喪失なるもの
前話:黒甲冑 (ネロ)と会話しはじめました。
※引き続きトリス(ベアトリス・ゴルドー)らの視点。
「白を切ろうって算段ならやめておいたほうが賢明だぞ」
「白を切るもなにも……気が付けば、寝かされあなた方に取り囲まれていたのだが」
こちら側と男の言うことが噛み合おうとしない。
仮に情報を引き出そうとしているのであれば、欲を張りすぎではないだろうか。それに加えて、嘘をつくにしても、もう少しマシな嘘をつけるのでは……。
「なるほど、するってぇと……ネロさんはここに居ることに全く身に覚えがないということか?」
「その通りだ」
「はっ、大したもんだ、埒が明かねぇぞ」
エリアスが居直って、私やドロシーに問いかける。
だが埒が明かないという見解はまだ早いと思う。
先ほどまでベッドから距離をとっていたドロシーが近づき、耳元で囁いてきた。
「……トリスよ、もしかすればこやつ記憶を失っておる可能性があるぞ」
「えぇっ」
その内容に驚かされ、せっかくの囁きを無為にする声が出てしまった。記憶を失っているという事態は想定していなかった。
エリアスとネロという男は怪訝そうな顔をこちらに向けるが、ドロシーは気にせず囁く。
「まだ確定ではないし、虚偽の可能性も否めん。差し当たって最後の記憶でも聞いてみやれ」
確かに嘘をついているかもしれない。エリアスの憤怒は主にそう推察しているからだろう。ただこちら側には記憶喪失を確かめる術がない……。とりあえずはドロシーの提案に乗っかろう。
「ネロさんが最後に見たものってなにか覚えてますか? なにをしていたかでも構いません」
「最後に見たもの……無数の怪物に囲まれて……」
「怪物とは?」
「わからない、黒く塗りつぶされたようにしか思い出せない」
「そうですか……」
無数の怪物とはコボルトのことだろうか。それ以上は言葉が詰まったように喋らない。話題を変えた方がいいかな。
「では、最後にいた場所については覚えてますか?」
「場所……王の間……」
王の間? 想像だにしない単語が出た。あの遺跡の祭壇のある場所を王の間とでも勘違いしているのか。はたまたそれ以前の記憶が思い起こされているのか。
「王の間というのは、玉座があって王と謁見するような場所ですか」
「恐らくは」
「そこであなたは怪物に囲まれていると?」
「はっきりとはわからないが……」
「あなたの他に誰かいますか?例えば仲間のような」
「……隣に黒い甲冑を着た人物が複数人いる」
「黒いというのは怪物ではなくですか?」
「あぁ、違う」
黒い甲冑。ようやく互いに既知であろう情報が出てきた。
しかし、複数人居るということは、ネロという男は騎士団員かなにかなのだろうか。少なくとも私の生まれ故郷である王国には、黒甲冑の騎士団は存在しなかったはず。
無論、王国の軍事情報を網羅できているわけではないので、断定はし兼ねるが。
「ドロシー、どうしよう」
横に立ったままのドロシーに問いかけるが、返答は返って来なかった。
表情は帽子によって判別できないが、ドロシーもこの状況に対する解決策を見いだせてはいないように思える。
「ゴルドー、見せてやったらどうだ」
「え?」
「なにかしらきっかけがないと記憶ってのは思い出せないもんだ。要するに刺激が必要だ」
黒甲冑という互いの共通項を得たいま、当の物品を見せるのも手だとエリアスは言う。
打つ手がない以上、確かにその通りかもしれない。そのことを許可したように頷くと、エリアスはベッド下から黒甲冑を取り出した。
その甲冑が目に映った瞬間、男の眼が見開いた。
その様子から、男の記憶の中の黒甲冑とこの甲冑とが同一であることの確証が取れたように思えた。
「それは……!」
「見覚えが?」
「ああ、先ほど言った黒い甲冑と酷似している」
「誰のものかわかりますか?」
「……私のか」
「なぜそう思うの?」
「状況から察したまでだ、この中でその甲冑を着ることができるのは私ぐらいだ」
黒甲冑を手に持っているエリアスは巨体すぎるし、ドロシーは細すぎる。私に至っては鉄の胸当てをまだ着用したままだし、なにより甲冑に対して体格が小さすぎる。
彼がそう判断するのも当然という気もした。
「これを見て何か思い出す?」
「……すまないが」
彼はうつむいて首を振る。ダメか。
「私は誰なんだ? なぜここにいる? あなた方は私のことを知っているのか? もしそうなら教えてくれ……」
私たちと質疑応答を繰り返す内に自分自身が曖昧な存在であると自覚したのだろうか。男は狼狽した様子を見せる。
また懇願してくる様は遺跡で対峙した時からは想像もつかないほど人間的だ。その姿からこの人は本当に記憶を失っている気がしてきた。
これ以上、情報を小出しにしていても両者得られるものはないだろう。全てを話そう。
エリアスとドロシーに視線を配ると、エリアスは好きにしろと肩を竦め、傍にいたドロシーは静かに頷いた。
「ネロさん、実は……」
私たちが知りうる情報は少ないが、出会ってからネロがここに至るまでの経緯を全て話した。
遺跡にて一人で立ち尽くし、周辺の魔物を切り伏せていたこと。
そこに居合わせた私たちをネロが突如襲ってきたこと。
そしてそれを返り討ちにし、捕縛したことまでを。
男はこちらが話すことに口を挟まず、押し黙ってそれを聞き続けていた。
話し終わった時、男の表情は沈痛な面持ちに変わっていた。自身の行動によって目の前にいる人物らに危害が加えられていたことを知ったのだ、気まずさもあるだろう。
「そうか……まず非礼を詫びよう……」
ネロは記憶を失う前の自分の行動に謝罪してきた。
その上で、こうして介抱してくれていることに感謝を述べてきた。気を取り戻したときから思っていたことだが、まるで毒が抜けたような印象を受ける。
「私は今後どうなる?」
ネロは自身の処遇を一任するかのようにこちらに訊ねてきた。
そのことについては、捕縛したときからこちらの頭を悩ませる問題であった。ただし、いまに至るまでにパーティーの過半数の人間は他の機関または組織に差し出そうという見解を示していた。
ただ一人、私を除いては。
「そのことなんだけど……」




