一撃なるもの
前話:アレスが昏倒しました。
ガタつく身体を起こし、戦場に目を配る。
ヒュージコボルトの相手を村長と宿屋の主人が二人掛かりで受け持っている。
幸いにしてそう遠くには飛ばされていない。
手に握る剣は魔法の発動により自壊してしまった……それを手放し、予備の片刃剣を握り直す。剣に細工を施した後、地面に突き立て杖代わりとし、重くなった身体を奮い立たせる。
回復魔法をかけねば……このままでは死にに行くようなものだ……だが、ここで全快を可能にする回復魔法を使えば、かなりの魔力を消耗する。そうなれば、起死回生の一手は打てなくなる……どうする……。
【あなたの慈愛を乞う者に その安らぎをお与えください】
【多くは望みません 唯々あなたの優しさに触れさせていただきたいのです】
アレスは自身の苦悶に満ちた表情が否応なく和らぐ感覚を覚えた。
周囲が温もりに包まれる。傷が治癒をはじめ、身体は軽くなり、意識も冴え渡る。
これは……【小回復】の連唱! 裂傷と打撲が詠唱毎に癒えていく。
「アンナ! ブラウニーはどうだ!」
「大丈夫なはずよ!」
「よし! さっさと立て若造!」
気軽に言ってくれる……! だが、おかげで動ける!
そして意識混濁の最中に活路も見出せた。
「グゥッ!」
幸運を兼ねそろえた老練な剣捌きでヒュージコボルトの攻撃を凌いでいた村長だったが、あまりの豪打に綻びが生じている。
その隙を補うべく宿屋の主人が斧を振るうが、取り巻きのコボルトが身を挺して邪魔に入る。
次の瞬間、村長の持つ剣が宙を舞う。紙一重の回避が間に合わず、ヒュージコボルトの攻撃が村長の腕を翳める。
村長の腕の関節がひとつ増えたように動いている。いとも容易く骨が折れ曲がったのだ。
一刻の猶予もない。再びこちらに注意を惹かねば、村長は肉片と化す。
【纏いしは風 疾らせるは刃】
ヒュージコボルトの首筋目掛けて【風刃】を飛ばす! 横一閃!
流石の怪物も後方からの遠距離攻撃には反応できなかったようだ。今度は直撃だ。
それでも……ダメか……ッ!
後ろの首筋に横一文字の傷を負わせることはできたが、首を断つには浅すぎる傷にしかなっていない。
天然の鎧である黒い体毛と強靭な筋肉が【風刃】を阻んだ。反応できなかったのではなく、反応する必要すらなかったのか。
しかし、無駄には終わらなかった。【風刃】を食らったヒュージコボルトは動きを止め、ゆっくりとこちらに向き直る。
口が裂けているのではというほどに口角は吊り上がり、その表情は歪んでいるようにしか見えない。周囲で戦闘を続けていたコボルトは距離を取りはじめた。
先ほどまでの雰囲気とまるで違う……いままでは狩りというお遊びだったようだ。それが痛痒を与えたことで終わった。代わりに殺戮が始まりを告げたのだ。
「おおおおおおおッ!」
動きの止まったヒュージコボルトに対し、好機と思ったのか宿屋の主人が斧を振るう。見事、ヒュージコボルトの左足に裂傷を与えることに成功した。が、その代償に宿屋の主人は大石刀で薙ぎ払われた。
巨漢が勢いよく飛ぶ。そのまま予想着地点である家屋に激突するかに思えたが、幸か不幸か間に居たコボルトを巻き込み、それを下敷きとしながらに家屋にぶつかった。
巻き込まれたコボルトは全身が粉砕されたに違いないが、おかげで宿屋の主人の命は助かったはず……!
……やってくれた!
だが、人の心配が出来る立場ではない……! 次は我が身だ……!
「奥方は離れてください! 村長と宿屋の主人の回復をお願いします!」
「……ええ!」
ヒュージコボルトは、最早、周囲の生物に目もくれていない。殺意で塗り固まった両の眼はアレスを凝視している。先ほど宿屋の主人に攻撃したのも、羽虫を弾いただけの感覚だろう。
出し惜しみはしていられない。
まさか連日連夜魔力を枯渇させる日が来ようとは思わなかった。
馬鹿に長いリーチ、怪物級の破壊力、人外の運動性能。全てが奴と……ネロと似ている。
だが、奴よりも装備は低級……魔法も使いはしないし、原理不明の攻撃もしてこない……!
こいつに勝てないようでは、奴に勝とうなどとは夢の又夢。
「上等だ……犬ッころ」
明らかに格上な敵、それも激昂し尋常ではない殺意の塊と化した敵を前に、アレスは自分を鼓舞した。
落ち着いて考えろ。戦闘前に俺はなんと言った?
罠を仕掛けて倒すと言ったのだ。
そしてここは俺が形成した殺し間。はじめから十分条件は揃っていた。
確かに敵の性能は全てにおいてアレスを凌駕している。
だが、それだけで物事が決まるなら、人間などという種族はとうの昔に魔物の餌になっている。冒険者などという職業は自殺志願者の集まりにしかなっていなかったはず。
「GURUUUUUUッ‼」
長引かせはしない! 今度こそ決める!
【噴き出でよ 隔絶の炎】
詠唱に反応し、地面から火炎が噴き出す。彼我の間に荒れ狂う【炎壁】が形成された。
突如として凶獣の視界を覆った炎。その身を襲うは熱波。強者である自分にとって然したる火力ではないと理解しつつも、生物の根源に刻まれた忌避すべき火炎を前に凶獣は上体を仰け反る。
【置き去りなど気にしてはいられない 一寸たりとも立ち止まれない】
【この身に余ると知りながら 求めしは更なる力】
【如何なる炎熱も この身を焦がすこと敵わず】
アレスは続けざまに魔法詠唱を行い、【敏捷性向上】・【筋力増強】・【炎熱耐性】を自身に付与する。
それと同時に炎壁に向かって、粗末な短刀を投げつける。狙うはヒュージコボルトの左目。
投擲するや、アレス自身も地面を這うほどの前傾姿勢を取りつつ、全速力で炎壁に突っ込む。
【行かないで 離れないで 止まっていて】
炎壁を潜り抜けた先には、頭を右側に反らし短刀を避けたヒュージコボルト。その足は【緑樹縛】により刹那的に止められている。
持てる全てを利用した!
反応はさせない!
否、出来はしない!
上半身に攻撃を集中させた!
いまに至るまで強化魔法を使用せず戦った!
警戒をさせず、反応を狂わせた!
全てはこの一撃のために!
【風を纏いて 刃を成す】
狙うは左足! 命懸けが生んだ裂傷! そこを断ち切る!
弱者が強者に打ち勝つただ一つの法。
戦力の一点集中が生む局所的勝利! 敵主力の撃滅!
「ぶった斬れろやぁぁッッ‼」




