21.悠久の魔法。
魔導具の手錠に、魔法術式の組み込まれた牢獄。この体制に安心しきっているのか監視すら置かれていない。
たしかにこの状況下では外部の情報はもちろん、雑音すら遮断されているので一般人であれば十分な造りと言えるだろう。
だが現実は遮断されているのではない。俺自身が魔力を遮断し、この手錠と牢獄に影響がないように取り繕っている訳である。
ゴブリンではなく、人間に捕まるとはなんともマヌケな話しだ。しかしこれからお世話になるカルネア達に迷惑をかける訳にはいかない。
ここは静かに待つとしよう。
「……シキ。私達捕まっちゃったね……」
「あのオッサン聞く耳もたねーんだもんな」
「うん。でもあの人を責めるのはやめよう?……不安と悲痛が入り混じって、困惑していたよ?」
「……あぁ。この待遇には納得いってないが、言いたいことはわかるよ」
正直あのオッサンの対応はわからない訳ではない。
二度襲撃を受けたと言っていた。一度目に統率の取れた、本来のゴブリンの行動ではない状況を目の当たりにし混乱。さらに短い時間に二度目の襲撃を受け、自分達以外信じられない心境に陥ってしまっているんだろう。
それにしても、なんだって人間をさらうんだ?
あいつらはそんな面倒な事はしない……。もっと短絡的で品性の欠片もない魔物だ。
そんな事を考えていると……。
シャコンッ!
鍵の掛けられていた木製の扉から、開錠される音が聞こえた。
そして勢いよく扉は開き、先程の若い男性が慌てて俺達に謝罪の言葉を述べる。
案外あっけなく解放された。時間にして二十分もたってない、つまりはシルフに伝達出来ていたことになる。
「お、お二人共お怪我はありませんでしたでしょうかっ!?この度は本当に申し訳ありませんっ!」
「やほーーーーーーいっ!シキにクレアん、お待たせ~~~!」
男性の上から聞きなれた声と共に、シルフが飛び込んできた。
「ミーちゃん!来てくれたんだね!」
「……よかった。俺はてっきり満腹になって、昼寝をしているのかと……」
「し、失礼なッッ!!」
男性は俺らのやり取りを見るなり、さらに緊張した表情で手錠を外し屋外へと案内してくれた。
牢屋の外に出ると気まずそうなオールドマンと、少しやつれたオルトファウスが待機している。
「シキ様、ご無事で……何よりです……うぅ」
「ずいぶんと具合が悪そうだけど、大丈夫?」
「は、はい。シルフ様に首根っこを掴まれ、今まで経験したことない速度を体験させていただきまして……」
「あー、たしかに到着するの早かったもんな。でも、ありがとう!これで話しが進められるよ。おい、オッサン!話しの続きだ!!」
「……話はもちろん聞く。その前にお前が暴食一角竜を本当に討伐した、風の調律神様と歩む者だったとは……。疑ってしまって、本当に申し訳なかった!!」
「あ??そんな話しはどーーーでもいいんだよっ!そんなことより、怪我人はいないのか?あのゴブリンの群れだったんだ!負傷者無しってことはないだろう?」
「あぁ、いるとも。しかし……」
しかし手の施しようがない……。そう言い切ってしまいたい気持ちを抑え、オールドマンは口を開かない。
やっぱりそうだよな。ゴブリンの性質上、いくら統率をとったとしても所詮はゴブリンなんだ。
あいつらにとって人間は玩具……。子供だろうが老人だろうが関係ない、嬲り殺すだけ。
呼吸をするように。瞬きするように。会話をするように。あいつらにとってはごくごく自然な事なのだ。
しかし臆病な性格を持っている事から、村や町などには近寄らず旅人を襲う傾向がある。
いくら小規模な村でも遠くから眺めているだけ。家畜を襲うことがあっても、村に押し掛けることはないのだが……。
「とりあえず、怪我人を収容している場所に案内してくれ」
オールドマンは押し黙ったままだったが、オルトファウスが静かに頷くとゆっくりと歩き出した。移動している間に情報を整理しようと、オールドマンとオルトファウスに話しを聞く。
王都から遠く離れたこのココール村は、ぶどう酒と羊毛を生産している小さな村である。
羊毛の品質はかなり高いもののようで、王都では常に品薄状態なんだとか。
そしてぶどう酒。東に広がるガトスラン荒野の土と、遥か北から流れてくるアトラス山脈の流水。気候もぶどう栽培に適しており、安定した生産量を生み出している。
安価でありながらその風味と色合いは、幅広い層から支持を得ているとのことだ。
そんな村にゴブリン達が襲撃してきたのは、本日の昼過ぎ。オルトファウスが村を去り、しばらくした時の事であった。
数十匹のゴブリン達が、村の入り口にある魔導結界をなんらかの手段で破壊し侵入。
村を警護する男衆が応戦し、その間に女子供を逃がしたが数名連れ去られる。その後、被害状況の確認と怪我人を救護所に運び治療を試みる。オールドマンは連れ去られた者達の救出に乗りだそうとした矢先、二回目の襲撃にあう。その襲撃により連れ去られそうな所を、俺達が食い止めたということだ。
幸い現段階では死者は出ていないというが、オールドマンの表情から察するに遅かれ早かれと言ったところだろう。
そして救護所に到着する。
白い石膏で造られたその建物は、普段からも医療所として使用されているようで少し大きめの作りであった。
中に入ると待合室が広がり、軽症である人達で溢れている。さらに進むと、かすり傷や軽い打撲を回復魔法で治療してもらっている光景が目に入る。特に命に別状はなさそうだが、医療班の女性達の不慣れな回復魔法で時間がかかっているようであった。
「シルフ。悪いんだけど、軽症の人達の傷を癒しておいてくれ。命に問題はないとはいえ、長時間苦痛を味わうのは辛かっただろうから」
「うんうん!りょうかい~~」
シルフはすぃーーーっと回復魔法を使用している女性達のもとに駆け寄り、待合室に治療中の人達を集めるように指示を促した。
軽傷であればシルフの一息で十分過ぎる程だろう。問題はこの先の部屋だ。
部屋の中からはうめき声が聞こえる。クレアには衝撃的な光景になるかもしれない、しかし現実から目を背けてはいけない。
俺は一度足を止め、クレアを見つめる。クレアも察しているようで、何があっても大丈夫と言わんばかりの目で静かに頷いた。
オールドマンが扉を開ける。まるで鋼鉄の大扉を開くようにゆっくりと……。
中には回復魔法を得意とする女性達が八名、重症者の手当てに全力を注いでいた。
右手首から先を食いちぎられた者。
顔の表面を削り取られガーゼと魔法で止血されている者。
全身を殴打され、さらには深い傷を負った者。
そして身体を抉られ、臓器が見えてしまっている者。他の重症者を合わせると、十一名が真っ赤に染まったシーツに横たわっている。
回復魔法でなんとか止血を行ってはいるが、全快までには程遠い。しかも傷が深い事から、回復魔法で延命しているだけに過ぎない状況がここにはあった。
「ん?なんだいあんた達は!?ここは私等に任せて、早く連れ去られた人達を救出しに行っておくれよっ!」
リーダー格であろう割腹の良い女性が、オールドマンに怒りにも近い感情をぶつけてきた。
それはどうしようもない現状、そして無力な自分への怒りを表しているようでもあった。
するとクレアが一人駆け出し、血だらけの男性の下で回復魔法を始める。
力強く優しいその光は、女性達では手に負えなかった傷口を癒していく。
「お嬢ちゃん!あなた若いのにすごいのね!……ありがとう。でもね……」
すっと手を伸ばし、クレアの回復魔法を止めさせる。
「初級魔法では、本当に応急処置程度なのさ……。私等がやっている事は、極力苦しませないで見送ってあげることくらいなものさね。……お嬢ちゃんの気持ちは嬉しいよ、ありがとうね。さぁ、この部屋から出て、新鮮な空気を吸っておいで。……後は私達で――」
「大丈夫ですっ!私にも、私にもやらせてください!なんで……こんな、この人達は普通に生活していただけなのに……なんで……」
クレアは大粒の涙を流しながら、再度回復魔法を使用し続ける。
攻撃魔法は不得意で、唯一回復魔法のみ使用できるクレア。しかしその回復魔法すら否定され、目の前の命の灯が小さく消えゆく。
勇者になって与えられたのは、強靭な身体と神具のみ。
クレアはこの人達と同じく、無力な自分を痛感しているのであろう。
勇者となったクレアが、回復魔法を使用し続けても魔力自体は足りるだろう。数時間もかければ失ってしまった肉体以外は、完治もするだろう。
ただし、その前に死が訪れる……。
数時間?いや、数分先ですら持たない状況なのだから。
「小僧……いや、シキよ。これで満足がいったか?いくらお前が風の調律神様の加護を得て、暴食一角竜を討伐できても何にもならん。この者達を救うことは、もはや誰にもできんのだよ……」
現場の空気は重い。
オールドマンもオルトファウスも、手当をしている女性達も……。そして横たわっている者ほど、状況を理解している。
完全に諦めてしまっている……。これが普通の反応なのだ。
「シキ……。私は本当に弱い……。今の私じゃあ何もできない……。お願い、この人達を助けてあげて……」
クレアの根源である救いたいという気持ち。
それを力に変えたいようではあるが、今の自分にはそれができないとわかってしまっているのか。
クレアは哀願の眼差しで助けを求めた。
「任せろッ!その為にここに来たんだからな!」
【魔力感知】
重症者の状態を調べる為、魔力を伸ばす。
そしてここから更に選別を行う。今一番危険な状態の人物を……。
【魔力解析】
一人一人を解析していく。――が、どの患者も数十分と持たない状況にまで追い込まれている。
女性達の献身的な回復魔法のおかげで延命できているとはいえ、よくここまで頑張った。
この中で一番危ういのは……。
右奥に三人掛かりで、絶えず回復魔法を受けている男性。両腕を切断され、大火傷を負い全身を包帯で巻かれている。か細い呼吸が聞こえるが、それはいつ止まってしまっても不思議ではない状態であった。
もちろん回復魔法など追い付いていない。焼け石に水程度であろう。
それでも女性達は魔法を止めることなく、先の見えている男性に声を掛け続ける。
そこに割り込むように、俺は男性の横に立った。
「……も……う、大丈……夫。みん……な、ありがと……う。どうか……他の……者を……」
肺の中まで焼けただれ、苦しいはずなのに他者への気遣いの声が聞こえる。
もう止めてくれて大丈夫と、肘より先のない腕を上げる。
何言ってんだ。
本当は生きたいに決まってるじゃないか。何より包帯越しに涙が滲み溢れている。
俺は男性の胸の前に右手を広げ、急激に魔力を込める。
幾重にも重ねた術式が、俺の周りに魔法陣となって出現する。誤りがない事を確認すると、最後に言葉を発する。
「完全記憶超再生魔法!!」
眩い大小の魔法陣が、男性を囲うように現れる。
そして一際大きい魔法陣が、頭から足にかけてゆっくりと移動していく。
ジジジジジジジジジジ!!!!!!
黄金色に輝く光と共に、放電を放ち頭から喉を通過していく。
そして失った両腕を通過していく魔法陣の後には、鍛え上げられた腕が現れ五指までしっかりと再生されていく。
部屋にいる者は誰も言葉を発しない、ただただ目の前の光景を信じられないという目で見つめている。
魔法陣は太ももから膝を通過し、つま先まで通り抜けると回転しながら光の粒となって消えていった。
光に包まれていた部屋は、昼間の明るさに戻るが誰一人として口を開かない。
すると治療した男性が突然起き上がり、再生した両手で頭部に巻かれていた包帯をゆっくりと解く。
「お、俺は……生きているのか?ゴブリン共に切断された両手も……ある?オールドマン、これは一体?」
「ゴ……ゴルドラ?傷はなんともないのかッ!?あれほどの重症だったのだぞッ??」
「……見ての通りだ。むしろ身体の調子が良すぎるくらいだ……」
「シキ。お前は神の子なのか?本当に、本当に礼を言う!!」
「……何言ってんだ。俺は人間だよ」
俺はそう言うと、他の患者のベッドに歩き出す。
手当をしていた女性陣は泣き出す者が現れ、オールドマンもうっすらと涙ぐんでいた。
クレアを見ると、首を縦に振りやっぱり涙ぐんでいた。
でも俺はその優しい温かな表情を見ると、ホッコリとした気分になった。
そういえばこの魔法を最初に使ったきっかけは、遥か昔に罠に掛けられた野狐を助けてやった時だったか?言葉も想いも通じない相手を治してやろうと、創り出した魔法だったか?
俺はふとそんなことを思い出し、次の患者にも完全記憶超再生魔法を唱えた。




