80.奈落の底の伝言者。
光に包まれ目の前が真っ白になると急降下する感覚を覚える。
一体どこまで落ちるのかと考えて間もなく、指先と片膝に固くひんやりとした感触を感じ取る。ピクルはゆっくり目を開けるとスラム街を彷彿とさせる町並みが広がり、足元にはここが終着点というように魔法陣が淡く輝いている。
そして後方は壁で遮られており、壁伝いに天を見上げると中央に穴がポッカリと口を開けている。その空間は巨大な壺の中に入れられたという表現が当てはまり、ピクルはこの封印術式かと鼻で息をつくと仲間へと目を向ける。
「全員無事のようだね」
「ああ、外傷も精神汚染もない……しかし、クソッ!!あの若造どもがッッ!!このような謀反を起こすとは……」
オルトゥワ貿易執事、ブライト・サルペイジは怒りの言葉を吐き出すも、封印されてしまったこの現状に手も足も出ないと失墜の念に苛まれる。同様に他の執事達も悔やんでも悔やみきれないと口を閉ざしてしまうなか、スフィアは天井の穴を指差し変わらぬ瞳で声を上げる。
「ピクル様、あの穴から出られますよね」
その突拍子もない発言にブライト達は一筋の希望を見出す。しかし穴は地上から百メートル近くも上空に位置し、とても届く距離ではない。しかしこの状況を打破できるならとブライトは静かにピクルの反応を伺う。
「スフィアの言う通りあの穴から脱出が可能だよ。この手の封印術はオルフェスから嫌というほど訓練させられたからね。さて感情を整理しようか……。グラード達が計画を企てたことも、私らが封印されたことも最悪の状況じゃない。本当に最悪なのはお嬢様達が奴隷商へ流され、死が救済とも言える人生が始まってしまう事だ。そうなったら奴隷条約により国ですら手を出せなくなる。そしてアイツらにとって私らはただの伝言者、自分たちの存在を認知させる為に生かされているのさ。何とも腹立たしい話じゃあないか……。だからここを出て伝えてやろう、お前達の計画は無駄なんだと。そのためにも先ず執事の心得、常に冷静さを忘れずにだ」
「ピクル殿、それに皆も申し訳ない。いの一番に感情を吐き出すなど俺もまだまだのようだ。しかし具体的にどうやって脱出を?」
「あの穴の真下に見張り台のような塔があるはずさ。まずはそこへ到着しなくちゃならないんだが、それを遮るように町は迷路みたいに入り組んでいる。それだけならいいんだけどね、ほらあの建物の奥を見てごらん」
そう促すピクルの視線の先には、人の形をした影のようなものが猫背でゆっくりと徘徊をしているのが目につく。何か目的がある訳でもこちらに寄ってくる訳でもなく、気怠そうに行ったり来たりを繰り返していた。
「今私達はこの魔法陣の中にいるから襲ってこないけどね、ここから出た途端仲間を呼んで一斉に襲ってくるよ。攻撃しても時間とともに元に戻るし、捕まれば強制的にここへ連れ戻される。だから屋上伝いに移動をした方がかなり効率がいい。けど用心しな、屋上にアイツらは来れないけど罠が張り巡らされているからね」
ブライト達は深く呼吸をすると準備は出来たと互いに頷く。そして身体強化魔法を施すとピクルを先頭に魔法陣を後にする。それと同時に人影は街灯につられる虫のようにピクル達へ向かい始め、同調するように町の奥から数え切れぬ人影が押し寄せる。
先のことを考慮し無駄な戦闘を控えたいピクルは逸早く建物へ到達しようと加速するが、人影の異様な速度にそれは叶わぬと舌打ちするとそれを察したハルムが引き付けるように前へと出る。
「ピクル殿、ここは私が!!」
その一声は力強く、決して犠牲になる為に前に出るわけではないと闘志溢れる目つきで前進する。そしてジャケット内側に仕込んでた白銀の棒を四本器用に組み合わせると1メートル程の棒を作り上げ、魔力を込めると先端に魔力の塊である刃が現れ攻撃態勢を整える。
「我が槍術、得と味えッッ!!」
ハルバード家指南役として仕えたその腕は衰えることなく、一振りで数体をなぎ払うと煤のように飛散する。なんとも空を切る感覚に手応えのなさを感じるが、確実に動きは鈍り元に戻ろうとする様子に脅威はない。倒すことが目的ではなく、足止めをする事こそが自身の役割なのだと決意を胸に、ハルムは次々に現れる人影を華麗に停止させていく。その活躍によりピクル達と人影との距離は十分離れ、一人戦うハルムへ離脱を呼びかける。
しかし屋上が安全だという保証はないことから、シュベルト家執事ティル・ラバットは一人屋上へと高く舞上がる。後方から迫り来る人影に一秒でも早く場の確保をせねばと、周囲を警戒し魔力感知を用いて着地を果たす。が、足を着いた瞬間屋根は黒く変色し、泥沼のように柔くなるとティルの身体は見る見るうちに沈んでゆく。それだけならまだしも追い打ちをかけるように底からは呪いの言葉が溢れ、言葉は腕へと形を変えるとティルを引きずり込もうと至る箇所をつかんで離さない。しかしティルは驚きの声を上げることなく、代わりに仲間へ要請を発する。
「ブリック手を貸しくれッ!」
その声に待機していたヴァイス織物工房執事ブリック・シャンブレイは、颯爽と駆け上がると着地をする僅かな時間で状況を読み解く。
「成程、魔力減少に身体能力低下の呪いの腕……理解した。善光の女神よ、我が心を実直の針とし、数多輝く光を束ね災いを退ける力を与えたまえ!光支援魔法・聖者の衣!!」
目を細め、差し出した手のひらから眩い光が溢れ出すと金色の糸がティルを包み込む。すると無数に伸びていた腕は焼き切れ、ティルは歪む地面へと手を着ける。
「腐敗せし大地に祝福を、降り立つ者に聖なる加護を!浄化聖魔法・聖地改革」
波打つ黒い地面はティルを中心に元へと戻り、ブリックはすぐさま場の確保ができたことを下へと伝える。そしてピクル達三人は危なげなく屋上へ足をつけ、数秒遅れてハルムが到達を果たす。
「ハルム、良くやってくれた。おかげで全員が無事ここまで来れたよ」
「仕込んでいた武器がありましたからな!それよりティルとブリックに大事はないか!?」
「えぇ、下にブリックが居てくれたことで冷静に対処できましたよ」
「それはこちらも同じことよ。しかし屋上へ来れたは良いが、まさかこれ程とは……」
難を逃れたと思いきや広がる迷宮に一同沈黙が訪れる。地上からでは認識できなかったが、建物と建物は繋がりを見せ迷路のようにうねり曲がり入り組んでいる。それだけなら突き進めば簡単な話であったが、魔力感知にも反応を示さなかった罠に、ティルは人体感知にて発動する厄介なものなのだと推測する。
休むつもりはなくとも地上には野次馬のように人影がひしめき合い、前に進むしかないが全滅し兼ねるその一歩に的確な判断を迫られる。しかしそんな時間すら惜しいと、ブライトは悔しそうにピクルへ申し出る。
「できることならば俺自身の手で奴らを捕まえ、お嬢様をお救いしたかった……。しかし出し惜しみしている場合ではない。ピクル殿、後はよろしくお願い致します!」
【固有スキル・遊衛探水魚】
両手を広げるブライトの周りに無数の泡が現れると、深海から浮上するように上空へ上り始める。そしてその泡は数十匹もの透明な魚へと形を変え、零れ落ちるようにして固い床へと潜っていく。
「コイツらを先行させ危険を回避し安全な道を進むとしよう。罠があれば破壊し、環境問わず突き進む。……しかし何が起こるか分からぬ以上、ティルとブリックにも引き続き皆の支援を願う」
二人は快く引き受けると、ブライトの号令により魚たちは迷宮へと泳ぎ出し情報を伝達する。それをもとにブライトは案内人として先頭に立ち、避けては通れぬ罠は魚が身代わりとなり数を減らしていく。そしてティルとブリックもまた、常時上級支援魔法を使用していることから表情に陰りが見え始める。しかし三人の連携は勢い留まることなく仲間を導き、短時間で迷宮を攻略していくと遠く感じていた穴の真下まで僅かな距離に差し迫る。
「時にスフィア、あんた随分と落ち着いてるじゃないか。何か秘策でもあるのかい?」
「秘策だなんてとんでもございません。……何でしょう、私も不思議でしょうがないのですが、強いて言えば外にシキ様がいらっしゃるからなのでしょうか。あの御方が近くにいるだけで、とても心強く感じるのです……。ですがこのような考えでは使用人失格ですね」
「ははは!なるほどね、たしかにそう言われると私も不思議と心が軽くなる。これじゃあ私も使用人失格かねぇ?……さぁ、目的の場所に到着だ。ここから先はスフィアにも手伝ってもらうよ!」
「はい!お任せ下さい!!」
浄化されゆく通路を進み、階段を駆け上がると視界の先に建物はなくなり、広場の中心に見張り台が見える。見通しの良いその場所に人影の姿はなく、一行は細心の注意を払いつつ突き進み建物内へと入る。そして迫り来る人影の大群に別れを告げるように扉を閉めると唸り声はピタリと消え、何事もなかったように静寂が訪れた。
「三人ともご苦労だった。ここからは私達に任せて、しっかり休んでいな!」
その言葉にブライト達は返事をしようとするのだが、ピクル以外の全員がその空間に混乱し言葉が出てこない。自分達が駆け込んだ建物は煉瓦造り三階建ての見張り台であったが、その数十倍は広いであろう面積に高い天井。ゆえに安堵と達成感を感じる間もなく、辺りを見回しながら歩を進めると中央に闘技場が佇んでいた。
「さて、ここからは簡単な話しさ。出てくる魔物を全て倒していけばいい。そうすりゃこの建物は塔のように高くなり、あの穴から脱出ができるって訳だ。しかし参加者が戦闘不能、もしくは場外に追い出された時点で建物は崩れ去る。そうなったら外部の助けを待つしかなくなる。だから気を引き締めていくよ」
ピクルはそう告げると入場口横にある石版に手をかざし、続けてスフィアとハルムも参加資格を得ると三人は闘技場へと足を踏み入れる。すると四方に松明が灯り、場内に黒い渦が巻き起こるとゴブリンファイターの群れが奇声とともに現れる。剣と盾をかち合わせ威嚇をし、動かぬピクル達にゲラゲラ笑うとその内の一匹が場外彼方に吹き飛んで行った。一瞬の出来事に笑いは止まるも時すでに遅く、ピクルの豪速の拳がゴブリン全てを葬り去る。
「雑魚はお呼びじゃないんだよ!さぁ次だよ次ッ!!」
その後も黒い渦から魔物は現れるも手練た三人の敵ではなく、危なげなく連戦を繰り返す。しかし数の多い魔物に着実に体力は消耗していき、見計らったようにその魔物は現れた。
3メートルはあろう巨体に黄金の鎧を身に着け、丸太以上に太い腕は大戦斧を携える。高まる闘争心に息は荒く、悪魔のように赤い瞳からは逃げ出すことさえ叶わぬと空気が凍てつく。
「……キ、キングミノタウロス」
これまでの魔物とは明らかに格が違い、ハルムは相手に間を与えぬよう瞬速の一突きを繰り出し、スフィアは火炎魔法を放ち注意をそらす。しかしその刃は鎧に弾かれ、渦巻く炎は何事もなかったように消え去ると強烈な一撃にハルムは場外へと吹き飛ばされる。
「ハルム様っ!!」
安否確認するスフィアの声が響き渡るがハルムはピクリとも動かず、すぐさまブライト達が駆け寄ると集中回復魔法を施す。
どうか無事であって欲しいと願いつつ、どう立ち向かえばと思考を巡らせたその時、破裂音とともに巨体が地面へと倒れる音に振り返る。そこには頭部なきキングミノタウロスが横たわり、腰に手を当てるピクルが一人立つ。
「スフィア、魔力感知を使用しているとはいえこんな魔物に背を向けるなんて自殺行為に等しいよ。何があっても前だけ見てな。それとハルムは無事かい!?」
高らかに声をかけるとハルムは手を上げそれに答え、闘技場の四方の松明が消えると連戦の終幕を告げる。そして地響きとともに建物は大きく揺れると天井はより高さを増し、出口を案内するように奥へと続く床に明かりが灯る。
これでようやく外に出られるのかと歩を進めるが、一行は出口を前に足を止める。
「出口が……10もあるぞ。これはどれを選んでも言い訳ではないのだろうな」
「ああ、ハルムの言う通り正解は一つだけだ。私が一人で訓練した時は2つだけだったからね。恐らく人数の倍の数が現れた訳だ。不正解は出発地点に戻されるが、一人でも外に出られりゃ封印術式を解除して皆出られる。しかし、こういうのにはとんと運がないからねぇ、私には期待しないでおくれ」
これまでの苦労を考えると各々は散らばり、何か糸口はないかと調査を始める。しかしどれも同じ外観に一寸先は闇に閉ざされ大きな違いはない。ならば今一度【固有スキル・遊衛探水魚】
を発動させようとブライトは提案するが、スフィアの一声によりその手は止まった。
「皆様、出口はこちらになります」
「スフィア殿、何を根拠に??」
指さす出口に特別変わった印象もなく、皆の視線が集まる中ピクルだけはスフィアの指先に目を光らせる。そこからは細い糸が出口へと伸び、繋がるスフィアは穏やかに口を開く。
「私にも一つだけ固有スキルがありまして、名称は【千手歓談】。最後に触れた生き物の能力を借りることができます。これは先日、シキ様のお部屋にて巣作りをする小蜘蛛を捕まえた時のものでして、封印される直前に能力を発動させました。戦闘には向いておりませんが、こうして私を助け導いてくれる優しいスキルです」
「なるほどね、それで封印されても穴から出られると言った訳だ。」
なんともスフィアらしいスキルに疑う余地もなく、暗い出口に足を踏み入れる。そして螺旋階段を駆け上がり屋上へと到着をすると眼下には町並みが広がり、中央の魔法陣の上には外へと続く穴が一行を待ち受けている。ピクルは疲弊している者を先に送り出し、最後の一人になると鬼の形相となり拳を強く握りしめる。
溢れる怒気は大気を揺るがし、洗練された魔力は自身を焦がすほど熱く燃えたぎる。
「クソガキどもが、覚悟していな……」
刃を突き刺すように呟くとピクルは脱出を果たし、塔は稲妻が走るように亀裂が入ると崩壊を始める。その光景に語らう者はなく、役目を終えた空間は静かに無へと還るのであった。




