032「接吻」
――明け方。唐突にジーマくんに叩き起こされた。そして、どこへ行くかも言われないまま、取るもの取りあえず引っ張られていくと、展望デッキに辿り着いた。そこには、私の道行を持ったシュウくんが、やや寝不足気味で待っていた。それからジーマくんが「終わったらカフェに来てね」とだけ言い残して戻って行ったあと、私は道行を受け取って袖を通し、シュウくんの出方を待った。
「綺麗な海だな」
「えぇ。底の海藻まで透けて見えるくらいに、澄んだ海ね。たしかに素敵だけど、これを見せたかったの?」
アキミが真意を掴めないまま、疑問を投げかけると、シュウスイは、気まずそうに視線をそらして頬を掻きつつ、角袖の中に手を入れてゴソゴソと探したあと、一組のペアリングを見せながら言った。
「石も珠も無い安物だけどさ。俺の気持ちは、安っぽいものじゃないから」
「それって、……つまり?」
平生を装いつつも動揺を隠せない様子で、アキミがためらいがちに確かめると、シュウスイは角袖の中に指輪を戻したあと、その手を差し出して頭を下げながら告白した。
「俺と結婚してください」
――これが、本物のプロポーズなのね。今まで、お芝居の演技でしか知らなかったけど、それとは全然違う。胸がいっぱいで、何も言えない。
「……はい」
差し出された手を、アキミがそっと握り返すと、シュウスイは頭を上げ、そして感極まって喜びの涙を流した。その大粒の水滴は、朝日に照らされ、眼前に広がる水面と同じように、虹色に光り輝いていた。
*
――駅を降りて諸手続きを事務的にテキパキと終わらせた私たち五人は、その足で駅に隣接する市役所へ届け出に向かった。いくつかの質問と書類を記入したあと、敷地内に併設された小さな教会のような蔦が這う煉瓦造りの建物に移動した。
ステンドグラスの向こうで小雪が降る中、タキシードを着た新郎シュウスイと、純白のドレスに身を包んだ新婦アキミは、主教のような黒いローブを着た助役が司会進行し、厳粛な讃美歌のメロディーが流れる中、ヴィクトル、オリガ、ジーマに見守られながら、婚姻誓約書にサインし、指輪を交換した。
――薬指のサイズなんて、いつのまに測ったのかと思ったけど、考えてみたら、最初に婚約したときに採寸してたのを忘れてただけだったわ。あれから、いろいろありすぎて、たった数週間のことなのに、ずいぶん昔のことのように思える。
「それでは最後に、新郎から新婦へ、誓いのキスを」
祭壇の正面に立つ助役が静かに言うと、二人は照れ臭そうに頬を赤らめながら向かい合い、そしてシュウスイは、両手でおもむろにアキミの顔の前にあるレースのベールを上げた。
――こういうときは、目を閉じてるのがセオリーよね。
アキミが瞼を下ろして待つと、シュウスイは片手を軽くアキミの頬に添え、赤く艶やかな唇に、そっと唇を重ねた。すると、その瞬間、晴れ渡った寒空に、凛と高く澄んだ鐘の音が鳴り響いた。
――ずいぶん遠回りをしたけれど、私の傷心旅行は、これにて、ようやく終着点に到達した。