3-EX3 ククノチの実
「森林エリアに雨を降らせたい?」
「はいー」
大樹の治療を施された事を受けて、邪魔にならない高い位置に注連縄を付けるため、ククノチに蔓を胴体に巻き付けて持ち上げてもらって作業をしていた時に、ククノチから言われた要求がそれだった。
確かに今まで一度も森林エリアに雨を降らせたことはない。
そんなことをしなくても森林エリアは維持費のDPだけで木々が成長できていたから、今まで必要性を感じなかったのだ。
DPは栄養であり養分であり、ほんとに万能資材なんだよね。
ただし、味にこだわるなら、ちゃんと肥料とかにも拘ったほうがいいのはキュウリで実証済みである。
それが理由なのか、森林エリアは他エリアに比べて維持費が高い。
まぁ、それ以上にDPの元になる食料を供給してくれてるので、必要経費と言ったところだろう。
「雨を降らすとどうなるんだ?」
ククノチが言うなら、したほうがいいのは間違いないのだろうが、一応理由を聞いておかないとな。
「水分不足で実を作れなかった子が実を作れるようになりますー。私の木もそうですねー」
「へぇ、この木もそうだったのか」
実をつける木が増えるという事は、即ちDPにできる品種も増えるのでメリットは大きい。
それならすぐにやってもいいんだが、雨を降らすには一つ解決しないといけない問題があるんだよなぁ。
「寝床、どうすっかなぁ」
そう、未だに俺たちは森林エリアに野宿同然で寝ている。
これは今まで雨を降らせなかったからできていたことなので、雨を降らせば寝床はびしょ濡れになってしまう。
となれば――
「寝室……いや、個室を持つのも頃合いか」
全員に1Kトイレ風呂付を与えるのはまだ無理だし、そもそも皆プライベートの私物をほとんど持っていない。
となれば、ほんとに寝るためだけに、2畳もあれば十分だな。
「コアさん、個室作って森林エリアから引っ越しするから枕と布団用マントを回収しておいてくれ」
「わかったよ、ついに野宿から脱出だね」
枕はDPを節約するために、調理の際に毟ったダンゴウサギの毛を布に詰めて作ったもので、まだ1人分しかできていないのでコアさんに使ってもらっている。
ククノチは本体の木に入って寝ているようなので、寝室どころか寝具すら不要ではあるが、平等に個室は用意するとしよう。
「俺は和室にするけど、2人は個室のレイアウトで何か希望ある?」
「私も和室がいいかな」
「私は木の中で寝ますので、物を置くのに便利な部屋がいいですー」
それじゃククノチには迷宮の胃袋を部屋として使ってもらおうかな。
さて、希望は出そろったので早速個室を用意しよう。
♦
「ご主人様ー?」
個室でゴロゴロしてると、ククノチの呼ぶ声が聞こえてきた。
前の寝床だとゴロゴロすることもできなかったし、久しぶりの畳の感触が懐かしくて、ここ数日ついついだらけまくっている。
「おーう? どしたー?」
「お見せしたいものがありますので、一緒に来ていただけますかー?」
見せたいもの、一体何だろう?
「わかった、どこに行くんだ?」
「森林エリアの私の樹までですー」
ククノチの木か、ちょっと距離があるがククノチと散歩だと思えば丁度いい。
コアさんは多分海洋エリアで魚に餌をやってる時間なので呼ぶ必要はないか。
「よし、それじゃ何か話でもしながら行こうか」
「でしたら地球のお酒の話を是非ー」
ククノチはまだダンジョンモンスターとして生まれて間もないので、俺の話は何でも新鮮らしく、いつもニコニコ話を聞いてくれている。
もし、銀座にいれば容姿もあってNo1キャバ嬢の座に君臨するのは間違いないだろう。多分本人が何もしなくても勝手にシャンパンタワーが生える。これもドライアドの能力か!
そして、その全てのシャンパンタワーを飲み干すほどの酒好きである。あれ? これって天職じゃね?
「ご主人様ー?」
「あ、スマン。ちょっと考え事をしててな。じゃあこれは社員旅行で東北に行った時の話なんだが……」
地球の話をするとちょっと懐かしく思うけど、帰りたいという気は不思議と起きない。
きっとこっちの生活が楽しすぎるんだろうな。
♦
「――ワインはブドウを踏んで作るらしいんだけど、なんでそうするのかまでは知らないな」
「うふふ、じゃあブドウを作ったら私が踏んでみますねー?」
ドライアドのククノチが踏んで作ったワインとか、種族もそうだが写真付けたら地球じゃプレミアがついて天井知らずの値がつきそう。
「同じ果物ならドクリンゴモドキを踏んでみるか? もしかしたら酒になるかもしれんぞ?」
「やりたいですけど生産量が足りないですねー。いまだ主食ですし、やるなら専用の果樹園がほしいですー」
「確かに、あの樹が実をつけるサイクルはどんなもんかって……着いたな、この話はまた今度にしよう」
今までの事、これからの事、話すことは沢山あるから、多少距離があろうがあっという間に着いたような錯覚に陥るくらい話に没頭してたわ。
「それで、見せたい物ってのは?」
「ちょっと、見上げてもらえませんかー?」
どれどれ――
んー? なんか木の葉に交じって、なんか丸っこいものがついてる?
「あれは……木の実?」
「そうですー、私の樹に実がなりましたー」
え? 早くない? 雨降らせてから数日しか立ってないよ?
いやまぁ、にょきにょき動いてたし地球と同じ物差しで測ったらダメだな。
「それでこうして見せてくれたって事は――」
「はい、食べ頃……というより飲み頃になりましたので、まずはご主人様に差し上げようかとー」
飲み頃ね、じつにククノチの木が作った実らしい、それにしてもまず俺にとは嬉しいことを言ってくれるじゃないの。
俺の真上にあった実を支えていた蔓が切れて、実が落ちてきた。
「よっと」
む、大きさは丁度ククノチの胸の大きさと同等だが、思ってたより重くて皮が硬い。
ククノチは飲み頃だと言っていたので、ココナッツのように皮をくり抜いて中身を飲めばいいのかな?
軽く叩いてみると蔓が付いてた部分がポロッと取れた。
ホスピタリティがわかってる果実だなぁ。
中を覗いてみると、暗くてよくわからないが液体――
果汁がたっぷりつまっている。
「ありがとうククノチ、それじゃ頂くよ」
「はいー。どうぞ召し上がってくださいー」
「いただきm――」
瞬間、全身に殺気を感じた!
ゾクゾクッという擬音が聞こえるかのように背筋が凍り付く!
何か恐ろしい物が……来る!
それはポータルがある方向から、ものすごい勢いでこっちに向かってきている。
身がすくんで硬直してる間に、何かの残像が近くの木の裏まで移動してきたのが見えた。
そして、それは木から顔をゆっくり覗かせた――
その顔には笑顔が張り付いていた。
しかしそれは見たものを幸せにするような顔ではなく、恐怖で全てを凍てつかせるような、どこまでも怖い笑顔だった。
さらに全てをひれ伏させるような圧倒的な威圧感をもった覇気を漂わせている。
実際は見えるようなものではないはずなのに、俺の脳内には確かにドス黒いオーラを滲ませてるのがわかる!
空気に混ざって漂うソレは、一緒に吸い込むと心臓を握りつぶしてきそうな……
そんなビジョンを脳裏に焼き付けてくる。
そして、そいつはゆっくり口を開いた――
「ますたぁにくくのち、私に隠れて新しいものを食べようとしているネ?」
それは、狐の姿を借りた恐怖の代名詞だった!
怖い! 笑顔が超怖い!
それにコアさんが手を着いている木がミシミシ言っている。
でも怒りに任せて木を握りつぶすと、今度はククノチがブチ切れるのでちゃんと加減してる!
「い……いや、別に隠してたわけじゃないんだけど、コアさん魚に餌やってたから……」
「そ……そうですー、ちゃんとコアさんの分もありますからー」
「コアさん、どうぞこれ先に飲んで下さい」
ゆっくり近づいてきたコアさんにそっとククノチの実を手渡す――
――と言いたいところだが、恐怖で動けなかったのでコアさんが勝手に取っていった。
「うん、譲ってくれてありがとう」
よかった、恐怖の笑顔から殺気が消えて普通の笑顔に変わった。
でも、トリハダが全然収まらない。
これから、何か新しい食べ物を出すときは絶対にコアさんに連絡しよう。
忘れると、報復で何されるかわからんのがコワイ。
「あの……ご主人様、これをどうぞー」
「ありがとうククノチ、じゃあ改めていただくよ」
別の実を受け取り、まずは一口含んでじっくり味わってみる。
「うん、水と比べると甘みとコクを感じるね。ドクリンゴモドキほど甘味はないけど、それが丁度いい飲みやすさになっていて後味がしっかり残っている」
一足先に飲んだコアさんがしっぽを振りながら、笑顔で感想を言っている。
俺も飲んでみた感想は大体同じだが、この味は地球でよく飲んでた”あれ”に似てるんだよなぁ。
「マスター、今召喚したそのビンの中身はなんだい?」
「牛乳だ、味が似てると思ったから比べてみようと思ってな」
「私にも後で飲ませてくれるよね?」
「私にも一口下さい―」
「……まずは2人が飲んで比べてみてくれ、俺の分もちゃんと残しておいてくれよ?」
そんな興味津々な目で牛乳を見つめられ続けたら、飲みにくくてたまらん。
先に飲んだ2人から牛乳を受け取って一口飲む。さらっと間接キスゲットだぜ!
「うん、やっぱり同じだな。2人はどう思った?」
「私にも違いはほとんどわからなかったよ」
「ちょっと違いはありますが、これなら同じと言ってもいいですねー」
ククノチさんこれの違いがわかるんですか、結構いい舌持ってるね。
それにしてもここで牛乳のかわりになるものが手に入るのは、非常にでかい!
乳牛は召喚に必要なDPも結構あるが、召喚した後に必要な飼料を考えると、対費用効果が悪くてずっと先になると思ってた。
「なぁククノチ。この実って安定して作れるか?」
「そうですねー。では毎日何個か実らせるようにしますー」
「生産数を増やすことはできるか?」
「品質は落ちるかもしれませんか、私の分身を植えれば可能ですー」
「やけにこだわるねマスター、そんなに気に入ったのかい?」
気に入ったっていうよりは――
「これが牛乳と同じなら、チーズやヨーグルト、果てはアイスみたいな乳製品が作れないかと思ってな。ほんとにできるかはわからんが、やってみる価値はあるだろ?」
俺の言葉にコアさんは目を輝かせ、ククノチの肩をぐっと掴んだ。
「量産に期待してるよククノチ! 調理は私に任せて毎日頑張って絞り出してくれたまえ!」
「あのー、その言い方はちょっと……」
「よし、これからは”ククノチの実の果汁”のことを”ククノチチ”と呼ぼう!」
「やめてください! それは恥ずかしいですー!」
ダメか? いい名称だと思ったんだが。
結局、ククノチが名前を違うのにしなきゃ実をみのらせないと泣いて脅迫してきたので、牛乳で統一することになった。
まぁ、これで乳牛出す必要はなくなったし、身内にわかればいいから問題ないか。