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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
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マロの止まらない京都観光(六)

氏真さんの京都観光十六日目。


今日は尊敬するあの人達ゆかりの場所へ。

ありす川大井川恋の中川!

氏真さんの誤字。


翌二月十日、また氏真に風流心がきざしたらしく、出かける事になった。


「今日は小倉山へ参ろう。藤原定家が百人一首を選ばれたという所じゃ」


「御意」


 弥三郎は氏真の命を受けて供の者たちに支度を命じる一方宿の者に小倉山への道筋や周辺の名所について尋ねた。氏真の昨日の仕事へのご褒美があっていいと思った。


 小倉山は宿から西南西に二里ほどの所にある。小倉山だけでなく周囲にも氏真が好きそうな歌枕や名所が多いらしいので、今日も長い一日になりそうだと覚悟した。


「小倉山の近くには大沢池もある。ありす川大井川恋の中川、いろんな川があるぞ。嵯峨野には西行法師の庵もあったという。まずは小倉山じゃ」


 氏真はまた元の通りにはしゃいで饒舌になっている。


 小倉山に近づくと近くには寺がいくつもあり、鐘の音が聞こえる。


「梅が咲いておるのう……。おう、鐘の音が聞こえる。あれは夢想疎石禅師が建立した天竜寺であろう。……うむっ、一首浮かんだ」


 小倉山は高さ千尺(約三〇〇m)程の小山だった。一行はあてもなく歩き回ってみるが、藤原定家の別荘が残っているわけでもない。


 また何もないのか、と弥三郎は思うが氏真の饒舌は続く。


「ここであの小倉百人一首が選ばれたのじゃ、いや、ここかそこか今となっては分からぬがのう……。このあたりに後嵯峨帝の御所があったともいうぞ。小倉山は亀の甲に似ておる故亀山とも言うのじゃ。正月初子の日に亀山まで来て小松引きをするのが京の公家衆の間では人気なのじゃ。どちらも長寿の亀と松と、かさねて縁起がよいからのう。ねの日する、いづくはあれど亀の尾の、岩根の松をためしにぞ引く。新千載集にある為家のお歌じゃ。為家は定家のお子でこちらも名高い歌人なのじゃ……。またここに来たいものじゃのう、またここに来るぞ……。うむっ! 一首浮かんだ。ちぎるなりい、かめのおやまにまたこんとお、いはねのまつもお、ゆくえわするなあ……」


「御屋形様の想いが表れたよいお歌にござりまする」


「うむうむ」



 をくら山下道ゆけは梅咲ておくは寺そと鐘聞ゆ也(1‐87)


 亀山松の有所をさしてをしゆ


 契る也亀のを山にまたこんといはねの松も行方忘るな(1‐88)



「では此度は有栖川を探そう」


 有栖川は大覚寺境内の大沢池から発する流れである。小倉山まで来る途中既にそれらしい細い川を渡っていたので、そこまで戻ってからさかのぼろうと言い出した。


「有栖川大井川恋の中川っ! 有栖川大井川恋の中川っ!」


 と氏真は合言葉のように騒ぎ続けている。


 その川が確かに有栖川だと土地の者は教えてくれた。しかし、有栖川をさかのぼって行っても滔々たる流れには出会わない。結局細い流れのままの有栖川が流れ出る大沢池まで来てしまった。


「有栖川というのはこればかりの漏れ水か……。これでは岸辺の松の影さえ映らぬ……。うむーっ! 一首浮かんだ。もるうみずのお、たえぬばかりをありすがわあ、うつるともなきい、まつのしたかげえ……」


 でたっ、ないものから歌をでっち上げる氏真の妄想詠歌だ。


「お見事……。有栖川の名を用いた掛け詞に御屋形様の無念な思いがうまく詠まれておりまする」


 弥太郎のキリリと引き締まった顔から中の人の妄想詠歌への戸惑いが一瞬の沈黙の中にちらりと見えた気がして、弥三郎はにやりとした。


「うむうむ」


 氏真はまたいつものようにすっきりして全てを忘れたような顔をしている。


「では気を取り直して恋の中川を探そう」


 氏真はまたふらふらと馬を西に進めて恋の中川を探しに行くが、本当にそんなものがあるのか、弥三郎は疑問に思った。「恋の中川」とは天の河など恋の仲を隔てるものの喩えで、どこか決まった場所ではないのでは?


「大井川の野辺にも春草が萌え始めたな。そういえば、小倉山も紅葉の名所というな。秋になると業平が『からくれないに水くくる』と詠まれた龍田川の和歌のように紅葉が川を鮮やかに彩るのであろうか……。うむっ、一首浮かんだ。おもいやるう、ちはやのあきのお、なごりまでえ、おおいののべのお、したもえのいろお……」


 でたっ、妄想詠歌第二段だ。春の景色を見て、見る程のものがないからといって、関係ない場所の秋を詠むというのはいかがなものか。


 氏真が歌を書き付けてさらに西に進むと細い流れに行き当たった。


「おっ、これはどうだ。恋の中川ではないのか?」


「里の者に聞きました所、芹川とのことにござりまする」


 弥太郎が道行く里の者に聞いて復命した。


「ううむ、そうか……」


「後嵯峨帝が若菜を摘まれた芹川とのことにござります」


 氏真は恋の中川探しが空振りに終わって残念そうな表情だったが、後嵯峨帝の若菜を摘んだ歌枕と聞いて、ぱっと表情が明るくなった。


「おおっ、『君がため、春の野に出でて若菜摘む、我が衣手に雪は降りつつ』というあの歌がこのあたりで生まれたのか! うむっ、一首浮かんだ。つみわびしい、たがせりがわやあ、なかがわのお、うきよのさがにい、あとのこるらんん……」


「芹川と恋の中川をかけたよいお歌にござりまする!」


「うむうむ。しかし、ここは恋の中川ではないからのう……。まあよい。西行庵の跡に行って見たい。桜を愛でられた西行法師故桜があればよいのじゃが」


 小倉山のすぐ近くに西行の庵の跡という西行井戸なる場所があったが、桜はなかった。


「うむう、桜の木はないか、惜しい事よのう。ここから見えたは月ばかりだったのかのう。嘆けとて、月やはものを思はする、かこち顔なるわが涙かな。西行法師は桜が恋しくて月を責めたくなったものか……。うむっ、一首浮かんだ。あわれいかにい、あたらさくらのかげもなしい、かこちがおなるかくれがのあとお……」


「西行法師の名歌に法師がお好きだった桜を詠み込まれるあたり、並大抵の想像力ではできますまい。お見事にござりまする!」


 妄想詠歌も今日は第四段まで出た。


 その跡も氏真が夕陽に照らされる小倉山を西の麓から眺めたいなどど言い出したのでまた時間が過ぎ、そうこうしている内に夕暮れが迫ってきた。


「もうそろそろ戻りましょうか」


 早く帰りたい弥三郎は氏真に声をかけた。夕方になって急に寒くなったように感じる。雪でも降りそうな勢いである。


「うむうむ」


 もう春だというのに小倉山の麓の日陰に入って歩くと特に寒い。すると氏真が何か見つけて騒ぎ出した。


「ほれ、見てみよ、夕凝りの霜があるわ。さすがは春も嵐の山という嵐山、夕べの日陰には霜が凍っておるか……。うむっ、一首浮かんだ。さえかえりい、はるもあらしのやまぎわはあ、ひかげにしろきい、しものゆうこりい……」



 ありす川大井川恋の中川西行庵室の跡 

 なとゝ申せとも畠の如く也上は嵐山 


 もる水の絶ぬ計を有栖川うつるともなき松の下かけ(1‐89)


 思ひやる千早の秋の名残迄大ゐの野への下萌の色(1‐90)


 つみわひし誰か芹河や中川のうき世のさかに跡残るらん(1‐91)


 哀いかにあたら桜の陰もなしかこちかほなる隠家の跡(1‐92)


 さえかへり春もあらしの山きはは日影に白き霜の夕こり(1‐93)


 一行は東へと進み始めたが、氏真はなおも周囲の景色が名残惜しいらしくときどき振り返った。おりしも夕霞が広がって大井川一帯はえも言われぬ風情を見せていた。


「大井川の岸辺の神さびた松、松尾山の里からは夕霞と共に夕餉の煙が立ち上っておるな……。もはや見えるのは木々の梢ばかりか……。うむうむっ!」



 かへさ霞わたり松尾山大井川一入の景也 


 大井川汀の松も神さひてゐ垣に似たるせせのふる?(くい)(1‐94)


 夕霞煙もそふや枩のおの里の梢そ遠ざかり行(1‐95)

 


 そんな調子で夕景色を惜しみながら進んだので、大覚寺のあたりまで半里足らず北に行った頃にはすっかり日は暮れてしまった。すると氏真が言う。


「ううむ、ようやく大学寺に着いたか。まだ嵯峨野の名所旧跡を堪能しておらぬ……。今日はもう日も暮れた故、ここらで宿を借りられまいか」


「御意」


 また面倒な事を言い出すなあ、と思ったが、それを表に出さずに弥三郎は称念寺という浄土宗の寺に頼み込んで宿を貸してもらった。もちろん相応の謝礼は出す約束をした。


「知っておるか、大学寺には名こその滝という有名な滝があったのじゃ。『滝の音は絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れてなお聞こえけれ』というてな。大納言公任の歌じゃ。昔もう絶えてしまった滝ではあるが、我らのようにその跡を慕う者がおる故その名こそはいまだ流れて残っておる……。うむっ、一首浮かんだ」


 弥三郎は氏真が大覚寺を大学寺と間違えているらしい事の方が気になって仕方なかった。



 暮過る程に京へは遠し後称念寺一宿


 昔たに絶ぬる滝の音なれとしたへは名こそ猶残けれ(1‐96)


 大学寺の滝名こその滝と云


 それそともさしては法の声も無し只吹わたせ春の山風(1‐97)




『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第9話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光十六日目です。


前回ブルーだった氏真さんですが、また気を取り直して小倉百人一首の舞台へ。

氏真さんは藤原定家と西行法師には強い思い入れがあるようです。

しかし、時は戦国、氏真さんが期待するほど歌の名所旧跡も残っていません。


ところで、改めて計算してみると、氏真さんは週休六日ですかね!?


俗事を書かない詠草からの推測なので、観光のない日は仕事していたのかも知れませんが、それを差し引いても観光に出かけている日の方が多い。


他の戦国武将たちが命のやり取りをしていた時に、脳天気とも言えますし、逆にそれが容認される様に自分を高く売りつけたとも言えるかも知れません。


うらやましいような、たいがいにせえ、と言いたくなるような……。


しかしもう少しすると、我々はまた氏真さんの秘かな思いを知る事になります。



こんなブログもやってますので見てくださいね!

大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。



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