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69.時代の流れ。

 調律日食より一ヶ月、連日続く雨に人々の関心は次第に薄れていく。今となっては百年に一度の現象など記憶の片隅に追いやられ、他国が消滅した事実も話題に上がらなくなりつつあった。

 舗装された通りに幾つもの波紋が生まれては消えて行き、その上を色とりどりの雨傘が往来する。例年通りなら梅雨も終盤なのだが、その期待を裏切るように土砂降りの雨が人々の気持ちを塞ぎ込んだ。

 その空気は街中だけでなく、学院の生徒達も同じように晴れない顔をしている。それは雨だけのせいではなく、学院の授業体制が大きく関係しているのであろう。

 なぜなら入学して三ヶ月、中等部で習うような基礎的な事しか教わっていないのだから。それは様々な将来の夢を抱いていた若者にとって、動くなと言われるように苦痛で退屈な日々である。

 俺やクレアは学校というものが初めてであったし、じいちゃん以外の人間に物を教わるというのは新鮮で、今なお楽しく授業を受けている。しかし大半の生徒が不満を漏らし、その環境にも慣れると不満すら零さなくなった。入学した時の輝いていた瞳も、模擬戦終了後の熱い気持ちも見る影はない。

 

 でもきっと、それは楽しみ方を知らないだけではないかと思う。それを証明するように調理研究会のメンバーはこの大雨の中、模擬戦を大いに楽しんでいる。視界を(さえぎ)泥濘(ぬかる)む足場に悪戦苦闘し豪快に転がると、この環境に自身の何が足りていないか考え行動に移す。その姿は泥だらけで傍から見たら無様に思えるかもしれないが、当の本人たちの顔を見たらそんな事は些細なものだと認識させられる。

 アスラとポアロが入会してから数回の野外活動を経験し、先輩方の残した調理研究書で知識を養っていく。そして暇さえあれば模擬戦を繰り返すのだから成長しないわけがない。

 特に大きな成長を遂げたのはミントとポアロである。独学で第六騎に選ばれたミントの潜在能力は高く、仲間の助言と立ち回りが彼女の成長を促進させている。ポアロは仲間の存在によって消極的な気持ちがなくなり、本来持つ支援力を遺憾なく発揮している。そんな皆の成長を目の当たりにすると、どうしても口角が上がってしまう。


「ちょっとシキ!貴方は何を嬉しそうにしているのっ!こっちは本気で挑んでいるのに!!」


「あ、いや悪い。お前らの成長が嬉しくってさ、つい笑っちまう」


「ふ、それは私も同じ事だ。皆が日々成長し、この時間がたまらなく嬉しく感じる」


「うんうん、あたしも毎日が楽しいよっ!身長は伸びてないけど、成長してる感覚はあるっ!!」


「みんな意気込んでこのまま続けたそうな顔をしているけど、体温も魔力量も下がってきているし今日はここまでにしよう。それにボクもうお腹が減っちゃって……」


 雨音に掻き消されることなく、旧演習場に笑いが響き渡る。それを合図に後片付けをすると、更衣室へと向かいシャワールー厶にて冷えた身体を温める。汗と泥を落とし髪を乾かすと、ほんの少し皮膚がピリピリする感覚が面白い。

 リズとミントが来る間、アスラは濡れた剣の手入れを始め、ポアロも同様に防具の汚れを落とし始めた。


「そういえばリトルガーデンから生存者が見つかったみたいだね。いち早く避難した人達もいるみたいだけど、原因って何だったんだろう?」


「聞いた話によれば、魔界の歪みから漏れ出た瘴気が蓄積された事が原因らしい。それが引き金となって、遅れていた調律日食が起こったとの見解もある。今でも調査隊や救援隊が解明のために動き回っているそうだ……。しかし一介の生徒である私に出来ることがないというのは歯がゆいな……」


 そう表情が暗くなると、二人とは違うため息がロビーに広がる。それは壁に手を当て、何ともやる気のないリズであった。


「はぁぁ……。あぁぁ……」


「なんだよ……リズがそんなため息吐くなんて珍しいな」


「そりゃため息の一つや二つ出るわよ……。貴方たち忘れたの?来週から学院行事の旅行が一週間もあるのよ?ただでさえ授業はつまらないのに、呑気に旅行だなんて……はぁぁ」


 あ、すっかり忘れていた。たしか国と学院が共同で管理している島に滞在するんだったか?しかも小型の飛空艇を5機も借りて行くとかジャンが騒いでいた気がする。あとは手荷物なしで学院指定の軽装でいいとか、どんだけ高待遇のリゾート地なのだろうか……。それにリズの言いたいこともわかる。この旅行が終わったら程なくして夏季休暇に入るし、成長を実感しているコイツらにとって学院行事は時間の無駄と感じているのだろう。


「もしかしたらその島は魔物がウジャウジャいたり……なんてことはないか」


「ふ、ポアロの言う通りだったら楽しそうだがな」


 そんな空想で場を和ませようとするも、リズのため息は別れ際まで続いた。

 いつもなら賑わう商店通りも人数は少ない。家路に着こうとする者の足止めをするように水溜まりは面積を広げ、打ちつけるように雨粒が跳ねる。誰もが傘やフードを着用する中、第七騎ギルスは虚ろな表情で歩を進め行き着いた先は『和処・クラク』であった。

 幼い頃に足蹴なく通った定食屋。外観はあの頃のままで、グッと胸が締め付けられる。別に腹が減っていたわけではない、心が満たされていないのだと理解している。無邪気に笑い夢を追いかけていたあの頃が思い起こされるが、それがたまらなく苛立ちを増幅させる。そんな想いを洗い流してくれと雨に願うが、その願いは叶うことはない。静かに視線を落とし、また歩き出そうとすると店の入り口が開いた。


「あら、ごめんなさいね。今開店するから……ん、ギル坊?あんたギル坊じゃないかい!」


「え……おばさん、俺のこと覚えて……」


「覚えているに決まっているじゃないか!それにしても随分と成長して、男前になったじゃないっ!!ほらほら、そんなとこに突っ立ってないで店に入りな!!いくら若いからって風邪引いちまうよ」


 晴れやかで温かい言葉が冷えた心に染み入る。女将エリーナはギルスを傘に入れてやると、店の中へと招き入れる。あの頃と変わらない匂いと空間がそこにはあり、ほんの少しギルスの表情は穏やかになった。そこへいつものように常連客が入って来ると、店内は一気に活気づく。


「おばちゃーん、俺いつもの定食屋ねー」


「あいよーっ!そうだギル坊、あんたは唐揚げ定食でいいかい?昔はポアロとよく食べていたものねぇ」


 その言葉にギルスの表情が固まる。ずぶ濡れのシャツが肌にベッタリとまとわりつくように、その感情は拭い切れずに心を覆う。


「……いらないよ。別に飯を食いに来たわけじゃないんだ。それに……俺のことをギル坊だなんて呼ぶなよ……。俺は……俺は子供じゃないんだッッ!!!いい加減にしてくれっ!」


 店内に響く声が一瞬にして沈黙を呼び起こす。すると常連客が立ち上がりギルスへと喝を入れる。


「おいっ、クソガキ!!エリーナさんになんてこと言うんだ!謝れっ」


「うるさいッ!!うるさい、うるさい!俺は貴族だぞ!お前ら庶民と一緒にするな!!」


 思いのまま感情を吐き捨てると、雨脚強まる中ギルスは店を飛び出す。残された店内には常連客の怒りが充満するが、エリーナは平然とした顔つきで優しく扉を閉める。


「いいんだよ!今ギル坊は自分と向き合おうと必死なのさ、アンタらだってそんな時期があっただろう?それを大人の私らがあーだこうだ言うのは見当違いさ。大丈夫、あの子は道を踏み外したりしない、気持ちが落ち着くまで私はここで待ってるよ」


「……女将、もし道を踏み外したら??」


「ははっ!そん時ゃアンタらみたいにゲンコツくれて、そのあと腹いっぱい定食を食わしてやるよ!」


 客達は思い当たる節があるようで、顔を見合わせるとバツが悪そうに笑い合う。女将はどっしりと構えるとやまない雨を一度見つめ、気持ちを切り替えると注文を取るのであった。

 

 週が明けると雨雲は東へと移り、久しぶりに顔を出した太陽が夏を告げた。英気を養った草木は陽を存分に浴びようとするが、それを遮るように小型飛空艇がバレンシア校へと降り立った。手際よく整備士達が点検作業に散らばると、遅れて一人の男性が手摺りに持たれながら気持ち悪そうに大地へと足を着ける。そして深呼吸をすると酷いクマの状態で校長室を目指す。


「……失礼します。アラン校長ご無沙汰しております」


「おお、グラード先生待っておったよ。此度は調律日食が重なりどうなる事かと思ったが、その様子だと問題なさそうじゃな」


「はい、島は至って問題ありません。それよりリトルガーデンへの調査隊として教員も多数割かれたと聞いておりますが、学院側は問題ありませんか?」


「ふ、グラード……何も心配することはない。教員がいても居なくても、今年の一学年も例年通りの腐れっぷりだよ」


「ドワルド……キミはいつもそんな調子だねぇ。僕みたいに少しは冷静になりたまえよ、その為の行事だろう?」


 ドワルドは分かっていると言わんばかりに腕を組み、目を閉じると重い息をつく。


「やはり俺の頃とは、環境が大きく変わっていると実感しているよ……。耳をすませば生徒達からは飯が不味いだの、親がうるさいだの日常の不満が聴こえる。それは年相応の態度なのだろうが、彼等はあまりにも無知すぎる……」


「……やはり時代の流れかのう。ワシらの時代は常に死と隣り合わせじゃった……。それが今では住みやすい環境になり、人々と魔物との距離が遠くなった。住む場所も食べる物も、ほんの少し手を伸ばせば何でも手に入る。それはとても喜ばしいことじゃが、同時に脅威を知らぬ者は心が弱い。……守られて当然という認識を変えるには、過酷な環境を知らなくてはな……」


「昨年は128名が棄権し、9名が学院を去りました……。とは言えあの程度の環境で心が折れるようであれば、所詮はそれまでの人間。身も心も強くなくては務まらないのですから、生徒にはしっかりと学んでもらいましょう」


 今の住みやすい環境が悪い訳でも、そんな時代に生まれた世代が悪い訳でもない。しかし王国を隔てたその向こうの世界には、人智を超えた魔物が存在し人間社会の理屈など通用しない。それを知っているからこそ、三人は苦虫でも噛んだような表情をする。

 誰も口には出さないが本心では生徒達の事を思い、今年は誰一人欠けることなく大きな一歩を歩んで欲しいと願う。アラン校長は静かに立ち上がると、二人を連れ部屋を後にする。

 外からは今年初めての蝉の鳴き声が聴こえ、それは生徒達を応援するようにも聴こえる。それと同時に我々は変わることはないと、照りつける日差しの下次第にその声を募らせていくのであった。




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