71.大義名分。
右も、左も……前後を見ても、密林が広がる。自分が降りて来た上を見上げるも樹木が生い茂り、青空がチラチラと見える程度である。呼吸をするように植物と土の匂いが強く、聞いたことのない鳥の声が遠くから聞こえた。
「何これーーーーーっ!!葉っぱの色がめちゃくちゃ濃いし、今の鳴き声は何の鳥よっ!!」
そう声をあげたのはリズ・セレイアであった。時間の無駄だと思っていた旅行に無気力になっていたが、突然大空へ落とされ見知らぬ土地に興奮する。愛用の眼鏡を拭き目を見開いて辺りを見回していると、時計からドワルド先生の声が聞こえてきた。
『さて全生徒が無事上陸を果たした訳だが、装着されている時計の黄色いボタンを押して貰いたい。必要事項はそれで確認するように!それでは各自自由行動へと入ってくれ』
その言葉にリズは従い、煽られるような事項を確認すると口元が緩みだす。
「ちょっとちょっと!こんな素敵なサプライズがあるなら、最初から言って欲しいものよね!しかしこれは、冒険の予感しかしないわっ!!」
何もないこの状況に好奇心と夢が重なり、リズは行動を開始しようと思考する。落下の最中冷静に状況を分析していたリズは、誰がどの方角に落ちたのかを覚えていた。そして足場に固定陣を作り上げ、腰にまで到達していた草むらから勢いよく離脱すると木の幹へ移動し、固定陣を作りまた木へと移動を繰り返す。
「はっはっはーー!楽しいぃーーっ!」
無邪気な声が密林に響き、突然の来訪者に鳥達は羽ばたき逃げる。そんな事などお構い無しにと、リズは思う存分直進すると足を踏み外し草の上へと転がり落ちる。
「ぬはっ!調子に乗りすぎた」
笑いながら起き上がると森を抜けたことを確認し、受け取っていたバッグを広げて見る。中には携帯食糧とナイフ、そしてこの蒸し暑い環境で不向きなマントが目に入る。リズはマントを広げタグを探しだすと、そこには少し引っ掛け問題のように【防虫対策】と表記されていた。
これは密林に生息する魔ダニ対策なのであろう。痛みもなく刺され3日程潜伏した後に高熱を発症し、最悪の場合死に至ることもある。それはこの三ヶ月間学んだことの一つであり、その他にも水のある場所だとか食糧調達なども学んだ。そして飛空艇から落とされた事も前もって授業で学んでいる。あの高さから落ちたら死は免れないだろう……。しかし地面到達まで数十秒も時間がある事を考えると、大したことではないと思った。
「なんか……この日の為に仕込まれていたとしたら、急に難易度が低くなった気がする」
そうリズは不満を漏らしながら自身に魔力探知をかける。左手に赤の斑点が薄らと出来始め、うなじにも同じ違和感を感じる。
「ふ、魔ダニめ……」
冷めた視線を送り魔力圧を押し当てると、皮膚から米粒以下の虫が飛び出てくるのが見える。それを容赦なく殺すとマントを羽織り、腕組みをして今後の予定を立てる。
私がこの方角に来たのはちゃんとした理由がある。それは他の生徒達と鉢合わせないようにするためだ。特にシキと合流しようものなら野外活動と変わらず、一人での探索が台無しになってしまう。私は一人で楽しみたいし、どこまで通用するのか実感したい。そう思うとリズは、シキならこの状況で何をするのか考える。
「水源の確保、食糧の調達……いや寝床……。んん〜どれも速攻で見つけていそうだし、シキなら直前でも問題なく探し当てそう……。だとしたら……調味料?私なら塩が欲しい……。よし、今日はこの辺りを散策して、明日海に行こう」
そう予定を立てると、リズは風通りの良さそうな林へと足を運ぶ。魔力感知を使用し目視と聴覚も研ぎ澄ませゆっくりと進んでいくと、黄色い実をつけた木を発見した。
「おお!あれはクウェンの実、それから薬草も発見!!いや、アンタ毒草ね!!甘い甘い、私を騙そうったってそうはいかないわよっ!ふしし」
嬉しさと冒険をしている感覚が相まって、リズは一人喋り続ける。その後、食用キノコや果実を袋に集めると日陰へと腰を下ろし、夜に備えて焚き火の準備を始める。ついでに木材でコップを作ったのだが、取っ手が大きくなり不格好な形に苦笑する。蕗の葉によく似たスウィローの茎はリズの腕ほど太さがあり、葉っぱは雨傘にでもなりそうな程に大きい。それを切断するとろ過された綺麗な水が溢れ、それをコップに溜めるとリズは一気に飲み干した。楽しさのあまり鈍感になっていた疲労がドっと押し寄せてくるが、その疲れは心地よく今日はここまでと夜を迎えた。
焚き火の音は優しく、揺らめく炎が気持ちを落ち着かせる。火の粉が舞い上がり夜空に消えると、星になったように満天の星が現れた。
ほんの少し肌寒さを感じると、リズはフードを被り岩に寄りかかる。天然のソファは固いなと思いつつ、明日は何をしようと思いを馳せる。相変わらず暗闇からは得体の知れない鳴き声が聴こえてくるが、リズは怯えることなく睡魔に身を委ねた。その日は成長した自分とウッドガル達と冒険に出る夢を見た。楽しくて楽しくて笑いが込み上げてくるが、目を覚ますとどんな夢だったのかは覚えていなかった。ただ最後にまたねと声をかけ、それに対してウッドガル達は笑っていたように思える。
焚き火はすっかり消えており、辺りは薄らと明るくなっていた。カチコチに固まった身体をグッと伸ばし、荷物をまとめるとその場を後にする。まだ5時前であったが、日中の暑さを考えると涼しい時間帯に行動しようと自然と体が動く。
「よぉーし!疲れも残ってないし、体調も万全っ!お腹すいたー」
海を目指すべく道無き道を進み、道中果実を見つけては口にする。どれも市販されているものよりも小ぶりで、種が多く酸味が強い。甘味など皆無でお腹の足しにもならないが、リズはその味を楽しみながら海へと到着する。すっかり太陽も昇りジワジワと暑さが増してくるが、静かに広がる大海に穏やかな気持ちとちっぽけな自分を感じる。ふと砂浜に視線を向けると誰がが走ったような後があり、それを辿ると石で組み上げたかまどが作られていた。自分が一番乗りでなかったのは残念であったが、リズはそのかまどをありがたく使わせてもらうことにする。浅瀬で渦巻き貝を取り、氷結魔法で上手いこと魚を取るとそれを昼食にする。
ミネラ先輩に学んでいた事もあり、魚のはらわたをすんなり取り出すと海水で身を洗う。そして上手に削った枝を突き刺すと、炭火でじっくりと焼き上げる。渦巻き貝は炭火の上に置くとグツグツと煮え始め、その姿に食欲が掻き立てられた。
「うはぁ……美味しそう。どれどれ、いただきまっす!」
殻から綺麗に身を取り出し、口の中に入れた瞬間磯の香りが鼻から抜ける。そして貝の旨味と食感が口内を支配し、程よい塩気が食欲を増進させる。
「うまーーーっ!身もぷりっぷりで最高じゃないっ!はぁ、幸せすぎるぅ……」
あまりの美味しさに2個3個と平らげると、両面しっかりと焼きあがった魚へと手をつける。やはりその美味しさを前に口角は緩みっぱなしであった。
昼食を終え何をする訳でもなく、ぼーっと海を眺める。自由な時間を満喫しこの学院行事は最高だと思っていたのだが、1つ腑に落ちない点がある。それは魔物に遭遇していないということだ。
島に上陸しいつ戦闘が起きても問題ないよう魔力感知と神経を張り巡らしていたのだが、野獣や小動物の気配は感じても魔物の気配はない。だからこそ昨夜はぐっすりと熟睡出来たわけなのだが、リズにとっては不服で仕方がなかった。
ならば島の中央に移動をしてみようかと思いはしたが、他の生徒を含みシキ達と遭遇する可能性が高いことから明日でいいと即決する。なぜなら七日目の課題に指定されたポイントへ移動しなくてはならないからだ。その場所がどこなのか分からない以上、極力中央へ移動しておくことが最善だからである。
その日の夜はさざ波を聴きながらゆっくりとした時間を過ごし、体力温存の為に早めに就寝する。やはり魔物の気配はなく、朝まで完全熟睡を決めると元気よく島の中央へと移動を開始する。
行く手を阻む密林を避け、河原沿いに歩を進めると思いのほか距離を稼ぐことが出来た。川魚を取り腹ごしらえをし、無駄に小石を川に投げたりなんかもしてみる。特に緊張感もなく景色を楽しんでいると、上流から人の気配を感じ取る。
3日目の昼過ぎ案外早く出会ってしまったと思いつつ、素通りする訳にもいかないので挨拶だけでもと近寄る。しかしそこには苦しそうに横たわる4名と、それを静かに見守るリッド・フォメットが静観していた。
「これはこれはリズ嬢ではありませんか。どうも、こんにちは」
「こんにちは……って、一体どうしたの!?」
「いやね、僕も足止めくらって迷惑しているんだ。彼らパーティーを組んでたみたいなんだけど、全員共倒れってヤツだね」
荒い呼吸に発熱している症状を前に何を呑気な事をと思い、すぐさま魔力探知で症状を観る。すると至る箇所に赤い斑点が確認された。
「これは……魔ダニ。貴方達、適切な処置もせずに放置していたのっ!!?」
呼びかけるも高熱にうなされ、この蒸し暑い中で寒い寒いと連呼している。すぐに手当をしなくてはならないのに、この男は何を黙って見ているの!!そう怒りが押し寄せてくるが、リッドは動くことなく口を開いた。
「あー、言っておくがコイツら平民の魔ダニは、貴族である僕が除去してやったぞ?魔力圧を押し当てるだけだからな」
「だったら次に解毒魔法を使用しなさいよっ!まだ体内に毒が残されているんだから、適切な――」
「あのなぁ、僕は攻撃専門なんだよ。それについ先日の授業でも魔ダニの対処は習ったはずだろ?それを実行しなかったコイツらに非がある訳で、たまたま通りかかった攻撃専門の僕に非はないだろ?」
ヤバい、言い方が凄く頭にくる。涼しい顔したコイツに、氷結魔法のいっぱつでもぶち込んでやりたい!!でも今はそんな事よりも、彼らの解毒を優先させないと。
淡い光を放ち、一人一人丁寧に解毒魔法を使用していく。毒も消え去り次第に顔色も落ち着いてくると、意識もしっかりとし始めた。
「あ……俺は、一体……」
「貴方達、魔ダニにやられて倒れたのよ?一応処置はしたけど体力の低下が見られるから、まだ安静にしていなさい」
「そう……か。ありがとう……」
ホッと一息をつくと再度怒りが込み上げてくる。解毒魔法は中等部で習う魔法であるが、それが使えないことに怒っているのではない。魔法にも向き不向きがあるのは分かっている。それでも涼しい顔して静観していることに、文句のひとつを言ってやりたいとリッドを睨みつける。
「なんだよ?僕がただ静観していただけだと思っているのなら、それは誤解だぞ。確かに僕は解毒魔法を使えない、だから魔ダニを除去した後コイツらの時計で棄権ボタンを押したんだ。ところが反応すらしなかった」
「え、壊れているの?」
「いや、違うな。この時計は高性能の魔導具だ、簡単に壊れるような代物じゃない。恐らく本人でなければ作動しないようになっているんじゃないか?」
「お、おい……リッド。お前、何を勝手なことしようとしたんだ……。俺達は棄権なんかしないぞっ!」
リッドの発言に震えながら身体を起こすが、その口調に活力はない。むしろリッドの行おうとした事は彼らを思っての事であり、それは最善の選択だったと言えよう。そして残りの日数を考えると無理をせず、この時点で棄権をした方がよいのは明白であった。
「なぜそんなに棄権をする事を拒む。疲労困憊に体力低下、さらにこの3日間で精神的にも参っているはずだろう?」
「そ、それは……」
「……フン。大方一番最初の棄権者になりたくない、恥をかきたくないといったくだらない理由だろ」
いやいや、さすがにこの状況でそんな理由ではないと思ったが生徒達は黙り、誰一人として目を合わせてはくれない。
嘘でしょ……自分の力量も踏まえず、そんなことで棄権を躊躇しているの??下手をしたら命にだって関わることなのに……。
リズは開いた口が塞がらず呆気にとられていると、リッドは躊躇することなく赤ボタンを押し自ら棄権を宣言する。
『体力、及び精神面に疲労は感知されません。それでも棄権しますか?』
「あー、構わない。リッド・フォメット棄権を宣言する」
『了解しました。それでは指定の位置を送りますので、速やかに移動をお願いします。お疲れ様でした』
「え、ちょっと何を!?」
「見ての通りだ、僕は一番乗りで棄権する。これでお前らが棄権を拒む理由もなくなったな。それより聞いたか?この時計で心身面は教員に筒抜けだ。つまり本当に死に直面した場合、救助隊が駆けつけるだろう。だがな、つまらないプライドで棄権しない事は、己の力量を判断できぬ愚か者だ!」
その一言に4人は返す言葉もなく、反省した顔で棄権をする。すると黒装束を纏った救助隊が現れ、疲弊した生徒達に緑色のポーションを飲ませると背中に担ぎこの場を後にした。
「さて、僕も行くとしよう……」
「貴方、悔しくはないのっ!?こんな形で棄権してしまうなんて……」
「悔しいに決まっているだろ。模擬戦では力量もわきまえず気絶し、クランツ様からは護衛を解約され、さらには行きの船内で一喝されたんだぞ?……だが自分でも何であんな事を言ったのか、この島に滞在してよくわかったよ。僕は甘えていたんだってね……」
「貴方……」
「なんてな、今のは建前だ。本当はこんな島での生活が嫌で嫌で仕方がないんだ。食事に寝床、何よりこの汗臭さが苛立つ。だからアイツらを利用して大義名分の元、僕は棄権することに決めたんだ。それよりリズ嬢は楽しそうだな?」
「えぇ、私はこの状況を楽しんでいるわ!」
「それは何よりだ……しかし僕には到底理解できないよ、じゃあな」
リッドは振り返ることなく歩み始め、草木を分けるとその姿を消した。悪態こそついたものの、リッドの行動によって時計からは棄権者の情報が次々と流れ始める。
「……どっちも本音のクセして」
ボソリと呟くとリズは上流を目指して走り出す。しかし先程の黒装束の部隊を思い出すと、震えが止まらず足が止まる。
あの四人の生徒達を気遣って近場に待機していたのだろう。しかしそれは気配もなく魔力感知にも引っ掛からず、自分達を監視していたということだ。恐らく魔力感知ギリギリを見極め、さらに他の生物にも悟られることなく行動をしていたに違いない。それを裏付ける様に彼らが去っていた森からは鳥が飛び立つ騒がしさも、警戒して息を潜め静まり返る様子もなかった。
「あー私……はしゃぎ過ぎたかしら……」
自身との戦闘力差はもちろん、まだまだ学ぶ事が山のようにあると思うとリズは武者震いする。それは自分がもっと成長できることだと思うと、これから先が楽しみで仕方がなかった。リズは少しの恐怖を糧にし喜びへと意識を変えると、仲間がいるであろう島の中央をまた目指すのであった。




