5. 千里の道も年の功
書き溜めがないとこの程度
両手じゃなくて、両腕に想いを込める。それがコツよ、って教えてもらったけど、何だか上手くイメージができない。
「こら」
だからどうしても別のことを考えてしまうけど、そうするとお姉さんに頭を叩かれる。ぼくは何も喋らないのに。そしてそのまま頭に乗せられた右手はぼくの考えを全部読み取ることができるのかな。
「そうよー。いひひ。変なことは考えられないのよー」
「考えないよ……」
お腹がすいたなとか、風が気持ちいいなとか。そんなことをふと考えただけで頭を叩かれるのに、考えられるわけがないよ。だからまたぼくは意識を集中する。
両腕に込める想いは、キラキラと輝く太陽の姿。最初は橙に輝く夕陽のイメージだったけど、何日経っても鮮明に残っている茜空は、とてもじゃないけどぼくに扱えるものじゃないように思えたからやめた。
「はい時間切れ」
だからいつも見ていた空がいいかな、って思ったんだけど。難しい。
想いを形にする。言葉にするだけなら簡単なことだけど、はっきり言って、何をどうすればいいのか全然わからない。
でもお姉さんは教えてくれない。教えてくれるのは集中していないことと、終わりの合図だけだった。
「もう?」
「そうよー」
「……」
「いひひ。不服そうね」
笑っているお姉さんだけど、ぼくは笑えない。ただ時間だけが過ぎてゆく。何もコツをつかめないままで。不服なのは事実なのに、ぼくは何に何をどう怒ればいいのかもわからない。
「短い……」
だからやつ当たりをする。できるところは時間しかないから、時間に対して。
「あのね、曲がりなりにも、読んで字の如く、魔の力よ? お前は人間でしょ?」
「うん。人間」
「千里の道も一歩からって聞いたことない?」
「あるけど……」
「あっ、もしかしてお前、才能がないの? 頑張れないの?」
「うー……」
でもうまくいかなかった。やつ当たりは何倍にもなってぼくに返ってくる。いひひと笑うお姉さんだけど、ぼくはえへへとも笑う気が起きない。
「魔の力って、お姉さんは使ってもいいの?」
「わたし? わたしはいいのよ。大丈夫」
なんで? って聞く気にもなれないくらいに堂々とお姉さんは答える。何がどう大丈夫なのかは全然わからないけど、実際にお姉さんは魔法が使えてるから、多分大丈夫なんだな、と思ってしまう。
「なにか食べる?」
「えっ、食べ物があるの?」
「お前はここにどんなイメージを持ってるのよ……。あるわよ、パンでも、ライスでも」
「ほんと!? うわぁ、ぼく、パンがいいな」
何かがあるようには見えなかった塔だけど、食べ物は備蓄してあったみたいで、お姉さんはぼくに選ばせてくれる。
ライスも捨てがたかったけど、ぼくは久しぶりにパンが食べたい気分だった。
はいはい、と言ったお姉さんはゆっくりヒタヒタと歩いて、南側の窓へと近づいていく。無造作に転がる袋に手を突っ込むと、その中からバケットが取り出された。
「焼いてくるから待っててねー」
バケットをマントにしまいこんだお姉さんはいひひと笑ってぼくに言付けると、下へと降りていってしまった。
塔の三階にはざあざあ降りしきる雨音しか聞こえなくなる。お姉さんについて行こうかなとは思わなかった。そして、お姉さんがいなくなった今、内緒で魔力を練り上げようとも思えなかった。
北向きの窓から外を眺める。降り続ける雨で相変わらず視界は悪いまま、見渡せるのは村から広がる森くらい。目を凝らして眺めてみても変わらない風景は、少しだけ躍起になってしまった。
「なーにくるくる回ってるの?」
西側の窓、南側の窓、東側の窓。四方にあった窓からそれぞれの方角を眺めてみるけど、変わった風景と言えばぼくの村が見えるくらいで、やっぱりこの塔からは森しか見えなかった。
「お姉さんはいつからここにいるの?」
「さあー、いつだったかなー」
お姉さんが持った皿には焼いたバケットが十数枚並んでいて、左側では二つのグラスとミルクピッチャーが宙に浮いていた。
「ガーリックにしたけど食べられる?」
「ガーリック……?」
「ま、無理なら無理でミルクでも飲んでなさいな」
ガーリックってなんだろうと思っているうちに、浮いていたグラスはぼくの手に飛び込んでくる。自動的にピッチャーからミルクが注がれ、同じように注がれたお姉さんのグラスとカチンと音を立てた。
「……あ、おいしい」
普通のミルクを飲んで、次にバケットに手を伸ばす。ガーリックはよくわからないけど、嗅いだことのない匂いを感じながらパクリと食べてみる。
さくりとした食感と一緒に入ってくるのは、少し鼻につくような香りと、甘くも辛くもない刺激的な味。それは普通に美味しくて、あっという間に一枚目を食べ終えてしまった。
「いひひ。大げさね」
「お姉さん、魔法だけじゃなくて、料理もできるんだね」
「どういう意味よ……。ま、年の功ね」
二枚目も半分食べて、いひひと笑うお姉さんはぼくより少し上にしか見えない。ぼくもお姉さんくらい大きくなったら、自由に魔法が使えるようになるのかな。
「もうお腹いっぱい?」
ぼーっとお姉さんを見ていたら、食べるのを忘れてしまっていた。
「まだ六枚は食べるよ」
「お前はいいやつなのかバカなのか、よくわからないわね……」
適当にごまかしたぼくの言葉に、お姉さんはため息をつきながらぼくの頭をピンと弾く。
なんとかごまかすことはできたけど、何でお姉さんは今、心を読まなかったのかな。ぼくはお腹いっぱいじゃないし、六枚も食べられない。いいやつなのかバカなのかはぼく自身もよくわからないけど、間違ってるってことは、心を読まれていない。
「遠くをね、見たかったんだ」
「……どうして?」
「ぼくの世界はこの村だけだから」
なのにこのもやもやはなんなんだろう。なんでぼくはお姉さんに、少しだけムキになった、それだけの話をしちゃってるのかな。頭を弾いた手をピクリと動かしたお姉さんは、軽く握ったそれをすうっと下ろす。
「いいじゃない」
「いいのかな」
「悪くはないでしょうね」
「良くはないんだね」
どんどん悪くなっていく扱いに、やっぱりぼくのやつ当たりなのかなって思い始めたけど、お姉さんは悪いとは言わなかった。
「安住の地で一生を過ごす。それをどう受け止めるかはお前次第よ」
お前の場合は無理そうだけど。お姉さんはやっぱりいひひと笑って、バケットに手を伸ばした。さくさくとかじるお姉さんは、西側の窓に向かい、外を眺める。雨音と咀嚼音以外聞こえない中、外に向けて腕を伸ばしたお姉さんの服の音は、とても大きく聞こえた。
「あっちはヌァンナ」
「……ヌァンナ?」
「お前の知らない世界よ」
その言葉に、少しだけ胸が弾む。閉ざされた世界で生きることは悪いとは言われなかった。でもぼくは、それを良いことだとも思えなかった。
「ん? なによ」
知らない世界をこの目で見たい。できることなら、一緒に歩いて、一緒に走って、一緒にご飯を食べて、一緒に魔法を勉強して。
「ううん。なんでもないよ」
窓の横で佇むお姉さんの裾を掴んで考えた想いは、今はまだ言葉にはできなかったけど。今日みたいな雨も晴れさせるような魔法が使えるようになったら伝えよう。その時は服の裾じゃなくて、お姉さんの手を握れたらいいな。