その瞼を開いて
出逢った。それだけ。
なのに、なんだか苦しく嬉しくて切ない様な暖かなモノに逢えた幸福に心が一杯になって震える。
その心を留めようとも、塞き止める事は出来ずに溢れ出す。
きっとこれが愛しいというものだろう。
いつか、今とは全く違う存在に為ったお前にも解るのだろうか。
◇◇◆◇◇◆◇◇◇◆
ズキン…ズキンと頭が痛む。
頭だけじゃない。身体中、何処も彼処も痛くて堪らない。目を開くと、焦点のはっきりしない視界は真っ白い世界の光景を捉えた。さっきまでこの目は、空の青と海の蒼を見ていた。
ボクはアルネ・シーフェンス。世界中を旅する事に憧れて漸く旅にでた。そして、不愉快な事にとんでもない誤解を受けたまま崖から落ちて海に転落した。ちょっと前までとはかけ離れた視界に死んだ…と思うしかない。
どうやら、死者にも痛みはあるらしい。安らかな死があるとか、嘘か。騙された。
痛む身体を動かせるまでかなり時間がかかったけれど、なんとか手は動かせた。自身の胸元まで手を移動させて暫く目を閉じると、ドクンドクンと心臓の鼓動を鮮明に感じられた。
心臓が動いている…ということは、生きてる証だ。…死んでいない。生きている!ばっと、目を開けて勢いよく上半身を起こしてみた。身体に激痛は走るけど、動く。視界もまだぼんやりしてるけど、視力と感覚は確実に戻ってきた。
(ボクは、まだ死んでいない…。だって心臓がこんなに動いてる)
自身が死んでいない事に、酷く安堵したのもつかの間。今度は不安が胸を占めた。
だって、自分は死を予感させる様な所から海の中へと落ちた。気絶していたのは間違いない。
その間に誰かに運ばれたのだろうか。あの場にいたサエラリ達なら、決してこんな所に置き去りにはしない。気を失ってから時間がどのぐらい経ったのか、どうしてここにいるのか全くもって検討がつかない。
戻ってきた視界で広がる景色を改めてよく観察してみる。白いだけだと思っていた景色は、宙に金色の粒が舞っていて、周りには透明な樹木の様な物が見える。
そして、ボクが座っている地面には、周囲の樹木と一緒で透明な5花弁に花柱が金色の花々が1面を覆っている。星珊瑚の橋にも負けないぐらいに綺麗だ。
だけど、なんだか虚しさを感じる場所だと思う。
(何もしなければ、何も始まらない。一先ずは歩いてみよう。誰かいるかもしれない)
痛む身体を推し進めながら、不安と焦燥を抱えながら宛もなく歩き出す。
(ダメだ…。いくら歩いても何も見つからない…!誰もいない…!同じ様な風景しか続かない…!)
身体にも限界が来たのか、足がもつれて転けてしまった。それと同時に上手く受身が取れなくて両手が擦り切れて出血してしまった。
「…いっ…た…」
じわじわと血が溢れ出す両手を転んでうつ伏せになった状態で眺めるしか無かった。
いつの間にか瞳に涙が溜まったのは、きっと身体の痛みのせいだけじゃない。
血塗れになった手をぎゅっと握って再び立ち上がろうとしたその時。
「え…?」
さっきまで、前方には何も無かった筈なのに。
目の前には、ここに生えている結晶の様な樹木の中でも一際大きい樹木があった。
そして、その根本には大蛇の様な根に閉じ込められているように人が寝ていた。自分以外の誰かを見つけたのが、原因だろうか。胸がドキドキしてきた。
近づいて、その人をまじまじと見つめた。
(失礼に当たるだろうけど、当の本人は寝ているし生きてるかも怪しいからいいよね)
身にまとっている服はボロボロだけど、その肌は血が通っているかも怪しく陶器を思わせるほど白い。そして肌には傷一つ無かった。若い新緑の芽を思わせてるような薄緑も髪。
顔立ちは、中性的で繊細な顔立ちの多分…男の人。中でもボクが何よりも目を惹かれたのは、頭部。彼の頭部には鋭い金の角が二対生えていた。普通、人間にはこんな角はない。
初めて、人間以外の異種族をみた。
こんな状況だというのに、新しいモノを見つけた高揚感を覚えて少し、自分でも呆れてしまった。
陶器の様な肌に触れてみる。その肌は暖かくは無いけれど、死人の様に冷たいわけではない。
(生きているのだろうか…?)
彼には太い幹に絡まっている。これ、どうやって抜け出すんだ?逆にどうして、こんな事になっているのだろうか?
(これってもしかして、封印されてる…?)
母さんの持っていた書物の中に封印魔法の術式というものがあった。封印とは通常、対象者に流れる魔力に異常を発生させて身体の動きや魔法、魔術等の力を使えなくしたり一定以上の出力を出せなくなったりする。
要は制限するモノだ。強力な封印となると、対象をその状態のまま、隔離・保存が出来るらしい。
彼を起こせば、ここからの脱出手段も分かるかもしれない…!
起こそうといろんな手を打ってみた。呼びかける、ほっぺを叩く、引っ張る。色々と試してみたけと効果無し。
一向に目覚めない彼の角を引っ張り握り締めながら、あまりの効果の無さ、ここから出られずに旅が出来ずに終わってしまう恐怖に不安、腹ただしさと悔しさが込み上げてポロポロと大粒の涙を零して泣きながら叫ぶ。
…それ以外に、今のボクのこの感情の行き場は無かった。
「ボクは、旅を始めたばかりなんだ!!初めて、まだ…まだ見ていないモノ知らないモノばかりなのに。こんなに、心が踊っている。こんなにっ心臓が鼓動してる!!なのに、それを止めたくないっ!!こんな所で終わりたくない!!」
眠っている彼の鋭い角を握っていた手が角の先端を掠めて、血が出る。それでもお構い無しに血が着いた手で、さらに彼が絡まっている大樹を両の手をバンっと叩きつける。
暫くすると、ボクの血がじわりじわりと吸収されて、大樹が脈打ち鼓動して活性していた。さっきまで無機質見たいだと表現したけど、今は全く違う。生きている。
…まるで産声をあげて存在を主張する赤子みたいな印象すら受ける。
まだ、泣き腫らした目で呆然と呟く。
「…え?…なにが起きてるの?」
絡まっていた人物が目を覚ます。
ゆっくりと瞼が震えながら開けられる。その瞳は湖が空を映したかの様な澄んだ蒼だった。