始末なるもの
前話:起死回生の一撃を放ちました。
全力で振り抜いた刀身。
そこに血糊は付いていない。
否、血が追い付いていない。
後方から巨木が倒れ込むような衝撃音が聞こえる。落下物による振動が起こり、地面を伝ってアレスへ届く。
「GYAAAUUUOOAAAAOOOUOOOOッッ!!」
直後に耳をつんざく絶叫が村全体に響き渡る。
振り向けば、ヒュージコボルトの左足大腿部が見事に切断されている。
凶獣は地面に這いつくばり、悶え、暴れ、のた打ち回っている。両断面からは血が噴き出し、口からは苦しみのあまり涎がまき散らされている。
敵の最大戦力は武器でも巨体でも膂力でもない。その尋常ならざる脚力だった。そこから生み出される機動力。
ただし、それが失われたとはいえ、いまだに存在自体が脅威であることに変わりはない。
迂闊に近づけば、経ちどころに命を狩り取られる。
だが……その脅威も時間の問題だ……この刃が深々と体に入った時点で次善の策は成っていた。
のた打ち回るヒュージコボルトの動きが次第に鈍くなっていく。耳障りな鳴き声は止まり、ヒューヒュ―といった隙間風にも似た呼吸音へと変わる。眼球は右往左往し、焦点が定まっていない。
「……自然界に生えて良い植物じゃないな、こりゃぁ」
指につまんだ毒々しい色の葉っぱをしげしげと見つめながら、アレスは呟く。
モリスンの言葉通りだった。麻痺の毒草と幻覚の毒草、ただ混ぜ合わせて鞘に入れておくだけで、刀身に恐ろしい毒性を付与してくれた。
指摘された際は、糊口を凌ぐには無意味な才能だと嘆きもしたが、それに救われた形となった。
取巻きのコボルトは、総大将であり最大戦力の醜態を目の当たりにし、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
頭さえ居なければ、烏合の衆だ。統率は崩壊する。そうなった群れの末路はこんなものだ。
最も……逃げて行ったコボルトはほんの3匹程度。残りは護衛と自警団員の働き、それに奴らにとっての不運によって倒されていた。
大きく息を吐き、アレスは脱力する。打倒せしめたとはいえ、あの一撃を当てることができて本当によかった。
いまさらながら凄まじい緊張だったと足が震える。そしてその解放感から崩れ落ちそうだった。
現に生き残った自警団員らは地面にへたり込んでいる。
だが、まだやるべきことがある。身動きが取れない状態とはいえ、元凶は生きている。
村長が腕を支えながらアレスに近づいてくる。回復魔法は受けた様子だが、完治には至っていないようだ。
「……よくやった」
憔悴しきった顔で、一応の称賛を口にしてくれた
自分自身、自画自賛したい衝動に駆られてはいたが、後始末が残っている。
「ありがとうございます。ですが、お願いがあります」
「?」
村長は疲労困憊の中への追い打ちに表情を曇らせたが、やるべきことを説明するとすぐに理解を示し、指示を飛ばしてくれた。
「ブラウニーさん、これだけあればいいー?」
「ええ、十分すぎるほどですよ」
モリスンが中身の入った樽を転がしながら運んできてくれた。
村長から支持を受けた男衆は、各自宅から手桶を持参していた。モリスンには手桶の代わりに無理を言って、出荷予定の油実の抽出液を頼んだ。
商品の提供に関して、難色を示すかと思ったが、用途を告げると快く了承してくれた。
「では皆さん、手桶に汲んだ油を奴に浴びせてください」
この村謹製の油の用途。それは怪物の焼却。
今回の惨劇は、我々冒険者側と村長の不手際の両方に責任があるわけだが、これで村民の憂さが晴れてくれれば御の字だ。
いかに上位種の魔物であるヒュージコボルトといえど、身動きが取れねば、凡夫が投じる油すら避けられはしない。
横たわり、為す術なく全身に油を浴びせかけられた凶獣の姿は哀れの一言に尽きる。
「では、燃やします」
最後に残った搾りかすのような魔力で魔法を唱える。
【薪と化せ】
弱々しい火の粉がアレスの手から飛んで行き、目標へ着地する。その瞬間、油に引火し、火は凶獣の全身を包み込むように激しく燃え広がった。
村の中央広場は煌々とした炎に照らされる。
終わった。
村の物的被害は、柵の破損、2軒の家屋の破損。
人的被害は、死者が商隊の護衛1人と自警団員2人の計3人、負傷者が商隊の護衛2人と村長含む自警団員4人それに男衆の宿屋の主人1人の計7人。
一見すれば死者が出たことで大損害だとも思える。
その実、これでも被害は最小限と言えた。上位種率いるコボルトの群れに襲われたにも関わらず、まともな戦力のない村が全滅を免れたことは奇跡的なことだ。
これも偏に一人の冒険者の働きに依るところが大きい。
だが、その冒険者は自身の行いを声高に主張するようなことはしない。
唯々、この一件を収束することが出来、思い人への悪評の元を根絶できたことに胸を撫で下ろしていた。
この日、村長の指示により、村の住人全員は宿屋に集まり、一夜を明かした。惨劇は幕を閉じたが、生じた恐怖は簡単に拭えるものではない。それを村長は熟知していたのだ。
女子供、負傷者は二階、戦闘に積極参加した商隊の護衛と自警団員は一階と待合所で寝泊まり。無傷で済んだ男衆らは、巨大な薪の燃える光に照らされながら宿屋周辺を警護することになった。
アレスも例に及ばず、待合所で眠りについた。意識が遠のく中、そういえば昨日もここで寝たな……と思いつつ意識が途切れた。




