黒甲冑なるもの
前話:異常事態に遭遇しました。
「なんだこりゃぁ……」エリアスが唸る。
その原因と思しきものはすぐに見つかった。
黒い甲冑がアレスらに背を向ける形で広場の祭壇前に佇んでいる。
右手には大剣を手にしており、その刀身は黒く、血が滴っている。
「ねぇ……あれって」
ベアトリスがそう指摘したのは甲冑の足元に転がっている獣のことだろう。
アレスらがこれまで対峙してきたコボルトとは毛色が異なる黒い体毛、さらに目を見張るのはその巨体だ。
あれはコボルトの上位種。コボルトリーダーよりも性質の悪い……。
「ヒュージコボルトだ」
「……その傍らで死んでいるのはコボルトソーサラーか」
考え難いことだが、状況的にはあの黒い甲冑が無数のコボルトとその上位種であるヒュージコボルト、それに魔法使いでもあるコボルトソーサラーを殲滅したということだろうか。
屍と化した多くのコボルトは、一薙ぎで体が分断されるように斬り払われており、サイズとしては同等のコボルトソーサラーも多分に漏れていない。
あの大剣で斬られれば、当然の末路ともいえる。
だが、巨体であるはずのヒュージコボルトはその限りではない。
ではない……はずなのに、地面に突っ伏しているそれは頭から体の中程までを縦に切り開かれており、地面の血だまりの大部分を占める源泉と化していた。
アレスは黒い甲冑を見る。
背丈は自分より若干高いが兜で正確には図れない。エリアス程ではないだろう。手足は左右に2本ずつ。甲冑を着込み、大剣を装備しているところを見るにコボルト以上の知性は見込める。
おそらくは人……であろう。
だが、微動だにせず、広場内に進入してきた部外者の我々に振り向こうとすらしない。
意を決し、声をかけてみる。不測の事態に備え、近づきはせず。
「失礼、お聞きしたいことがあるのだが」
返事は返ってこない。
「気を失ってるんじゃねぇか?」
「こっちからは見えないけど、重症を負ってるのかも?」
この広場の惨状を見れば、コボルトを圧倒したようにしか見えないが……。
「近くに寄ってみようよ」
「ゴルドー、それは不用意すぎるだろ」
「……お主ら見やれ」
黒甲冑が静かに上半身を右側へ捻り、首を回し兜越しにこちらへ視線を向けた。
半身を捻ったため自然と右手に持った大剣の全身が見える形になった。切っ先は尖っており、刺突も可能。刀身は肉厚であり、恐るべき衝撃力を生みそうに見える。
現にヒュージコボルトを両断しているのだろうから、実際にも間違いはないだろう。
「エリアス、防御魔法はもう少し維持していてくれ」
「はいよ」
「怪我などはしてませんか?」
当たり障りのない言葉で黒甲冑の反応を伺うが、またしても反応はない。
人間だとしたら、ふざけた奴だ。
「……これ、お一人でやったんですか?」
トリスがそう聞くと、黒甲冑はこちら側に完全に向き直った。
甲冑の前面にも傷は確認できない。恐ろしいことだが無傷でこの数を制したというのか、にわかには信じられない。
そんなことを考えていた瞬間、黒甲冑が立っていた場所から姿を消した。
「アレス!」
ガンッ!!
ドロシーがそう叫んだ瞬間、エリアスの展開していた防御魔法に硬質な音が響いた。
黒甲冑が一瞬で間を詰め、横一線に大剣を振るってきたのだ。防御魔法によって止められはしたが、その大剣が描いたであろう軌跡はアレスの首を刎ねるものであった。
一撃目を止められた黒甲冑は即座に二撃目、三撃目を繰り出す。
「ッ、割れる」
エリアスは展開した防御魔法の限界値を示す。
呆気にとられている場合ではなかった。相手はどういうわけか、こちらを殺す気で来ている。
云うまでもなく平時の人殺しは重罪であり、冒険者がそれを犯したとなれば、冒険者資格は剥奪されるだろう。
このような突発的かつ理解に及ばない事態に正当防衛という形であれば、情状酌量の余地はあるだろうが、それを立証するのは往々にして時間がかかる。
後の事を考えれば、とれる手段は生け捕りだ。
相手は殺しに来ているのに、こちらは生かす気で事を成さねばならない。最悪だ。
「俺がやつを引き付ける。エリアス、身体強化を頼む。ドロシーは牽制。トリスは奴の剣を見切ってくれ」
予備の片刃剣を抜き、双剣として構える。
慣れた戦闘スタイルではないが、黒甲冑の尋常ではない速度の剣を抑えるには手数が足りないと判断した。
加えて、身体強化によって筋力を増強させ、片手でも黒甲冑の大剣に押し負けぬようにした。
【見逃すなどありえない それは確かに映っているのだから】
【近くで囁いて 私はあなたの全てを聞き漏らしたくはない】
アレスは自身で【視覚強化】と【聴覚強化】を行う。
視覚強化は再び奴を見失わないように、聴覚強化は死角を補うために。
六撃目を加えられ、エリアスの防御魔法が砕ける。
アレスはすかさず黒甲冑との距離を詰める
黒甲冑の流れるような連撃に剣を交わす。
肉体強化を施してもらったとはいえ、黒甲冑の一撃一撃を片手剣で支えるのは不可能だった。敵の大剣が速度も相まって重すぎる。そのため受け流すのが精いっぱいという状態だ。
双剣の強みを生かして後の先を取ろうとしても、次の一撃が早い。結果、双剣共々を防御に利用してしまっている。
口惜しいが、攻撃はドロシーに任せるほかないか……ッ。
【無惨を晒す身を嘆くことはない 燃え尽きればわかりはしない】
後ろ手に詠唱が聞こえる。
黒甲冑の横薙ぎの一閃を掻い潜って回避。
肝を冷やした直後、後方から【無数の火矢】がアレスの横をかすめ、黒甲冑目掛けて飛んでいく。
ドロシーの援護射撃だ。
黒甲冑は横に飛び退き回避するが、ドロシーは立て続けに火矢を放つ。
どうやらドロシーは命以外残さない気なのかもしれない。
だが、放たれた火矢が黒甲冑に命中することはない。身をかわし、あるいは大剣で払いのける。
「小癪な」
火矢が打ち止まり、後ろから敵に対する非難めいた言葉が聞こえる。
距離を取った黒甲冑が、再び最短距離にいるアレスに飛び掛かってくる。
こいつに一息という概念はないのか、先ほどからの行動に溜めがない。
黒甲冑の刺突を片手剣で左へいなし、残った右手の剣で黒甲冑の胴を刺し返そうとする。が、その剣を握った腕が黒甲冑の左手に掴まれる。
黒甲冑は両手ではなく片手で大剣を支え、刺突を繰り出していたのだ。
アレスはそのまま掴まれた腕を引き込まれ、体勢が崩れたところに体当たりを食らう。
自身と相手の突進速度が相まって、その衝撃は凄まじい。
防具をつけていなければ、凶悪な甲冑が皮膚を突き破り、肉に刺さり、骨にまで損傷を負っていたかもしれない。
衝突で跳ね飛ばされ、地面に仰向けに倒れたところを黒甲冑がとどめと言わんばかりに串刺してくる。




