79.盾を壊す者。
翌日、朝食を終えるとお嬢様方は木漏れ日のなか訓練を開始する。スフィア指導のもと当面は組手はなしとし、加護を身体に留めておけるよう静かな時間が流れる。俺とギルスは威圧で漏れがないかを確認することとなるのだが、威圧を知らないギルスに俺はやり方を教える。そんなやり取りをしているとあっという間に正午を迎え、やる気を見せるお嬢様方に午後も付き合うのだろうと思うとグラードさんに声をかけられた。
「シキ様、書庫を利用したいと話しは伺っております。宜しければ午後からご利用下さい」
「え、いいんですか?でもお嬢様達の相手をしないと……」
「あの調子ではまだまだ時間がかかりそうですし、シキ様はご自分の為に時間をお使い下さい」
優しく笑みを返されると書庫室へと案内され、その本の多さに驚きを隠せず入り口で固まってしまう。ずらりと並ぶ本棚からは古い紙とインクの独特な匂いが鼻を刺激するも、妙に落ち着くその匂いに俺は本が好きなんだと改めて認識する。
日焼け防止の厚いカーテンをめくり、レースからは優しく日が差し込む。すると本たちは眠りから覚めるように背表紙の題名を輝かせ、手に取られることを心待ちにしているように見えた。
「これは先々代の当主が趣味で集めていた物でして、中には貴重な書籍もあります。どれも大事にされていたようで、王都の学者でさえここに来て読めと言うほどだったそうです。さらに書物を取り扱う前には手洗いをさせる程の徹底ぶりだったようですよ?」
「す、すごいですね……というか、俺なんかが触っても大丈夫なんですか?」
「専用の手袋をお渡ししますので御安心下さい。それに読み返してあげないとこの子達が可哀想ですよ」
グラードさんは手際良く数冊の本を手に取ると机の上に優しく並べる。魔物解体新書の旧巻と新巻に、初心者魔物図鑑に生態図鑑と様々であり一気に興味が惹かれる。
「今取り出した棚に数十年分の魔物図鑑があります。それとお時間がある様でしたら、奥の棚に『イージス家・開拓記』『アルディア伝記』もございますので宜しければぜひ……」
そう告げるとグラードさんは静かに退出する。しかし耳に残る『アルディア伝記』なるものが気になり棚まで移動をすると、そこには上から下まで魔王アルディアの書籍で埋め尽くされていた。恥ずかしいというか怖いというか、何とも言えぬ気持ちで見なかったことにしようと席に戻ると俺は用意してくれた本へと手伸ばす。
一人残された室内に壁時計から秒針の音、ゆったりと流れる時間にとても贅沢な空間なのだとページを捲っていく。挿絵の入っているものからビッシリと文字で解説しているもの、部位ごとの特徴に活動時間など様々であり自然と本へと惹き込まれる。そして何度か訪れるギルスとピースケが時計代わりになり、真新しいノートは開かれることなく日没を迎えた。
その日の夜、使用人達と会議を終えた部屋でグラードは二冊の本を取り出す。そして手を添えると本から二人の男が現れ、大柄の男は大きく伸びをすると椅子にどっかりと座り、フードを被った細身の男は警戒するように入口横の壁へと寄りかかる。
「おいおいフレッグ、そんなに心配すんなって!グラードが俺達を出したって事ァ、この場所は安全だってことだろ」
そう大声で呼びかけるとフレッグは睨みつけるように視線を向け、もっと声を落とせと対照的に小声で答える。
「そんなことは理解している。しかしこの屋敷には化物のような使用人がいるだろう?念には念をだ……」
「ガハハッ!勘づかれたなら殺せばいいし、必要なら流せばいい。ああ、ババアだから買い手はいねぇか」
威勢のいい笑いにため息混じりに首を振ると、フレッグは話しを進めようとグラードへ顎を突き付ける。
「さて、私が途方もない計画を打ち明けてから十年の月日が流れ、当初は笑う者も多かったがようやくこの日が来た……。ゴウルとは意見の食い違いで揉めた事を良く覚えているよ」
「そらそうだろうよ!俺らが名を上げるには奪えばいいものを、十年下準備をすると聞いた時には耳を疑ったからな!……しかし今となっては必要な時間だったと思うぜ。この十年があったからこそ俺はギルドランクB級に上がり、信頼を得て様々な情報が舞い込んできやがる。ただの脳筋だった俺に言い聞かせてやりたいぜ」
「ふ、お前は今でも脳筋だろ?それに素行が悪くてB-だ。しかしゴウルのおかげで生きた情報と仲間が増えたのは事実だ。そして悪党にこそ信頼関係は必要だ。時間があったからこそ俺は裏の流通で自由に動くことも出来たし、何よりこの一年で奴隷商との繋がりも持てた……」
「お前らのおかけで私もイージス家の信頼を得ることができ、今ではお嬢様専属の執事として必要な存在となった。まさか隣にいる者が誘拐を企てているとも知らずにな……」
グラードは鼻で笑うと優しい執事の面影は消え去り、鋭い眼差しを二人に向ける。それは研ぎ澄まされた牙を当てられる感覚であったが、それを目の当たりにした二人はあの頃のままだと笑みがこぼれる。
「そういや名家の野郎が二人いるんだったか。予定にはなかったがそいつらも流すのか?」
「いや、それは私の方で始末する。当初はヒルデ嬢だけであったが、おまけの令嬢たちと次期王女様もいるのだから十分すぎるだろう」
「欲はかくもんじゃねぇーってか!?まぁ五人も身分の高い人間を流したら、俺ら盗賊団の名は一気に知れ渡るだろうな。ガハハ、明日が楽しみだ」
「明日の夕刻に全てが決まる、我々シュルガット盗賊団の初仕事といこうじゃないか」
グラード達の陰謀は闇へと溶け込み、屋敷を覆うよう再び静かな夜が訪れた。その思想を打ち払うように朝日が夜を退けるも、いつもと変わらぬ言動のグラードに誰もが信頼の眼差しを送る。そして気温が一番高くなる時間帯に一つ目の計画が動き始めた。
まずは予定外の訪問である野郎二人から。初日に不完全な加護を使用する令嬢に手も足も出ない貴族様に、呑気に夏休みの研究だと書庫室にこもる優等生。どちらも名の高い生まれから、将来は国に仕える有望な人材。ならばそれに見合った舞台で絶望して最後を迎えさせてやろう。とまぁそんなものは建前であり、本音は私が造り上げた魔物をこの領地に解き放ってくれればいい。それだけでシュルガット盗賊団の宣伝になってくれるのだから。さて、書庫室に二人揃っていてくれるといいが……。
「失礼します。……シキ様にギルス様、やはりこちらにいらっしゃいましたか」
涼しい顔をし近寄ると挨拶もそこそこに一つの話しを持ちかける。鍛錬をしたい奴に魔物の勉強をしたい奴、二人にとって最高の案件だ。
「お二人ともせっかくイージス領にお越しくださったのですから少し冒険をしてみませんか?この屋敷から南東に見える山頂に一冊の本を用意しました。その本には私の友人が捕まえた特別な魔物が封印されております。鍛錬と知識を養えますし、気分転換にいかがでしょう?今から出発しても夕刻には戻ることもできますよ」
地図を取り出し経路を説明すると、二人は前のめりになり好奇心が溢れ出す。さながら宝の地図を見る子供のように声をあげ、疑うことなく死へと歩み出す。
それもそうだろう、格式ある名家の生まれに幼い頃から英雄譚やら騎士団の活躍を聞かされてきたのだ。自分もそうなりたいという願望と、自分は特別な存在だとイキる野郎を焚きつけるなど簡単な話しだ。
優しい声とは裏腹に心の中で嘲笑うと、意気揚々とする二人を見送り敷地内から出ていく所を確認する。そしてグラードは使用人にピクル達に緊急招集を伝えると、一足先に会議室へ入り心を落ち着かせた。
さて、ここからは神経を研ぎ澄まさなければならない。三勇士のピクルを筆頭に、エリーゼの加護を完全に会得しているスフィア。ハルバード家専属執事のハルムに、一筋縄ではいかない令嬢たちに仕える連中。真っ向から挑もうものなら、ピクル一人で制圧されてしまうだろう。だからこそ入念に準備はしてきた。
初日から会議を行っているこの部屋には防音結界が張り巡らされている。それは床に天井、四方の壁に組み込まれており貴族の屋敷であれば不思議なことではない。だがこの刻印を組み換え再構築することにより、一つの封印術式を生み出すことが出来る。手動でやろうものなら数日、自動構築術式など使おうものなら警戒され瞬時に取り押さえられるだろう。
だが私は違う。私には生まれもって与えられたスキル【融合】がある。いかなる物質も思いのままに組み合わせ、それは生物とて例外ではない。欠点があるとするならば対象物に触れなければならないことであるが、瞬きに満たない速度に反応できる者などそう多くはない。しかし相手は経験豊富な人物であり、融合の速度でさえ紅茶にミルクを混ぜる行為に等しいのかもしれない。
それは考えすぎだと言い切れぬピクルの存在感、本当に化け物だな……。
背筋に冷たいものが走るが、グラードはそれすら楽しむように狡猾な笑みを浮かべる。そして本に融合解除を施すとゴウルとフレッグを出現させ、二人はグラードの両脇に立ち並ぶと姿勢を正す。互いに目を合わせることもなく正面を向き、静かに扉が開かれるのを待つ。
「グラード!緊急招集とは一体何事だいっ!」
勢いよく開かれた先からはピクルの声とともに標的である執事達が連なり、部外者であるゴウル達を見定めるように視線を送る。
「皆様、急なお呼び立てに驚かれるのも無理はありません。こちらはギルドランクB級のゴウルに、冒険者のフレッグと申します。そしてイージス領にて起こる人攫いの件について有力な情報を持ってまいりました。ですが、まずはご着席を……」
自然に両手を机に乗せるとピクル達に着席を促し合図をするように頷く。それを機にゴウルは一礼をすると難しそうな顔で言葉を発する。
「あー、皆さん。自分はイージス領ギルドに所属するゴウルと申しますです。……近年増加する人攫いの件ですが、それは俺達の仕業でございます!」
耳を疑いたくなる発言に、冗談ではないと確信を得るふざけた笑み。ピクルは即座に目の前の机を上へと蹴りあげると、爆薬に着火するが如くその下を潜るように瞬時に距離を詰める。さらには隣に居たスフィアとハルムも後に続くのだが、その拳はゴウルの顔面直前にてピタリと止まる。
「歳はとりたくないもんだね……」
引き付け役のゴウルの発言の最中、グラードの融合が四方八方の刻印を床へと集結させ一瞬で封印術式が構築されると、ピクル達を光の鎖が拘束する。
「ガハハ!残念だったなぁー!後四十年も若けりゃ拳も届いただろうに」
「馬鹿言うんじゃないよ、あと一年若けりゃ余裕だったさ」
この状況下にてピクルは闘争心尽きず、煽り笑うゴウルを目に焼き付けるとそのまま魔法陣の中へ使用人達と消えて行く。そして散乱した部屋に煌々と光る魔法陣を前にグラードは軽く息を着き、フレッグはバッグから香炉を取り出すと廊下へと歩き出す。
「俺がいいと言うまで部屋から出るなよ?一息でも吸ったら即眠りに落ちるからな……」
何事も無かったように冷静に告げると特殊なマスクを装着し、パタリと扉を閉め一人香炉に火を灯す。そして立ち上る紫煙を操るよう風魔法を使用すると屋敷内に送り出す。
見据える先から人の気配は感じられず物静かな空間が広がり、フレッグは片手の懐中時計を見つつ慎重に事を進めていく。
「おいフレッグまだかよ!?もう10分はたったぞ」
「……お前は馬鹿なのか?まだいいとも言っていないし、時間は9分38秒だ」
「ガハハ!そんな脳筋の為に魔香除去も完璧にやってのけたんだろう?だがもう十分だ、感謝するぜぇ〜」
「万が一にもないが、残り香を吸って爆睡などしたら置いて行くぞ……。お前の尻拭いは懲り懲りだ」
呆れるフレッグは気を取り直し、グラードを先頭に廊下を走り出す。駆け抜ける足元には同僚が横たわるも気にも止めなかったが、廊下を走るという行為に居心地の悪さを感じる。しかしそんな気持ちも押し寄せる高揚感に掻き消されると、三人は息を切らせることなく目的の部屋へと到着する。
「おい待て……中から声が聞こえんぞ。フレッグ、お前やらかしたな?」
「そんな訳があるか……あの魔香は大型の魔物ですら眠りに落ちる代物だぞ。それに俺は馬鹿じゃないんだ、仕事は責任を持ってこなしている」
二人の言い合いに心当たりがあるとグラードはゆっくり扉を開ける。そこには弱々しくも懸命に声をかけるヒルデの姿と、主を護ろうとするイージスの盾が宙に浮いていた。その光景に脈を打つものを感じ身体が硬直すると、ヒルデはグラードの存在に気が付き安堵の声をかける。
「あぁ、グラード無事でしたのね……よかった。突然みな眠りに落ちてしまい、助けを呼んでも誰も来ないのです……一体何が起きたのか……」
「何が起きたってそりゃ俺達の仕業だからなぁ。しかしどーすんだ、流石の俺でもこの盾を壊せる気がしねーんだが……」
「だ、誰ですか貴方は……、それに俺達の仕業とはどういう事なのです?!グラード、お答えなさい!!」
ヒルデは今にも心が折れてしまいそうな気持ちを奮い立たせると、睡魔が押し寄せるなか警戒を強め前方へと盾を向ける。しかしそんなものはお構いなしにとグラードは歩を進め、ゆっくりとしゃがみこむと微笑み平手打ちをする。部屋には乾いた音が響き、静寂とともにイージスの盾は消えていった。
「お嬢様……いや、ヒルデ。私はね、貴方を攫うことを目的として仕えていたのですよ。さぁ、次に目を覚ました時は奴隷としての人生が始まります。それまでおやすみなさい……」
信じたくもない出来事に顔を向けることも出来ず、ヒルデは震え一筋の涙を流すと身を委ねるように眠り へと落ちていく。
「ゴウル、何をぼさっと立っているんだ。早く令嬢達を玄関先まで運べ」
「お、おう。にしてもあんな魔力も込めていない平手打ちで突破出来るもんなんだな……」
「その為の十年だ……」
グラードは二人に指示を出すと風を切るように厩舎へと向かい、ゴウルは令嬢達を玄関先へと移動させると通信用魔導具と回復ポーションを壊してまわる。フレッグは敷地外に待機していた仲間数名を手引きし厩舎へと向かわせると、傾き始める日と時計を何度も見ては不備がないか思考を巡らせる。
「おいフレッグ、言われた通り壊してまわってきたぞ。……しっかしただ壊すってのはどうも性にあわねぇなぁ。あの婆さんとなら楽しめたと思うんだがな……」
「これからは追われる立場になるんだ……その時は好きなだけ暴れられる。さて、グラードの準備も整ったようだな」
「おいおい、こんなボロ馬車で移動するってのか!?」
目の前に用意された3台の馬車はお世辞にも整備されているとは言えず、手入れどころか野ざらしにされていたような風貌である。この先山中を移動する事を考えると、後先考えぬゴウルもさすがに心配の声を漏らす。
「安心しろ、この馬車は特別製だ。緊急移動用の高性能魔導馬車を融合させてある。とはいえ希少な1台を三等分したゆえに速度はそれ程出るわけではない。しかし見た目以上に丈夫であり、何より地上20m上空を飛行することが可能だ。山中など走る必要はない」
「ガハハ!なんだそりゃすげぇな!!」
「よし最終確認だ。グラードは北西に位置する不可侵領域隣接の廃村へ、ゴウルは北東ハルバード領境界線へ、俺は南西の川岸の小屋へ向かう。指定された場所に奴隷商仲介人が来るはずだ。いいか、間違っても時間に遅れるな。この生業はいかなる時間の遅れも許されない、俺の十年を無駄にしてくれるなよ」
その言葉を合図にグラードは火球を厩舎へと放ち、シュルガット盗賊団幕開けの狼煙を上げる。そして手網を打つとゆっくりと馬は駆け出し、そのまま浮上すると湖を渡り屋敷を後にした。風を切り流れる景色に立ち塞がる物はなく、また暴虐の意志を引き止める者もいない。そして無情に立ち上る黒煙に振り返ることもなく、グラード達は姿を消したのであった。




