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82.その言葉は王の如く。

 周囲には焼け焦げた臭いがたちこめ、屋根をも突き破る炎は誰も近寄らせまいと踊り狂う。焼き軋む柱はその脅威に飲み込まれると、嘲笑うように黒煙と煤が天高く舞い上がる。

 幸いな事に厩舎(きゅうしゃ)内で被害にあった者、取り残された者がいないと魔力感知(ライブラ・フィールド)で確認が取れた。そして屋敷との距離は充分離れており、強風で煽られようとも火の手が広がる事はないということだ。しかしこの状況にグラードさんや優秀な執事の面々が気が付かないということはありえない話であり、屋敷へ目を向けても誰かが出てくる気配すらない。

 周囲に危険が及ばないとはいえこのまま放置するわけにもいかず、俺は厩舎へと向き直るとギルスは助けを呼びに屋敷へと走り出す。


「アタシがひと吹きで消してあげようか?」


「消し飛ばすの間違いだろッ!こういう時は火の元なんかを調査するだろうから、それはナシだ」


 俺は手を差し出すと膨大な魔力圧を厩舎へと押し当てる。すると炎は瞬時に治まり、燻る木材の熱すら奪うと黒煙はパタリと進行を止め、上空に流れる黒煙はピースケのひと吹きで消し飛んでいった。

 無事消火活動を終えたわけだが、悲惨な現状が目の前に佇む。屋根は崩落し白い壁は焼け焦げ、強度の低下した柱が音を立て崩れてゆく。


「シキ様ッ!ご無事でいらっしゃいましたか!!」


 聞き慣れた声に振り返るとスフィアとピクルさんが走り寄り、片腕が破けたハルムさんを心配そうに声をかけるギルスが目に留まる。それにしても来るのが遅すぎやしないかと二人に視線を戻すのだが、二人の視線は俺の背後にいる魔物へと釘付けであった。


「シキ様……そちらの魔物は……」


「ああ、コイツはグラードさんが用意してくれた封印書の中にいたんだけど友達になったんだ!」


 その言葉に二人の表情に困惑が見られたが、笑顔で話す俺に安堵の息を漏らす。魔物もまた敵意はないと巨体に似合わずお座りをすると、頭を下げ上目遣いでスフィア達を見つめる。


「って!それよりも何やってたんだ??火は消し止めたけど、これじゃあ建て直した方が早いんじゃないか……」


「実はですね……その……」


 口ごもるスフィアに焼け跡を眺め考え事をするピクルさん。そこにギルスとハルムさんがやってくると、苦湯を飲まされた顔でブライトさんが慌てて駆け寄ってくる。


「ピクル殿、イージス家使用人達は深い眠りに落とされているものの皆生存を確認しました。しかし通信設備、及び回復ポーションの類いは全て破壊されております。しかしなぜ厩舎に火を?屋敷に火を放たなかったのは術式が崩されることを防いだ為か……。何にせよこの山中から街道まではうねる一本道、さらに五名の令嬢を連れてとなると馬車での移動でありましょう。速度も十分に出ないほかに、検問所も通らねばならない……そう考えれば追いつくことも可能かと」


「……秘密裏に動いてきた連中だ。単純な狼煙上げとは思えない、何かを隠そうとしているのか……」


「あの……一体なんの話しを?」


「シキ様、その魔物はグラードが用意したとのことですが、どうかこの不甲斐ない年寄りにお聞かせ願いたい。今までどこで何をしていたのかを……」


 俺はその問いかけに一連の経緯を説明すると、スフィアは俺の手を握り本当によく帰ってきてくれたと声を震わせる。つまりその言葉には死んでしまってもおかしくないという意味が含まれており、ギルスの表情から血の気が引いていく。

 いやそれにしてもだ、まったく内容を掴めていないのは俺だけなのか?何が起きているのか理解ができず、ぽかんと口を開けているとピクルさんから驚きの言葉が放たれる。


「イージス家執事、グラード・リングスが謀反を起こしました。我々一同は奴の封印術にかかり奈落の底へ、その間グラードは仲間を引き連れ令嬢五名を拉致し逃走したものと見られます。我々はこれより賊を追い、令嬢達を救出してまいります。お二人は屋敷にて朗報をお待ちください」


 真夏日だと言うのにその一言は場の空気を凍てつかせ、盛大に鳴く蝉の声すら皆には届いていない。そしてどう言葉を出せばいいのかわからないギルスはハルムさんに連れられ、俺もまたスフィアに手を差し出される。しかし俺はその誘いを受けることなく、代わりに北西へと指をさして声を出す。


「ここから8km先、深い森の中を進む馬車にシャルとヒルデ嬢、それとグラードさん……」


「シキ……様?一体何を……」


「何ってグラードさんの居場所だよ。それから北東7km先にリディア嬢とティーラ嬢が、南西街道沿いにローゼ嬢が連れられてるな!」


「お、お待ちくださいシキ様!!北西、北東ともに大樹林に覆われその方向に道はなく、さらにこの短時間でそのような距離を進むなど不可能でありますぞッ!!」


 ブライトさんは声を張り上げ否定をするも、俺は落ち着いて話しを続ける。リディア嬢とティーラ嬢を連れ去るいかにも脳筋な男、そしてローゼ嬢を連れ去るフードを被った細身の男。その特徴は執事達にしか知りえず、一同は驚きのあまり思考が一時停止する。


「まさか……その若さで大規模な魔力感知拡大を……いやしかしだ、その場所は馬車など到底走ることなどできぬのだ!一体……どうやって……」


 ピクルは思考を巡らせ焼け跡の中へと駆け出すと、瓦礫を押しのけ焼けた馬車の数を確認する。そして火災に見舞われたにも関わらず、煤で汚れる程度の扉をこじ開けると空の部屋を見渡す。


「緊急用高性能魔導馬車がなくなってる……グラードはコレをーー」


「お待ちくださいピクル殿!あの馬車は一台しかありません、それは初日に我々も目にしているはずです。それともその数を増やしたとでも……」


「ああ、増やしたんだろうね。それと三台分の馬車もなくなってる……。なるほどね、どうりで私らが封印されてしまう訳だ」


「それはどういう……」


「恐らくグラードは伝説級スキル【融合】の保持者だ。一瞬で封印術式を構築させ私らは抵抗虚しく落とされた、さらに高性能魔導馬車を三台の馬車へ融合させ逃走している。根拠はその魔物の存在だ!」


 おとぎ話に出てくるようなスキルに、ブライトもスフィアも驚愕を隠せず声にならない。しかし自身達が目の当たりにした出来事と、現状を照らし合わせると全てが腑に落ち身体を震わせる。


「あの……グラード達は身代金目的ということはないのでしょうか……。それならこちら側も策を練る時間がーー」


「ギルス様、ヤツらの目的は金なんかじゃありませんよ。頻発している人攫いの件は自らの仕業だと言っていた……。その事から令嬢達を奴隷商へと流し、裏社会での地位を確固たるものとするのでしょう」


「そん……な、奴隷だなんて」


「ピクル殿!急いでイージス家に向かい王都へ非常事態通達をすべきです!!いやその前にヤツらを追わないと……追わなければッ!!そうしなければお嬢様達が……奴隷刻印を押されてしまう……」


 その悲痛な叫びに答えるは沈黙。空を駆け三方向に逃亡するグラード達に余力の無い自分達が間に合う訳もなく、幾分魔力を温存しているピクルとスフィアが出た所で一組は逃げられてしまう。どの令嬢を救出すべきか絶望の選択を迫られ、心中穏やかではない一同へなだめるように指示が出される。


「ピクルさんとスフィアは北東へ逃げた大柄の男へ。南西……いや今は南南西だな、そこにはギルスとピースケが。俺はグラードさんのもとへ向かう。魔力疲弊が激しいブライトさん、それと他の執事さん達は自己回復を行いつつイージス家使用人さん達を介抱してあげて下さい。要はその奴隷刻印を押される前に救出すればなんの問題もない。大丈夫、またみんなで笑って会えるからさ!」


 その一言に荒れ狂う感情はピタリと止まり、窮地に立たされた者たちは心が震え安息を覚える。本来であれば守護される側の存在であり、三勇士の孫と言えど鵜呑みには出来ぬ発言である。しかしその言葉は王の如く、いやそれ以上の存在を彷彿とさせ執事たちは片膝を着き快く了承する。


「「仰せのままにッッ!!」」


「そんなにかしこまらなくても……」


 気力みなぎる瞳に立ち上がるとピースケは二人にフッと一息吹きかける。すると優しい風が身体を包み込み、風が吹くこともなく衣類と髪がなびき始める。


「ピースケ様これは……!?」


「アタシが風の力を授けたんだよ。だからリディアとティーラをよろしくね!」


「これはなんとも気持ちがいいもんだね。ははは、力加減を間違えたら、一蹴りで山をも飛び越えられそうだ!」


 ピースケはニッカリ笑うとギルスの肩へと降り立ち、愛槍を力強く握りしめるギルスは不安そうにシキへと声をかける。


「なぁシキ、人選は俺でいいのか?」


「ああ!よろしくなっ!!」


 それは友人がお願いごとをするように簡潔で、この事態に適した口調ではない。しかし戸惑いと不安で停滞していた思考は日常へと戻され、心が軽くなると視野が広がる。


「お前なぁ……さっきまでその魔物にすらビビってたのに、よく平然と言えたな。少しは心配とかないのかよ!」


「心配なんかしてないって!それよかローゼ嬢を救出したら、その足でイージス家に出向いて事情を説明しておいてくれ。そしたら任務完了!簡単だろ?」


「そんな初級ギルド依頼みたいに言うなっ!はぁ……お前見てると物事が小さく感じてきた……」


 いつもと変わらぬシキに頭をひとかきするも、ギルスの表情はいつの間にか男の顔付きへと変わっていた。そして優しい眼差しでハルムは近寄ると、姿勢正しく頭を下げ見送りの言葉をかける。


「ギルス様、賊は相当な手練にございます。ですが貴方様が培ってきた槍術はそのような輩に遅れをとる代物ではございません。それはハルバード家の歴史そのもの。いついかなる時も槍のように真っ直ぐな信念を胸に、歴史を紡いでいただきたく願います」


「ハルバード家の歴史……か」


「左様でございます。そして恐れながら私めも心配はしておりません。今のギルス様は若き日の先代当主、そしてお父上様と同じ顔付き。必ずや無事に帰還なされると確信しております」


 微動だにひとつせずハルムは言い切ると、ギルスの胸は熱く優しい鼓動に包まれる。そしてふと幼少期の思い出が脳裏を駆ける。祖父や父、兄のように槍を上手く扱えない自分にこっそり涙を流した日々。それを優しくなだめてくれたハルム。鍛錬は厳しく槍を握ることすら怖くなった事もあった。しかし積み上げてきたものを振り返ると自信に満ち溢れ、ギルスは微笑みハルムに感謝を述べる。


「ハルムありがとう。けど俺の歴史はまだまだ浅い……だから紡いでいけるよう全てをぶつけてくる!よっし!ピースケ、俺にもその風の力を与えてくれ!!」


「ん?必要ないよ??だってアタシが運ぶものっ!さぁ、いっくよぉーーー!!」


「……え?」


 グイッと襟元を掴まれると花火のように上空へと飛び立ち、ギルスの悲鳴は瞬く間に山を越えていった。心配はしていないと言ったが、まさかの移動手段にハルムさんも心配の声を漏らし俺は咳払いを一つすると魔物へとまたがる。


「そ、それじゃあ俺も行くよ……。あのシャルが静かに捕まってるとは思えないし、魔物(こいつ)も元の姿に戻してやりたい。それにグラードさんからしっかり話も聞いて、俺は自由研究の続きをやらないといけないんだっっ!!」


 最後の台詞に一同はくすりと笑うと、俺も笑顔を返し魔物とともに北西へと走り出す。生い茂る草木が行く手を阻むが、進行方向に固定魔法陣を作り上げると足を取られることなく難なく突き進む。


「ピクル殿、一体彼は何者なのですか。見た目も口調も年相応……にも関わらず私は引き止めることなくグラードのもとへと送り出してしまった。私はこの事態に未だ平常心を失っているのでしょうか?」


「ブライトがそう思う気持ちはよく分かるよ。本当に不思議だ……。けど感じただろ?あれは王の風格だよ。この一件であの子がどう成長するのか、そしてどう世界の闇に向き合うのか見守りたくなるよ」


 ピクルは叶えることのできぬ夢を託す眼差しで空を見上げると、無数の野鳥が群れをなして羽ばたいている。そのうちの一羽が呼ばれるようにスフィアの腕へ降り立つと、スフィアは【千手歓談】を使用し再び大空へと解き放つ。


「ピクル様、あの子が眼となり導いてくれます。さぁ、私達も行きましょう」


 野鳥は一足先に北東へと羽ばたき、ピクルはブライト達に留守を任せるとその場を後にする。そしてその身は翼が生えたように軽く、風が森を駆け抜けるように視界が流れる。

 追いつく事が不可能だとは微塵も感じず、最悪の未来は遠のいて行く。ただ一つ、クローバー盗賊団が関与している可能性は否定できないと思うと、ピクルは一人相応の覚悟を決めるのであった。



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