第1話 転落
「ずっと、大好きだから…」
耳をすますと、聞き覚えのある声が遠くの方で響いている。
それでも構わず、私は目の前にある階段をただ上っている。
誰かに教えられた訳ではない。気付いたら、ここでこうしていたのだ。
何故かは分からないが、最後まで上り切らなければいけないと言うことだけは分かっている。
私は、何でこんな事をしてるのだろう?
そんな事を考えながら上っていたら、つい階段を踏み外し、体勢を崩してしまった。
私の頭が足よりも低い位置になると同時に、視界が天から外れて行った。
私、地獄に落ちちゃうの?
すると、さっきまで上っていた階段の裏側が見えた。
その階段の一段一段を支えていたのは、見覚えのある顔ばかりだった。
今まで、私が出会って来た人達に支えられ、私は天国へ旅立とうとしていたんだ。
ごめんなさい!私、その大切な階段を踏み外してしまったよ。
そして、正に地の大きな穴に落ち掛けた時、私は腕を思い切り掴まれた。
この匂い、この感触、これは間違いなく彼だ!
嬉しくて、思わず彼に抱きつくと、何と彼の体の中に半身溶け込んでしまった。
俺は目を覚ました。
とても恐ろしい夢を見たからだ。
天国へ旅立つ恋人を見送っていたら、彼女がいきなり階段を踏み外したんだ。
何だよ、死んでもドジは治らないんだなぁ。
俺は思わず手を延ばし、彼女の腕を掴んだ。
恐ろしいのはその後だ。
一緒に地獄行きかと覚悟した時、あろう事か彼女の体が俺に入り込んだ。
そうか、もうお前に体はないんだな?
と言うことはお前は幽霊?
おい、俺の体に入るな!いくら大好きな彼女でも、体に入り込むとなると話は別だ。
頼む、その長い髪を俺の胸の表面に残すのは止めてくれ!
せめて、どっちかにしてくれ!
完全に入るか、それとも出ていくか…。
彼女は、俺を庇って死んで行った。
いや、正確には、俺と勘違いした奴を庇って死んで行った…と言うほうが正しい。
よろけてホームに落ちそうになった奴を助ける時、
「まーちゃん危ない!」
って叫んだもんな?
いくら同じ色の上着を着てたからって、普通間違えるか?
俺が最後に見た彼女の顔は、「あれ?」って顔だった。
その後、入ってきた電車に引かれた彼女を抱き抱えた時、俺の大好きな彼女の顔はもう無かった。
だから、俺の記憶に残る彼女の顔は、あの
「あれ?まーちゃん、何でそっちにいるの?」
って顔だった。
そしたら、彼女が夢に出てきて、皆で静かに見送ろうとしていたら、目の前を落ちて行く彼女の姿。
俺は、あの「あれ?」の顔と、その後の顔の無くなった顔が交互に現れて、思わず手を延ばしたんだ。
まるでゴム人間のようにね。
だって、彼女をまた顔無しに出来ないじゃない。
なのに、この中途半端な乗り移り方は止めてくれ!
長い胸毛が生えてるなんてみんなの笑い者になっちまう。しかも直毛。
このままだと、ギネスに載ってしまうじゃないか。
頼む、夢なら早く覚めてくれー!
と念じたら目が覚めたんだ。