29.シルヴィ・グランファニアとシキ。
戦場に鳴り響く魔法の轟音。
辺りは土煙が舞い、魔物達の死骸が横たわる。
考えないようにしてはいるが、頭の中では死という言葉がよぎる。
ロンドアーク領土拡大に伴い、戦場に駆り出され早3ヵ月が経とうとしている。
ここにはまともな食事も水も、そして寝床すらない。
俺の組する部隊は先遣部隊であり、本体に必要な情報収集を行うことが仕事である。
4人一組が8部隊いたのだが、日に日にその数が減っていく。
大型の魔物や集団で生息する魔物、戦わなくてはならない状況が次から次へと押し寄せてくる。
体力の消耗も激しいのだが、知った仲間達が返らぬ者になった時の精神的ダメージが大きい。
それでも軍人として前を向き続けることができたのは、祖国ロンドアークに住まう者達の明るい未来の為。
その想いがあるからこそ、戦場で正気でいられるのだなと思えた。
それにしても今日は疲れた……。
全食軍隊蟻に鋼鉄羽蟻の群れに襲われ、それでも俺のパーティーが全滅しなかったのは信頼できる仲間のおかげであった。
今は岩陰に身を潜め、俺の結界術で皆が安堵の息を漏らしていた。
今日はここで野宿になるだろう。
シーツもなければ簡易用の寝袋もない。
自宅の煎餅布団がいかに快適であったか思い知らされる。
しかしゆっくり身体を休めることが出来そうなので、精神的にも楽ではあった。
今日はゆっくり休み、朝一番で本体と合流をしよう。
必要な情報は得ることが出来たし、何より仲間達の疲労も溜まっている。
そしてなにより、食料と水がない……。
昼間襲われた際に、全てを犠牲にしてしまったからだ。
「……なぁ、本当に良かったのか?」
「え?あぁ、食料を失ってしまったが、全滅は避けられたしな。とりあえず明日、本体と合流するために――」
「いやいや、そうじゃなくて。お前ら結婚して間もないのに、戦場に出てきたことについてだよ!」
「あー……、それは私も思っていた所だね!あえてあんたらの気持ちを汲んで聞かないことにしていたけど、今日の魔物の群れに出会って死を感じて聞かない訳にはいかなくなったよ……」
「まったくだな……。どうなんだオルフェス?」
ボロボロのマントに傷だらけの軽鎧、それでいてもいい男だとわかるラフロスが食い気味で聞いてくる。
男勝りだが美しい顔立ちをしたピクルは、あぐらを掻きながら黙って視線を向けてくる。
「あ、いやまぁ……。良かったのかと聞かれても……実際3ヵ月ここにいる訳だし。それに明日本体に向けて帰るから……」
「まったく答えになってないぞ?」
「……こりゃ駄目だね。完全に尻に敷かれちまってるよ。大方言い任されて、頷いちまったんだろう?なぁシルヴィ?」
2人が視線を横にずらす。
そこには純白であったであろう白いローブを纏った女性、すなわち俺の妻であるシルヴィがきょとんとした表情で2人を見ていた。
「なるほど、なるほど~。そっかそっか!2人ともお腹を空かしているから怒っているんだね~。よし、ではこれをあげよう」
そういうとポケットから銀紙を取り出し、俺達3人にビスケットを1枚づつ配っていく。
砂糖など高価な物は使用していない、素朴な味わいのビスケットだ。
それでもお菓子という時点で貴重なものである。
「べ、別に私らはお腹が空いているから怒っている訳では……」
「ふ、いいのかシルヴィ?これはお前が一生懸命働いたお金で得た、高価な食べ物なんだぞ?」
「うんうん!全然いいよ。私は9枚食べたし!」
「そ、そう……じゃあ、遠慮なく……」
ピクルが一口で食べようと大口を開けようとした時……。
ペキッ……
「はいシルヴィ。半分づつにしよう」
俺はビスケットを丁寧に半分に割り、妻に手渡す。
「……え?でも私は9枚食べたんだよ?」
「それはここに来る前だろ?それにこのビスケットは12枚入りだから、シルヴィが食べる分がないじゃないか」
そう言うと少し恥ずかしそうに下を向き、照れながらビスケットを受け取る。
「そういえばシルヴィは、どんな時でも自分の事よりも他人の事を考える奴だったな。ほら俺のも半分やろう」
「あー、ムカつく!そういう自己犠牲いらないからっ!でも私が持っていないものをアンタは持っているから羨ましいよ。ほら、私のもやるよ」
2人は微笑みながらシルヴィに手渡す。
口の中の水分が程よく持っていかれたが、気持ちが満たされていった。
「え~~、みんないいの?私だけ多くなっちゃったよ!」
「いいんだよ、みんなの好意に甘えておけばさ」
「俺はこれにミルクを付けてほしいところだな……」
「私は菓子よりも肉が食いてぇな……。王都に戻ったらシルヴィに奢ってもらうかな」
「えへへ……。やっぱり優しさは優しさで返ってくるんだね」
満面の笑みと、物腰柔らかい口調が皆を和ませる。
その日食べたビスケットの味は生涯忘れることのできない味になった。
それから幾度と戦地に足を運び、功績をあげ次第に我々は四勇士とまで呼ばれる存在になっていた。
季節の移り変わりもゆっくりと楽しむことなく、ひたすら国の為に人生を捧げてきた結果であった。
子宝にこそ恵まれなかったが、気持ちは充実していた。
彼女がいたからこそがんばれたし、日々が輝いていた。
しかし別れが来る。
戦地にてシルヴィが命を落としてしまった。
魔物の群れを一人で引き受け、兵士達を守ったのだという。
彼女らしいといえば彼女らしいのだが、そんな簡単な言葉で片付けられるほど気持ちは割り切れなかった。
周りの者からは時間が解決してくれるとか、上っ面の言葉ばかりが並べられた。
酒に溺れ、幻覚魔法に手を出したこともあった。
しかしあの日あったであろう、満ち満たされる気持ちには到底ならなかった。
そんなある日、妻に命を救って貰ったという兵士達が訪ねて来た。
見るからに二十歳そこそこの青年であったが、その青年から妻の最期を聞かされた。
『あなたたちはまだ若いんだから、こんな所で命を落としては駄目!私がお母さんだったらきっと悲しくて悲しくて毎日泣いてしまうもの……だから今は引いて、もっと強くなりなさい!』
シルヴィの姿が容易に想像できた。そしてこの若者たちに、しっかりとシルヴィの意思が残っているのだと実感した。
情けない事に、わんわんと大泣きをしてしまったが、この日を境に俺は一つ区切りを付けることが出来たのかもしれない。
その後も多忙な日々を送るのだが、心には余裕があった。
季節を楽しむこともできた。
それはきっと心の中にシルヴィがいるからなのだと思った。
今はもう全てが過去の話し。
あの頃の悲しみに明け暮れていた自分はもういない……。
と、ここで――
ピィィィィィーーーーーーーッッ!!!
ヤカンから勢いよく湯気が溢れだす。
慌てて火を止め、一息漏らす。
「おいおい、何をボーっとしているのだ」
「どうせアンタの事だから、昔のことなんぞを思い出していたんじゃないのか?」
振り返るとそこには年を取った仲間、ラフロスとピクルが食卓に腰を掛けていた。
照れ笑いをしながら茶葉の準備に取り掛かる。
フンと笑いながらピクルはビスケットを皿に盛っている。
ラフロスは見ていられないなと、ティーポットとカップの準備をしている。
そして少し冷ましたお湯を注ぎ、香りのよい紅茶が出来上がる。
それを4つのティーカップに入れ、食卓に並べる。
空席にはもちろんシルヴィの分の茶菓子が用意されている。
それから3人で昔話に花を咲かせた。
見てくれは老人であるが、昔話をしている今だけは若かりし頃に戻った気分になる。
自分の忘れてしまっていたことが友人の記憶の中にあったり、当時から今に至るまでの懐かしい景色が頭の中に広がっていく。
と、ここでラフロスが改まって話しを始めた。
「……オルフェスよ、お前には本当に感謝している」
「ん?なにがじゃ??」
「シキのことだよ。当初お前が赤ん坊を引き取り、育てるといった時はビックリしたものだ。しかしそれが巡り巡ってクランツ様のご友人になり、今では掛け替えのない存在になっているのだ。ここだけの話し、クランツ様は現在加護竜の剣を2本会得なさった。歴代王の中でも最速であらせられるのだ」
「おぉ!それはなんともめでたい事ではないか!」
「私からも礼を言わせてもらうよ。じゃじゃ馬で大人の言うことなんかまったく聞かなかったシャルロッテ様も、シキに出会って大きく変わったんだよ。本当ならもっと早く言いたかったんだけどねぇ」
「ふはは、相変わらずピクルはワシらに素直ではないのぅ」
「言うじゃないかっ!でも本当のことさね。……ありがとう」
友人からシキの事を言われると、まるで自分の事のように嬉しくなる。
自分の本当の孫ではないが、それでも愛情をいっぱい注いだ自慢の孫である。
しかしいつかはこの事を話さないといけないかと思うと、胸が締め付けられる。
シキは一体どんな表情をするのか……。
「どうした?急に静かになりおって……」
「……いつかはシキに、ワシが本当のじいちゃんではないと告げないとならんかと思うと、少し気持ちが滅入るんじゃよ……」
「何言ってんだい!あの子は大丈夫だよ。私にはわかるよ!」
「あぁ、問題ないだろうな。それにショックを受けても酒や幻覚魔法には走らんと思うが?」
「お、お、お主ら!それはワシの事じゃろうがっ!!あれは弱き己の黒歴史じゃい!」
「ふ、悪ふざけが過ぎたが、安心しろとしか言えぬな」
2人が意地悪そうな顔をする中、玄関から声が聞こえる。
そのまま上がってくるように声を出すと、エルク警備隊長が姿を現した。
「オルフェス様、お休み中に申し訳ありません……って、え?さ、三勇士の皆様方?!!」
「我々の事は気に掛けなくても良いぞ?なんなら席を外そうか?」
ラフロスが気を利かせたつもりであったが、逆にエルク警備隊長は煽られた感じになってしまいあたふたし始めた。
なんとか落ち着かせ話しを聞いてみる。
明日軍事演習目的の一環として、ワシが指導をする部隊と共に討伐をするつもりであった魔物が別の魔物に捕食されたのだという。
その魔物は全食軍団蟻。
若かりし頃に手を焼いたあの魔物である。
名前の通り全ての動植物が奴らの餌になり、そして繁殖力も強く群れをなすことからBランクの最上級・ペインに位置付けられている。
ワシが抱える部隊では少し荷が重いかもしれない……。と考えていると。
「なら我々が行こうか……」
「そうさね。あの時の借りもあるし、久々に暴れたいじゃないか」
「え!!よ、よろしいのですかッッ!」
「あぁ、構わんとも。とはいえリーダーであるオルフェスの指示待ちなのだがね?」
2人とももうやる気満々の顔つきではないか……。
止めるにしても理由もないし、今回はお言葉に甘えさせていただこうか。
しかし年を取ったと言っても、まだまだ現役バリバリの動きをするであろう。それもまた若い世代にいい勉強になるものであろう。
ワシは食卓を綺麗に片づけると、皆と共に玄関先に向かう。
誰もいない家に一言、行ってきますと言う。
ふとシルヴィとのやりとりを思い出す。
『ねぇあなた。もし私達に子供が出来たらシキと名付けたいの……。仲間の士気を上げて、物事に的確な指揮を与えられる立派な人になってもらいたいの!』
『そ……それはすごく重荷のある名前じゃないか?』
『あとねー、四季折々を楽しめる。そんな意味も込めてる!』
『あー、俺達の願望がそのまま名前の由来になってるじゃないか……』
『ふふふ。大丈夫!だって私達が育てあげるんですものっ!きっと立派な子になるわよ?』
『ははは。なら安心だな!』
結局子供を授かることは出来なかった。
しかし、シルヴィの想いはワシに受け継がれ、その想いはシキに注いだ。
そうじゃな。いつか告白しなくてはいけないことに不安を抱くよりも、その時が来るまで無償の愛を送り続けよう。
きっと最愛の妻、シルヴィならそうするだろう。
ワシは見返りが欲しいわけではないということに気が付く。
まるでシルヴィに怒られたような、少し恥ずかしい気持ちになった。
シキも大きく成長し、ワシが教えられることも少なくなってきた。
しかし――
「……まだまだ、若いものに負けてはおれんわい!」
新たに気持ちを引き締め、若かりしあの頃の自分を重ねるように貨物用エレベーターに足を運んだ。
フワッと春の匂いが鼻をくすぐる。
手すりに手を掛けると、幼い頃のシキが柵越しにあれなにー!?と聞いてきたことを思い出す。
これから戦場に出向くというのに、心の中は優しい気持ちでいっぱいに溢れていた。
ふとラフロスとピクルに目を向けると、2人とも春風を気持ち良く受け止めていた。
きっと2人の中にもシルヴィの想いがあるのだと思うと、ワシは嬉しく思えた。




