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2. やまない雨

前が見えないほどの霧の中。ぼくが進む先は、ほんとにあってるのかな。

やめとけばよかったかな。お母さんの言う事を聞いとけばよかったかな。後悔したところでどうしようもないんだけど。

少しだけ怖くなってた気持ちは、視界の先に見えた緑でかき消された。

傘をさしてるとは言っても、走ったら全身をカバーすることなんかできない。

帰ったらお母さんに怒られるかな。でも、駆け出した足は止まらなかった。


「……抜け、た?」


伸ばした手が緑に触れる。いつの間にか、ぼくは緑に囲まれていた。

どれだけ歩いたのかは太陽が見えないからよくわからないけど、森ってこんなに続いてたんだ。みんなが森は怖いところよ、って言ってた意味がわかった気がする。


「あった」


そして空を見上げたぼくの目には、高い塔がそびえ立っていた。見間違いじゃなかった。こんな高い塔を見間違うわけもなかった。

ひとつくしゃみをする。体を見てみると、思った以上に服が濡れている。体に張り付いてお腹がすけて見えてしまうほどに。風邪ひいちゃうかな。とりあえず塔に入れてもらおう。家に帰るより近いし、人が住んでたらラッキーだし。


「よかった、開いてる」


押したら開いた扉を押さえながら傘をたたむ。服はもうびちょびちょだから、とりあえず脱いでおく。まだ寒くなくてよかった。雨が降って湿気が多いから多分乾かないから、きっと風邪はひいちゃうな。


「誰か……いないのかな?」


ぼくの家から見えるほどの高い塔は、外から見ると頂上が霞んでどこまでも続いてるように見えたのに、入ってみると三階建ての塔でしかなかった。螺旋状の階段に、壁伝いに広がる床を一階として扱っていいのかどうかわからないけど、天井はこの目で見える。


「いるわよ」


「……わあぁぁっ!?」


でも人は見えないな。そう思っていたところで、後ろから声をかけられた。

さっきまでいなかったはずのところからかけられた声に、ぼくはびっくりして飛び上がり、その場で転んでしまう。


「なに? いたら悪いの?」


「いや、そんなことは、ないけど……」


「普通に考えたらお前の方が異端よね。お前、人間でしょ?」


そこに立っていたのは女の人だった。

ぼくよりもお姉さんに見える女の人は、左右にも上下にもバラバラな緑色の髪をなびかせて、黒いマントを羽織っている。つり上がった目から放たれる眼光は、少しだけ怖かった。


「え? っと、うん、見たまんまだけど」


「なにが目当て? 金? 名声? それとも、わたしの首?」


「めいせい……?」


ニヤニヤと笑いながらぼくを見下ろしてくるこのお姉さんは何を言ってるんだろう。お金? 別に欲しくない。めいせい? 何のことだかよくわからない。そして、お姉さんの首……?


「別に欲しくない」


「いひひ、そういうことにしておきましょうね~」


ちょっと間違えてたけど、お姉さんの笑い方はニヤニヤじゃなくて、いひひ、だった。


「ぼくはここにいたらダメなの?」


「ダメじゃないよ。ただ、わたしも舐められたものね、って思っただけよ」


「そっか。なら、雨が落ち着くまでいさせてね」


少しだけ会話をしてみたけど、やっぱりお姉さんは何を言ってるのかよくわからなかった。許可をもらったので、濡れた服の水を絞り出す。


「止むまで、じゃないの?」


「うん。今日は止まないみたい。お母さんが言ってたし」


「なんて言ってたの?」


間髪入れずにかけられた問いに、ぼくはすぐには答えられなかったし少しだけ怖くなった。まるで、今にも食べられてしまいそうな草食動物のように。

絞っていた服から目を離し振り返る。いひひ、と笑っていたお姉さんはそこにはいなかった。


「……昨日の夕陽が、綺麗だったから」


すぐに目を逸らして、本当のことを話す。昨日の夕陽は本当に綺麗だった。

まばらに広がる無数の雲と、橙に光りながら沈みゆく太陽が合わさった空。どっちかというと少し暗いし、少し寂しいような光景は、今でもぼくの瞳に焼きついている。


「夕陽、ねぇ……」


「お姉さんは見てないの?」


「見てないわ。だってわたし、その時間帯は……」


そこでお姉さんはもう一回、いひひと笑った。怖い感じだったお姉さんはもうどこにもいない。……その時間帯は、なんなんだろう。


「またいつか見れるよ」


見れなかったことが悔しいのかな。そう思って慰めの言葉をかけると、お姉さんは笑っていた。いひひとは言わずに。


「で? お前はいつまでいるつもりなの?」


「うー……ん。せめて、服が乾くまでは、ダメ?」


「持ってきなさいよ」


「え? 無理だよ。触れないし、触ることもできないよ?」


「誰が太陽を欲しがるのよワンテンポズレてるのよ……。そこに広げてる服」


ワガママだなって思ったけど、そうじゃなかった。服? 今乾かしてる途中なんだけど、なんでだろう。

よくわからないけど服を渡す。せっかく渡した服なのに、お姉さんはぐしゃぐしゃに丸めて床に置いた。


「乾かしてあげるわ」


「……どうやって?」


「知ってるくせに。わたし、魔法が使えるのよ」


……知るわけないよ、そんなこと。変なお姉さんだなって思ってたけど、ほんとに変なお姉さんだな。魔法なんて、あるわけ……。


「……うそ」


お姉さんがぼくの服に手をかざすと、その右手から淡い光が発せられる。小さな光は徐々に大きくなり、服を包み込むような丸い形へと変化する。横座りをして手をかざすお姉さんは事もなげに無表情で光を放ち続ける。……かっこいい、な。


「はいおしまい」


もともと淡かった魔法は一瞬でかき消えてしまい、光の中からは完全に乾ききったぼくの服が現れた。


「なによ、わたしの顔になにかついてる?」


「すごい」


「はい?」


「お姉さんすごい! あんなにきれいで、光ってて、それからそれから……」


かっこいい。そう続けようとしたけど、言葉にはならなかった。言おうとしたのに言えなかった。お姉さんだけど女の人なのに、かっこいいっていうのは少しだけ言いづらかった。


「いひひ、知ってるくせに」


もうこれくらいしか使えないのよね。なんてお姉さんは言ってるけど、ぼくには十分すぎるほどに眩しく輝いて見えた。だから、お姉さんはかっこいい。


「ほら、帰りなさい。もう昼七つよ」


「……うそっ!」


午の刻に出たはずだったのに、いつの間にか空を覆う雲の輝きは褪せて、辺りは暗くなり始めていた。乾かしてもらった服を着る。


「ありがとう」


「どういたしまして」


未だに衰えない雨粒はぼくの心を憂鬱にさせる。でも、帰らないと。


「雨がやめばもっとよかったのに……」


「無理ね」


「え?」


「この雨はやまない雨。お前が覚えておくことは、それだけよ」


じゃあね。そう言ったお姉さんはぼくから目を離して、どんどん暗くなる空へと目を向けた。……外に出ないで少しその姿を見続けていたけど、お姉さんはもうぼくの方を見ることはなかった。だからぼくも、またねと言って塔を出た。

昼間はあんなにも憎らしく思った霧はすっかり晴れて、見慣れた姿の森が広がる。森の中を何歩か歩いて、ぱっと振り返る。少しだけ、不安を感じたから。小雨にすらなりそうにない夜の雨の中、塔は黒く鈍く輝きながら、そこに建ったままだった。

……よかった。今感じた不安がなんなのかわからないままぼくは家路を急ぐ。暮六つになる前に帰ろう。

明日無理としても、明後日は晴れるといいな。そんなことを考えながら。降りしきる雨は、三日経ってもやまなかった。




「姉御ー……おにーさんがいじめるー……」


「見た目通りですのね。人は見かけによらないと聞きましたけど、あなただけは例外ですわ」


「まあまあ、こやつも仕事柄こういうのは得意だっだじゃろう」


「ゴミ」


「クズ」


「まあまあ……」


襲ってやろうかこの女ども。初老は殺す。いつか殺す。絶対に殺す。

散々な言われようなおれだが、今何をしているかというと、肉を焼いている。その辺を歩いていたウサギを殺して手に入れた肉だ。


「嫌なら食うな。あんたらには一口もやらん」


「姉御ー……」


「心配には及びませんわ。わたくしたちは一言も嫌だと言ってませんもの」


「あっ、そっかー♪ あたしこの一番大きいのもーらいっ」


……おれはこんなクズどもと同類なのか。おれ以上のクズはいないと思ってたが、世界はやっぱり広いもんだ。


「つーかおっさんよ」


赤毛と姉御同様、一緒に死肉を貪り始めた初老。殺す殺さないはともかくとして、ひとつだけ言いたいことがあった。


「最後の一つか? 安心せい。お前さんのものさ」


「あんたなんで金持ってないんだ?」


仕留めたはずの二羽は、いつの間にかひとつの肉片になってしまっている。

慌てた確保しつつ、聞きたいことを聞いておく。おれがウサギを捕るはめになった理由だ。


「そりゃ貧乏だから仕方ないさ」


「おれら野宿だぞ?」


「えぇーーーっ!? うそーーーん!! あたし襲われるーーーーーーー!?」


「大丈夫よ。わたくしが代わってあげますから」


「逃げられるぞ?」


色ボケ二人は無視して初老にだけ話しかける。逃げるとは言わない。煩悩の塊とは違って、おれは少なくとも罪悪感を覚えてはいるから。


「言ったろ。わしは案内人。看板みたいなものだ。それに、逃げたら死罪と脅しておけば、早々逃げはしないさ」


「だからといって野宿はどうかと思いますわ」


「お前さんらは咎人だ。世は情けとは言ってもわしは案内人。そもそもが違う存在だわな」


……こいつ、役人じゃないのか? よく考えてみると、赤毛や姉御と意気投合したり、わりと親しみやすい印象は受ける。ただ、心からの付き合いじゃないことは、今の発言から簡単に受け取れる。


「……あのさーぁー?」


「しっしっ」


「あーっ! ひどーーい! あたし人間ですー!」


人が物思いにふけってるところに、なんて騒がしいやつだ。なんでこんなに元気なんだ? ひとつ違うだけなのに、それともおれが……?


「んだよ、っせーな……」


「あたし思うんだけどね。いいじゃんどうでも」


「……はぁ?」


「咎人だとか、案内人だとか、いいじゃんどうでも。死罪じゃなかったらさ、生きていくことはできるんだから、死なないように頑張っていこうよ」


「呑気ですのね」


「お気楽と言ってほしいな!」


初老も初老だが、赤毛はほんとに咎人か? 死罪じゃないだけマシ。とはいえ、死罪の一歩手前。少なくともおれはそうだし、姉御もおそらく同じ。気の強そうな目が笑った姿をおれはまだ見ていない。なのにこの赤毛は……。


「ほら、お腹もいっぱいになったことだし、寝よ寝よ」


「満たされたのはお前だけだろ」


「明日になって、太陽がまた上って歩き出したら、あたしたちはまた流れゆく一向だよ」


二羽を捌いて形にした肉片八つのうち四つを平らげた赤毛は、膨らんだお腹をさすりながらおれの嫌味を受け流す。仲直りとは言わなかった。……考えたところで、何かが変わるわけでもない、か。


「いいかもな、そんな明日も」


戯言かもしれないが、死なない、という事実は思いの外おれの心を動かした。そう、死ななければ、きっとーーー。


「でしょでしょー? ほらほら、明日に備えて早く寝なさいよー」


「わかったわかった。ほら、姉御がここで、お前がここ。おれはここな。こうやって寝るぞ」


「おっけー」


「あなた、利き手は右? 左?」


「え? 右だけど……」


「わかりましたわ。おやすみなさい」


……え? 待て待て。なんでこいつら、もう寝る準備始めてるんだ?

おれが指し示したのは、草の上。一応ボケにもリアリティが必要だなんだ思って、柔らかそうな部分だ。左側に姉御。右側に赤毛。真ん中におれ。ちなみにおれは仰向けでしか眠れないから、右手があるのは姉御の位置だ。

だが、そのボケは通ってしまった。赤毛はすでに仰向けで転がり目をつむっているし、姉御は肌襦袢と裾よけ姿で着物を畳んでいる。おれには理解ができない。


「寝ないの?」


「むしろあんたはなんで寝れんの?」


「あなたは寝なくても生きていけますの?」


「無理だよ! 寝るけどおまっ、おれっ、その……」


「わたくしは構いませんわよ」


何がだよ! いや、だからってなんでもう寝てるんだよ!! あぁ、もう、本当に、もう……!


「あんたはどうすんだ」


気楽なボケ側には立てないことを悟って、おれも寝ることにしたが、そういえばあとひとり残っていた。


「気にするな。わしも仕事だ。見張っておいてやるよ」


「代わってやろうか? 交代でさ」


「代わるとすればお前さんではなく姉御だな」


「あぁそうかよ二度と代わってやらねーよ!」


おれはどんな立場だよ! 明日になったらおれたちは流れゆく一向だと赤毛は言ってたけど、初老だけは絶対に許さない。いつか殺してやるが今日は寝る。ひとつだけ魔法を仕掛けて。

明日になって太陽がまた上った時、初老が死んでないことを祈るのは赤毛に毒されたのか、それとも……。……明日は明日の風が吹く、か。

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