44.期待ハズレ。
長年の習慣からか誰に起こされるでもなくスッと目を覚ます。真っ白な壁に囲まれた部屋にはベッドに机、本棚にクローゼットと至って普通の家具が並べられている。ただひとつ落ち着かないのは、この部屋の広さくらいなものだろうか。
この家……いや屋敷はクランツが用意してくれた住まいである。
閑静な住宅街の中でも一際大きい屋敷。長年過ごしてきた木造2階建ての家とは異なる家の匂いが、未だ自分の家ではないように錯覚する。
以前住んでいた家が勝っているとしたら山の上にあるということで標高くらいなものだ。敷地の広さに驚き、部屋の数は誰がこんなに使用するのだというほど多い。
じいちゃんにクレア、そしてクレアのお母さんがここに越してきたのだがそれぞれ部屋割りをしても十分すぎるほど余っている。
だがせっかくの好意で用意してくれた訳なので、迷惑だとは思っていない。
ただ広すぎて少し寂しい気持ちになっているだけだ。いずれこの環境にも慣れるだろうと思い、俺はベッドから降り制服へと着替えを済ます。
1階に降りると執事のセバンさんがいち早くこちらに気付き挨拶をする。
「シキ様おはようございます。本日もお早い起床ですね」
しっかりとセットされた白髪に手入れの行き届いた髭。優しい表情に口調も穏やかで、ここに来てから色々と気にかけてもらっている。クレアの大食いにも驚きを見せず、絶えず微笑みを見せてくれる。
当初この人は常に冷静なんだなぁと感心していたが、唯一取り乱したことがあった。それは屋敷を案内してもらい、丁寧な説明を終えた時のことだ。「どうぞお好きなお部屋をお選びください」と言われたので、俺は迷うことなく階段下の小部屋を選択したのだった。
――が、「そ、そこは物置部屋です!2階のお部屋をご利用ください!!」そう慌てて却下されたのだった。
まさかそんな所を選ぶなんて予想もしていなかったのだろう。だが俺としては広すぎる部屋よりも秘密基地のような小さな部屋でよかったのだが……。
俺はセバンさんに挨拶を返すと屋敷の外へと出る。太陽の光を浴び大きく背伸びをして庭を見渡す。本当に広いな……。
現在この屋敷には俺たち以外に使用人が7名もいる。
セバンさんを筆頭にメイド長に料理人、庭師と王宮に仕えていた者達だ。三勇士の家族と勇者クレアの家族に仕えることは最高の誉れだと喜びを表してくれていた。それはとても嬉しいことなのだが、今までやっていた家事全般がまるっとなくなってしまった。まぁこれは学業に専念してほしいということだろうと気持ちを受け入れる。
がしかし、これに意を唱えるものが一人いた。クレアのお母さんである。ご飯を作ろうと調理場に足を運べば「奥様はゆっくりしていてください」と言われ、掃除をしようとすれば「奥様はお部屋でお休みになっていてください」と言われる。ならば花壇の手入れをと外に出れば「お怪我をされては困ります」とたらい回しにされていた。
何をするでもなく1日が終わっていくこと数日。おばさんはメイド長のアメリアさんに直談判をする。
「お願いです。私にも何か手伝わせてください!」
「お気遣い誠に感謝いたます。ですが家事全般は私どもが責任を持っていたしますので、奥様はゆっくりしていてくださってよろしいのですよ?」
「で、でも……」
アメリアさんは少し困った表情でおばさんをなだめる。他の使用人達も、どうかお任せくださいと意気込んでいる。
「皆さんの仕事に文句なんて一つもありません!ただ……」
「……ただ?」
「このままだと私、太ってしまいますっっ!!」
この切なる一言が決め手となった。
アメリアさんは仕えている主人にこのようなことを言われるとはと、少し笑いながらかしこまりましたと優しく返答するのであった。
その日からおばさんは新米メイドのように仕事をし打ち解けていく。今でも主人と使用人という建前はあるが、それでも分け隔てなく笑い声がよく聞こえてくる。その声を聞くたびに、この屋敷が喜んでいるようにも感じる。この屋敷は立派な外観に内装ではあったが長い事使用はされていなかった。それが今ではクレアの為に大忙しの厨房に、談話室からの笑い声。屋敷内を縦横無尽に飛び回るピースケに、手入れの届いた庭。改めてここが新居なんだなと認識する。
ちなみにフォグリーン村の家は、エルク隊長に掃除を条件にほぼ無償で貸している。
「さて、朝飯食って学校にいくか……」
早朝から庭の手入れをしているトムさんに手を降ると、トムさんは帽子を軽く上げてにこやかに挨拶を返してくれた。
その後朝食を済ませ元気な声で行ってきますというと、皆からいってらっしゃいと気持ちのいい声が返ってきた。クレアとピースケは嬉しそうに門を後にし、まだ学生など歩いていない街へと歩きだす。早朝ということもありクレアの存在に気付いた者は数名程度で、道も空いていることから難なく学院に到着する。
「あれ……。シキ疲れてるの?」
「あー、まぁちょっとな……」
「今日は魔力測定の日なのにだらしないなぁ!アタシは今日も絶好調だよっっ!」
そりゃ朝飯の量を見れば言わずともわかる。
俺は二人に少し夜更かししただけだからと軽く流すと、自分の教室へと歩きだす。
「二人とも同じクラスでいいなぁ!私のクラスからは1番遠い距離にあるし……」
「暇だったら休憩時間に遊びにこいよ!みんな喜ぶだろうし……つってもそっちのクラスで取り囲まれてそれどころじゃないだろうけどなー」
「うんうん!多分そうなるだろうね。でも友達がたくさんできると思うとワクワクするよ」
好奇心の塊が今にも爆発しそうだと言わんばかりに、クレアの表情は輝いていた。
一学年は8クラスあり各クラスに八騎星が割り当てられている。主に知識・体力・精神面を学院内で学ぶことになる。二学年になると4クラスになり、より実践経験を積む為に各地へ派遣されることが多く、学院の滞在もそう多くはない。三学年にもなるとクラスはなくなり自信が選考した分野に派遣され、学院内にいることすら滅多にないのだという。
まぁ、ずいぶん先の話しにワクワクも何もないのだが、今は横の繋がりを広げていこう。
俺はクレアと別れ教室へと入る。
長年使用されてきた黒板に教壇。綺麗に整列された机が凛とした空間を作り上げている。真っ白なカーテンを開けると曇り一つない窓ガラスから朝日が射し込む。
俺は自分の机に着席すると、誰もいないことを確認し机にしがみつく。
「うぉおお!ここで勉強するのかぁ!そしてこれが俺の机……。ふふふん」
「ちょっと~、ここはシキの机でもあるけどアタシの机でもあるんだからねー!」
たしかに……。シルフ専用の机などあるはずもなく、必然的に俺と共有することになる。せっかく俺専用なのだと喜びを噛みしめていたのに、あっさりと現実を突きつけられた。
シルフは鼻歌を歌いながら俺の邪魔にならないよう左端に座り込み、小さなバッグからこれまた小さなノートを机に並べる。そして黒板に目を輝かせながら授業楽しみだねと語りかけてくるのであった。
その後クラスメイトが登校して来るとシルフは真っ先に挨拶をしに駆け寄り、楽しそうに会話を弾ませるのであった。この状況を見ているとシルフであろうがピースケであろうが関係なく、素の自分が受け入れられているのだと良くわかる。
「おっ!シキおはっすー!さすが八騎星ともなると来るのが早いな~!」
「シキ君は周りの生徒の手本とならないといけないからね。ジャンのように後先考えずに初日から徹夜なんてしないだろうよ?あっと、シキ君おはよう!」
そう挨拶をしてきたのは俺の前の席に座るジャンと、その親友のロンであった。二人は幼馴染で小さい頃からこの学院に受かることを夢見てきたそうだ。昨日会ったばかりではあるが俺が三勇士オルフェスの孫であることも、八騎星であることも畏怖することなく気さくに接してきてくれる。それにより周りの生徒達も、俺に対して気軽に接してきてくれる空気を作ってくれたのだから感謝しかない。それを踏まえたうえで俺は挨拶を返す。
「おう!二人共おはよう!ってか、徹夜したって本当かよ?今日は魔力測定があるのに……」
「いやぁ~、最近勉学に力が入っちゃってね……。気が付いたら朝だった訳!で、寝たらヤバいと思ってそのまま登校した訳さ~」
「べ、勉学だって!?シキ君、真に受けないでね。ジャンの言ってるのは小説だろう?」
「はぁ!?これだからロンは視野が狭くて困るよ……。俺が読んだのは【勘違いアベルの冒険記】と【花の騎士と狼】だぞ?これは両方とも実話から執筆された物語なんだから、ある意味歴史の勉強だろ?」
ロンはため息をつくと横目で俺の表情を伺い、メガネを正すとジャンに人差し指を向ける。
「たしかに実話かもしれないけど、あれはかなり空想よりに話しを盛っているだろう?そんなことよりシキ君……前の席がジャンで、なんかごめん……」
「いやいや、俺はジャンが前の席で良かったと思ってるよ!クラスに溶け込むことができたのも二人のおかげだと思っているしさ!」
「ほーらみろ!シキは何とも思ってないってよ。ロンが色々考えすぎなんだよ」
ジャンは下から顔を覗かせるように、ロンに言葉を返す。
あぁ。これが同世代の会話かぁ……。なんかこう、非常に溶け込んでいるというか。特に話しが盛り上がっている訳ではないのだが、互いの心の距離が少しづつ近づいている感覚が非常に嬉しい。
俺はジャンにその小説の内容はどうだったのかと聞くと、周りの生徒も話しに巻き込んで朝のホームルームまで楽しく時間を過ごすのであった。
ホームルームが始まると担任のローウェン先生から本日の内容が説明される。魔力測定は1クラス毎に行うようで、それまでは座学になるようだ。学院内での規則や施設の使用方法、研究会など配られた用紙に目を通しながら話しを聞く。皆真剣に話しを聞き時間はあっという間に過ぎていった。
「ローウェン先生、測定の時間となりましたので移動をお願いします」
「わかりました」
そう返事を返すと俺達に指示が出される。教室から測定室に移動を開始し、列を乱すことなくその順番を待った。
正直この手の測定はめんどくさいと思っていた。周りからはシルフの加護を受けているという設定ではあるが、それでもなんの細工もしなければクレア以上の魔力を保有している。それが公になった場合、俺の平穏な日常は大きく変貌することだろう。ここ最近じいちゃんも口うるさくなくなってきたというのに、それをまったく関係のない人間にあーだこうだと言われるのは迷惑以外の何物でもない。
そして今日の魔力測定において俺が潔く測定するつもりなど毛頭ない。しっかりと準備は終えてきた。
今でこそ感謝はしているのだが、当初なんの役に立つのだと思っていたモノを俺は持っている。
それは魔王から人間に転生する際に創造神・エリクシアからもらった一つのスキルである。適当に選んで後に貰ったことを思い出し確認したのだが、その時は本当にクソスキルだと思ったことを今でも覚えている。
【瞬間移動(f)】全魔力を消費し半径1Km以内に移動することが可能。―――――――。
もし俺が普通の魔力しか持たない、前世の記憶も持たない人間であれば優れたスキルなのだろう。なにが優れているって、魔力が全快であろうが少量であろうがこのスキルは全魔力を消費して使用が可能だということである。強力な魔物との戦闘において魔力も体力も枯渇し、逃亡する際にはうってつけのスキルなのだから。しかし今の俺には戦闘においては全く役には立たない。現状倒せないと思う魔物もいなければ、1Km先に瞬間移動できたからなんだというのである。
だが今は違う。この面倒くさい測定において魔力を0にし、魔力が回復し始めた際に年相応の魔力量まで回復させ供給を遮断して今現在に至る。まぁ、朝一に使用したものだから気怠さはあるが、面倒事を回避できるのであれば大したことではない。
俺は呼吸を整え、一歩づつ前へと進む。
「はい。では次、シキ・グランファニア君ですね。ではこちらの台座に手を乗せてください」
そう女性教員から促され白い台座へと手を置こうとしたその時、何やら視線を感じる。
ふと目の前の女性教員の左後ろに視線を向けると入学式で紹介のあったNo.sからの特別教員、マリベル先生が期待に満ちた眼差しで俺を見ているのだった。しかしどことなくいやらしさも感じ取る。
な、なんなんだこの人は?あきらかに何かを期待しているように感じるが……。
俺は躊躇してほんの少し手を引く。それをシルフは見逃さなかった。
「シキがやらないなら、アタシが先にやっちゃうよ~~」
そう言うとシルフは軽く台座にタッチする。すると台座はピシッと放電しボボンッッと音を上げると少量の白煙を出し停止してしまった。
「ああああああああああああ!アタ、アタシのせいで壊れちゃった!?!?どどどどうしよう!!シキっっ!シキーーーーーーっっ!!」
俺の名前を呼びながらシルフは口に手を当て慌てふためいている。女性教員も立ち上がり思いもしていなかった事態に困惑している。周りからも驚きの声が止まらない。
「マジかよ!ピースケすげぇ魔力持ってるじゃん!」
「つぅか妖精って測定器壊せる魔力持ってるの!?」
「やば、やばぁーーーー!」
一時騒然となったが冷静な声が辺りを静める。マリベル先生だった。
「皆さん落ち着いてください。これは人間用に開発された物ですから、ピースケちゃんの魔力に誤作動を起こしてしまったようですね。ふふふ……」
そう穏やかに説明をすると、まるでこうなることが分かっていたかのように新しい台座を設置する。
そして変わらぬ眼差しで俺へと視線を向けてくる。
「さぁさぁ、次はシキくんの番ですね!大丈夫ですよ?何があってもいいように測定器の変えはありますから」
ニコニコしながら進めては来るが、何かが怖い。
もしかしてシルフの加護を受けているから、俺の魔力量に期待しているのだろうか?
俺は考えても仕方のないことだと思い、特に詮索することもなく台座に手を当てる。ピピッと音がなると台座から紙が排出され、女性教員が手に取る前にマリベル先生がもぎ取った……。
俺は静かに立ち去ろうとその場から離れようとするがマリベル先生から引き留められる。
「ちょ、ちょっとシキ君待って待って!!あ、あのこの魔力値は一体??だってあなたは……加護がその……」
そう言いかけシルフの方へと目を向ける。
あぁ、やっぱり俺の魔力量に期待していたのか……。
「先生は何か誤解をしているようですが、俺の魔力なんて年相応なもんですよ?妖精の加護といっても病気や魔法耐性が本の少し向上する程度ですから」
周りの生徒の視線もあってあえて妖精の加護と言いはしたが、マリベル先生はそれを理解した上で口をパクパクしながら目を点にしている。
「まぁ!年相応だなんて……。マリベル先生?この数値はかなり高いものです……よ?先生??」
女性教員が声をかけるが、マリベル先生は返答すらしない。まるでシルフが壊した測定機のように沈黙している。心なしか頭から白煙が上がっているように見えるのは錯覚だろう。
「どうしたの?壊れちゃった??」
「わからん!とりあえず後ろもつかえてるから行くぞピースケ」
「あいあい~」
何を期待していたのかはわからないが、悪意のある感じではなさそうだ。
俺はそう感じ取ると抜け殻のように椅子にもたれ掛かっているマリベル先生を余所に、午後の研究会の事を考えながら測定室を後にするのであった。




