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41.無償の愛。

 冬の寒さも少しづつ薄れ始めた昼過ぎ、俺は急いでクレアの家に向かっていた。

 ここ数日は引っ越しの準備に大掃除と忙しくもあった。というのも来月からの学院生活は王都内から通うこととなった。

 俺としては魔導列車にゆったり揺られながら通学でもよかったのだが、成人を迎え王都の生活にも慣れた方がいいということで、この度引っ越すこととなった次第である。

 とは言え長年生まれ育った愛着のある木造二階建ての家。じいちゃん曰く手放すつもりはないらしい。

 本来この山は邪竜を封印していた国の管理下における場所であったが、3年前の一件以来その厳重区域から外されたとのこと。

 それに伴い空間転移魔法陣も撤去され本当にただの山。

 そこでじいちゃんはこの山を丸ごと購入したのである。もちろん一般人では購入なんて不可能なのだが、そこは今までの功績を積み重ねてきたじいちゃんの人望によりすんなりと許可が下りたのだそうだ。


 子供の頃からこの山は自分の物なのだと勘違いしていたのだが、改めて私有地になったことは素直に嬉しい。慣れ親しんだ石畳の階段を軽快に降りていき、俺はクレアの家へと到着した。


 「クレア!もう届いてるか!?」


 「じゃーーーーんッ!!見てみてーー!さっき届いたよ」


 はしゃいだ声と同時に、俺の視界にバレンシア校の制服を着たクレアが飛び込んでくる。

 月明り照らす夜空のような藍色のブレザーに、太陽を彷彿とさせるオレンジチェックのスカート。黒の二―ソックスに、下ろし立ての茶色いローファー。そしてその隣にはシルフも同じ制服を着て、嬉しそうに飛び回っている。二人とも制服を着ただけだというのに、そこには少し大人びたクレアと、知的に見えるシルフがいた。

 目を輝かせながら二人を絶賛すると、俺も一室を借りて制服へと着替えを済ませる。男子生徒はパンツが黒というだけで、他はクレア達と同じであった。鏡に映る自分は紳士的で、凛とした大人の男性に見える。

しかし嬉しさから顔は綻び、いつもの俺がそこにいた。

 俺達はお世話になった村の人や、軍関係者に挨拶回りに行こうと外に出る。

 とタイミング良く散歩途中であろう車椅子を押すポーラ姉ちゃん達が目に入る。


 「ポーラ姉ちゃーん!」


 いつもより良く声が通り、俺達の存在に気が付いてくれたようだ。二人の目の前まで駆け寄り、下ろし立ての学生服を披露する。


 「どう?似合ってるかなぁ?」


 「みてみてぇ!アタシの学生服は特注なんだってぇー!」


 クレアとシルフはやっぱり女の子というか、いつも以上にはしゃいでいるのが良く分かる。堂々としているようで少し恥ずかしさもある表情ではあるが、それでもやっぱり嬉しさが勝っているようだ

 

 「おぉっ!バレンシア校の制服かぁ!三人ともよく似合っているじゃないかッ!」


 花が咲いたような喜びの笑顔で俺達に言葉を贈る。そして優しい表情そのままに視線を落とし――


 「グレイス、お前もしっかり見てやってくれよ?あの小さかったシキとクレアがこんなにも成長したんだ。こんなに嬉しい事はないだろう?」


 そう呼びかける先にいるのは車椅子に静かに座るグレイス兄ちゃんであった。

 邪竜解放事件の直後、王都にて様々な角度から調査が開始された。魔法による洗脳、魔導具による遠隔操作。グレイスの過去の経歴、友人関係にその日に至るまでの行動全てを。

 しかしわかったことはグレイスという人間が国を愛し、それを矛盾するかのように邪竜を解放したということだけであった。本人から聴取しようにも虚ろな目で話しは噛み合わず、魔力抑制の腕輪を外すと大暴れすることから今でも両腕にしっかりとはめられている。

 そんな国をも壊滅しかねない事件を起こし、死刑にも投獄もされずにこの地に居られるのはクレアの恩恵が大いにあった。

 もちろん上層部ではそんな重罪人を野放しにしておく事などできないと正論すぎる意見が飛び交った。

 しかし最重要人であるグレイスの自閉及び衰弱が進行を早め、拍車を掛けるよう事件の真相は遠のいて行った。明らかに生きるという気力が低下していたのだが、ポーラ姉ちゃんが引き取り介護を行うと申し出て様々な誓約書に印が押され今現在はここで生活をしている。

 相変わらず会話をすることは出来ないが、ポーラ姉ちゃんの献身的な介護のお陰で一時よりは健康的になった。とは言え、剣を握ろうにも細くなった腕に少し痩せこけた頬、あの頃の勇ましいグレイス兄ちゃんはここには居なかった。


 「おいおい、シキ。何を難しそうな顔をしているんだ?そんなんじゃあグレイスに笑われるぞ?なぁグレイス?」


 そう茶化すように言葉を投げ掛けると、グレイス兄ちゃんは優しく微笑んで俺に視線を向ける。それは本当に穏やかな表情で、無力な俺を優しく包み込んでくれた。

 その後村と軍施設を周り、夕方になるまで俺達は成長した姿を見せて回る。


 「じゃあ俺はそろそろ帰るわ。シルフ行くぞ」


 「ぇえ……アタシまだクレアんとお喋りしてたいから、シキは先に帰ってて!」


 振り向くことなく「あいよ」と返すと、後ろからは今日初めて会ったかのような談笑が聞こえてくる。しかしその声も次第に遠のいて行き、俺は春の夕暮れに吹く風を気持ち良く受け止めながら家に着いた。


 「じいちゃーん、ただいまぁ!」


 あ、そういえばじいちゃんにまだ制服姿を見せていなかった。

 襟を正し、軽くブレザーを叩いてじいちゃんがいるであろう食卓へ向かう。


 「おぉ!なんと立派な……」

 

 昼間散々言われたであろう言葉であったがじいちゃんにそう言われるとやっぱり嬉しい訳で、鼻を擦りながら笑みが零れていた。


 「そうか、そうか。もうシキも立派な大人になったんじゃなぁ……」


 じいちゃんは感激のあまり少し涙目になっているだろうか。そして一呼吸置くように目をつむり、何かを決心したように口を開いた。


 「シキや……。お主に大切な話しがある。ここでは息が詰まってしまいそうじゃからな、外へ出るとしよう……」


 不安、悲しみを連想させるようなその言葉と比例し、じいちゃんの表情はいつ晴れるかわからない鉄のように重苦しい雨雲のようであった。

 俺は一体何事かと思い、言われるままに後に付いて行く。陽気だった太陽はもう間もなく沈もうと、ゆっくりゆっくり西の山に下りようとしている。それを待っていたかのように、まだなお冷たい風が悪戯をするかのように頬と手をすり抜けていった。

 一言も会話はなく、静かに山頂へ向けて足を運ぶ。山頂までは大した距離ではない、しかしこの沈黙がそうさせるのかとても長い距離に感じた。


 なんだ?一体なんの話しなんだ?まったく心当たりはない……。

 さっきまで制服を着て浮かれていた脳みそをフル回転させるが、まったく身に覚えはない。しかしいつも明るいじいちゃんの表情と言葉から察するに深刻な内容だということは伺えた。

 そんな事を考えているといつの間にか山頂へと到着していた。じいちゃんは綺麗に後片付けされた祠の後を懐かしむように見回し、視線を俺に向ける。

 

 「すまんなシキ……。こんな所まで連れ回して。……あれからもう15年もの月日が経ったのだな……。シキや、大事な話しと言うのはな……」


 じいちゃんの言葉が詰まる。と同時に俺は生唾を飲み込む。


 「シキはワシの本当の孫ではない。血の繋がりはないのじゃよ……」


 「え?」


 じいちゃんは悲しげな表情のまま話しを続ける。15年前邪竜を封印した際に俺を拾い上げてくれたこと。それからの日々が喜びに溢れていたこと。そして本当の家族ではないこと。


 「……じゃからシキ、この話しはお主にとってとてもショックなことだと……」


 「なんだよじいちゃん、そんなことかよぉ……」


 俺は話しを聞き終える前に尻もちをつくような形で地面にへたれこんでしまった。

 

 「そ、そんなことって、シキはショックじゃないのか!??」


 「え、なんで?」


 「なんでって……ワシとは血の繋がりもないし、本当の家族でもないのじゃぞ!?」


 それはさっき聞いた。というかこの話しの内容自体わかりきっていたことだ。

 人間に転生してぼやける意識の中、最初に目に入ったのがじいちゃんだ。いっそ俺が魔王アルディアの生まれ変わりなんだよ!だから色々な知識もあるし、拾ってくれた時のことだって覚えているんだよって言ったほうがいいのか?

 いや、そんな必要はない。だってそんな小難しい話しを考えるよりも俺の口は頭ではなく、心で喋ろうとしていたからだ。


 「じいちゃんはさ、いつだって俺が寂しくないように見ていてくれたでしょ?遊びに行く時はいってらっしゃいって言ってくれて、帰ってきたらお帰りなさいって言ってくれる。毎日ご飯も作ってくれて、その日あった話しを聞いてくれる。俺が寝付けないときには、知らない話しを楽しく話してくれたり……。俺はそういった喜びの日々を知っているから……じいちゃんに教えてもらったから。だから血の繋がりなんて関係ないよ。じいちゃんは誰が何と言おうと家族だよ!」


 「ワ、ワシは長い事一人でおったからのぅ。シキに出会って一方的に家族だと思っておったが、そうか……ワシだけでなく、シキもそう思ってくれておったのか……。こんなに立派に成長して、ワシは本当に嬉しい」


 ポロポロと涙を流すじいちゃんを見て俺も泣きそうになってしまった。俺はそれを誤魔化すように生い茂っていた木から葉を一枚むしり取ると、口に当て勢いよく吹く。が――


 ブピィィィィィィィィーーーーーーーー!


 「あ、あれ?おかしいな……」


 「ふっふっふ。成長したもんだとばかり思っておったが、シキもまだまだじゃな」


 そう言うと同じように葉を口に当て、じいちゃんは息を吹き当てる。


 ピィィィーーーーーーーーー!!


 ニッコリといつものじいちゃんが歯を見せながら笑っている。と、ここで勢いよくじいちゃんの懐に突っ込む者がいた。ボスンっ!と音を立てたかと思えば泣きそうな声でシルフはじいちゃんのローブから手を離さない。それに少し遅れ、後方にはクレアの姿が見え駆け寄ってきた。


 「オ、オルじぃはアタシにとっても家族だよぅぅっ!だからそんな悲しいこと言わないでよぅう!ぶぇええええんんん」


 「おじいちゃんはおじいちゃんだもん!私だって家族だもの!ぅう……」


 シルフはボロボロと鱗のような涙をこぼし、クレアに至っては鼻水まで垂らしている。というか、この二人いつから聞いていたんだっ!?


 「お、お前らなんでここにっ!?というか聞いていたのかッッ!!」


 「だって……オルじぃに制服見せてなかったし……クレアんと一緒に上がってきたら山頂に向かう二人が見えたんだもの」


 「盗み聞きするつもりはなかったんだよ!驚かそうと思ったら……ずぴぴ」


 申し訳なさそうにする二人であったが、じいちゃんはそんな二人に優しく微笑みかける。


 「なんと、ワシは愚か者じゃなァ!こんなにたくさんの家族がおったのに気づけなんだ。みんなありがとう!ワシは本当に幸せ者じゃなぁ……。ふふ、二人ともそんなに泣いておったら、せっかくの晴れ着姿が台無しじゃぞい」


 じいちゃんの優しい声が場を和ましてくれる。

 じいちゃん。俺だって幸せ者なんだぜ?真っ暗な荒れ狂う海を航海するように、行き先も目先も何にも見えない状態でギュっと握った手がじいちゃんの手だったんだ。

 それからの毎日は本当に平穏で、日々光り輝いて楽しくて楽しくて仕方がなかったんだ。だから本当は俺から感謝の気持ちを言うべきだったんだよな。

 そんなことすら気がつかず、幸せに盲目になっているんだから俺はまだまだ子供だよ。


 「ところでじいちゃんさ。なんで俺を孫として育てたの?」


 「んん?それは決まっているじゃろう。シキが学院に通う事になって、こんなじいさんが父親なんぞ恥ずかしいじゃろ?じゃから孫でいいんじゃよ」


 「な、なんだよそれぇ!別に息子でもいいんだよ?なんだったら今から父さんって言おうか?」


 まったくじいちゃんには頭が下がる。15年も前に拾い上げてくれた時からそんなことを思ってくれていたなんて。俺は意地悪そうに父さんと呼んでみる。すると顔を真っ赤にしながら、じいちゃんと呼んでくれと言ってきた。でもその顔は嬉しそうで、さっきまでの不安な顔はなく晴れ晴れとしたいつものじいちゃんがいた。


 もう間もなく陽が沈んでしまいそうで、風もかなり冷たい。

 でもしわくちゃのじいちゃんの手はとても暖かく、この手で俺は育てられたんだなと思うと自然と心も温かくなった。


 そしてその数日後、慣れ親しんだフォグリーン村から王都へと引っ越しが完了し、俺達は入学式を迎えることとなった。




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