第二話
イジメ描写があります。
百合なのに男が出ます。
文原リョウタは学年一の人気者だった。
スポーツが出来て、話が上手い。成績は中の下。素行は良くはなかったが、その人柄から先生にも嫌われてはいなかった。
彼は昨日、隣のクラスのカナという女子生徒に告白して、成功した。つまり彼女が出来たばかり。
浮かれていたのか、寝坊した。学校に到着したのはちょうど三時間目が終わった頃だった。
「あー……やっべえなぁ、なんて言い訳しよ」
靴を履き替え、教室に向かうため階段を上ろうとしたところで、階段の影に隠れた少女を見つける。
「…………カナ? 何してんの、そんなとこで」
可愛い恋人を見つけ、裏返りそうになる声を誤魔化しながら、いつも通りを装う。
カナが好きなのはきっと明るくノリのいい自分、緊張なんてしてしまっては幻滅されてしまう。リョウタにはそんな思い込みがあった。
「リョウタ君!? リョウタくん……」
うずくまっていたカナはリョウタを見つけ、彼の胸に飛び込む。
リョウタは突然の密着に体をこわばらせながらも、「おぉ、どした」と平静を装う。
カナは何も言わず、リョウタのシャツにしがみつく。
「何かあったのか?」
その問いにカナは一瞬、静止する。
リョウタはそれで察した。
「……誰だ?」
誰かに何か嫌がらせをされたのだと。
リョウタは自然な動きでカナを引き剥がし、袖を捲り肌を観察した。
「リョウタ君? な、なぁに?」
「あ、あぁいや、怪我とかしてねぇかなーって」
前に登校拒否になった田中は腕に大量の痣を作っていた。
リョウタは別段田中と仲が良かった訳でもなかった、だが突然無視され始めた田中が気になって一度声をかけたのだ。
そしてリョウタはその痣を見て、田中に関わるのをやめた。
リョウタは学年一の人気者、目立つ者には妬む者も多い。リョウタはそれを理解して、ほんの僅かなきっかけで立場が逆転すると恐れていた。
「腹……とか、大丈夫か?」
殴る蹴るなら目立たない場所を、胴を狙う。
ただのクラスメイトの田中は無視できても、ずっと恋焦がれてきたカナは見捨てられない。
「お腹? なんともないけど……どうして?」
「……ならいいんだ。あー、なんでこんなとこにいたんだ?」
静かな所に居たい気分だった、リョウタはそんなオチを期待していた。全て自分の杞憂だと思いたかった。
「…………私、ね。虐められてるみたいなの」
「なっ……なんで、なんでだよ。カナは一軍よりだろ?」
ハッキリとはしていないが、この学校にもカーストはある。
一軍は不良やお調子者。リョウタはここ。
二軍は至って普通の生徒達。カナはここの上位。
三軍は主に文化系。静かで大人しい、上位の言葉を借りれば気持ち悪い奴ら。
「いち……? 理由は分からないけど。そ、それに、かもしれないってだけだから、リョウタ君は気にしないで」
「気にすんに決まってんだろ! よし、分かった。今からフロア手ぇ繋いで歩くぞ。俺の彼女だって分かりゃ簡単に手出しできねぇよ」
リョウタはカナの手を引く。胸の高鳴りと頬の紅潮を誤魔化すために前を行く。
「ま、待って! それが、原因かもしれないの」
「…………は?」
「リョウタ君、人気者でしょ? 私とじゃ釣り合わない、だから……」
「ふざけんなよ! 俺が惚れたんだ!」
リョウタはそう叫んですぐ、後悔した。
「あっ……いや、忘れてくれ。いや惚れたんだけどさ、今のは……無いわ、忘れてくれ」
「う、ううん、嬉しかった。絶対忘れない」
「うっ……意地悪だな、カナは」
そんな会話をして、笑いあって、踊り場で足を止める。
「……なら、俺がもうカナをフッた、って思わせればいいのか?」
「分かんない」
「いや、それじゃ俺が守れなくなるし……なぁ、原因他にないのか? 本当に俺なのか?」
「…………分かんない」
カバンを床に置き、リョウタは壁にもたれかかる。
お調子者で成績は中の下。頭が悪そうな振る舞いをしていても、実際そうとは限らない。
リョウタは勉強ではない方面で頭が回る。それはカースト上位の必須スキルでもあった。
「何されたんだよ」
「机と椅子……中の教科書とノート、全部トイレに捨てられて……ぁ、あと、よくは分かんないけどヒソヒソ話されてるみたいな……笑われてる、みたいな、気がして。考え過ぎかなぁ」
「本類だけじゃなく机椅子ってんなら男子がいるな。けどトイレに捨てるってのは女子っぽい。陰口はどっちもやるけどやっぱ女子かな」
「……詳しいんだね」
リョウタは失言だったか、とカナを見る。自分が虐めた経験があるみたいな言い方だったか──と。
「頼もしいなぁ」
予想に反してカナは弱々しい笑顔を見せた。
リョウタはその笑顔に胸を締め付けられる、たった半日でここまで追い詰められたのかと。
「他には?」
「優利谷さんが急に優しくなって、私のこと褒めたりしだしたの……でも、何か怖くて」
「優利谷ってあの優利谷か!? っそだろマジかよ、あれが相手とか……」
「ま、まだ分かんないよ? 誰も何もしてこないし……」
「直接は、だろ」
カナは黙り込んで、俯く。
リョウタは少し冷たい言葉だったかと反省し、繋いでいた手を両手で握りなおす。
「絶対なんとかするから。心配すんなよ。いいか、絶対助けてやる! でとりあえずさ、昼……一緒に食べようぜ」
「……うん! 作戦会議だね!」
「あ、あぁまぁ、そうだな」
恋人として一緒にご飯を楽しもう、なんて言い出せない。
こんな状況では仕方ないか、だからこそ楽しませたいと思ったのだが。
「あ……そろそろチャイム鳴るね」
カナは腕時計を見て、リョウタの手からすり抜け、「じゃあね」と元気に階段を駆け上がる。
数分前と比べれば見違えるようだ。リョウタはとりあえず安堵し、これからを考えてまた不安になった。
リョウタが思考しながら階段を上っている途中にチャイムは鳴り、彼は四時間目の授業にも遅刻した。
「すいまっせーん! 遅れちゃいましたーっ!」
リョウタはわざとらしいくらいの明るい笑顔で引き戸を開き、教室全体へ呼びかける。
いつもなら教師は呆れた笑いをしながら「早く座りなさい」と言い、クラスメイトは「またかよリョウター!」と野次やからかいを飛ばす。
だが今日は違った。
「……早く座りなさい」
教師はリョウタを一瞥し、そう言うと板書に戻る。カツカツと鳴るチョークの音がいつも以上に冷たい。
生徒はリョウタをチラと見、またノートに視線を戻した。
「あ、あれ? なんだよみんな……葬式みたいな顔してさ」
大きな声で呟きながら席へ向かう。その途中で友人の肩を叩く。
「おはよ山村、ワックスの調子はどうだ?」
「……やめろよ」
山村はリョウタの手を払い、板書をノートに移す作業に戻った。
「…………なんだよ、お前普段ノートなんかとってねぇじゃねぇか、どうしたよ急に、親になんか言われたのか?」
リョウタは山村の机に両手をかけて、山村の視線に無理矢理割り込む。
パーンっ! と大きな音が教卓から聞こえ、教室中の視線が教師に向かう。
「文原! 早く座れ!」
「な、なかセン? 悪かったって、そんな怒んなよ……」
温和な教師の初めて聞く怒鳴り声には、怒られ慣れたリョウタも身を縮める。
だが同時に笑いもこみ上げてくる、怒り慣れていない人間の怒った姿というのは滑稽でもあるからだ。
「……っなんだその口の利き方は! 舐めてるのか、あぁ!?」
顔を真っ赤にして、声を裏返らせて、バンバンと教卓を日誌で叩く。
その光景は異様なもので、リョウタは何も言えずに席に着いた。
教師は肩で息をしながらも黒板に向き直り、板書を再開する。
「……こっわぁ、なんだろ、嫁さんに小遣い減らされたとかかな?」
リョウタは引きつった笑みで隣の生徒に話しかける──が、無視される。
仕方なくノートを開くと、嫌な視線を感じる、声もだ。
何を言っているのかは分からない、だが何かを言っているのは分かる。
ヒソヒソとした話し声、嘲笑。普段なら自分に向けられたものだとは思わない。
けれど今のリョウタは、全ての声が自分の話に聞こえてしまう。
「……なんなんだよ」
何を言っている?
何を話されている?
何を笑われている?
何も分からない。
「なんで俺がっ……」
昨日までクラスの中心はリョウタだった。
今もリョウタの耳に届くのはリョウタの話ばかりだが──
「…………なんで、なんでっ……」
何を言っても考えても、もう意味はない。
誰に話しかけたって返事はない、やがて反応もなくなるだろう。
リョウタは一人ではどうにもならない深さまで落とされていた。