65.隠すことはない。
土煙が舞い上がると疲れ果てた三名が大の字になって青空に完敗したと告げている。クランツもアスラも汗だくになり、呼吸を整える事を第一として未だ会話はない。そして先程まで余裕のあったポアロも、繊細な魔力操作と支援を要求され疲弊しきっていた。しかし三名とも完敗したにもかかわらず、その表情は満足のいく気持ちのいい笑顔であった。
「いやぁー、相変わらずクランツの剣技は磨きがかかってるな!それに引けを取らずアスラの太刀筋も魅入っちまったよ!!ポアロは二人に必要な支援魔法を的確に使えていたし、めちゃくちゃ楽しかったわーー!!あ、それから――」
三人の状況などお構い無しに喋り続けていると、さすがにおかしいだろうとアスラが口を開く。
「ま、待てグランファニア……。三人がかりの全力でなぜ疲れていないんだ!?というかお前のような実力者が第八騎とかおかしいだろっ!」
「……シキはいつもこんな調子だよ。疲れた所なんか見たことないし、戦闘後はいつも楽しそうに喋ってるから……。それに魔力量も然ることながら、本当に魔力操作が上手いんだよ!幼少から軍事施設に隣接する村で育ったのもそうだけど、やっぱりオルフェス様の教え方が上手いんだろうね」
呆れたようにクランツは説明し、シルフの件は黙っていてくれる。そういうものなのかとアスラは口に手を当て、思い出したかのようにポアロに近づく。
「それはそうと第五騎ポアロっ!お前の支援は見事だったぞ!!あの刹那の強化魔法など私は初めてだ!完敗はしたものの、実に楽しいひと時だったな!」
「アレは魔法と言うよりはスキルじゃないか?」
賞賛するアスラに付け加えるとポアロは慌ただしく正座し頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!!あれはその……シキくんの言う通りスキルなんだ……」
「なぜ謝る?あのスキルがなければ私は長時間戦うことすら出来なかったのだ。私自身、反応が遅れる瞬間でさえポアロに助けられたんだ!謝ることはない……」
その言葉に嬉しいという気持ちはあるものの感情を押し殺し、申し訳なさそうにポアロは口を開いた。
固有スキル名は『カロリー・メイク』。アスラに伸びたオレンジ色の管は魔力感知を具現化したものであり、対象の情報を誤差なく知り得ることができる。そして動く対象に必要な支援魔法を供給し、危うい場面であっても後方から確実に支援が行えるものであった。使用人数が多ければ精度は落ち、自身も無防備になるリスクもある。それは素晴らしい能力であったが、ポアロは自信なく震える。
「なるほど、魔力感知を具現化し相手の情報を読み取るか……。だから王族である僕には使用せず、アスラのみに使用したのか。しかしアスラもまた貴族であり、ポアロも貴族なのだからなんの問題もないだろう?考えすぎだ……というかズルいぞ。僕だって体験してみたかった……」
「あの、もちろんクランツ様は王族なので使用は控えました。アスラくんには事後報告で申し訳ないと思っているのもたしかです。でも……僕みたいなデブのスキルで情報を読み取るなんて……気持ちが悪かったでしょ?だから本当に申し訳なく――」
「何を言っている第五騎ポアロッ!お前のスキルは本当に素晴らしいものだった!それを容姿のせいで自分を卑下するな!それにスキルを使用したことも、スキル持ちだと告白したことも信頼してくれているからであろう?私は心から感謝してる、ありがとう!」
これ以上言葉は入らないと肩に手を当てるとポアロの自信なさげな表情も解れる。アスラは静かに頷くとクランツへと向き直り、片膝を地につけ視線を下ろす。
「クランツ様、貴重なお時間をこの愚者の為に割いて頂いたこと感謝致します。いかなる理由があろうとも、御友人を愚弄したことは変わりません。どうか処罰をお与え下さい」
「お、おま!まだ言うのかそれをッッ!?」
俺は驚きの声を上げる。それは自分に厳しく正直者で、敬愛するクランツに対して本当に自分が許せないのだと伝わってくる。しかしもう剣を交え俺と友達になったんだ、クランツだってそのことは分かっているのだから不問にしてやれと強く思う。
だがクランツは裁きの言葉を口にする。
「わかった……現時刻をもってアスラ・ツヴァイク、リッド・フォメットの両名を護衛の任から解除する」
その冷たく鋭い言葉にアスラは微動だにひとつせず受けいれる。命すら惜しまないと言える相手からの一言は、客観的に聞いても重い言葉だ。
「もう僕に護衛は必要ない……どこへでも好きな所へ行くといい。例えばシキの属する研究会とかな!」
ハッと顔を上げるとクランツは優しい顔でアスラを見る。それは自分の護衛では経験できないことを学んで来いという、無言の意思表示であった。今の自分に必要なこと、それは同じ目線で語り合い命令でも任務でもない、友人と呼べる者たちと過ごす時間。それに気付かされたアスラは深く感謝をするとともに、自分を良く見せようと背伸びしていた心を地につける。
「グランファニア!私は剣技のみに固執し、自身の生き方を束縛していたようだ。これからはもっと視野を広げたい……だから私を研究会に入れてほしい!」
「ははっ!固ってぇーなぁ!友達なんだからかしこまるなって〜」
俺は手を差し出しアスラは強く握り返す。すると観客席から歓迎の声が上がる。
「ようこそっ!調理研究会へ」
「わーい、仲間が増えた!」
「ま、また八騎星!……これは黄金時代の幕開け!!?」
眼鏡を正し声をかけるリズに、喜びはしゃぐミント。ミネラ先輩は前のめりになり驚きを隠しきれていない。このままクランツも研究会に入るんじゃないかと視線を送るが、クランツは手を横に振る。アスラは軽く服を払うと彼女たちの前へと歩き出す。
「なぁクランツ、護衛解除して学院では自由になれたぁ〜とか思ってる?」
「ふ……そんなことはない……よ?しかし、アスラにとってはこの道が最善だとは思っているよ」
自分が経験したからこそ言えるその一言は、俺ではなく背中を向けたアスラへと送る。
アスラは観客席へと顔を上げると三人に挨拶をする。
「一学年、第三騎アスラ・ツヴァイクです。その……シキとは友達になりました。それと先日のシキに対する悪い噂は私の軽率な発言が原因です。そんな私でも研究会に入れてくれますか?」
隠してしまいたい自身の汚点であったが、自分がどういう人間なのかを知ってもらいたいと口にする。それはこれから共にする仲間に敬意を表し、後ろめたい気持ちなく接したいという気持ちであった。
「安心してっ!!私なんかシキ本人に大っ嫌いって言ってたし!」
「あたしは模擬戦で迷惑かけたうえに、謝りにいってぶっ倒れたよ?」
「わ、私は初めて研究会に、訪れた時に邪険にした……わね」
全く悪びれる様子もなく笑いながら答えるその姿は、過去どうであったかよりも今の関係が良好なのだから問題ないと証明してくれる。
「アスラ……貴方もすぐに笑い話に変わるわよ?」
「うんうん!シキくんもあたし達も気にしてないよっ!」
「そんな事より戻って入会書類を書いて、今後の活動を計画していきましょう!!第三騎加入となれば、さらに戦力アップよ!!!」
女性陣の勢いと熱量は凄まじくその気迫に圧倒されてしまうが、それはとても心地いいものであった。アスラは一礼すると振り返る。
「シキ!明日からよろしく頼む!!」
「おぉ!楽しんで行こうぜー!」
手を上げ挨拶を交わすと俺とポアロを残し、ミネラ先輩を筆頭に演習場を後にする。先行く女性陣は今後の活動に盛り上がりを見せる中、演習場ロビーにてアスラは足を止める。
「クランツ様……此度の件、本当に感謝しています。あの……いつから気付いておられたのですか?」
「始めからだよ……。というのは嘘だ。半信半疑だったけどね……シキの噂がたった時、アスラは動かなかったでしょ?いつも僕が声をかけなくても動いてくれているのに、あの件に関しては僕から指示があってから動き始めたからね。それにアスラが嫉妬する気持ちもよく分かるよ。僕も昔、同じように嫉妬していたから!」
「ご、ご冗談をっ!クランツ様に限ってそんなことは――」
「いやいや、本当だよ。クレアは勇者だし、シキはあんな調子だし……。幼なじみの僕だけ取り残された気持ちになって嫉妬していたんだ。でも二人は足並みを揃えてくれる。……とは言っても気を抜くと置いていかれそうになるけどね!だからアスラ……そんなところで立ち止まってないで、一緒に行こう!」
自分の尊敬するお方は、今同じ目線で会話をしてくれている。そして常に自分の事を見てくださっていたのだ。本当に欲しかった言葉はここにあり、これ以上の欲など出るはずもない。アスラは強く返事をすると、クランツと仲間のもとへ駆け出した。
先程までの戦闘が嘘だったように、演習場内は静けさを取り戻している。しかし何も変化のないその空間で、唯一ポアロの心だけは変化の兆しを見せていた。
ポアロにとってはいつもと変わらない日常に、わずかな時間であったが自信が求めていた世界へ足を踏み入れた。かけられた熱い言葉が今なお脳裏をよぎり、誰もいない入口を見つめる。
今の自分は日常を変えることが出来る岐路に立っていることは理解している。しかしどう歩み出せばいいのか分からない。
ただ一言言葉が出れば……。ただ一歩前に出れば……。そんな簡単な事さえ出来ないのかと思うと、情けない気持ちが溢れ返り自然とうつむいてしまう。
ボクとは住む世界が違う……出来る人と出来ない人がいて当然だ。単純にボクは弱い人間なんだと、次第に元の世界へと押し戻される。
――が、はいそうですか!と俺は見ているつもりはない。アスラ達がいい起爆剤になってくれたんだ。この機会をやすやすと逃す訳がない。
「ポアロ、楽しかったろ?」
「う、うん」
「じゃあ、お前もウチの研究会に入ったらどうだ?もっと楽しくなるぞ!」
「え!?あ……でも、ボクは……」
誘いの言葉をかけるも、指をもじもじとし目を逸らす。変わりたいという気持ちに、日常がどう変わるのか不安が勝る。ここで俺が無理矢理にでも研究会に連れて行く事も可能なのだが、それでは意味がない。ポアロの口で、足で、意思でその世界をぶち壊して歩まなければ……。
「よっし!じゃあ視点を変えよう」
「……え?」
ポアロは話の内容を切り替えるものと思ったようだがそういう意味ではなく、俺はポアロの後ろへと回り込むと襟元を掴む。そしてゆっくりと力強く列車が進むように大空へと飛翔する。
「えぇっ!!?ひ、飛空魔法!?あ、や……落ちるっ!落ちちゃうよーっ!!」
「まぁまぁ、安心しろって。あ、そうだ!ポアロ、固有スキル使ってみ?」
取り乱しながらも慌ててスキルを使用するとオレンジ色の管が俺の背中に触れる。それは温かく優しい手を添えられた感覚で、安心して身を委ねる気持ちになる。それと同時にポアロも同じ気持ちになるのだが、それは比べようのない程の安心感であった。
上空3800メートルの高さに居ながら、しっかりとした太い幹の大樹に腰を下ろすように錯覚する。さらに半径3メートルに多重結界を構築し、気温も吹き荒ぶ風すら感じることはない。依然として足は宙に浮いているものの、シキの膨大な魔力量と魔力操作に落ちてしまうという恐怖はなくなっていた。
それによりポアロは平常心を取り戻し、遥か下を流れる雲が大地に影を落としゆっくりと移動する様を見る。人は点にしか見えず、建物は小さなオモチャにしか見えない。青い空と大地はどこまでも続き、世界の広さを実感する。
「す、すごい……。こんな、景色……下にいたら見れないね!」
「だなー!あ、学院はあの辺か?ポアロの家はどこだ?」
「多分あの辺なんだけど……全然わからないや」
学院から僅かに指を動かす。子供の頃よく遊びに歩いた広場に今も通う雑貨店、家族との思い出の場所も全てが片手で足りてしまう。それは自分の世界があまりにも小さなものだったのだと、果てない景色が教えてくれる。そして締めつけていた気持ちは解放感から境をなくし、広大な世界と溶け合うように穏やかに震えていた。
「よっし!そんじゃあもっと上に行くぞ」
「え?もっと上に!??」
「ポアロも言っていたように、下にいたら見えないからな!」
ニッカリと笑うと青空を見上げ急上昇をする。ハッキリと見えていた雲は曖昧になり、大地よりも海の面積が広くなる。しかしそう思っていたのも束の間で、青空は消え去り大地は弧を描き始める。そして目の前に映し出されたのは青く輝く星、ルシアースであった。
上下の概念はなくなり、落ちてしまうという感覚もない。今ある感情は太陽や月、幾多に散らばる星々と同じように自分は存在しているということ。静淵の空間に感情を抱くのは自分だけであり、星々に善悪はない。
国の思想。魔物の脅威。日常で生まれる感情。そんなものは全て人間が生み出した産物で、日々生まれては消えていく。
「ボクは……なんて閉鎖的な世界で悩んでいたんだろう」
無限に続く宇宙を背に、ポアロは呟きルシアースに手を伸ばす。あれほど広く感じていた景色でさえ小さく思え、星の鼓動に息を飲む。
「シキくん、ありがとう。こんなすごい光景を見ることが出来てボクは嬉しいよ。でも、もう大丈夫!だからボク達の世界に戻ろう。……ここには憎しみも争いもないけど、とても寂しい場所だもの」
「そうだな!ここはつまんねーもんな!でもまた辛くなったら言えよ?そしたらいつでも連れてきてやる!」
「うん!でもそうならないように、ボクは前をしっかり見て歩いていくよ!だってボクは弱い人間だからね!」
はにかみ穏やかなその口調は、先程まで自信のなかったポアロではない。今の俺のように日々を楽しみ、まだ見ぬ世界に足を踏み入れたいと目を輝かせている。
「昔な……ある一人の男がいたんだよ。そいつには友達もいなかったし、変わらぬ毎日に絶望していたんだ。自分でもがく事も誰かに頼る事もしなければ、世界を受け入れることもしなかった。そして生きるという事を諦めたんだ。そんなヤツに比べたらポアロは弱くなんかない、ほんの少し立ち止まっていただけだよ……」
「そっかぁ……じゃあ、もしその人が生まれ変わったら、ボクが友達になってあげるよ。でも一体誰の話を……?」
「……ただのおとぎ話だ。ありがとなっ!」
ポアロに声をかけ放っておけなかったのは、あの日の自分と重なる部分があったからなのだろうか。そんな答えを出そうと考えると、自然とじいちゃんや触れ合ってきた人達の優しい笑顔を思い出す。
「さぁ、俺達の世界に戻ろう!」
そうポアロに告げると俺達は無音の世界を後にし、ゆっくりと演習場に足を着ける。ポアロは空を見上げ気持ち良さそうに深呼吸をし、俺達は会話を弾ませ後片付けを終えると入口へと足を運ぶ。
「シキくん、近い内に研究会には顔を出すよ」
「ああ、待ってる」
この流れで研究会に行かないのは、何かしらの気持ちの整理が必要なのだろう。俺は焦る必要もないと思うと、ポアロは利用者記録の用紙に名前を書きに走る。そこにはポアロを虐めていた者の名前はなく、全力でぶつかりあった俺達の名前が記されていた。




