0.5:消えた兄さん
僕には兄さんがいた。
いたと言っても、別に死んだわけじゃない。
兄さんは血のつながらない僕と妹を守るために名家の分家であることを捨てて、さらにその分家を潰してまで僕たちをも持ってくれた。
本家には跡取り息子がおらず、その代わりに養子として僕が分家から本家へと迎え入れられた。
生憎、僕には兄さん仕込みの多種多彩な差異があり、当主代行を務め始めて早くてもう一か月。家の8割の権力を手中におさめ、兄さんを疎ましく思い、分家を潰した叔母やまだ若い僕を傀儡、失脚させようとする輩を全て追放、暗殺、社会的抹殺色々な方法で罰した。
それだけ人を捨てて家は回るのかと思われるかもしれないが、なんとそこのフォローもされている。
「若様、ユグドラシル嬢がおこしになってますが」
「エルゼさんが?まさか、兄さん・・・.蘭、兄さんはつたえてなかったりするのか?」
自分の背後でスーツに身を含む黒髪の女性は真城 蘭。
兄が分家時代にそばに置いていた側近8人の一人で、兄の育成した諜報部門のトップだ。
本家にいる諜報部とは桁違いの能力で、実際的に回った諜報部をも返り討ち、洗脳施し、下部組織にまで仕立ててしまった。改めて兄の偉大さを思い知らされる。
彼女は兄に恩義があるようで、兄の命令を絶対遵守する。
実際兄の側近は蘭さんのような人ばかりだ。
全員、兄に心酔している。
「若様、我主は確かお手紙にて連絡を取っていたはずです。お手紙が届いたのがおそらく昨日。と言うことはおそらく我主様の事であると思われます」
執事の格好を初老の男がそう進言してくる。
彼も兄さんの側近の一人で情報統制部門の責任者だ。名前は夜叉堂 道幸。
元内閣総理大臣経験者で、幅広い人脈を持っており、本家をむしばんでいた膿の排除に役に立った。
「・・・そうか、兄さん。せめて声くらい聞かせてあげようよ」
僕は携帯の電源を入れる。
そこに映るのは自分とにいさんそれに妹の写真。
「・・・若いころの主様。ステキ♡」
「若様、それらをアルテミスとベルの前で開かないでください・・・たぶんすぐジン様の元へむかわれてしまいますよ」
そう言いながらも主人の姿を見たいのか覗き込む二人。
「わかってる。彼女たちの兄さんへの心酔はもはや病的だ。・・・まあ蘭もだけど」
「なにを言いますか、若様。私なんぞでは主様を拘束すらできません。もはや監禁など夢のまた夢・・・」
彼女はそう言って悲しそうな顔をするがそれは十分猟奇的だ。
「そう言えば、ベルから日本が学校へ行きたいと申請が来ていたな。あれどうする?」
「彼女は生粋のネゴシエイターですから説得は少し難しいかもしれません。まあ、業務に差し障りが無ければ許可を出してもよろしいかと・・・」
「そうか、じゃあエルゼさんにあれを提案してみるのもいいか・・・」
「あれ・・・ですか?」
夜叉堂は考えが読めないようで首をかしげる。
「まあ、エルゼさん次第さ・・・」
僕はそう言って執務室を後にして応接室へと向かう。
※※※
意外だった。エルゼさんに頼まれてしぶしぶ電話をしてみた。
すると、ここ数日電話しても出る事のなかった兄さんが電話に出たのだ。
久しぶりに聞いた兄さんの声はどこか元気がなく、どうせ僕に跡取りを押し付けたとでも思っているているのではないだろうか?
それはともかくとして久しぶりの会話をしようといしたところでエルゼさんに携帯をとられてしまった。
せっかくなのでスピーカーにして話してもらう。
・・・兄さん、泣いている?
電話が越しでわかりにくいが兄さんが涙を流しているのではないかと僕は思った。
あまり気づく人はいないと思うが少し兄さんの声が上ずっている気がする。
蘭の方を見ると、彼女も少し驚いているのかこちらの視線に気づかず電話へと意識を集中させてしまっている。
しかし、兄さんは女性からの好意に鈍感・・・というか自分に向けられる好意を重みに感じてしまう人だ。
事実、兄さんを好きな人で兄さんに助けられた人は多い。
兄さんはそれを本当の恋ではなく吊り橋効果だと思っている。
ただ、言わせてほしい。・・・兄さんは助けるだけでもなく、アフターフォロー、ケアまで完璧だ。
そこまで優しくされて好意を抱かない方がおかしい。
目の前でツンデレ気味に兄さんと話しているユグドラシル・G・エルゼさんもそのひとりだ。
彼女は元婚約者と言う立場上、幼いころから兄さんと触れ合う時間が長かった。
故に、彼の優しさを一番うけ、見て、自分を変えてくれた存在である兄さんに恋をしているもは明白だった。
兄さんもなんだかんだ言って、エルゼさんに惚れていたのだと思う。
その事で家出を迷うくらいには。
だからこそ、兄さんはエルゼさんとの最後に柄にもなくあんなことを。
・・・嘘をつき、それを謝罪するかのようにあんなことを言った。
エルゼさんはうれしそうだ。・・・だが同時に考えてしまう。
彼女のこの笑顔は兄さんがいて初めて成り立っている。
兄さんと二度と会えなくなっただけですぐに日本に来るような彼女がショックを受けないはずがない。
「うふふふ・・・」
彼女のこんな笑顔は僕も初めて見る。
普段の彼女の印象としては才色兼備の冷徹なる毒舌の女帝と言う感じだ。
兄さんはそのイメージ改善に努め、冷徹はただの人見知りに、毒舌は意味が分かれば味のあるそれも容姿とも相まってただの照れ隠しとなった。
彼女はようやく向こうの学校で友人ができ始め来年にはその友人と日本で高校生だそうだ。
そんな彼女を元の戻してしまうの忍びない。
「・・・エルゼさん、大切な話があります」
僕はそう切り出し、きちんと彼女に兄さんの着いた優しい嘘の事を教えた。
※※※
エルゼさんの車が出て行くのを応接室の窓から眺めていると、夜叉堂が声を掛けてい来る。
「それにしても意外でしたね・・・」
彼は応接室のテーブルに置かれたパンフレット見ながらそう言った。
彼女が選んだ学校は『神宮寺大学付属高校』。
超エリートにして性格のいいお金持ちの集まる私立学校だ。
「夜叉堂、ベルを神宮寺高校に編入させる準備をさせてくれ。彼女なら、エルゼさんと親しいのでこっちでの友人になってくれるだろう」
「エルゼさんの友人について調べなくてもいいのですか?」
「うん?・・・ああ、それならもう知っている。兄さんの調査ファイルにあった」
「なんと・・・」
夜叉堂が驚愕するのも無理はない。
兄さんが独自で調べたのだから。
その情報には蘭の持ってくる情報よりも信用性がある。
・・・いや、信用性と言うより未来が見えているのかもしれない。
兄さんの報告書には兄さんの観察眼によって本人以上の情報が集められ、将来性に関しても記述されている。
その記述は観察にもかかわらず、具体的であり、なおかつよく当たる。
そんな兄さんが無害判定を下したということは信用してもいいということである。
「蘭」
「はい?」
「Bの捜索は?」
「申し訳ありません。まだ見つかってません。何しろあのお方は私の師でありますゆえ」
彼女はそう言いて頭を下げる。
僕は椅子に座り処理しなくていけない書類を処理して行く。
「焦んなくてもいい。僕としては見つかればいいからね。それより蘭はいいの?」
「なにがですか?」
「兄さんの事だからまた女の子と落としているかもよ」
「・・・そうですね。少し捜索範囲を広げます」
彼女はそういうと部屋を後にする。
一人残った部屋で僕はふたたび携帯の画面に映った兄さんに言う。
「・・・さて、兄さん。悪いけど、兄さんはそれほど大きな存在なんだよ」
僕はそうつぶやいた。