77.純潔・戦女神。
王都を出発してから五時間、イージス領へ入ると馬車へと乗り継ぎ山中を走る。均らされた地面に揺れも少なく、強い日差しは樹木たちによって木漏れ日を作り出している。さらに左手には湖畔が広がり、より一層の清涼感が夏の暑さを忘れさせてくれていた。
そうなると心地良さから睡魔が押し寄せてくる。道中魔物と出くわす事も考えたが、さすがはロンドアーク最西端を任されるイージス領と言ったところか。
防衛に特化した一族が治めるこの地はとても穏やかで、人里離れたこの避暑地ですら魔物の存在は感じられない。同乗しているギルスも眠りこけ、ピースケに至っては大の字になって寝息を立てている。俺はあくびをし外へ目を向けると、目的の屋敷が見え始める。深緑広がる森の中に赤茶色の屋根、焦茶色の柱に白い壁が景観損ねることなく存在している。その調和する屋敷は次第に近づき、馬車は門先を潜り庭園を抜けると数十名もの使用人達に出迎えられる。
「ようこそおいで下さいました。私、当屋敷を管理するグラード・リングスと申します。長旅でお疲れでしょう、どうぞ屋敷にておくつろぎ下さい。お嬢様もお待ちでいらっしゃいます」
そう通る声で挨拶をすると俺達はラウンジへと通され、扉を開くと紅茶のいい香りが部屋を満たし、四人の女性がこちらに顔を向ける。
「御機嫌ようシャル。そちらのお二人が貴女の仰っていたお方ですか?」
口に付けようとしたティーカップを優しくソーサーへ置くと立ち上がり、紫色のドレスを軽く持ち上げ鮮やかな青紫の髪は静かに下がる。
「初めまして、私はヒルデ・イージス。シャルと同じ聖エリーゼ女学院に在学しておりまして、第二席にございますわ。この度は急なお誘いにも関わらず、遠方の地までようこそおいで下さいました」
汐らしい一輪の花を連想させる所作に続いて、他の令嬢と思われる女性達も会釈をする。本当に同い年なのかと思う口調と振る舞いに、貴族とはこういうもので俺とは住む世界が違いすぎると改めて意識する。
「同じく聖エリーゼ女学院第三席、リディア・オルトゥワでございます。厳しい家柄なのですが、本日から羽を伸ばさせいただきますわ」
「第四席、ティーラ・シュベルトです。学院には男性がいないので、この機会は良い勉強になると思っています。どうぞよろしく」
「……あの、第五席ローゼ・ヴァイスと申します。き、緊張しておりますが……よろしく……です」
オルトゥワ貿易にシュベルト魔鋼宝石商、ヴァイス織物工房と国外にも名を響かせる名家の令嬢が立ち並ぶ。皆一様に高貴なドレスを身にまとっているが、それすらも引き立て役にしか見えないほどに美しさを兼ね備えていた。
「いえ、本日はお招き頂き誠に感謝しています。私はバレンシア学院第七騎ギルス・ハルバード、シャルロッテ様よりお話は伺っております。貴女方のご期待に応えられるよう、精一杯頑張らせていただきます!」
「……えっと、第八騎シキ・グランファニアです。あとこっちのは妖精の」
「ピースケでっっっす!!!皆んなよろしくぅーーっ!」
「まぁ、妖精だなんて珍しいですわね。三勇士のお孫様に、ハルバード家の御方に会えるだなんてとても嬉しいですわ」
ヒルデは嬉しそうに答えると、挨拶も早々に着替えてまいりますと女性陣を連れて退出していく。去り際にシャルの目が怪しげにこちらを見ていたが、俺は黙って見送った。
長距離移動よりもこの空気感にどっと疲れが押し寄せ、出された紅茶を一口飲むと背もたれに身を委ねる。
「あー、慣れねぇ。そういやハルバード家とイージス家って、どっちが名家なんだ?」
「貴族に上も下もない。与えられた領地を守る事に誇りを持っているからな。そんな質問は無粋だぞ?それからシキはこういったのに疎そうだから、間違っても彼女達を呼び捨てで呼んだりするなよ?」
「えぇ……シャルはいいのに?」
「シャルロッテ様は気心知れた仲なんだろう?そこはとやかく言うつもりはないが、初対面の令嬢が相手だからな。紳士たるもの礼儀は常に心に留めておかないと。……シキは批判されてもいいかもしれないが、オルフェス様に迷惑がかかることになるぞ?」
「それは困る……。たしかに自分さえ良ければいい考えじゃあダメだな!俺も身の振りには気をつけるようにするわ」
その後も俺らしかいない部屋でギルスは崩れることなく姿勢を正し、いくつかの注意点などを教えて貰う。すでに頭は容量を超えそうなのだが、じいちゃんの事を考えると自然と話を受け入れようとする自分がいる。それと同時に自由研究の為に書庫を見せてくれとは言いづらくなってしまった。まぁ滞在期間はまだある訳だし、今は出過ぎた行動は控えようと思うとヒルデ達が戻ってきた。が、俺はその姿に声なく静観する。
純白の胸当てに動きやすそうな足回り、腰には純銀のレイピアが下がっている。もう間もなく夕食時だというのに、明らかに食事をする格好ではない……。
「お夕食まで少々時間もあることですし、お疲れとは存じますが是非私共の相手をお願い致しますわ!」
「かしこまりました!」
気前よくギルスは返事をするとヒルデ達をエスコートする。俺はどう動けば正解なのかわからず、少し遅れて立ち上がるとシャルに背中を押され急かされる。
「さぁさぁ、早く行きましょう」
オモチャを手に入れたようにはしゃぐシャルではあったが、俺は変わらず接してくれてありがたいと思いつつ裏庭へと移動するのであった。
一方スフィア達使用人は防音結界が仕込まれた会議室へと通される。もてなしの紅茶の変わりに書類が机には置かれており、令嬢達使用人を含め六名が席へと着く。それを確認するとグラードは一礼し話を進める。
「紅茶の一つでも出したいのは山々なのですが、現状把握及び情報共有を優先させていただきます。改めまして私、当屋敷を統括するグラード・リングスと申します。クレイドゥル機関所属、六等級となります」
そう挨拶を済ませると左端から順に使用人達は立ち上がり、必要最低限の挨拶を済ませていく。そして書類へと目を通すと屋敷内の見取り図に敷地内の防犯設備、さらには食糧調達の経路に原産地と事細かに記載されていた。その中にはこの屋敷で働く全ての使用人の履歴も書かれており、数日滞在するスフィアの履歴も例外ではなかった。一般人から見れば過剰なまでの内容であるが、室内にいる者は当然のように目を通すとグラードへと視線を戻す。
「皆様方もご存知、イージス領は不可侵領域と隣接しており、第一防衛線として奮闘しております。魔物に魔族とそれは大した問題ではございません。今注目すべきは国内にて起こる、人攫いの件についてでございます。……もっとも、そのような輩に主を危険に晒すことは万一にもございません。しかし噂話が広がりを見せるようこの一年で事件は急増し、それを手引きする組織クローバー盗賊団の名が耳に入ってきております」
その言葉に室内はピシリと音を立てるように空気が変わる。
クローバー盗賊団。神出鬼没に現れるその者達の情報は少なく、人数も拠点も憶測の域を出ない。唯一わかっていることは個々の戦力が異常に高く、騎士団小隊を一人で壊滅させるほどの力を持つこと。そしてその先には誰もが恐れる奴隷商の存在が囁かれていた。それを考慮すれば最悪の事態も想定し、些細な綻びさえ見落とすことなく立ち回らなければならないと誰もが気を引き締める。
「グラード、あんたから見て今この領地にクローバー盗賊団は潜伏していると思うかい?」
「それは……ないとは言いきれません。今年に入りイージス領内での行方不明者は137名にも及んでいます。勿論この避暑地の情報は厳重に管理しています。しかし絶対と言いきれない時点で、私共は最善の行動をしなければならないと考えております」
「ふ、そりゃそうだわね。進行に水を差して悪かった、どうも歳をとると結論ばかりを求めちまう。まぁ立ち塞がる輩は全員ぶちのめすだけだけどね……」
その後人攫いの件を軸に話は進められ滞在期間の日程を確認すると、使用人達は書類を全て記憶し外部漏洩を防ぐ為に暖炉で燃やす。そして顔合わせと情報共有を済ませると各々の客室へと案内され、スフィアはシキの荷物を整理し始める。それと同時に行き届いた清掃と客人を持て成す部屋の空気感に、スフィアは勉強になると目を光らせていた。とはいえ主であるシキの部屋に長く居座る訳にもいかず、内装を確認すると静かに部屋を出る。
「ああ、スフィアちょうど良かった。今から私とハルムは敷地内の設備を確認しに行ってくる。アンタは裏庭にいるあの子達の面倒を見てやっておくれ」
ピクルはそう促し、隣りにいるハルバード家専属使用人のハルムはニコリと微笑むと二人はその場を後にした。スフィアは深く一礼すると裏庭へと足を運ぶ。そして扉を開いた先ではギルスが綺麗に宙を舞い地面へと叩きつけられ、赤紫色の闘気を纏った令嬢三人の剣先が首元に突き付けられていた。
「こ、降参です……参りました」
両手を上げ驚くギルスに第四席ティーラは手を差し出し、起き上がり土埃を払うとギルスは三人に賞賛の声をかける。スフィアは小走りでシキの元へ駆け寄ると、ギルスを心配するように顔を覗かせていた。
「あ、スフィア。あれがシャルの言っていた得た力なんだな」
「はい、聖エリーゼ女学院にて修道に励み、純潔・戦女神エリーゼ様の加護を与えられた者の力にございます」
「ヤバすぎだろアレ……。魔力を媒介して祈りを捧げた途端、魔力強化してるギルスが赤子同然だったぞ……。しかも魔力消費も大してないみたいだし、燃費良すぎだろ……」
「シキ様の仰る通り、少量の魔力と祈りで爆発的な力を得る事が出来ます。誰もが扱える訳ではございませんが、これはお優しいエリーゼ様が力無き女性を思っての加護だと聞いております」
「お優しい……ねぇ」
純潔・戦女神エリーゼ。数百年も昔小さな農村で生まれ育ち、弱き民を導き生涯純潔を貫き通した女性である。死後も信仰を捧げられ、人から神へと昇華した存在。
そして俺は知っている。クソ熱い性格で考えるよりも先に手が出るような奴であり、それでいて面倒見がよく周りからも慕われていた。悪は絶対に許さない男勝りな性格であったが、それもそのはず……アイツは転生者で魂は男だ。ゆえに生涯純潔だった訳だが、恐らく話の内容は美化されているのだろう。時の流れとは恐ろしいものだ。
俺は泡が弾けるように鮮明な記憶が蘇ると常に眉間にシワを寄せ、赤い髪を独特な髪型にし高らかに笑うエリーゼを思い出す。それにしてもこの加護は強力過ぎるだろう……。
真っ先に実験台にされたギルスに同情し苦笑いすると、スフィアに気がついたヒルデが歩み寄って来る。
「あ、あの……もしやと思うのですが、スフィア・パーティム様でいらっしゃいますか??」
それは使用人相手にかける言葉とは違い、尊敬と緊張が伺える期待に満ちた女の子の声であった。それに対しスフィアは礼儀正しく答えると、瞬く間に令嬢達に取り囲まれ黄色い声が湧き上がる。
「学院でスフィア様の事を知りまして、お会いすることができて光栄ですっっ!!あ、あの失礼でなければお姉様とお呼びしても宜しいでしょうか!!?」
「ちょ、ちょっとティーラ!一人だけズルいですわ!!リディアだってそうお呼びしたいのですッッ!」
「あ、あの……二人とも、そんなに詰め寄ったらスフィアお姉様にご迷惑が……」
「あーー!ローゼったら、何をさりげなくお姉様とお呼びになってらっしゃいますの!!」
三人は嬉しさあまり身体を押し付け合い、それを分けるようにヒルデは間に入り咳払いを一つする。そして突然の出来事に目を丸くしているスフィアの前に立つと、視線を落とし申し訳なさそうに尋ねる。
「あの……私達は本当にスフィア様に憧れておりまして、もしよろしければ親しみを込めてお姉様とお呼びしたいのですが……如何でしょうか?」
溢れる気持ちに従順な彼女たちに、スフィアは学院時代を思い返す。色褪せることない煌びやかなあの日々はいつでも優しい気持ちにさせ、スフィアの表情を柔らかくする。
「お嬢様方のその御気持ち大変嬉しく思います。そうですね……不都合なければ気兼ねなくお呼びください。あ、でも私は一介の使用人ということも忘れないでくださいね」
全てを包み込む優しい笑顔に一同は羽が舞い上がるように喜ぶと、再び黄色い声が裏庭へと響き渡るのであった。




