第十四話
カナが病院の駐車場に刑事と共に向かうと既に高級車が停まっており、刑事はその車の値段をざっと予想して呆れた。
「釘谷カナ様ですね、お嬢様より仰せつかっております」
「は、はい、カナです……」
運転手は後部座席の扉を開け、じろっと刑事を睨んだ。カナは刑事に頭を下げる。
「お世話になりました。ありがとうございます……えっと、それじゃあ……また……?」
「あぁ、まぁ……刑事なんかとは会わない方がいい人生が送れるよ。ご両親の関連で会うことはあるだろうけど」
後部座席の扉を閉めた運転手はくたびれた刑事を睨みながら口だけで微笑みを作った。
「お嬢様のご友人の面倒を見てくださってありがとうございました。どうぞ業務にお戻りください」
車の前に立っている刑事に暗に邪魔だと伝えている。
「……今回の事件、お前らか?」
「どういう意味ですか?」
「……釘谷カナに何がある。ただの清貧の少女だぞ? 何をそんなに執着しているんだ」
刑事はカナの両親を殺したホームレス達の動機を察していた。優利谷に利用されているのだと、家族に金でも入るのだろうと。
似たような事件が起こっているのだ。それはもちろんアイの指示ではないけれど、ホームレスを雇うのは優利谷家の常套手段だった。
「言っている意味が分かりませんね。そろそろ発進したいので、車の前に立つのはおやめください」
刑事は煙草に火をつけながら車の横に回った。運転手は刑事に会釈をしてから運転席に座る。
「夜道にお気をつけを」
威嚇するように乱暴に扉を閉じた。
「…………ヤクザの方がマシだな」
去っていく車を睨みながらぼそっと呟いた。
その頃車内では相変わらず良過ぎる座り心地に居心地悪さを感じるカナが運転手に話しかけようか迷っていた。そんなカナの様子を察した運転手はバックミラー越しに穏やかに微笑んだ。
「釘谷様、何か話したいことでも?」
「あっ……え、えっと、本当に、ご迷惑じゃないのかなって……人一人増えるなんて、数日でも大変だろうし……で、でも、家事のお手伝いとか少しでもしたいなって思ってます」
「……着けば分かりますよ」
運転手の言葉に首を傾げていたカナは優利谷邸に到着して絶句した。
「すっ……ごく、大きい……」
ドラマや映画でも見たことのない大きさの邸宅だった。今車が走っているのが庭だと気付かないまま、カナは窓にべったりと張り付いていた。
「お嬢様は釘谷様が希望するなら別棟を開けると言っております」
「別棟……って何ですか?」
「ここからは見えませんね。西と東に別で家が建っているんですよ、もちろん敷地内ですよ? 東は私共使用人の寮となっており、西は婿養子様……アイお嬢様のお父様のご家族が住んでおります」
敷地内に別の建物が立っている。カナはその概念を理解できずに硬直した。
「ですがひとまずはこちらへ。アイお嬢様がお待ちです」
大きな玄関の前で止まり、別の使用人が後部座席の扉を開ける。恐る恐る降りたカナは間近で見る邸宅の大きさにため息をついた、家が視界に収まらないなんて初めての経験だった。
「ぁ……お礼、言いそびれちゃった」
玄関扉の装飾の美しさに目を奪われているうちに運転手は車を駐車場に停めに行ってしまった。
「釘谷様、こちらへ」
使用人に先導されて邸内に入り、困惑する。
「あ、あの、靴……どこで脱げば」
「あぁ、靴を脱ぐ必要は……いえ、こちらに履き替えください」
ボロボロのスニーカーを見た使用人は眉をひそめ、新品のローファーを渡した。カナは慣れない靴に戸惑いつつ、中履きなのだと勘違いして使用人に着いていった。
「こちらが釘谷様のお部屋です」
「えっ……? あ、客間、ですか?」
使用人はカナの疑問に答えず、ニコニコと微笑んでいる。カナはその笑顔を不気味に思い、不気味に思った自分を失礼だと心の中で非難した。
「カナ!」
自室だと言われた部屋の扉を開けると既に中に居たアイが抱き着いてきた。
「きゃっ……ぁ、アイ、ちゃん……」
「カナ、会いたかったわ、カナ、会えて嬉しい……!」
カナは自分に抱きついたアイの体温に心から安堵し、アイを抱き締め返し、涙を零さないようにと上を向いた。
「カナ……あぁ、カナ……」
アイはカナの胸の感触と匂いを堪能するのに夢中になっており、カナからの信頼に気付かなかった。
「アイちゃん……ありがとう」
泊めてくれることに対してのものだったが、カナの心情としては安心を与えてくれたことへの感謝だった。
「ふふ、いいのよカナ。それよりも見て! あなたのためだけに用意した部屋よ!」
アイはカナの腕を引っ張って部屋に入れると扉を閉じて鍵をかけ、大げさに腕を広げて部屋を紹介した。
「本棚にはあなたの好きな本、あなたが好きそうな本、あなたが好きな音楽、あなたが好きそうな音楽を集めたわ。壁紙もカーペットもあなた好みよね? 違っていたら言ってね、家具も気に入らなかったら言って」
この部屋だけでカナの家よりも広い。カナは広さに感心してしまってアイの言葉の異常性に気付けなかった。
「私の、部屋……? あの、アイちゃん、私……何日か泊めてもらうだけだよ?」
「引き取ってくれる親類が見つかったら、でしょう?」
そんなもの見つからないし、もし見つかったら消してしまうから。アイは続きを声に出さない。
「確かに……何日になるかは分からないけど、こんなにちゃんと……」
「いいのよ、暇だったから」
「……ありがとう」
カナはこの部屋が整えられたものだと思っていた。使っていない部屋を掃除し、家具も綺麗にしてくれただけだと思っていた。
実際は絨毯から壁紙に至るまで、全て新品である。
「で、も……この部屋の色んなものを見る前に、シャワーを浴びて着替えなきゃ」
「あ……そ、そうだね」
他人の家に泊まるのだ、汚い服と体のままではいけない。
「えっと、お風呂はどこ?」
「こっちよ」
アイは部屋の扉ではなく、部屋の中のウォークインクローゼットに繋がっているとカナが思っていた扉を開けた。その先には脱衣所があり、その奥の扉の先にはシャワー室がある。
「えっ……へ、部屋の中にあるの?」
「ええ、人が寝る部屋には作ってあるわ」
「す、すごい……すごいね、アイちゃん」
「私が工事をしたわけじゃないし、私が稼いだお金で作ったのでもないわ」
カナは綺麗だろうシャワー室を見たくてうずうずしていた。
「そ、それじゃあ……私、シャワー浴びるから、その……アイちゃんは外で待ってて」
「あら、一緒に入っちゃダメなの?」
「ふぇっ……? だ、だめ……恥ずかしいから、外にいて」
顔を真っ赤にして自分を押し出したカナを可愛らしく思いながらアイは閉じられた扉を撫で、恥じらいの表情を思い出して身悶えした。
「カナっ……あなたが可愛すぎるのが悪いのよ。ふふ……うふふふっ……」
扉に耳を当ててカナがシャワー室に入ったのを確認し、アイはカゴに入れられていたカナの服を盗った。
カゴごと抱えて一目散にコレクションルームに向かい、扉を閉じてすぐに下着に顔をうずめた。
「あぁ……カナ……」
扉を背にずるずると座り込み、足の間に手を向かわせた。
一方その頃カナはシャワー室の綺麗さにぽうっとしていた。予想に反して家の風呂よりは広い程度で、浴槽はない。本当に汗を流すためだけの設備だった。
「一緒になんて……もう、アイちゃんったら……」
体を念入りに洗いながらカナは頬を赤くしていた。
「ぁ……でも、修学旅行とか」
学校行事で全員で風呂に入るのと友達の家で友達と風呂に入るのは違う、カナはぶんぶんと頭を振る。
そもそも何を気にしているんだ、女の子同士なんだから恥ずかしがることはない、そうも考えるが想像すると頬が熱くなる。
「もぉ……なんで……」
アイの過剰なスキンシップのせいだ、カナは心の中でアイに抗議する。腰をゆっくりと撫で上げたり、胸に顔を押し付けたり、そんなことをされては風呂に入るのを躊躇して当然だ……そう考える。
「ふぅ……そろそろあがろ」
脱衣所に出ると火照っていた体が冷めていくのを感じた。脱衣所を見回したカナはカゴに新品の服が入っているのに気付く。
「可愛い服……これ着るのかな?」
カナはアイが用意してくれた着替えだと察し、髪をタオルで巻いて上げ、体の水分を拭き取ってから服の間に挟まっていた下着を見つけた。
「……私には大人っぽすぎるよアイちゃん」
アイには似合うかもしれないなと思いつつ、カナは自分には似合わないと思い込んでいる大人っぽいデザインの下着を着けた。そして服を着終えるとドライヤーがないのに気付く。
「髪……どうしよう」
アイに聞けばいいかと脱衣所を出るが、アイはいない。カナには知る由もないがアイはコレクションルームにこもっているのだ、シャワー室や脱衣所の各所に仕掛けられていた映像も転送されている。
「あ……こっち、洗面所だ。すごいなぁ……」
濡れた髪のまま部屋をさまよっていたカナは洗面所への扉を見つけ、鏡を見ながら髪を乾かした。アイとは違うストレートの黒髪にカナはあまり美しさを見い出せず、漠然と落ち込む。
「………………ふふっ」
けれど自分の見た目をアイが褒めてくれていたことを思い出し、笑顔になった。すぐに両親が死んだばかりなのに笑ってはいけないと思い直し、沈鬱な表情に戻る。
「アイちゃん……どこ行ったのかな」
ベッドに寝転がり、独りごちる。
カナはもうすっかり両親の死を乗り越えていた。
ご め ん な さ い !!!
まさか半年も経っていたとは思いませんでした……次は、次こそはそんなに開けませんから……!