4. 脱臼癖の始まり
用語は一切説明していかないスタイルで挑ませていただきます。
「やっぱり寝ませんのね」
「……ねむたくない……んだよ」
暗闇は続く。どれだけ時間が経ったのかさえわからない。そして単純におれはすごく眠たい。
「消したら付けるのは時間かかるのー?」
「……わかんねー」
問題はそこだった。燃料切れが起きる時期がわからん。
一月はもつ。それは単純に、おれが昔言われたことだからそう思い込んでいるだけだ。
「そのうち目も慣れますわよ。わたくしが引きずってあげますし」
「……わかんねー」
「姉御は眠くないの? もう三日も寝てないじゃん」
「あら、そんなに経ってますの? まぁ大体そのくらいかもしれませんわね。二日も三日も変わりませんわ」
「いや、三日だよー。卯の上刻になっても日が昇らなかった時から、三日目の八つ時。おなかすいたねー」
「……かもなー」
確かになんかそんな気がするな。おなかがすいたような気が。八つなら仕方ない。というか三日も経ってたのかー。そりゃ眠く……。
「……お前それ、本気で言ってんの?」
「え? あたしなんかおかしなこと言った?」
っていうか意地張らずに昼寝しなよ。そう言ってくれる赤毛には悪いが、一旦覚めてしまった目は収まりそうにない。
「あなたそれ本気なの?」
「え、なになに二人とも」
「今が八つってどうしてわかるんだ?」
「そうですわ。おやつがないじゃない」
「ちげーよ!!」
おれひとりで攻めるよりもまだ姉御がいるだけマシ。一瞬でもそう考えたおれがバカだった。おれは常にひとりで複数を相手しなければならなかった。
「え? なんでわかんないの?」
「日が昇らないのに、わかるわけがありませんわ」
あんたどっちの味方だよ! 立場フラッフラだな!! まぁいい、言ってることはおれの言いたいことそのまんまだ。
「いや普通に数えてたらわかんない?」
「数えるって、何を?」
「ほら、一刻って言ってもさ、何個くらい数えたらいいのかなーって思って。大体千八百くらいなんだけどね。その積み重ねじゃん」
……千八百を数える? 何言ってんだこいつ。それだけに集中してても無理だろ。
少なくともおれは無理だ。姉御を見てみる。つり上がった細い目を少しだけ大きく開いて赤毛を見つめていた。
「うそーん、あたしだけ!?」
「お前だけっていうか……ぼーっとしてたのは数えてたからか?」
「いやそれは言ったじゃん。頑張ってなかったからだよ」
「ならいつ数えてたんだよ」
「数えてないよ。え、ほんとにわかんないの? あたしだけなのー!?」
お前だけだよ。なんて使えない特技だ……。無駄にすごいのは間違いないが、なんて使えない特技だ……。どう声をかければいいのかまったくわからない……。
「あなたたち、変な特技ばかりですわね」
「うぅー……。姉御が冷たいー……」
「無能に無能と言って何が悪い。出来損ないはおとなしく跪いて従っとけよ! あーっはっはっはああぁぁぁーーー!!」
ズバッと言った姉御の言葉に涙目な赤毛を見て、おれの心が揺らいだ。
今しかない。姉御と協力できる機会なんかそうそうない。だから加勢したおれを待っていたのは、激痛だった。
「ちょっとあねっ、痛い痛い痛い!!」
目が見えなくなった。次におなかが痛くなった。そして体が回転して地面に叩きつけられる。
最後に背中に乗った何かに左腕を取られ、肩を極められた。
「あら、痛みは感じるのですね。潰れているのは肉体ではなく心の方なのかしら?」
「あんたも痛めつけえええぇぇぇーーーーーっ!! ごめんなさいごめんなさい折れる折れる折れる折れる!」
赤毛を攻撃した仕返し、という風に聞こえたが、最初に泣かせたのは姉御だった。そもそも赤毛は涙目なだけで泣いていない。
泣いているのはおれ。辛い思いをしているのはおれ。ギブギブ言いながら腕を叩いているのに解放してもらえないのはおれ。……もう、どうでもいいや。
「男の子じゃない。わたくしの方が強いだなんて、末代までの恥ですわよ」
「男の子って年じゃないしおれ喧嘩とかしたことねーよ……」
諦めて全身の力を抜き、ばたりと地面に顔をぶつける寸前で、姉御は関節技を外してくれた。見かけで判断するなと今ここで言ってやりたかったが、動かなくなった左腕の方に気を取られてうまく言葉にならなかった。護身術って、一人分の盾と矛ったって、十分すぎるだろこいつだけ……。
「お前さんらはあほか」
おれはうずくまったままなので様子を伺うことはできないが、会話だけは勝手に耳に入ってくる。寝ていた初老が起きた声だ。
年老いていたのは事実らしく、初老は真っ先にバテた。だから明るさを調節して少し休憩に入ったのが、どれだけ前かわからない。喋り続ける赤毛に相槌を打つうちにおれまで眠くなってきたのがついさっき。ようやく初老は起きた。少し眠そうな声で。
「逃げようとは思わんのか」
「思いませんわ。生きようと思えば生き残れますのに」
「その権利を奪ったのは誰だ」
眠そうな声は大きさを増していき、最後は怒鳴るように大声を出す初老。寝起きなのに元気だな。
「わたくしはほのめかしただけですわよ」
「それでもお前さんは……」
「わたくし死罪ではありませんの。おわかりかしら?」
「……」
初老は言葉を返さない。おれはまだ起き上がれない。会話はそこで止まり沈黙が続く。おれ、肩潰されてない? 痛すぎるんだけど。
「おにーさんはいつまで寝てるの?」
「肩が潰れた……。二度と動かせないみたいだ……」
「ちょっと外しただけですのに。大袈裟ね」
止まらない涙を拭う手段すら失われた中、柔らかい手で肩を押さえつけられる。そして、そのまま上に持ち上げられた。
おれは声を出したつもりだったが、声は聞こえなかった。いや違う。言葉が聞こえなかった。言葉にならなかったからだ。汗が止まらない。涙も止まらない。そして、痛みは少しずつ収まっていた。
「……痛い」
「まあ安静にすることですわ。睡眠をとる、というのはいかがかしら?」
「優しいのか優しくないのかどっちだよ……」
おれは姉御に肩を外されて、そしてはめられた。この鈍痛から解放されるには間違いなく時間がいる。
なんだかんだで休めとおれに言い続けていた姉御だけど、もしこれがおれに睡眠をとらせる手段だったなら、強引にもほどがある。
「いいじゃんちょっとくらい寝なよ。っていうかあたしもちょっと、寝たいし」
「でも明かりが……」
ようやく左腕を押さえながら起き上がれたおれを待っていたのは優しい言葉の数々。
……よくよく考えてみると自分が寝たいだけのように聞こえるが、この際かけられた言葉に間違いはないので良いように受け取っておく。
「でも、寝たら明かりが……」
「大丈夫だと思うよ。根拠はないよ」
「おい」
「むしろ要りますの? もし本当に山賊がいるのなら目印にしかなりませんわよ」
……え、いらないの? 衝撃的な考えが投げつけられて、がくりと崩れ落ちそうになる膝をなんとか踏ん張る。無駄な努力というものは誰しもが経験して、現在進行形で行われているものではあるが、まさか今のおれがその状態だとは考えもしなかった。
「そう思いませんこと?」
「……わしは知らん。好きにしろ」
初老は荒げた声に淡々と返されてから何も言わなくなり、声色と今の表情だけを見ると、明らかに不機嫌になっていた。痛くてそれどころじゃなかったからあまり突っ込めなかったが、なんで初老が怒っているのか、おれには理解できない。そもそも意味がわからん。
おそらく姉御は人を殺めてしまっている。だがそれはおれにしても同じことだし、姉御が言ってた通りおれたちは裁かれたからここにいる。今さら怒り出すことじゃないだろ。明日になったら。赤毛はそう言っていたけど、やっぱりあれは甘い……明日に、なったら?
「おいおっさん」
「わしは知らん。好きにしろ」
「明日には抑えとけよ。でなきゃ、死ぬからな」
わざわざ近寄りたくもない初老のそばに寄って、耳元で囁いてやる。少しばかり大袈裟に。
かちゃりと音がして、初老は右手を体の左側へと伸ばした。……そういやこいつ、脇差を差してなかったか? 抜かれたら死ぬな。少し大袈裟に言いすぎたか。明日が来ていない。その事実は、何も感じないつもりでも少しばかりは動揺させられているらしい。
「まあ待てよ」
「動けば抜く」
「抜きたきゃ抜けばいいけどさ、おれ殺して大丈夫か?」
低く沈み込む初老に向けて、右手に浮かぶ明かりを見せつける。正直に言うと仕掛けた魔法は簡単なものだ。嘘発見器と言えば話が早いかもしれない。
とはいえ心が読めるようになるわけでもなく、単純に、おれから放たれた魔力が対象の体を覆い、心拍数で判断するだけのもの。
問いかけは「元通りか?」。初老がまだケンカ腰なら体が真っ赤に染まる。ただそれだけのこと。
でもそれを知っているのはおれだけだし、そもそもこいつらは魔法に驚いている時点で一切知識がない。
「……何を仕掛けた?」
「さあー、なんだろなあ~」
洗えば落ちる赤に全身が染め上げられる。嘘だから。それだけの魔法は、おれに主導権を握らせてくれた。
「……ふん」
ひとつ鼻を鳴らすと初老は脇差から手を離した。はったりって効くもんなんだな。
よくわからない模様が刻まれた紫の半裃。それを着た初老の肩は、少し落ちているように見えた。月代で実際にはよくわからないが、後ろで短く白いちょんまげを結っている姿は、少し哀れに思える。おれもこうなるまで生きないと会えないのかな。きっと無理だろうけど。
「殺していたら殺されてましたわよ」
「おれが悪いか!?」
お待たせと言って戻ったおれは辛辣ではなく殺伐とした言葉で出迎えられた。誰が誰をだよ主語がないから全然わかんねーしそもそもの原因あんただろ姉御!
「でもおにーさん殺したら、あのおじちゃんも無事じゃないでしょー?」
「それもそうですわね……。あなた方、行き先は知っていますの?」
「あん? 何のだよ」
「あなたは?」
「ハムナじゃなかったっけ? どっちにしろ船がないとどうしようもないよね」
やっぱりわからなかった主語のない問いかけを、赤毛は一瞬で答えてしまう。おれは無視だ。っていうかおれ知らなかったんだけど。ハムナなんだ。へぇー。
「……どこ?」
リュンラだけだったおれの世界がいかに狭かったかわかる。そもそも判決を受けにヌァンナに来ることでさえ相当困った。これが最後と姉に言われながらも頼るほかなかった。三里ほどしかなかったのに。
「艮の方ですわ」
「とりあえずヤセネホまで行かない? 人里があるし、拓けたところに出たら、何かわかるかもよ」
……何を言っているのか全然わからない。異国へと迷い込んでしまったみたいだ。いやでも、待て。服装は同じだ。みんな着物を羽織っている。おれは異国に迷い込んでいない。ただおれが知らないだけだ。そもそも赤毛は眠たいんじゃなかったのか? 出かける気満々じゃないか。
「照らさんと見えんだろ」
「……うしとらって、何?」
「……あなた何も知りませんのね」
いつの間にか近寄ってきていた初老に照らせと言われるが、うしとらって意味すらわからないおれには無理だった。バカにされながら、三人が一斉に同じ方角を示す。……行き先はわからんとか言ってなかったか? お前ら。なんで急に一致団結してんだよ。
「おにーさん自分の出身地とかも知らないんじゃない? バカみたいだし」
「さすがにそれはねーよ! むしろお前ら知ってんのか!? リュンラだよ!」
辛辣な反応に無言で明かりを差し出したおれに、赤毛は追い打ちをかけてくる。頑張って意地を張って返したが、多分みんな知ってるだろう。知ってようがなんだろうがどうでもいいけど。
「……」
「……」
……なんか、姉御と初老のおれを見る目が変わったような気がするんだけど。時間にして三日前の、初めて魔法を見せたあの時より強い拒絶を表すように、細く鋭くおれを見据えてくる。
「え、何……?」
「知ってるよ。有名だったからね」
唯一普通でいてくれた赤毛が答えてくれる。やっぱり知ってるのかと思う反面、有名なのか? という疑問も浮かんでくる。おれがそれを聞き出す前に、初老は、おれから目をそらしてスタスタとうしとらというらしい方角へ歩き始める。慌てて明かりを向けながら、おれもつられて歩き始め、赤毛が姉御が続いてくる。
「呪わないでいただけますかしら? 体なら差し上げますわ」
「いや要らねーよ呪わねーよ何だよいきなり……」
「わたくしはあなた方とは違ってこの先を楽しみにしてますのよ」
「会話になってねーよ!? っていうかこいつだって楽しみにしてるかもしれないだろ!」
「わたくしも知ってますわ。リュンラ。確かに有名ですもの」
いやあたしは……などと言っている赤毛を遮って姉御はおれに事実を叩きつける。やっぱり外の世界では有名らしい。なんでだろうな。そうおれが聞く前に姉御が自ら答えてくれた。やはりおれとは距離を保ちながら、聞きたくも知りたくもなかった答えを。
「メヒアーウという魔女の塔があった場所でしたわね」