冬休みの帰省
私は大きなため息を吐き、卓球台に手を付いて項垂れる。
するとどっと疲れが出てきたのか、額から汗が滴り手の甲に落ちてきたのだ。
「・・・早崎君、大丈夫?」
「ん?ああ、委員長心配掛けてごめん。僕は大丈夫だよ」
他にも人がいた事を忘れ、桐林の事ですっかりヘコんでいた私を、委員長が心配そうに声を掛けてきたので、私は慌てて笑顔を作り滴る汗を手の甲で拭いながら顔を上げた。
するとその時、何処からともなく熱のこもったため息がいくつか漏れ聞こえきたので、私はそれを不思議に思いながら汗で貼り付いた前髪を掻き上げつつ、その声が聞こえてきた方に顔を向ける。その瞬間、至る所でバタバタと人が倒れ出したのだ。
「えっ?」
「・・・浴衣姿に汗と前髪掻き上げ・・・・・その色気、威力半端ないね」
「へっ?」
委員長がボソッと呟いた言葉の意味が分からず、私はただただ少し顔を赤らめた委員長が、何故か私と目を合わせてくれない事に小首を傾げて困惑していた。
そして何気に周りを見回すと、立っていた人々も委員長と同じような感じで、私と視線を合わせようとしてくれなかったのだ。
私はその皆の態度に少し傷付きながら、倒れてしまった人々を見ると女生徒が多く倒れている事に気付く。ただ一部例外があり、男子生徒もその中に混じっていた。そしてさらに良く見てみると、まだ仕事に戻っていなかった仲居まで倒れていたのだ。
その前にも見た事があるような光景に、私は首を捻りながら周りを見渡す。
「皆、突然どうしたんだろう?体調悪かったのかな?」
「・・・相変わらず、無自覚だね」
「???」
「まあ、皆大丈夫だと思うよ。だって・・・あの表情だからさ」
やっぱり委員長の言ってる意味が分からなかったが、私は委員長が言ってた『あの表情』と言うのが気になり、周りに助け起こされている人々を見ると、何故か皆恍惚の表情をしていた事に気が付いたのだった。
あの後すぐに旅館の従業員達が来てくれ、倒れてしまった人々を部屋まで運んでくれたのだ。
そして委員長からは、何故か卓球禁止令を食らってしまった。
私はその禁止令が納得いかず委員長に訳を尋ねると、『皆の為』と訳の分からない理由を返されたのだ。
そうしてもう一泊した後、美味しい朝食を旅館で食べそして旅館内のお土産屋で沢山のお土産を買ってから、従業員全員に旅館の前で見送られまた長時間のバス移動を経て学園に帰った。
ちなみに旅館にいる間また温泉に入ったかと言うと、あの桐林との遭遇の一件でどうも入る気が起こらなくなり、その後一度も入りに行かなかったのだ。勿論委員長からも何度も誘われたが、それはなんとか適当な言い訳を言って全て断った。
そうして皆疲れきりながら学園に着いた後は、それぞれの実家に帰省して行ったのだ。
私も沢山のお土産を持って実家に帰り、熱烈な出迎えをしてくるお父様を軽くかわして、リビングでソファに座りながらお父様とお母様に旅館での事を楽しく語った。
「・・・それでね、私どうしても温泉に入りたくなったから、深夜の皆が寝静まった時間を狙って温泉に一人で入りに行ったの。そしたらなんと、私が露天風呂に浸かっている時に桐林先輩が入って来ちゃったんだ!」
「何!?」
「まぁ~!!」
「深夜だから大丈夫だと思って男湯に入った私が悪いんだけど、結局一緒のお風呂に入る事になって、もうその後女とバレ無いかヒヤヒヤしながら、なんとか誤魔化して風呂場から脱出したんだよ。いや~今思い出してもあれは本当に大変だった」
そうその時の事を思い出しながら苦笑していると、何故かお父様は眉間にシワを寄せ目を吊り上げて怒りの形相になっていたのだ。
「お、お父様?」
お父様の只ならぬ様子に恐る恐る声を掛けると、お父様は突然ソファから立ち上り、怒りの形相のまま部屋から出て行こうとしていた。
「お父様!?どこに行くの!?」
「・・・今から桐林の家に怒鳴り込みに行く!!」
「はっ?ちょ、何言い出すの!!止めてよお父様!!!」
「離せ詩音!私の大事な娘と一緒に、風呂に入ったなどと許せるものか!!私でさえ詩音ともう一緒に入っていないのに!!」
「そんなの当たり前でしょう!この歳でお父様と一緒に入れる訳無いでしょう!!それよりもそんな馬鹿な事して、桐林先輩の家に迷惑掛けないでよ!!」
今すぐにでも桐林の家に、怒鳴り込みに行こうとしているお父様を私は必死に捕まえ、なんとか部屋から出ていくのを阻止しする。
「と、とりあえずお父様落ち着いて!!そもそも桐林先輩は私の事を男と思っているんだから、いきなりそんな理由で怒鳴り込んで行ったら、せっかく頑張って女とバレないようにしてた努力が全て無駄になっちゃうよ!!」
「くっ!そ、それもそうなんだが!しかし!!」
「もう!結局何も問題無かったんだからさ!でも私の為に怒ってくれたのは嬉しかったよ。ありがとうね。ほら、紅茶でも飲んでお父様落ち着いて」
「う、うむ・・・」
私はなんとかお父様を宥め、ソファにもう一度座らせるとポットから温かい紅茶をカップに注ぎお父様に手渡した。
そしてお父様は、私から受け取ったカップから紅茶を一口飲み、漸く肩から力が抜けたのが見て取れたのだ。
「詩音・・・すまなかった」
「べつに良いよ。とりあえず落ち着いてくれて良かった」
そうして思い止まってくれたお父様にホッと胸を撫で下ろし、私ももう一度座っていたソファに座り直す。
すると今まで事の成り行きを黙って見守っていたお母様が、お父様の隣から私の隣に移動してきて座った。
私は不思議に思いながら横に座ったお母様を見ると、お母様はとてもワクワクした目で私に迫ってきてのだ。
「ねぇ~ねぇ~詩音ちゃん。その桐林君と一緒にお風呂に入って、ドキドキした~?もしかしてそれから桐林君の事が気になり出したりとかしてな~い?」
「う~ん・・・まあそりゃ~男の人と裸同士でお風呂に入ったから、ドキドキはしたよ。ただ多分桐林先輩だからと言うか、どの男の人と入っても同じようにドキドキしたと思うけどね。それに、桐林先輩の事が気になり出したとは少し違うけど、桐林先輩に裸の後ろ姿見られてないかどうかなら凄く気になってるよ?」
「なっ!?やはり怒鳴り込みに!!」
「・・・お父様おすわり!!心配しなくても多分見られて無いと思うから。だってその時、桐林先輩眼鏡掛けて無くほとんど周りがぼんやりとしか見えて無かったらしいよ。さらにその時湯煙で視界も凄く悪かったからさ・・・うん。やっぱりよくよく考えても、まず間違い無く見られて無いと思うよ!」
・・・多分ね。と言うかもうそう思う事にしよう・・・。
「・・・それじゃ~詩音ちゃんは、桐林君の事何とも思っていないって事なの~?」
「・・・お母様が聞きたいのは、多分恋愛感情が湧いたかって事だよね?正直、その感情はいまだに良く分からないけど、多分桐林先輩に対する気持ちはそんなのじゃ無いと思うよ?」
「詩音・・・良かった~」
「それは残念~。せっかく定番のラブハプニングが起こったのだから、もしかしてと思ったのよ~」
桐林に対する私の正直な気持ちを言うと、お父様はホッとした表情をして、お母様は凄く残念そうな表情をしたのだった。
「はぁ~お母様・・・私、今響の振りをするので一杯いっぱいだから、そんな恋愛感情が湧く程余裕無いんだけど?」
「・・・でも~そんなに沢山の男の子達に囲まれていたら、一人ぐらいは気になる子出来るんじゃ無いの~?」
「いやいや、そんなの・・・い、いないよ!」
私はすぐにいないとキッパリ言うつもりだったのだが、何故かその時ふと高円寺の顔が頭を過り、そしてどうして高円寺の顔が頭に浮かんだのか分からず心の中で動揺して、一瞬言葉に詰まってしまったのだ。
しかしお母様はそんな私の様子に何かを察し、目を輝かせ嬉しそうに自分の手を握って見つめてきた。
「まぁ~まぁ~!!もしかしてもうそんな子がいるのね~?どんな子なの~?もしかして、あの学園祭でお会いした中にいたのかしら~?」
「ち、違うから!!そんなんじゃ無いから!!わ、私もう部屋に戻るね!!!」
私はこれ以上追及されるのが嫌になり、ソファから勢い良く立ち上がると急いで部屋から出ていく。
「うふふ、これからが楽しみね~」
「詩音、そんな・・・」
去り際にとても楽しそうなお母様の声と、悲壮感たっぷりのお父様の声が後ろから聞こえてきたのだった。




