続・繋ぎ止められる?
重いですし、下ネタ満載です。その上、同じことをぐだぐだやっておりますので、そういったものが苦手な方はご遠慮ください。
冬は嫌いじゃない。寒さは着込めばなんとでもなるし、当たり前のようにある炬燵は平和の象徴だと思える。
あの忘れられない夏休みから4か月。もう私の側に優しい家庭教師は居ない。
そしてあの日以来、佐藤ハルトはストーカーのように私に付き纏っていた。何度も何度も執拗に性的関係を迫られ、それはあまりに必死で怖いくらい……。
結局、あの時自殺を止めようとしてくれたのは、優しさでも何でもなく、やっぱり体だけが目的だったのだろう。どちらかというと貧相な体なのに……。
私には彼の考えていることが分からない。
どれだけ沢山の女の子と関係を持ったかがステータスになるとでもいうのだろうか?それとも、自殺願望のある私なら、すぐに思い通りになるとでも思っているのだろうか?
私は、只管彼を避け続けていた。
その結果、この冬休み、佐藤ハルトはとんでもない方法で無理やり私のテリトリーに入り込んできた。
彼は今、妹の部屋に居る。
妹の家庭教師になり、週三回私の家に来ているのだ。
高校生とはいえ、有名進学校で常に首位に居る佐藤ハルトにとって、中一の妹は生徒として容易な相手に違いない。
妹も両親も彼の申し出に手放しで喜んだ。
勿論彼の異常性なんて知る由もなく、彼は父の上司の息子で、格好良くなった私の幼馴染という認識でしかないのだから。
……もう嫌だ。
何の因果なのか気づけばまた、私は家庭教師というものに振り回されている。
妹の部屋から妹と佐藤ハルトの笑い声が微かに聞こえている。私は、どうしても気になって仕方がなかった。佐藤ハルトがあの時言った陳腐なセリフ、それを実行するつもりで妹に近づいたのではないかと疑っているから。
異常者に常識なんて通用しない。
「お姉ちゃん、そんなドアの前にしがみついているなら、このお茶持って行ってくれる?」
呆れ顔の母から、色とりどりのマカロンと紅茶がのったトレーを渡されてしまった。なんて呑気な母だろう。そんな洒落たものを用意している場合じゃないのに。
佐藤ハルトの顔なんか見たくない。でも、とにかく今は妹のことが心配だった。
私は思い切って妹の部屋に入り、中央のテーブルにトレーを置く。
「あ、お姉、ありがと」
机に向かう妹が、にこにこ笑って私にそう言った。妹の隣の椅子に座っている佐藤ハルトも私を見る。私は険しい表情で、反射的に彼を睨みつけた。
「どしたの? お姉? 怖い顔して」
妹が首を傾げる。
「佐藤ハルト、話があるんだけど……終わったら下の公園に来てくれる?」
「勿論……喜んで」
彼は勝ち誇ったような顔でそう言った。
本当に……本当に、なんて憎たらしい。
冬の日差しの下で、彼のオレンジ色の髪がキラキラと輝いている。黙って立っていれば、ホスト風とはいえ美しい王子様のような外見。
彼はどこに居ても目立つので、人が寄って来ないうちに早めに話を終わらせたかった。
「やっとこっち見たか」
公園のベンチに座る私の正面に立って、佐藤ハルトは言った。
「一体何のつもり? 変態!! ロリコン!! 妹に手を出さないで!!」
「酷い言いようだな。出すわけないだろ」
例の馬鹿にしたような表情で、彼はそう答える。
「信じられない。ホントに何なの? 何でそんなにまで私に付き纏うの?」
私はベンチから立ち上がり、大声で叫んだ。目立ちたくないのに、どうしても感情を押さえられない。
小さな公園に私の声が響き渡る。幸い、近くには誰も居なかった。
「お前がいつまでもやらせてくれないからだろ?」
「いい加減にしてよ。そういうこと軽く普通に言わないで。あんただったら周りにいくらでもあんたの親衛隊みたいな女の子が居るでしょ? 何で私に拘るの? あんたのことなんて信用できないし、もう妹の家庭教師なんてやめて」
「お前、まだ死ぬ気だろ?」
佐藤ハルトは冷たい目でそう言った。
「……だから、それはあんたには関係ないから」
前にも全く同じようなやり取りをしたような気がする。
正直なところ、私はもう自ら命を絶つ気力を失っていた。ずっと自分には失望しているし、いつ死んでもいいという気持ちは変わっていなかったけれど、もはや死にたいと強く願うほどのものではない。
「まだ、あの家庭教師のことが好きなのかよ?」
一瞬、頭が真っ白になった。
なんで佐藤ハルトが失恋のことを知っているのだろう。どこからか探りを入れようにも、誰にも話したことがないのだから、知りようがないはずだ。
「振られたのは、別にお前に魅力がないせいじゃない」
彼は続けて言った。
「あいつ、同性愛者だから」
いきなり鈍器で殴られたような衝撃。なんでそんなことを知っているのだろう。そんな何の根拠もない言葉で、今更救われたりなんてしない。
例え真実だとしても、そんなことを知りたくなかった。どういう気持ちで受け止めていいかもわからない。
優しく笑う、大好きだった先生の表情を思い出す。数か月たっても胸の痛みは失われていなかった。
「あいつがお前のことを好きになることなんて絶対ないからいいと思った。じゃなければ、黙ってお前の側に置かない」
「……意味が……分からない」
「お前、趣味が悪いんだよ。いくらなんでも、あんなホモのおっさん、好きになるとは思わなかった」
なんて酷い言い方をするのだろう。
佐藤ハルトは大きく息を吐出し、私が座っていたベンチに座った。
「私が振られたこと、もしかして飛び降り……屋上で会った時から知っていたの?」
「いや……あいつがお前の家庭教師辞めたって分かって、気付いた」
一体どういうつもりだろう。私も知らないようなことを勝手に調べ上げて、それこそストーカーみたいに(というかストーカーとしか思えない)粘着質に、でも冷静に観察している。
それで言うことはずっと下品なことばっかりなのに、多分今は私が自殺しないかどうかを何より気にしている。
「死なないって言えばいいの? 死なないって言ったらもう私に付き纏わないでくれるの?」
「……それこそ、そんな言葉信用できないね。だからさっさとやらせろって言ってんだよ」
イライラしているのが見て取れた。
「お前が俺のこと嫌いなことは知ってる。快楽を与える以外、俺に出来ることなんてないだろ? この世界にお前を繋ぎ止めるには!!」
どういう思考回路をしているのだろう。さも当然のように、格好つけて言い放ったけれど、ただ単に関係を持ちたいだけだろう。言っていることが滅茶苦茶だ。
私は逃げた。
やっぱり佐藤ハルトは異常としか思えない。
「ねえ、お姉。ハルちゃんと何話したの?」
家に帰ると、妹が無邪気な顔でそう言った。
「ハルちゃん? もしかしてハルちゃんって、佐藤ハルトのこと?」
「もちろんそうだよ」
「何、その親しげな呼び方。やめてよ。あんなやつに勉強教わること自体やめて。お願いだから、もう関わらないで」
私はつい厳しい口調になっていた。
あいつがダメなら、妹に懇願するしかない。妹は事情を知らないのだから、反発されても仕方がないと頭では分かっている。それでも、どうにかして佐藤ハルトから遠ざけたかった。
「お姉……もしかして、ハルちゃんのこと嫌いなの?」
「嫌いだよ。嫌いに決まってるじゃない。あいつは……」
体目的の最低な男だと言いたかったけど、中一の妹にそんなこと言えるはずもない。
「ハルちゃんに冷たくしないで」
妹は哀しそうな顔で私を見た。
何なの?
これじゃ、八方塞がりだ。どう説得しても分かってもらえそうにない。佐藤ハルトのヤツ、いつの間に妹を洗脳したのだろう。
私はため息をついた。
「お姉、マカロンまだいっぱいあるから一緒に食べよ」
妹は話題を変え、突然明るくそう言った。暗い表情の私を元気づけようとしてくれているのだろう。
絶対に妹だけはあいつから守らないといけない。強くそう思った。
学校では相変わらず孤立した状態が続いていた。陰口どころか、最近は冷たい視線すらない。私は透明人間のようだった。
あの夏、死ぬことができなかったのだけれど、結局死んでいるのと同じような気がしている。
面倒なことに学校では全員何かしらのクラブに入らなければならない決まりがあり、私は仕方なく図書クラブに所属していた。向き合うのは無機質な本なのだから、人と関わることも少ないだろうと思って。
でもこの冬休み、図書室の開放日に本の貸し出しの仕事をすることになってしまった。当番制のため、断ることはできない。
図書室には、貸し出し当番の私の他に、本棚整理当番のクラブ員が三人来ていた。全員がクラスメイトだった。私は黙ってカウンターに入る。時間が早いせいか、まだ一般の生徒は一人も来ていない。
「ねえ」
突然、クラスメイトの一人に声を掛けられた。確か篠原さん。クラスメイトから声を掛けられたのは本当に久しぶりだった。
「え?」
私は咄嗟に周りを見てしまう。
「あたしが聞いたこと覚えてるよね?」
彼女はそう言った。
改めて、彼女をまじまじと見つめる。中々綺麗な子だ。
「あたし、ずっと前に、ハルトのこと聞いたんだけど、覚えてないの?」
彼女から声を掛けられたのは、たった一度だけ。不思議な質問だった。忘れるわけがない。気になったけれど、その後私から声を掛けることはできず、それ以来一度も篠原さんと話すことはなかった。
「佐藤ハルトのこと好きなの?」
私は彼女が言った言葉をそのまま口に出す。
篠原さんは眉を顰めて
「それで、水上さんは嫌いだって答えたよね」
と言った。
「勿論、覚えてます」
「水上さんって、本当に冷たいね。ハルトにあんなに想われてるのに嫌いとかさ。あたし、その一瞬で水上さんのこと大っ嫌いになったよ。ハルトとは幼馴染なんだよね?」
「え?」
「冷血だから、ずっと友達一人も居なくて平気なんだね」
悪口より何より、彼女が見当違いなことを言っていることが許せなかった。
「なんか、誤解してませんか? 佐藤ハルトが私を好きとか、ありえないですから」
「普通に話してよ。タメだし、知らないと思うけど、あたし、水上さんとは小学校も一緒なんだけど」
「佐藤ハルトは、小さいころからずっと私のこと馬鹿にしていて、私の天敵だから。それに、あいつは女だったら誰でもいいと思うけど」
怒りを込めて、私はきっぱりと言った。
篠原さんは唖然とした顔で私を見ている。それから困った顔で考え込んでしまった。
「……ごめん。水上さんは、本気でそう思ってるんだね。そっか……そう」
一呼吸おいて、彼女は更に続ける。
「ま、簡単に言うと……やっかみなんだよね。あたしだけじゃなくて、ハルトを好きな子ってこの学校にいっぱい居るから。あたしの責任もあるんだろうけど、それで余計水上さんの悪い噂が広まったんだと思う」
佐藤ハルトは、よっぽど目立つのだろう。学校が違うのにどれだけ影響力があるのか計り知れない。
「ついでに言うけど、あたし、ハルトに迫ったことあるんだよね。既成事実ってやつで彼女になれるかな、なんて思ったりして……。ハルトね、微動だにしなかった。水上さんにしか欲情しないんだって」
「……よ……欲……?」
生々しい言葉に、一瞬で顔が赤くなる。学校でなんて会話をしているのだろう。
それにしたって、佐藤ハルトは嫌がらせの天才だ。次から次へと、私を苦しませることしかしない。彼に対して、より一層怒りが大きくなっていく。
「ユミ、話終わったの?そろそろ他の生徒来ると思うよ」
「ちらっと聞こえちゃったよ。図書室で卑猥なこと言わないでよね」
他の二人のクラスメイトが近づいてきて、そう言った。
篠原さんは友達を巻き込まず、フェアに一対一で私と話をしてくれた。納得のいかない話だったけど、ただそれだけは嬉しかった。
私は図書クラブの当番が終わると、学校から佐藤ハルトのマンションに直行した。
彼の部屋のチャイムを強く二回押す。
しばらくしてドアが開き、佐藤ハルトが現れた。
私の顔を見るなり、彼の目が見開かれる。
「話があって」
「上がれば?」
彼がそう言った。
「おばさん居るの?」
「サークル」
「じゃあ絶対に嫌。ちょっと来て」
公園では子供たちが楽しそうに遊んでいた。
私は彼をマンションの裏に連れていく。人の居ないところ、でもすぐに逃げられるところで話がしたかった。
「あんた、うちの学校の篠原さんに何言ってんの? 私にしか、よ……欲……情しない……とかって。ホントにそんなこと言ったの? ……何の嫌がらせ?」
「篠原? ……ああ、あいつか。事実だけどそんな言い方してねーよ。単純にお前にしか勃た」
「やめて!! 気持ち悪い」
私は反射的に彼の言葉を遮った。両手で耳を塞ぐ。
佐藤ハルトは目を細め、呆れた顔で私を見ている。本来こっちがする表情だ。
「もう関わらないで」
言った途端、不意に涙が零れた。泣くのは何年振りだろう。失恋したあの時ですら泣けなかった。自分でも何故、今泣いているのか分からない。
「そんなに俺が嫌いかよ?」
佐藤ハルトの問いに答えられず、涙が止まらない。
「分かった。もう、付き纏わない」
彼はそう言い残し、去った。最後の彼の表情は見えなかった。
それから三日間、佐藤ハルトは私の前に現れていない。
「お姉。ハルちゃんが来ないんだけど、何か知らない?」
私の部屋に入ってきた妹は、不安げな表情でそう言った。どうやら今日は家庭教師の日らしい。
「多分、もう来ないよ」
「何で? お姉、ハルちゃんに何か言ったの?」
私は黙っていた。
「ハルちゃんに電話してみる」
「やめてよ」
「どうして? お姉が嫌がるのが分からない。ハルちゃん、ずっと前から優しかったよ。それにお姉に酷いこと言われたら、とっても哀しいと思う」
妹はまた泣きそうな表情をしている。佐藤ハルトの洗脳は一体いつになったら解けるのだろう。
「ハルちゃんは、お姉のことが大好きだから。髪をオレンジ色にしてるのも、お姉のためだよ。昔、一緒に夕日を見ていて、お姉が綺麗だねって言ったから、それで同じ色にしてるんだって。校則違反だから、学校では散々注意受けてるみたいだけど」
「え?」
「これ、ハルちゃんのスマホの電話番号とメルアド。そんなに信じられないなら、心配かけるようなことメールしてみなよ。多分ハルちゃん、お姉のために、どこに居たってすっ飛んでくるよ」
妹は、私の手に無理やり小さなメモ用紙を渡してきた。
……佐藤ハルトが私を好き?
そういえば、篠原さんもそんなことを言っていた。
考えたこともなかった。真剣に考えようともしなかった。彼のこれまでの馬鹿にしているとしか思えない言動からは、好意を持たれているなんてあまりにかけ離れすぎていて。
夕日のことだって覚えていない。
私を好きだなんてあり得ない。そんなわけない。絶対にない。
しばらくメモ用紙を眺めていた。
人の気持ちを試すなんて良くない。それがどんなに憎い佐藤ハルトであろうと。でも……。
カーテンを少し開けるといつの間にかすっかり日も暮れていた。再び妹がやってきて「夜ご飯できてるから」と言った。
「ごめん。先に食べてて」
私はそう言い、コートを取ると屋上に向かった。
私は屋上から佐藤ハルトにメールを打った。
『さよなら』
私だと気付かないかもしれない。気付いたとしても、もう関わらないと去った彼が現れることはないはずだ。
予想に反し、二十分ほどして佐藤ハルトは屋上に現れた。
暗いし、すぐには誰だか分からなかった。
近づいてきて、腕を掴まれ、やっと彼だと気づくことができた。
屋上の数少ない明かりの下に移動する。彼の息が上がっている。様子もおかしい。というより、格好がおかしい。
Tシャツは後ろ前、片足が捲れたチノパン、裸足におばさんのサンダルらしきものを履いている。極めつけは、雨に打たれたかのように全身びしょびしょだった。はっきり言ってものすごく格好悪い。
真冬にあり得ない。彼の髪から滴る雫が私の手の甲に落ちる。それは、たった一滴なのに氷が刺さったかのように冷たかった。
「お前、いい加減にしろよ。風呂入ってたし、場所とか分かんねーし」
彼の息は上がったままだ。
「佐藤ハルト、私のことが好きなの?」
「今更、何でそんなこと聞くんだよ?」
今更も何も、今まで一度だって告白されたことなんてない。
言われなければ、分からない……分かるわけが……ない。
寒さからか佐藤ハルトは、震えていた。私は自分のコートを脱いで、彼にそっと掛けた。
佐藤ハルトは嬉しかったのか、倒れそうなくらい青白い顔で、とても綺麗に笑った。
瞬間、少し心臓が跳ねる。
ああ、もう私……死ねない。
こんなバカ、放っておけるわけない。
いつか、囚われつつある私の心が本当に囚われたら、佐藤ハルトの願いを叶えてあげてもいいのかもしれないと思った。
そしてその時は「下手だね」は当然、彼のさらさらの美しいオレンジの髪が薄くなるくらい一緒に居て「昔は格好良かったのにね」と嫌味の一つも言ってやりたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
一応、ハッピーエンドです。
もう後はラブコメでもなんでもお好きにどうぞ……という感じです!!