56.自由獅子。
ロンドアーク国内にて、最大の医療設備を保持するセレイア医術院。王宮直属の施設でありながらギルドとの繋がりも強く、また一般市民も受診出来ることから日々訪れる者は多い。優秀な治療術師に回復魔法士、最新の治療魔導具が苦しむ者を日夜救う。
そして医術院院長であるリック・セレイア。専門的な知識に加え率先して戦場へと足を運び、数多くの兵士の命を救ってきた。朝から晩まで患者と同じ目線で対話をし、医師からも信頼と尊敬を受けている。
そして妻であるリザ・セレイア。温厚な性格で常に笑顔を絶やさず、身体の傷が癒えた後も心の傷を癒したいと臨床心理士として活躍をしている。
そんな二人の愛情を一身に受けて育ったのが、リズ・セレイアである。物心ついた時から昼夜問わず忙しく働く両親の背中を見て育ち、甘えたい時期であろうに駄々をこねることもなく、聞き分けのいい子供であった。
周りの者達からは本当に手のかからない子供だと口を揃えられていたが、当の本人は寂しくもなければ我慢をしている訳でもなかった。
その理由はセレイア医術院の存在が大きく関わっていたからである。苦しそうな人達がお父さんとお母さん、そして医師たちのおかげで笑顔で帰っていく姿を目の当たりにし、それを誇らしく思っていたからである。そして何より医術院自体がリズにとっての遊び場所であり、たくさんの友達が居る大切な場所であり世界そのものであった。
そんなある日。いつものように医術院に行くと、一人の男性が待合室にいた。
なぜその人に目がいったのか。初めて見る顔ということもあったが、リズの目からは健康そのものに見えたからである。
「ねぇ、おじさん!どこかぐあいが悪いの??」
「ん?なんだい嬢ちゃんは?迷子か??」
その男性の風貌は他の人と違って、とても小綺麗とは言えない。人相も悪く、子供のリズに対してもムッとした顔つきである。周りの人も、極力関わらないようにと席を空けている程であった。
「んーん!ちがうよ。わたしはリズっていうの!!この病院のムスメだよ!」
「……この医術院のか!?だとしたら悪いことは言わない。俺から離れて、他に行ってくれ」
「なんで???」
「いや、なんでって……そりゃこんな怖い顔してるオッサンに寄ってくる嬢ちゃんの方がなんでなんだ!?」
「だっておじさん、げんきそうなんだもの!それにこわくないよ??」
そうリズは笑顔で答えると男性は口元が緩み、静かに口を開く。
「いやぁ、参ったなぁ。ほとんどの奴はこの顔見て逃げるっつぅのに、嬢ちゃんはいい子だな!うん……俺の名前はウッドガル、『自由獅子』のリーダーで冒険者だ!先日ポイズンリザードの毒をくらってな、もう毒は抜けているんだが後遺症がないか定期検診にきたんだよ」
「ぽいずん……りざぁーど?ぼうけんしゃ???」
初めて聞くその言葉にリズは興味津々に耳を傾ける。冒険者同士であれば他愛もない会話なのだが、嬉しそうに話しを聞くリズにウッドガルも会話が弾む。二人が打ち解けるのに大して時間はかからず、リズはその日から冒険者が活躍する絵本を読み漁る。
自分が知っている世界よりももっと広大で、知らない生き物がわんさかいると思うと胸が高鳴る。絵本の中には見たことのない景色が広がり、それに色を付けるようにウッドガルは色々な場所に行った話しをしてくれた。
冒険者達の間でもリズの話しは広がり、セレイア医術院に行く目的を間違えてしまう程であった。もちろん冒険者達は幼いリズに配慮し、教えていい事のみを優しく喋ってあげているのであった。その光景は院内では当たり前の光景となり、両親共々微笑ましく見守っていたのであった。
そんな出会いから一年が経ちリズは五歳となる。国民管理局に足を運び、ステータスカードを発行してもらうと母の手を引き足早に帰宅する。大きな屋敷の入り口に整列した使用人達は、リズの帰りを温かく迎える。そして扉を開くと誕生日用に飾り付けられた部屋に豪華な料理の数々、プレゼントはテーブルの上に山ほど乗っかっている。
しかしリズはそんな物に目もくれず、一目散に人だかりに駆け寄る。
「ウッドガルぅー!来てくれたんだね。それに『自由獅子』のみんなもぉ!私嬉しいよ!……でも、何その格好?変なのー」
リズはみんなの姿を見てケラケラと笑う。そこには正装に身を包み、無精髭もしっかりと剃り清潔感溢れる『自由獅子』のメンバーが勢揃いしていたからである。リズにとってはいつもの小汚い装備品がカッコイイのであり、目の前にいるウッドガルが異様に映る。
「いや、さすがにこんな御屋敷に呼ばれて、いつもの格好はまずいだろう?」
「えー、そうかな?」
「リズ、ウッドガルさんはリズのことを思ってくれているんだよ。ようこそ我が家へ、いつもお話しは伺っています」
そう会釈をするのは父リックであった。にこやかに挨拶をすると、『自由獅子』のメンバーは緊張のあまり挨拶すら噛みまくる。と、ここでウッドガルが見ていられないと前へ出ると、礼儀正しく挨拶を返す。
「本日はお招き頂き誠に感謝致します。礼儀すらままならぬ者達ではありますが失礼のないように立ち回りますゆえ、どうぞ御容赦ください。……しかし、我々冒険者……いや、ゴロツキの集団と思われても仕方の無いような連中をどうして?」
「……ウッドガルさん、そんなに固くならないでください。娘から『自由獅子』の話しは聞いていますし、ギルド内でも大変活躍されているとお聞きします。それに冒険者がいるからこそ、国の平和は保たれているのです。それと……容姿は関係ありません。喋り方もいつも通りで大丈夫です。リズが笑い死んでしまいますよ!」
ウッドガルはその言葉を聞くとリズを見つめ静かに笑う。
「リズの父君は本当に立派なお方だ。だからこそあの時、リズは俺に話しかけてきてくれたんだな」
「うん!パパはすごいんだよ!でもね、ウッドガル達もすごいんだよ!!」
小さな手を両手いっぱいに広げると、弾けんばかりの笑顔でお披露目会が始まる。温かい料理に澄み渡る音楽、気分は高揚し会話は途切れることはない。口の中に食べ物を詰め込みながら喋るリズ、それを世話係のようにたしなめるウッドガル。そこには初めて会った時の無愛想な顔はなく、獅子が我が子を気遣うような優しい顔があった。
「私ね!大きくなったら色々な場所に行きたい!今はまだ小さいけど、大人になったら『自由獅子』に入るんだっ!そしたらウッドガルと一緒に冒険できるね!」
「はは!俺たちの仲間にか?でも入るにはそれなりに強くないとな〜!」
「私強いよー!ほらっ!」
そう言うなりリズはステータスカードを表示させ、魔力値を見せる。その数値は既に中級魔法士と遜色ない値を示しており、場内に驚きの声が上がる。
「え?嘘でしょ!私より数値が高いんだけどっ!!」
「さすが院長の娘さんだ!こりゃオレ達がこき使われるぞ」
団員達は突き付けられた現実に悲観することもなく、まるで自分達のことのように喜び合う。しかしウッドガルは難しい顔をしてリズの頭を撫でると、しゃがみ優しく諭す。
「いいかリズ、こういう物は他人に見せてはダメだ。ここに居る人達は信用できる方々であろうが、本来はとても危険なことなんだ……。それとな、俺達はもう少しで冒険者じゃなくなる。ギルドから依頼があってな……」
その表情は影が落ち、しばらく黙り込む。
「冒険者じゃなくなると何になるの??」
「ここより遥か北東の未開の地を探索しに行くんだ。それは開拓する冒険家と言ってな、とても危険な仕事で、一年近くは帰れな――」
「すっっっごぉーーーいっ!!開拓する冒険家!?じゃあ、1番最初にその景色を見るのはウッドガル達なんだね!!一年もそんな場所に行けるなんて素敵っ!!」
「いや、あの……」
「私は知らないことばかりなんだなぁ……。私ももっと勉強して強くなって、追いつけるようにがんばるよっ!開拓する冒険家かぁ……ふしし」
屈託のないその言葉に団員達は顔を見合わし勇気づけられる。ギルドから信頼されているからこその依頼ではあったが、遠回しに言えば死にに行ってくれと言われたようなものである。しかし目の前の少女は無邪気に笑い、死という概念を吹き飛ばしてくれた。ウッドガルは立ち上がり高らかに笑う。
「ハッハッハ!!そうだともリズ。俺達は初めてその景色を見る人間になるんだぞ!それにな、もしその土地が人の住める環境になれば、もっと多くの人達が喜ぶんだぞ!……ありがとうなリズ!俺は大切なことを忘れていたかもしれない。リズに会えなくなるのは寂しいが、たくさん土産話しを持ってこよう!」
「はっはっはー!私だって寂しいんだぞー!でも私はちっちゃいから我慢するよー!はっはっはー!」
この瞬間を楽しみ、忘れないようにリズはたくさんの人達と会話をする。
そしてその数日後、『自由獅子』は声援の中旅立っていった。
リズはその日から一生懸命勉強をする。魔法の先生に魔力の扱い方を教わり、学院で学ぶ勉強も取り入れ始めた。それ以外にも様々な分野に視野を広げ、知識を吸収していく。いつか『自由獅子』と肩を並べ、開拓する冒険家としてそこにいることを夢見て……。
しかしその半年後、事件は起きた。
『自由獅子』の消息が不明との噂を耳にする。
大丈夫。みんな強いんだもの……。私は自分の目で見たことしか信じないんだもん……。そう自分に言い聞かせ、日々の日課をこなしていく。しかし待てど暮らせど朗報は入らない。
態度でこそ動揺は見せないものの、リズの心は不安に押しつぶされそうになる。
なんで一日はこんなにも長いんだろう……。早く大人になって、みんなに会いに行きたい。
その思いは無意識にリズを焦らせ、日課の魔力制御だけではダメだと皆が寝静まった後に一人魔力操作を始める。
眠い目を擦りながら慎重に魔力を操作する日々が続き、コツを掴むと魔力量を増やしていく。
「こんなのじゃあウッドガル達に迷惑かけちゃう……。もっと魔力を……」
そう意気込むと右手に魔力を集中させ留める。その力強い光はみるみるうちに輝きを増していく。
「す、すごい!これなら強い魔物も倒せ……あれ?おかしいな。魔力の流れが止まらない……あれ?あれ??」
緩やかに流れていた川に濁流が押し寄せるように魔力は止まらない。それどころか排出させようにも言うことを聞かず、荒れ狂う海のようにうねりを上げる。
そして次の瞬間。許容量を超えたシャボン玉が爆ぜるように、屋敷全体に破裂音とリズの悲鳴が響き渡る。
今まで経験したことのない激痛とともに、周りから慌ただしい声が聞こえる。そこでリズの意識は途絶えた。
懐かしい匂いに誘われるように目を覚ますと、そこは見慣れた病室だった。清潔感溢れる部屋に、真っ白なベッドに横たわっている。左手に温もりを感じると、その先に視線を送る。そこには大好きなお母さんが悲しい顔をして涙していた。
そして包帯が巻かれる右手を上げると、肘より先はなかった。
「……ごめんなさい」
そう呟くと、リズは感情に蓋をした。
それから一週間後。父リックを筆頭に優秀な専属医師、さらには王宮魔術師の手により【完全回復再生魔法】は成功する。
しかしリズは右手を見つめるも、それに対して喜びはなかった。
「……リズ。これからは一人であんな危険なことはしたらいけないよ?それとウッドガルたちの事なんだけどね。残念だけど彼らの――」
「パパっ!だ、大丈夫!私は大丈夫だから。これからは危険なことはしないし、言うことも聞きます。本当に……ごめんなさい」
リズは知っていた。
自分は医術院の娘だから、開拓する冒険家になれないことを。
「優秀な跡取りがいて羨ましい」「将来は安泰ですね」幼いながらも大人たちの話しをしっかりと聞きとり覚えている。 別に医者になるのが嫌だった訳ではない。ただ自分で選択したかっただけなのである。
だからこそ冒険者に憧れ、ウッドガル達に惹かれたのだと思う。
しかし私は失った……。
夢も、右手も、ウッドガル達の未来も……。
私が好奇心で話しかけ、仲良くならなければウッドガル達は未開の地に行こうとは思はなかった。
私が焚き付け、私の喜ぶ顔が見たいからみんなは……。
私は愚か者だ……。口だけは大きく、実力も何もないのに夢だけを語る。トレジャーハンターになろうだなんて、大馬鹿者だ。
もう失いたくない……。
傷つきたくない……。
両親の悲しい顔を見たくない……。
それからリズは『自由獅子』のことは口にしなくなり、医術院にも足を運ばなくなる。そして翌年より小等部学院に通い始めると、右手に違和感を感じる。そんな中、新しい友達も出来始めるのだが、リズは次第に人との距離をとるようになってしまう。
お願い、私に夢を語らないで……。
お願い、私に夢を聞かないで……。
リズは蓋をした感情を凍てつかせるよう、他者へと冷徹な態度を示すようになる。そしてそれに比例するかのように右手は白く変色し、痛みも感じなくなった。
誰も近寄ってこない。唯一事情を知っているアカリだけが友達。
もう誰も近寄らなくていい……。
極寒の心に誰も近づくことなく、また自らも歩み寄ることもなく月日は流れていく。
そしてバレンシア校入試二日目。凍りついた世界に歩み寄り、蓋をノックする者が現れる。
彼の夢は開拓する冒険家。やめて……。
祖父は偉大なる三勇士。やめて!やめて!!
発せられる言葉は幼い頃の自分と同じように希望に溢れ、嘘偽りのないまっすぐなものだと感じた。その後も面接官に夢を語り、模擬戦では格上の存在なのだと見せつけられた。
貴方はなぜ、そんなにも自由でいられるの?三勇士様の期待に応えようとは思わないの?
私は自分が憎い……。許せない……。
お願い、誰か答えを教えて……。
「そんなの簡単だよっ!あの時ウッドガルに話しかけたように、自分の気持ちに素直になればいいんだよ。そしたら、いっぱいお話ししよう!ふしし」
蓋をした心の中から幼い自分の声が聴こえる。
その声に後押しされるように、藁をも掴む気持ちで彼に懇願する。そして難なく右腕は元通りになった。
私は右手を握りしめ、あの頃の自分と対話する。
あの日の嫌な記憶。思い出す度に辛くなる。
でもそれは、私がそこに心を置いてきてしまったから。幼い私が、ずっとその気持ちを肩代わりしてくれていたから……。
ごめんね。あなたを置いてけぼりにして、先に進もうとしたから辛いのは当たり前よね。
そして、ありがとう。これからは一緒に歩んでいこう。
私は感情の蓋を右手で開ける。
そこにはあの幼い頃の自分が、無邪気に笑っている。
心が満たされていく。
大丈夫、もう置いていかないから。
辛くても、苦しくてもしっかり受け止めるから。
これからは私自身が責任を負う。だから自由に生きるんだ。
リズはそう強く想うと、そこに冷徹な顔はない。獅子のような勇ましさと、感情を自由に表現しようという気持ちが現れていた。




