70.サバイバル・バカンス。
午前9時過ぎ、一学年生徒を乗せた飛空艇は予定通り王都を出発する。いつも見上げていた雲を見下ろし、広がる青空と地平線の広大さに生徒達の興奮は治まらない。それは海上へと移った後も変わることなく、船内は喋り声で溢れ返っていた。
かくいう俺も同じようなもので、通常なら一時限目最中であろうこの時間にいつもと違う雰囲気がたまらなく楽しい。
飛空艇1機につき2クラス50名が搭乗しているのだがそれでも席は有り余り、窓側席は入れ替わりで景色を堪能する者達で賑わっていた。そんな中、空の世界を楽しんだアカリが嬉しそうに隣の席へと腰を下ろす。
「ねぇ、シキ君は見に行かなくていいの?鳥になった気分で、すっごい絶景だったよ!」
「あー、俺はいいや。その……高い所が苦手で」
と言うしかなかった。見慣れているだなんて言える訳もないし、何より楽しんでいるアカリに水を差すことになる。それに他人に操縦桿を握らせる怖さはなくもないので、決して嘘ではない。そんな曖昧な発言をすると、ジャンとロンも同じ様に席に着く。
「はぁぁ、飛空艇って本当に素晴らしい……。帰りもまた乗れるかと思うと、楽しみで仕方がないよ」
「ロンは昔から飛空艇に憧れてたからなぁ……。まぁ俺は一週間家から離れられるから嬉しいわ!最近何かにつけて口うるさいからな」
「私は島に着いてからが楽しみっ!どんな場所なんだろう?あ、でも今回クランツ様とクレアちゃんは来れなくって残念だね」
「まー、仕方ないだろ。リトルガーデンの一件で、クレアとクランツは現地に足を運んでるしな」
そう、今回の学院行事に二人は参加していない。コーネリア王国が難民を快く受け入れ、ロンドアークは惜しみない支援物資と調査隊を派遣している。そして二人は国を背負う者として現地査察をし、被災者達に寄り添い元気づけていることだろう。それとピースケも一緒に同行している。アイツも何か思うとこがあったみたいだし、自らクレアについて行った。
何かあればピースケから連絡があるだろうし、特に心配もしていない。今俺が心配していることは一人後部座席でぐでっと横たわるリズである。寝ているわけではないのだろうが、アイマスクを装着し何ともだらしのない姿でピクリとも動かない。
「なぁアカリ、アイツは大丈夫なのか?」
「うーん、昨日も散々ごねてたからね……。今はそっとしておいた方がいいかも」
そんな心配をよそに飛空艇は順調に航路を進み、目的地である島が見え始める。次第に近づく全貌に生徒達は声をあげると、飛空艇はさらに高度を上げ島の上空を旋回する。対角線上にいる飛空艇は小さく見え、下降には想像していたよりも遥かに広い島が広がる。するとここで船内にアナウンスが流れる。
『一学年生徒の諸君、俺は学院統括顧問のドワルドだ。さっそくだが乗務員の指示に従い下層部まで移動を願う』
言い終えると前方の扉が開き乗務員が笑顔で誘導を促す。生徒達は一列になり、狭い通路を抜け階段を降りていく。そして下層部の扉を潜る前に小さなバッグを受け取り、乗船前に義務付けられた腕時計が装着されていることを確認し部屋に通された。
『さて、我々は王都より南下したこの島で一週間滞在することとなる。これは毎年行われていることであり、緊急性を要する件がない限り全員参加が義務付けられている。諸君らが当校に入学し早くも三ヶ月が過ぎた。各々が思うことは多々あると思う。そこでこの何もない島で生きのびて欲しい。話しは以上だ……何か質問があれば時計の赤いボタンを押し問いかけてくれ』
その言葉に全員がどよめきの声をあげる。困惑と不安の表情で、言い放たれた言葉を受け止めようと必死である。すると船内に不満と怒りが混ざった声が流れる。
『何もない島で生きのびるとは、どういう意味ですか!!?島旅行をすると聞いていましたが、意味がわかりません!!』
『待て待て、まずは名前を名乗るというのが礼儀ではないのかね?まぁいい……この番号はリッド・フォメットだな。ああ、旅行だとも。王都では見ることも感じることも出来ない経験をする事が出来るだろう。そして何もないとは言葉通りだよ……。歓迎してくれる人間も、宿泊する施設も何もない。さらに王都で食べたであろう不味い飯も、口うるさい親も何もない。思う存分満喫してくれ』
『ふ、ふざけるなよっ!僕は貴族だぞ!!こんな話し受け入れられるかッッ!!』
『ふざける?それはお前だよリッド。毎年のように声を荒らげる者は数多くいるが、貴族だと言うものは久しいな。いいか?お前はまだ何もしていない。フォメット家が残してきた功績に、ただすがっているだけだ。それとも何か?急死の場面において、貴族だと言えば魔物が退くとでも思っているのか?そんな言葉は人間社会でしか通用しない戯れ言だ。』
一喝されリッドはそれ以上喋ることはなく、誰一人として問いかけることも無くなった。部屋に満ちるは飛空艇の機械音と自身の鼓動。思考を放棄したくとも誰も助けの声をかけてはくれない。
『勘違いしている者がいると困るから忠告をしておこう。諸君らは試験を受け、ただこの学院に在籍を許されただけだ。在籍しているからと言って、確約された明るい未来などない。それは戦場においても同じ事だ。温かい食事に安息の寝床、生きて帰れるという保証などないのだよ。だからこそいつまでも守られる側の人間ではなく、守る側の人間としての意識になって欲しい。それでは学院行事へと移行する。物事には常に不測の事態が付き物だ……』
次の瞬間、勢いよく床が開き生徒達は空中へと放り出される。突然の出来事に声にならぬ叫びをあげるも、身体に受ける風圧が全てを掻き消す。
「生徒全員を殺す気かよっっ!」
俺はすぐに体制を整え空気層魔法を使用し、風圧と速度を緩やかなものにする。すると腕時計に小さな魔法陣が展開され、その陣には文字が流れていた。
《一定の距離到達前に空気層魔法の使用が確認されました。これを受け自動的に衝撃緩和風魔法が作動します。》
「これは……魔導具?一定の距離に到達ということは……」
未だ空気層魔法を使用出来ない者へと目を向ける。すると雲を通り越した辺りで全身に魔法陣が展開され、緩やかに下降していく様を目の当たりにする。
「あ、焦ったぁ……保険はかけてあるのか」
最悪の事態を想定して魔力感知拡大で全生徒を網羅し、空気層魔法を使用するつもりでいたがその心配はなくなった。しかしここで妙なことに気付く。強風もないのに生徒達は見事に散らばり、俺も何かに引き寄せられるように下降していく。
「あー、この時計で意図的に配置をずらしているのか」
俺は安堵の息を漏らすとしばしの空中浮遊を体験し、河原の側へと着地する。
《上陸を確認しました。精神緩和魔法を使用しますか?使用の場合は赤を、拒否の場合は青を押してください》
おいおい。ドワルド先生の言い方だと生徒達を見放したような感じだったが、すげぇ心配してくれてるじゃないか……。とりあえず精神緩和魔法は拒否だな。……にしても、何とも見慣れた景色だ。あの茂みからブルース達がひょこひょこ出てきそうだな。
『さて全生徒が無事上陸を果たした訳だが、装着されている時計の黄色いボタンを押して貰いたい。必要事項はそれで確認するように!それでは各自自由行動へと入ってくれ』
それだけ言い終えると辺りから鳥の鳴き声だけが聴こえ、亜熱帯特有の湿度に慣れ親しんだ土地ではないと認識する。俺は木陰へと移動すると、言われた通り黄色のボタンを押してみる。
【さぁ、ぬるま湯から楽しい旅行の始まりだよ!】
1、赤ボタンを三秒以上押すと棄権することができるよ!すぐに救護班が駆けつけるから、その場を動かないでね。
2、青ボタンは島の見取り図を確認できるよ!素敵な場所を見つけたら、マッピングしておこう。
3、黄色ボタンは説明と現在のポイントが確認できるよ!最大値は100で、支援を受けると減少していくから気をつけよう。
【これからの日程】
今日から五日間、思う存分自由に過ごしてみよう!好きな時間に起きて、好きな時間に飲食しよう!大丈夫、この三ヶ月で学んだことを駆使すれば、五日間なんてあっという間だよ。
六日目からは課題が課せられるよ!それに気を配りながら、七日目に指定されたポイントに移動しよう!
※この時計は位置情報、及び貴方個人を特定する物になるので紛失注意!
すげぇ煽られるような文面に馬鹿にされている気分だ……。今頃大半の生徒が不服の声をあげているに違いない。というかこれ旅行じゃなくて試験だろ……。そう思考を切り替えなければ、無駄な感情で疲れが増す。
まぁこの手の生活は、クレアとガトスラン荒野で経験しているから大したことではない。とは言え、あの時は近場のココール村とオフィーリアの森で必要物資は手に入れていたからなぁ……。
手持ちはこの小さなバッグのみだ。中には防寒用のマントに、サバイバル・ナイフと三日分の携帯食糧か……。あとは自分でどうにかしろってことだよな。
幸い河原側で水源と食糧である魚は確保出来ているも同然だ。寝床は適当に作るとして、今俺に必要な物……。
「塩が欲しい……」
何もしなくともこの蒸し暑さで汗が滲み出てくる。熱中症対策として塩分確保は極めて重要だと調理研究会の書物に記されていたが、それよりも塩という最高の調味料が欲しい。肉や魚にほんのひとつまみするだけで、激的に味が変わるのだから手に入れない訳にはいかない。
「よっし!ピースケ、そこの石を鍋の形に……」
あ、いつものクセで声をかけていた。雑用ですら喜んでやるから、流れるように言ってしまった自分が恥ずかしい。
俺は気を取り直し石を横に切断すると、風魔法で研磨をかけていく。ものの数分で土鍋に近い形が出来上がり、次に掻き混ぜ用のヘラとコップを木材から形成していく。
まぁ、初めてにしてはよく出来ている方だと思う。そう思いたい……。俺は土鍋を持ち、海を目指すべく川を下っていく。人の手など加えられていない大地を颯爽と駆けて行くと、蒼く輝く海が目の前に飛び込んでくる。きめ細やかな白い砂浜に、白い波が押しては引いてを繰り返し、その心地良い音に耳が癒されしばしその場に立ち尽くす。俺は一呼吸し靴を脱ぎズボンを捲り上げると、その足で砂浜を一気に走りだす。
「あっち!!ははっ!あっちぃーーっ!!」
熱された砂浜に足の裏はジンジンと脈打ち、海へと浸かると波の動きがくすぐったく感じる。周りを見回しても誰もおらず、自分の足跡が一人だということを物語っていた。
照りつける太陽に潮の香り、足にぶつかる波に足裏でジワジワ動く砂。痛いほど輝く大海に、心は跳ね上がり大声を出したい気持ちになる。
「あ!!海魚もいいなっ!!」
俺は1人笑うと鍋いっぱいに海水を取り込み、元来た砂浜をゆっくりと零さぬよう歩き戻る。そして大きめの石を組み上げ、その上に鍋を設置し枯れ枝を集め火をつける。しばらくするとグツグツと沸騰し始め、数時間かけて塩の結晶を作り上げる。その間ただ海や空を眺めたり、塩を入れる為の入れ物を作ったりとゆったりした時間を楽しんだ。
日も傾き始めるが依然として人の気配はない。いつもなら晩御飯の匂いに、じいちゃんからお帰りと声をかけられているのだろう。俺は立ち上がると軽く砂を払い、一人だけど独りじゃないと思うと嬉しい気持ちになった。
「よし!初日の晩飯は海の幸だっ!!」
腰に手を当て元気よく声をだすと、俺はまた海へと駆け出す。
この日、多くの者が不安を抱えたまま夜を迎える。思い描いていた理想の自分は漆黒に恐怖し、ただ朝が来ることを願う。
その時間は守られていた自分と向き合うには充分であり、生徒達の意識を変える大きな糧となった。そして生きる為に思考を回転させ弱っていた心に火を灯すと、現実と向き合うように朝を迎える。
しかし三日目の昼過ぎ、初の棄権者が報告される。腕時計からの表示名はリッド・フォメットであった。すると緊張の糸が切れた様に、一人また一人と棄権者は増えていくのであった。




