55.私の右手。
今回の模擬戦で皆の心が大きく動いたことは間違いないだろう。
何が正しくて、何が足りていなかったのか……。
もちろん俺自身もそうだ。クレアやクランツに心配をかけ、俺の為に考え行動してくれた。そして心の琴線に触れることはこんなにも嬉しく、そして成長させてくれるものなんだと気付かされる。
成長するということは一人では限界がある。他者との関わりを持ち教えられ、そして評価をするのも他者なのだと勉強させられた。そんな風に思って休日を過ごした者は多いんじゃないのだろうか?
そして今現在。俺は一日の授業を終え学院から戻り、自室の椅子に座っている。
本来なら研究会に顔を出したいところなのだが、そういう訳にもいかない理由が出来た。
なぜなら俺の部屋には頬を赤くした第四騎リズがベッドに座り、ソファにはアカリとクレアが腰掛けている。クレアは嬉しそうに足をパタパタとさせ、今か今かとその時を待っている。
どうしてこうなったのか……。
今一度、今日という日を振り返ってみよう。
休日が終わり、英気を養った俺らはいつも通り学院へと登校する。見慣れゆく街が朝日を浴びて活発に動き始め、人々は挨拶を交わしいつもと変わらぬ平穏な日常が今日も始まる。
特に意識していた訳ではないが、俺もそうなのだろうと思っていた。しかし学院に到着するとそうではないと実感する。
すれちがう生徒に気持ちの良い挨拶をされ、そこから模擬戦の話しに繋がるのだ。そしてその大半が入学してから一度も話したことの無い生徒ばかりで、模擬戦には驚いた!と口を揃えて言ってくる。しかしこの状況に俺が一番驚いていた。
俺への噂は完全に消え去り、取り巻く空気が変わったことを強く認識した。
それから教室に入ってもクラスメイトからの質問が殺到し、マリベル先生には必要以上に質問責めにもなった。ようやく解放されたのは研究会に足を運ぶ夕方になってからであった。
俺は忘れ物がないか確認をすると、教室から急いで研究会へと向かうのだがここでクレアに捕まった。そしてその後ろには神妙な面持ちをしたリズに、心配そうなアカリがいたのであった。
「シキ、ちょっといいかな?あのね、リズちゃんの事なんだけど……」
そう歯切れの悪い口調でクレアは切り出すと、俺は遮断会議室に案内される。ここは外部へ情報が漏れないよう会議する場所のはずだが……。
皆が席に着くと、クレアが口を開く。
「シキにね、リズちゃんの右手を見てもらいたいの!」
「は?右手……」
その一言で何となくではあるが察しがついた。俺はこの休日の間に、クレアと模擬戦の話しを幾度とした。本当はどういった陣形で挑むつもりであったのかとか、どの生徒がどういった立ち回りをしたのかなど……。そしてその話しの中でリズの話しもしている。魔力制御の魔道具を装着し、アンバランスな氷魔法を使用してきた事。もし右手で魔力制御を行えば、もっとバランスよく魔法を発動させられるのにと……。
恐らくクレアは女の子同士でその話題に触れ、俺であれば力になれるのではないかと持ちかけてきたのであろう。
そして静まり返った部屋に否定の声が響く。
「勇者様!あの、私のことを気遣っていただけるのは大変嬉しいのですが、なぜ八騎に!??たしかに模擬戦での戦いは素直に凄いと思いました!ですが私には専属の医師もいます、ただ戦闘に特化した彼に話しを持ちかけるのは筋違いです!!」
「まぁまぁ、リズちゃん落ち着いて。それに私のことはクレアって呼んでって何度も言ってるでしょ?」
「リズちゃん、きっとクレアちゃんは何か力になれる糸口があるんだよ!それにシキくんのお爺様も力になってくれるかもしれないし、周りに口外する人ではないと思うよ?ね!」
二人はリズを落ち着かせ、リズは俯き両手に力を込めると一旦呼吸を整える。そして俺へと顔を向けると、絶対に誰にも話すんじゃない!と言わんばかりの顔で睨みつけられる。そして無言のままアームカバーを取り外すと、肘から先に現れたのは真っ白な腕であった。
よくエルフの肌が透き通るような白さと例えられるが、それの比ではない。マネキンのように無機質でいて、うっすらと魔力が発光している。
「戦闘の中、あなたは私に聞いたわよね?なぜ右手をつかわないんだ?って。これが答えよ。私は幼い頃に事故で右手を失っているの。そして……使わないんじゃない、使えないのよ。日常生活には大きな支障はないわ、でもね魔力を扱うとなるとそうはいかないのよ。そしてこの腕は人の手じゃないわ……」
そう言い切ると、リズは左手でペンを握りしめ勢いよく右腕に突き刺す。ドンッ!と大きな音に机は揺れアカリの悲鳴が上がるが、その右腕からは血も出ていなければ傷一つついていなかった。
「……痛くもない、血も出ない。ただ動かせると言うだけで何も感じないの……」
その瞳は少し涙ぐみ、怒りと軽蔑……そしてどうしようもないという想いを飲み込む。
「あー、これはあれだな……」
俺はリズの右手を掴み、手のひらを見ながら魔力解析を施す。そして真剣な眼差しでリズを見るのだが、リズは赤面し口をパクパクとしていた。なんだよ?
「ちょ、ちょっと!!!!第八騎シキ・グランファニアッ!!!あ、あな、貴方は何を!!?人が黙っていれば、さっきから右手をプニプニと触りだしてっっ!!!変態よ!不潔よっ!!」
今まで見たことの無い表情に声を荒らげ、純潔の乙女のように恥じらいを前面に出している。あ、いや年頃の女の子なのだから当たり前か……。
「悪い悪いっ!そんなつもりはなかったんだが、勘違いさせるような事をしたのは謝るよ!」
「で、シキ。何かわかったの?」
「これはあれだ……。完全回復再生魔法が不完全な状態で構築されてるな……。いや、不完全というより、リズの魔力に見合った形を成していないと言った方がいいか?」
「な、なんでそんなことが……分かるの!?私は一言も完全回復再生魔法の話しは……」
赤面していた顔はいつもの冷静な顔へと変わり、次第に驚きへと変わっていく。そして藁にもすがる思いで質問を投げかける。
「この腕を治すことは……その、可能なのかしら?」
「あぁ、多分な!」
リズにとって何度言われた言葉だろうか。その言葉を聞く度に期待を膨らませ、そして落単する。そんな事が何度もあった。
しかも今話している相手は同学年の学生。王宮魔術師でもなければ、治療魔法に精通している医師でもない。頭の中では答えは出ている。しかし心は相反する期待と、言い様のない可能性が後押ししてくる。
リズは頭を下げ、お願いしますと一言呟いた。
「ただ、学院内じゃあ問題がある。声は遮断されてるっぽいが、俺達の行動は筒抜けだ」
天井へと視線を向けると、模擬戦で浮遊していた球体に似たものが天井に埋め込まれている。
「つぅ訳で、今から俺の家にいく。ピースケはミネラ先輩に、今日は顔を出せないって伝えといてくれ」
「あーい!」
身支度を済ませ俺達は学院を後にする。道中リズから会話をすることはなく、クレアとアカリはその不安な気持ちをぬぐい去る様に声をかけ続けていた。
家に到着し、まずはじいちゃんに事情を説明する。その後、俺の部屋まで案内をし手入れされたベッドへと座らせる。
「さて、それじゃあ始め……どうしたリズ?顔が赤いけど、体調悪いのか?」
「え、あ、その……。い、異性の部屋に上がるのも初めてだし、ましてやベッドの上に座らされるなんて思いもよらなかったから……もにょもにょ」
「はぁ??お前なぁ、魔法の反動でどうなるか分からないからベッドに座らせたんだが、居心地悪いならこっちに座るか?」
「い、いえ!結構よ!お気遣い感謝しますっ!!それはそうとさっき言ってた完全回復再生魔法が不完全と言うのはどういうことなの!?この腕は王宮魔術師並びに、当病院の専属医師が五人掛りで発動させたのよ?」
「不完全というより、リズの魔力が大きく関わってるんだよ。失った腕を完全回復再生魔法で再構築したまでは良かったが、その後の魔力の成長に腕が追いついていない。日々成長していく中で筋肉、神経、細胞の一つ一つが破壊されより強靭な身体に生まれ変わっていくんだが、真新しく出来た腕が予想を超える魔力の成長に順応する為に、魔力回路が先行して構築した結果がこれだ。だから子供の時は普通の腕だったんじゃないか?」
「え、えぇ……。それが1年も経たないうちにこんな形に……。つまり私の魔力が新しい腕の成長を妨げ、魔力回路だけが成長してしまったのね」
俺はあの日、なぜ右手をつかわないんだ?と聞いた。しかしリズからしてみれば水が溢れかえりそうなコップを持ち、全力疾走して水をこぼすなと言われているのと同然である。
事情を知らなかったとはいえ、そりゃ怒るわな……。
「ねぇ、シキ。ココール村のみんなを治した時みたいに完治できる?」
「治すと言うよりは、構築すると言った方がいいかな?俺があの時使用した魔法は記憶を元に治したから、今リズに使ったら子供の手になっちゃうだろうしな」
「ココール村?あなた達一体何の話しを……」
リズは不思議そうに首を傾げるが、話しが長くなるので取り敢えず誤魔化す。とここでピースケが俺の前までやってくると、額に指を当て緑色の光の輪が広がる。そしてピースケは頷くとクレアの肩に戻っていった。
なんだ?何がしたかったんだ??俺は気を取り直し、リズに袖をまくり両腕が平行に上げるよう指示を出す。
「え?あの、三勇士様は……」
「いや、じいちゃんは関係ないぞ?俺がやるんだから」
「え!?」
そう伝えると俺は右手を突き出し術式を発動させる。
俺の後方に十数もの魔法陣が展開され、リズの指先に魔法陣が現れる。二つの魔法陣はそのまま二の腕まで移動すると輝きをまし、左腕の魔法陣から右腕の魔法陣へと光の粒子が流れ始める。そしてゆっくりと指先まで戻り始めると、マネキンのように白い腕に差し掛かる。粒子はその量を増し、変わらぬ速度で指先に到着すると何事もなかったかのように魔法陣は消えた。
部屋は静寂に包まれ、誰一人として言葉を発する者はいない。なぜなら皆がリズの右手に視線を集中させ、その姿に目を奪われているからだ。
血色のいい肌が体温を感じさせ、脈打つ鼓動が無機質ではないと証明する。リズは静かに右腕を掲げると指先を動かし、眺め、皮膚をつまみ上げる。
「わ、私の右手が……。見て!ちゃんと動くよ!!それにつねると痛いんだよ!?あはは、つねったら赤くなっちゃった。……ぅう、うぐ。私の右手が……右手が……ぅう」
リズは驚きと喜びの表情でポロポロと涙を零し始めると、今まで塞き止めていた感情を乗せわんわんと泣き始める。幼馴染であるアカリも喜び、寄り添い一緒になって涙した。
二人が落ち着くのを見届けると、俺は立ち上がりリズへと右手を差し出す。リズはその手をしっかりと掴むと、引き上げられるようにして立ち上がる。
「よし、問題ないみたいだな!」
「……こんな泣き顔見られるなんて、問題大ありよ!」
涙で腫れた目は赤くなり、鼻をすするリズ。拗ねた子供の様に悪態をつくも、その笑顔は感謝に満ち溢れていた。
俺はその言葉に、いつも通りの発言で問題ないと言うとリズは恥ずかしそうに笑った。
穏やかな空気が流れる中、扉がノックされる。
「どうやら、無事終了したようじゃな」
そうにこやかに微笑むと、じいちゃんはティーセットを部屋に入れお茶の準備をし始める。リズとアカリは背筋を伸ばし深々とお辞儀をすると、三勇士様にこんな事させていいのかしら!?とあたふたする。
「さて、リズさんと言ったか。どれどれ?……うむ、魔力の流れも魔力による硬質化もなさそうじゃな!」
じいちゃんの優しい言葉にリズはホッとすると、思い出したかのように口を開いた。
「あ、あの……オルフェス様!不躾な質問かと思うのですが、お聞きしたいことがあるのです!」
「そんなにかしこまらなくとも良い。ワシはただのじいちゃんじゃい!……して、聞きたいこととは?」
「はい。……お爺様はシキ君の夢はご存知なのでしょうか?」
「無論知っておるよ。開拓する冒険家じゃろ?」
「王様からも認められる三勇士様の孫であり、長年苦しんでいた私の右手をあっという間に治してくれた……。この素晴らしい魔法があれば、多くの者が救われるはずです。将来国に仕えるべき者だと誰もが思うのですが、お爺様は反対されなかったのですか!?」
リズの真に迫る発言に、じいちゃんは動揺することもなくカップへお茶を注ぐ。悩む様子もなく、そよ風を優しく受け止める様にリズとアカリに口を開く。
「ふむ。二人はシキの所業に驚き、その考えは当然の事と思う。ワシも昔はそう考えておったよ。この子は幼い頃から驚くべきことばかりをしておったからのう……。国に仕える事がこの子の幸せであり、最善だと思っておった。しかしそれはワシの夢であり希望、この子の夢ではなくそこに希望はないと気付かされた。それに形は違えど、国に仕えることは変わらん。むしろ縛られることも無く、多くの者を救う存在になれると思っておるよ!なんせワシの孫じゃからなっ!」
じいちゃんは俺へと視線を向けると優しく微笑む。そしてカップを皆に配ると入り口へと足を運ぶ。
「さてさて、じいちゃんは退散しよう。シキに友達が出来て、ワシは満足じゃい」
パタリと扉が閉まるも、リズは誰もいない扉を見続ける。じいちゃんの言葉を噛み締め、胸に当てた右手をキュッと握りしめると何かを決心したように俺へと向き直る。
「私は……、貴方に話したいことがあるの。聞いてくれる?」
自身の殻を打ち破るように、凍てつき止まっていた時間が動きだす。
「私の夢はね、開拓する冒険家になることだったの」
その言葉を皮切りに、リズは語り始める。過去の自分を受け入れ、前に進むために……。




