってガランとしたワンルームの部屋の中をぐるりと見回す。

 本来なら業者が荷物を運び出したあと、俺も実家に戻るはずだった。しかし、約束ができたからには、しばらくここで時間を潰そう。紗緒里との話が終わってから実家に帰ればいい。


 手術のことをお袋に話した時、泣かれるかと思っていた。だが、お袋はなにも言わず最後まで俺の話しを聞いたあと、

「戻っておいで」

 と言ってくれた。仕事を辞めてアパートを解約したから行くところがない。そんな俺の状況を理解してくれての言葉だったのだろう。ありがたかった。


 駅を降りて、まっすぐ約束のファミレスに向かう。紗緒里からの返信はすぐにきて

「オッケー」

 の一言だけだった。

 約束の時間より早く着いたが、彼女はもう来てるだろうか?入り口付近で店内を見渡す。夕食時なのに、まだあまり客はいない。半数近くの席が埋まっている程度だ。

 来ているなら見えやすい席に座っているはずだから、見当たらない以上まだ来ていないのだろう。

 席を案内してくれるウェイトレスをよそに自分で席を決める。店内奥の窓寄りの席。ここならたとえ混んできても入り口から俺の姿が見えるはずだ。ウェイトレスに後から連れが来るので注文はその時にします、と伝える。俺と同い年くらいのウェイトレスは無愛想に

「ご注文が決まりましたら、ボタンを押してお知らせください」

 と、マニュアル通りの対応をして引っ込んだ。

 席に着くなりスマホを取り出す。LINEを立ち上げて紗緒里に到着したとメッセージを送る。

 すぐに

「電車遅延なう。遅れそうです。ごめん」

 と返ってきた。電車乗換アプリを立ち上げると、確かに遅延情報が入っていた。俺は上り線だったから影響はまだなかったようだ。

 LINEに戻って

「電車の中で走れ、元陸上部」

 と打ち込んだ。

 彼女からはものすごい形相をしたネコ(?)が

「ウォォォォォォ!!」

 という掛け声とともに全力疾走しているスタンプが送られてきた。こんなもの持ってたのかよ。

 テーブルに置かれたお冷やを一口飲んで、そのスタンプをじっと見つめる。全力疾走できなくなった彼女にかける言葉じゃなかったな、と思いながら……。


 彼女は陸上部だったが俺は当時見ていたアニメの影響で吹奏楽部に入部した。元々、男女混合の部活を考えていたので文化部にしようと漠然と考えていた。だけど、取り立てて音楽が好きというわけでもなかった俺は同じくアニメを見て吹部に入った連中とその話ばかりしていた。そのために当時の部長から

「うちはアニメ同好会じゃない!」

 と怒られた。だからというわけではないが自然と幽霊部員になっていった。

 そういえば紗緒里にも、そのアニメを勧めたことがあった。彼女はその週から見始めてくれたのだが、ある時

「なんであのトランペットの子はユーフォの子に『愛の告白』をしてんの?だってあの子、顧問の先生が好きなんだよね?意味わかんないんだけど」

 そう食ってかかられたことがあった。

 正直、俺もあのシーンの意味はわからなかった。だけど、そういうもんだと気にせずに見ていたから紗緒里がなぜそこまで怒っているのかわからなかったし、俺にとってはそちらの方が問題だった。

 俺は反論した。なにせ好きな作品を否定されたのだから、かなりムキになった。しかし、意味がわかってないのは彼女と同じなのだから、こちらの意見は支離滅裂だ。

 終いにはつかみかかりそうな勢いになり、周囲が必死になって止めに入ったくらいだ。そのあとどうやって仲直りしたかは覚えていない。俺の性格上、謝ったとは思えないから彼女が頭を下げてくれたのか自然に仲直りしたのか。


 幽霊部員になった俺は陸上部の練習風景を見ることが多くなった。普段はジャージや体操着で練習してるのだが、試合が近づいている時は競技用のユニフォームで走ることがあった。

 ……あんな、身体のラインがはっきりわかるのは目の毒だ。どこに目をやっていいのかわからない。

 いや、俺も男だから結局マジマジと見てしまってるんだが。紗緒里は胸が小さいし髪も短かい。喋り方も男っぽかったが、あれを見るとやはり身体つきも仕草も女の子だ。後で彼女から問い詰められたとき冗談で返すのに苦労した。


「お待たせ。遅くなってごめんね」

 回想に夢中になってた俺は対面に座った紗緒里に気がつかなかった。彼女はネックがフリルのリボンになっている花柄のブラウスにベージュのフリルのスカート。白いハイヒールと同色のハンドバッグを右肩に下げている。なんでそんな可愛い格好をしてるんだ?まるでデートに来たみたいじゃないか。

「ずいぶんバッサリいったね。昔のわたしみたいじゃない」

 紗緒里は右手でチョキを作り自分の髪を切る仕草をした。たしかに仕事を辞めたのを機にかなり短くした。逆に紗緒里の髪はもう背中まで伸びている。

「あれから切ってないの?」

 俺の問いに笑いながら答える。

「まさか、ちゃんと手入れをしてるよ」

 高二の夏、インターハイ出場に向けて練習中の紗緒里が怪我をしたと聞いたのは翌日の授業が始まる前だったと思う。松葉杖をついて通学してきた彼女の周囲にたくさんのクラスメイトが群がっていた。

 彼女は明るく振る舞っていたから、まさかあれから全力で走ることができないとは思ってなかった。

 その頃から彼女は髪を伸ばしはじめた。


 もう食事時だし慌ててメニューを差し出すと首を横に振って

「食事しながら話はしたくないから」

 と言った。でも、なにも注文しないわけにはいかないからドリンクバーを注文するためにテーブルの上のボタンを押した。


 ウェイトレスがドリンクバーの注文を取りに来ると紗緒里はうつむいたまま黙ってしまった。ウェイトレスが伝票を置いていってもその姿勢は変わらない。

 かなり話しにくいことなのか?だったらアルコールが入ったほうがいいんじゃないか。店を移ろうか。居酒屋よりもどこかバーとかの方がいいか。そう言うと彼女は顔を上げて深刻そうな顔でこちらを見つめて言った。

「……わたし……瑞奈(みな)のことが好きなの」


 今、俺はどんな顔をしてるのだろう。たぶんキョトンが一番近いと思う。こいつなにを言ってるんだ?

 そんな俺の表情を見て

「『好きって言ってもLIKEじゃないよ、LOVEの方』」

 と付け加えてきた。そして固い表情でニコリと笑った。……からかってるのか?それってあのアニメのセリフじゃないか。

「昔、アニメのことでケンカになったよね」

 紗緒里がさらに続けて話し出す。

「わたしね、あのアニメを今でも時々、見てるの。DVDボックスで買ってね。……あ、一期も二期もだよ」

 それは……意外だった。あれは嫌いだったんじゃないのか?

「何度か見返してみてもやっぱり意味はわかんないんだよね。だけど、あのアニメは嫌いじゃないよ。面白いと思うから」

 さすがにDVDは買ってないが、俺も再放送やネット配信で何度か見返してる。

 やっぱり何度見てもあのセリフは理解できないのは俺が男だからなんだと思っていたが、女の紗緒里が見返してもわからないんだな。だけど今、聞きたいのはそんなことじゃない。

「……脱線しちゃったね。……うん、言いたいことや聞きたいことはあると思うんだけど、わたしの話を最後まで聞いてほしいんだ。もっとも、わたしもあんまり頭の中が整理できてないんだけどね。

 あ、とりあえずせっかく注文したんだからなんか飲もうか?わたし取ってくるよ。何がいい?」

 俺は

「ブレンドコーヒー。ブラックで」

 と答えた。彼女は

「ん……」

 と頷いて席を立った。


 食事をする客が増えてきたためドリンクバーも結構、列ができている。しばらくは戻ってこないか。いったい彼女はなにを言おうとしてるんだろう?


 結局、考えがまとまらないまま紗緒里が戻ってきた。俺の前にコーヒーを置いてくれる。

 紗緒里はオレンジジュースを持ってきた。グラスの中には氷を入れずになみなみとジュースでいっぱいにしてる。何度もおかわりができるんだから、そんなにいっぱいにしなくてもいいのに。

 そのたっぷりのオレンジジュースの入ったグラスにゆっくりとストローをさす。そして慎重に口にくわえて一口すする。俺もカップに注いでくれたコーヒーを一口飲む。こっちは普通に入れてくれたんだな。

「……わたしが……ね。女しか愛せないって気がついたのは、ずいぶん遅かったんだ」

 一息ついて気が楽になったのか、ゆっくり話しはじめた。

「まあ、当たり前だよね。普通の女だって可愛くてきれいな女の子は好きだし、同級生の男子が子どもっぽく見えるのなんて普通なんだろうしね。友だちが女の子のアイドルグループのことを楽しそうに話してる横でおんなじように話すことができるのに、なんの疑問も抱かなかったんだ。

 だけど、少しずつその子たちも男性アイドルの話題を持ち出すようになってきはじめて。……そうしたら、もうわたしは、ついていけないの。でも、そこでも気が付かなかったんだよね。男の子が好きになれないのは単に他の子より思春期が遅いだけなんだって気楽に構えてた。わたしもいつか普通に男の子に恋をするって信じて疑わなかった。

 ……中学三年の時にね。自分が一人のクラスメイトの女の子をずっと目で追ってるのに気がついたの。自分の行動なのにどうしてそんなことをするのかわからなかった。それが恋だと気がついた時は……ね。正直、気持ち悪かった」

 俺にも覚えがある。今、目の前にいる女性がクラスメイトだった頃、やはり俺も彼女を目で追っていた。……やっぱり自分自身が気持ち悪かった。彼女は苦笑いを浮かべながら話しているが、きっとかなり辛かったと思う。

 それなら紗緒里がアニメで吹部の顧問の先生が好きな女の子が主人公の女の子に「愛の告白」をするシーンに、どうしてあんなに怒っていたのか、なんとなくわかる気がする。

 自分は「愛の告白」なんて、することができないのに、普通に男性に恋してる女の子が女の子に向かって「愛の告白」をするのは、我慢ができないくらいの冒とくに思えたのかもしれない。


「わたしって、たぶん誰にでも分け隔てなく接する人見知りしないタイプだと思われてたかもしれないけど、そうじゃないんだ。わたし……自分の性癖がバレるのが死ぬほど怖かった。だから、女の子だけじゃなくて男子にも自分から積極的に声をかけて仲良くなっていった。

 それで、もっとわたしと仲良くなりたいって思った男子から告白されたりもしたんだけど、まあ、そういう子たちには

『陸上に力を入れたいから、今は恋愛できない』って言って断ってた。嘘じゃないけど、それだけが理由じゃないんだよね」

 そんなことがあったなんて全然知らなかった。いや、紗緒里だったらそんな話があってもおかしくないか。実際、二年生の頃に一ヶ月ほど陸上部の先輩と付き合っていたはずだ。

「……高校に入ったときも同じようにやろうと思った。絶対バレないようにしようって。そうしたら瑞奈がいたの。……わたし思った

『ああ、わたしはこの子に恋してしまう』って」

 彼女は顔を赤らめてうつむきかげんで言った。

「『ダメだ!好きになったって実るわけない。諦めなくちゃ』そんな風に思ってたのに気がついたら、わたしから声をかけてた。

 ……あの時の瑞奈は伸ばしたら腰まで届く黒い髪を無造作にポニーテールにしてた。背だって百四十なかったはずよね。小っちゃくって可愛かった。それなのに胸はかなりあったじゃない。端整な顔立ちで性格もおとなしくて、わたしとは正反対」

 当時を思い出してるのか、うっとりするような顔で語ってる。

 俺は自分の動揺が表に出てないか、それだけが気がかりだ。悟られちゃいけない。


「付き合ってる人……いたよね?」

 ごまかすために、とっさに出た言葉だった。今、この場で出していい話題かどうかわからなかったが、出してしまった言葉は引っ込められない。

 彼女は俺の顔を不思議そうに見た。そして、言いにくそうに話しはじめる。

「わたしが練習中のケガでもう陸上できなくなって部を辞める時に先輩から告白されたの。わたしもスポーツ推薦の道がなくなっちゃったし、なにより特待生で入学したから、これからどうなるんだろうって不安もあった。そんな時に優しくされたからなのかな、つい『はい』って応えた。

 それに、もしかしたら男の子と付き合ったら女の子しか好きになれないことも無くなるんじゃないかって考えたのもある。

 最初のうちは良かったの。先輩は受験があったし、わたしはまだ松葉杖だったからデートもできなかったし。しばらく経った日曜に先輩が突然うちに遊びに来たの。わたしも無下にできなかったから上げちゃったの。そうしたら……キスされそうになった」

 ドキリとした。いや、曲がりなりにも付き合ってるならそうなっても不思議じゃない。俺の表情が変わったのか紗緒里は慌てて

「されそうになっただけだからね!されてないから」

 否定した。

「……まあ、要は先輩に恥をかかせちゃったわけ。だけど、彼は怒るどころか謝ってくれてね。その時に話した。家族も友だちにも隠し通してる秘密。わたしが同性しか好きになれないって」

 それはその先輩が「彼氏」だからなんだろうな。

「わたしの方こそ謝ったよ。自分が『普通』になるために利用したんだから。彼は許してくれた。それだけじゃなくて別れてもくれた。……覚えてる、その時のこと?」

 覚えてる。俺は頷いた。

「学校に行ったらみんなから矢継ぎ早に質問されてビックリした。わたしたちってそんなに注目されてたカップルだったのかって。でも、よくよく聞いてみたら彼が別れた理由をみんなに話したみたいだった」

「結婚するまでそういう関係になれない。そう言われたから別れた」たしかそれが、その時噂になった別れ話の理由だったはず。みんな憤ってた。特に紗緒里と仲の良かった女子たちはその先輩に抗議しようって盛り上がってた。

 俺もなんて奴だと思ってた。結婚するまでプラトニックを通したいと思ったっていいじゃないか。そうみんなと一緒に怒ったのを覚えてる。

「……もうわかるよね。それって彼がわたしの秘密を守るために言った嘘だったの。わたしもそれがわかったから、その嘘に乗っかることにした。おかげでわたしのイメージは『清純』になっちゃった」

 動揺を隠すためにした質問がかえって戸惑いを助長する結果になっちまった。いまさらそんな真相を聞かされても困ってしまう。


「まだ陸上やってる頃、練習を見てた瑞奈に休憩の時に近づいていって

『なにやってんの?』って聞いた」

 ああ。

「そうしたら左右の目尻を指で引っ張って言ったんだよ。

『その格好をエッロい目で見てた』って。もちろん冗談だってわかる。

『通報するぞ、エロ親父』ってわたしも応えたし。

 ……たいした思い出じゃないと思うかもしれないけど、わたしにとってはすっごいドキドキだった。わたしのことそんな目で見てくれてたんだって。その夜、妄想までした。……とんだ『清純』だよね」

 顔を真っ赤にして一言ひと言を思い出しながら嬉しそうに話してる。俺はどんな顔をしていいかわからない。もう空っぽのコーヒーカップを口につけて表情を隠そうとするので精一杯だ。

「わたしやっぱり瑞奈のことが好きなんだ。それは高校だけのことじゃなくて今でもなの。現在進行系、真っ最中」

 彼女はまっすぐ俺の顔を見つめ直してくる。

「……仕事」

 俺はポツリと呟いた。またとっさに出てきた言葉だ。

 紗緒里はハッとした顔をしてから、しばらく考え込む顔をした。やがて、

「去年三年のクラス会があって滝沢がね。わたしに近づいてきて言ったの

『お前の友だちの秋山に相手してもらったんだ』って。なんのことかと思って聞き返したら……そういうお店で働いてるって」

 ……。

「……信じられなかったから電話したの。そうしたら『お金が必要だから』って言われて。……それから電話できなくなった」

 ……やっぱり。

「今日、メールで送ってきたのって……」思い当たることがあったから聞いてみた。

「うん、本当はメールに書こうと思ったの。……だけど、考えがまとまらなかったし、なにより会って話したかったから、そのまま『会いたい』って書いたの」

 そうだったんだ。

「……わたし陸上やってた時、髪を切ってたじゃない。それは走るのに邪魔だからっていうのもあるんだけど、男の子っぽくしたら相手をしてもらえるんじゃないかって考えたからっていうのもあるの。

 だけどね、違うの。わたしは男に……『彼氏』になりたいんじゃない。女として、浅霧紗緒里を愛してほしいって思ってる。秋山瑞奈に愛されたいって思ってる」

 紗緒里が残っていたオレンジジュースからストローを抜いてグラスを持ってグイッと飲み干した。

「……だから、お金が必要なら、ふた……!?」

 紗緒里の言葉が止まった。戸惑っている。理由はわかってる。俺の目から涙がこぼれ落ちてるからだ。さっきからなんとか涙を流さないように努力してきた。だけど、もう限界だ。

 店内の雰囲気が変わってきたのがわかる。そりゃ止めどなく涙を流してる人が店内にいたら、いたたまれなくなるだろう。だが、そんなこと知ったことか!

 どうして、そんなことを言うんだ?そんなこと言われたらなにも言えないじゃないか!手術のことも。そのためにあんな思いまでして働いてきたことも。

 俺が紗緒里のことを愛していることも。俺だって、ずっと紗緒里に愛されたいと思っていたことも。

 言えない、言えるわけがない!

 俺がなぜ泣いているのかわからない紗緒里は困惑ながら小声で言った。

「どうしたの?大丈夫?瑞奈」

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