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第三話

(表面的には)平和です。




カナのクラスの四時間目の授業は数学だった。

カナはアイの隣に用意された小さな丸椅子に腰掛け、じっと黒板を見つめていた。

板書を写すノートはない、教師が見ろと言っている教科書もない、見聞きだけで理解出来る頭脳もない。


「釘谷さん、その椅子、気に入ってくれなかった? やっぱり背もたれが欲しいのかしら」


アイは自分が用意した椅子をカナが気に入らなかったと勘違いしたフリをして、眉間に皺を寄せたカナの顔を心配そうに覗き込む。


「い、いえ。気に入って……ます。あの、教科書とノートがないから、授業をちゃんと聞かないとなって、気合い入れてただけなんです」


「あら、そう。なら私の教科書使って。ノートは……あぁ、あったわ。ほら、新品よ。あげるわ」


アイは閉じたままだった教科書を開き、鞄の中から包装されたままのノートをカナに手渡す。


「…………え? えっと、あの」


カナはアイが黒幕だと疑っていた事もあって、突然の気遣いに当たり障りのない反応を返せなかった。


「理科のノートがなくなりそうだったから買っておいたんだけど、今日の理科は実験なのよねぇ、だからそのノートは今日はいらないの」


嘘だ。初めからカナに与える為に買ったノートだ。

奪った相手が分からなければ、与えた相手を信じるだろう。


「もらえないよ……昼休みに自分で買うから、その時に移させて?」


敬語が抜けた事を信用の証だと見て、アイは自然と緩む口を手で隠した。


「購買のは書きにくいし、開きにくいし、消しゴムの跡が残るでしょう?」


「…………こ、これ、いいやつ……だよね? 一冊500円くらいするの……そんなの、もらえないよ」


「あげるって言ってるの、過ぎた遠慮は不愉快よ」


「ごっ、ごめんなさい……」


カナの家は衣食住をなんとか揃えられる程度で、それもカナはあまり両親に可愛がられていなくて、学用品にはあまり金をかけられない。だからいつも70円ほど持っていかれるノートがタダで手に入るのなら……それも高い物なら、これ以上に嬉しい事はない。


「……本当に、いいの?」


いくら愛しい相手だと言っても、生来短気なアイは執拗い遠慮に苛立った。

それでも怒鳴ってしまわなかったのは、アイにとっては奇跡とも言えよう。

苛立った顔を見られないようにそっぽを向いて、頷いた。


「ありがとう! 優利谷さん、本当にありがとう!」


せっかくの満面の笑みを見逃したのは、アイにとっては痛恨のミスと言えよう。

ピリピリと包装を丁寧に剥がす音を聞きながら、アイは口の端を醜く歪める。

物を貰った相手、というのは何よりも分かりやすい味方だろう。カナにとってアイは今、唯一自分を虐げないクラスメイトだ。


「……ふふ、ほら、もっとこっち来なさいな。机がないと使えないわよ」


「でも、それじゃ優利谷さんが……」


「私はいいの」


アイはカナの腰に手を回し、丸椅子の端を掴んで引き寄せた。

椅子と椅子がコツンとぶつかり、アイの手はそのままカナの脇腹あたりに居座った。

ぴったりとくっついた肩に、触れ合う足。女同士ということもあってカナはそれを気にしなかった。アイはもう片方の手を自分の胸に添えて、逸る気持ちを抑えるのに必死になっていた。


「…………ねぇ、優利谷さん?」


「な、何かしら?」


紅潮する頬を筆箱で隠して、いつも通りに優雅に対応する。

カナは突然筆箱で顔を隠したアイを不審に思ったが、質問を続けた。


「優利谷さんは、私が……虐められてること、知ってるの?」


カナは小声で話していたが、近い席の生徒には聞こえたようでクスクスヒソヒソと話が始まる。カナは居心地悪そうに、さらに身を縮こませる。


「そんな……知らなかったわ、いつからなの? このクラスでイジメなんて、ありえないと思っていたのに」


カナはアイの言葉を信じた。本当に驚いて心配してくれていると、勘違いした。疑ったことを心の中で謝って、トイレに机や椅子や教科書類が捨てられたことも全て話した。


「……そうなの。ごめんなさい、全然気がつかなかったわ。辛かったでしょ? 一人で……私は釘谷さんの味方よ。これからは私に相談してね」


「う、ううん。今日から始まったみたいだし、それに……本当に虐められてるかどうかも微妙なの。あれ以降は誰も何もしてこないし……」


この会話を聞いていたある生徒はアイの演技に笑い、またある生徒はその演技力に怯え、またある生徒はカナを嘲った。


「そ、それにね、一人じゃないの。リョウタ君……私の、その、彼氏……も、助けるって言ってくれてるから、私は大丈夫!」


まだ彼氏と言うのは恥ずかしいのか、カナは顔を赤くした。

アイはそれとは正反対に、笑顔も温度も消してしまった。


「……えぇ、そうね。大丈夫よ。私がついてるもの」


アイの感情が抜け落ちた励ましの言葉を、カナは字面通りに受け取って喜んだ。

もう虐められない、新しい友達が出来た、と。


「それより釘谷さん、あなた、今日のお昼は? お弁当持ってきたの?」


「ううん、私、いつも購買なの」


アイは答えを知っている質問をして、カナの可愛い声を聞いて顔を見て、リョウタの話で荒んだ心を潤した。


「そう、実は私ね、今日お弁当二つ持ってきちゃったの。一学年下の妹の分なんだけど、今日は調理実習があるらしくて……いらないって言われちゃったの」


「そういえば……うどん作るって聞いたような。優利谷さんの妹さんのクラスだったのね」


「ええ、どうして前の日にお弁当いらないって言ってくれないのかしら。もう……困っちゃうわ」


アイの妹、マナはもちろん前日に伝えていた。

それに今日余分に持ってきた弁当はマナのいつもの弁当より数段豪華だ。


「だからね、釘谷さん。まだ買ってないならお弁当貰ってくれない?」


「……いいの?」


「そうしてくれると助かるわ。無駄になっちゃうもの、もったいないでしょう?」


もったいない、その言葉にカナは弱い。

無償で提供されるという罪悪感も薄れ、カナは何度も頷いた。


「よかったわ。あ……釘谷さん、アレルギーとか、好き嫌いとか、あるかしら?」


アレルギーは無し、卵料理が好きで、トマトとほうれん草が嫌い。薄めの味付けが好みで、のり弁はかつお節派。

全て知っている、けれど聞いた。気遣いが出来るとアピールしたかったから。


「アレルギーは無いけど、トマトとほうれん草が苦手で……あ、ケチャップは大丈夫」


「そう、なら大丈夫ね。今日は少し卵料理が多いのだけれど……どう?」


「卵? 本当? 私卵大好きなの! どんなのどんなの?」


「あら、うふふ……お昼のお楽しみ。もう少しよ」


カナはアイに窘められ、顔を赤くして身を縮こませた。

周囲の目も気になったが、なによりもお嬢様のアイにいじきたない子だと思われなかったが心配だった。

アイはカナに対して可愛らしいという感情以外抱くことはないから、無用の心配だけれど。


「あ……リョウタ君とお昼一緒に食べる約束してるの。三人でいいかな?」


リョウタが聞けば心の中で涙を流すだろう、彼女と二人きりになれると思ったのに! と。

カナはリョウタの甘酸っぱい男心を知らず、アイの胸焼けしそうな女心も知らず、提案した。


「……私はいいけれど。そのリョウタ君はどう言うかしら」


「うーん……作戦会議だから、多い方がいいと思うの。きっと喜んでくれるわ」


「作戦会議? そうなの。ふふ……」


あんなお調子者の馬鹿が、何を生意気に。


「リコーダーや絵の具は隠されるわけにいかないの、あれ高いもの……とっても」


「そうねぇ。しっかりロッカーの鍵を閉めておかなくちゃ」


この学校のロッカーはダイヤル式だ。アイはもちろんカナのロッカーの番号を知っている。リョウタのロッカーも開けさせることは出来る。


「……本当に、私、虐められてるのかな」


「大丈夫よ、私は味方だから」


「…………そう、だね。優利谷さんがいれば、大丈夫だよね」


「ええ、大丈夫よ。私はあなたの味方、あなただけの味方、私だけは、ね」


年齢にそぐわない艶っぽい笑みをたたえ、カナの頭を撫でる。

カナは気恥ずかしく思いながらも、アイには妹がいるからこうやって撫でる癖があるんだろうと思い込み、以前のような不快感を覚えることはなかった。

それどころか、味方だと信じてしまっていて、甘えるように頭を傾けたりもした。

アイはそれに手を震わせるほど喜び、その手つきをなまめかしく変えた。




ノートの現在の値段はよく分からないので、学生時代の最安値と最高値を書きました。購買の学用品はかなり安いと認識しています。

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