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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
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マロの止まらない京都観光(五)

鳥辺野、鳥辺山でブルー。

VIPに会いました。


二月二日は、さすがに氏真も愛宕山を歩いて疲れたと見えて終日休む事ができた。しかし三日になると氏真は既に元気を回復していて、昼ごろになってから


「よし、今日は伏見稲荷に行くぞ」


 と言い出した。


 伏見稲荷は宿から南へ二里ほど下った所にある。また四条大路を東に歩いて鴨川を渡り、八坂神社で南に向かう。杉の木の間から遠く霞越しに稲荷山を見つけると、氏真はまた蘊蓄を披露する。


「『ひとりのみ我が越えなくに稲荷山春の霞のたちかくすらん』と貫之は詠まれたというぞ。稲荷山の三つの嶺にはそれぞれ神が祀られているというがこの霞の中では何を道標に参詣したものか分からぬな……。うむっ!」


 霊山あたりの古刹を再び巡ると今日は桜の花が咲いているのを見つけて氏真は喜んだ。


「古の法のむしろに限って花が咲いておるとはな……うむっ!」


 しかし、寂れた古寺で見た桜は春の訪れの喜びよりもむしろ移ろいやすい花の色のはかなさや無常の想いへと氏真の心を誘ったようで、物思い顔で歩く氏真は鳥辺山の眺望が開けた谷路まで来ると、ほっとため息をついた。


「鳥辺山か……。ここで荼毘に付された魂は鳥のように飛び消えて跡も留めぬのであろうな……。うむう、一首浮かんだ」


 そこから一里足らず歩いて伏見稲荷に着いた。


「御屋形様、稲荷といえば家業繁昌のご利益がござりまする故、今川の繁栄と駿河復帰をお祈りいたしましょう」


「うむ……」


 弥三郎は明るい気分で過ごしたかったので、氏真にそう声をかけて笑顔を見せたが、氏真の表情は変わらず、境内を見て回る時も物思いに耽っているようであった。


 やがて日が傾き、神社を出る時には夕霞があたりを包んでいた。谷川にかかった橋を渡る時、氏真はふと馬を止めて橋の下の小川の流れを見やった。


「どうなされました?」


 弥三郎が気になって聞くと、


「いや、夕霞で川の水に移る橋の影もおぼろげに見える。声さえも霞むようじゃな……。うむ、一首浮かんだ」


 氏真の表情にはいつものような明るさがなかったので、弥三郎はどう声をかけてよいか分からなかった。


 それから氏真は伏見稲荷周辺の深草野に出て、暮れるまであたりの景色を見ていた。


「御屋形様、もう日が暮れまする」


 弥三郎が促すと、


「うむ」


とだけ氏真は答えた。一行は帰途に着いた。


 日が暮れてから歩く近くの森の下道は既に墨で染めたように暗くなっていた。その中を氏真はつぶやいていた。


「そういえば古今集にあったな、堀河太政大臣を深草に葬った後の上野岑雄(かみつけのみねお)の歌であったか、『深草の野辺の桜し心あらば、今年ばかりは墨染に咲け』と……。ふむ……」


 氏真は一首浮かんだらしかったがいつものように歌を詠み上げず、懐紙に書き付けていた。


 夜になって宿に戻った一行は遅い食事を取って眠りに就いた。



 杉むらも霞へたてて稲荷山何をしるしに三の玉かき(1‐76)


 古の法のむしろの所しも花の都にけふのきさらき(1‐78)


 飛消て跡もとどめぬ鳥部山谷路をとめて見るそはかなき(1‐79)


 入合にかかれる橋の影さひて声さへ霞む谷の下水(1‐80)


 深草の野は暮はてて花もなし只すみ染の森の下道(1‐81)

 


 伏見稲荷に参詣してから数日間の氏真は京に来たばかりの頃の浮かれた様子とは打って変わって何事かを沈思黙考していた。弥三郎は弥太郎と共に忙しくしていたため、気になりながらも氏真と深く話す事なく過ごした。村井に信長上洛の日取りを確認して見たが来月になりそうだとの事だった。他にも京の各方面と連絡を取り合う一方、やんごとなき人々に会うための装束の準備などもした。


 二月九日の朝、朝餉を終えてしばらくしてから氏真は弥三郎と弥太郎に、


「今日は陽明院に参る日だな」


 と手短に告げた。二人はいつもより緊張した面持ちで、


「はっ」


 とだけ返事をし、供の者たちにいつもよりしっかりと身支度するよう命じて出立した。


 陽明院は室町小路と押小路の交わる三叉路の東南にある。木下の宿からは南に半里余りの距離である。屋敷の門まで来ると、弥三郎は氏真の到来を家中の者に告げ、通された氏真はやや緊張した面持ちで邸内に入った。


 出迎えたのは時の関白二条晴良と権大納言昭実の父子であった。


 氏真が陽明院と呼んでいるのは美しい庭園で有名な押小路烏丸殿(おしこうじからすまどの)の事である。元々藤原道長の外孫で三条天皇の三番目の皇女に生まれ、後朱雀天皇の皇后となった陽明門院の御所が建てられた場所なので氏真はそう呼んでいるが、今は摂関家二条家の屋敷となっている。


 いつもの弥三郎なら、


(だったら二条様のお屋敷と言えばいいじゃないか)


 と思う所だが、今日は時の関白を訪問して緊張していてそんな余裕はなく、そわそわして控えていた。


「よう参られた。遠路はるばるご苦労であるな」


 晴良は氏真を機嫌よく出迎えた。


「お招きにあずかり誠にかたじけのう存じまする」


「そなたの事は駿河に下向した事のある公家衆からよく聞いていた故まろも話を聞こうと思うてな……」


 晴良も宮中で会った公家衆と同じように氏真の上洛の背景や東国の情勢を尋ね、朝廷に対する信長の態度について氏真の意見を聞きたがった。氏真は信長が家康と共に武田との無二の一戦を決意しており、戦いに役立つあらゆるものを利用する気でいると思われる事、そのため氏真には駿河衆調略を、朝廷には大義名分を求めて接近するであろう事を述べた。


「うむ、そうであろうな。実はこの昭実は赤松家の娘を信長の養女として娶る事になっておる。我らは信長の縁戚となるわけじゃ……」


「それはそれは……」


 氏真は信長が二条家にそこまで接近しているとは知らなかったので、ほう、と思う一方迂闊に信長をくさすような真似をしなくてよかった、とほっとした。


 なおしばらく歓談した後晴良と昭実は氏真を誘って庭園に出た。その昔白竜が昇ったという池には小島があり、小さな滝もこしらえてあった。


「あれなるは桜松と申す」


 晴良は寄り添うように立っている老松と桜の木を指して言った。氏真はふむ、とつぶやいたがそれは隣にいる晴良にも聞こえない小声だった。


「これから公家と武家が手を携えて穏やかな世をもたらす事ができればよいのう」


 いよいよ氏真が二条家を辞去する時晴良はしみじみとそう言い、氏真は頷いた。


「誠に……。それがしもお役に立ちとうござりまする」


「うむ、頼んだぞ」


 二条殿を出るや否や弥三郎は待ちきれないという表情で氏真に尋ねた。


「関白様への謁見の首尾はいかがでござりましたか?」


「うむ……」


 氏真の返事はたった一言だったが、弥三郎はそれを肯定の返事と受け取った。


「それはよろしゅうござりました」


「これから千本の遺教経に参ろう。今日からだと聞いた」


「御意」


 氏真の言う千本の遺教経とは千本釈迦堂の遺教経会(ゆいきょうぎょうえ)である。二月の九日から十五日まで千本釈迦堂ゆかりの僧侶が集まって、釈迦入滅前の最後の教えが書かれた遺教経を読み上げるのである。


 千本釈迦堂には既に数多の善男善女が集まって遺教経の訓読に聞き入っていた。折しも庭には桜が咲き、花びらが風に舞っている。弥三郎でさえもお釈迦様がお亡くなりになった時、沙羅双樹が満開の花を散らせ、花びらがお釈迦様に降り注いだという逸話を連想できた。弥三郎は氏真はまた無常を観じるのではないか、と気になって後ろからこっそりと様子を窺って見ると、氏真は微笑んでいた。


「ここの桜もようやく咲いたか……。み仏のお教えの沙羅双樹の花に桜の色香が添えられて美しい事この上ないのう……。うむっ! 一首浮かんだ。のりのはなあ、おりにさくらのかげそえてえ、いろかたえなるう、にわのおもかなあ……」


「み仏のお教えのありがたさと桜の花の色香の美しさが共に引き立つよいお歌にござりまする」


「うむうむ、よう言うてくれた」


 弥太郎がいつものようにキリリと引き締まった顔をほころばせて氏真の歌をほめたが、その表情にはいつもよりもしみじみとした情感が表れているように思われて、弥三郎も微笑んだ。


 氏真も微笑んでいた。ようやく咲いた桜に自分を重ね合わせているのかも知れなかった。去り際の晴良の言葉を思い出し、自分も公家と武家が手を取り合う仲立ちの役に立てるかもしれないという思いが氏真の心を明るく照らしていたのだった。



 名を聞は昔の影も立そふや老木の枩に花の一本(1‐82)


 右陽明院の桜松ゆへある木と人のいへ 

 り千本の遺教経花も漸咲


 法の花折に桜の光そへて色香妙なる庭の面哉(1‐83)

 

 千本釈迦堂の遺教経を堪能した後、氏真はすぐ近くの北野天満宮に参詣した。


「ここの桜も咲き始めておるな。しかし春知り初めた花が神垣をなす木々や松や榊の森の神々しさと引き合わせになるとまた別な趣を見せていてよい。……うむっ、うむっ、うむっ!」


「三首も立てつづけにお詠みになるとはさすがは御屋形様にござりまする」


「うむうむ。よう言うてくれた。よい気分じゃ」


 やはり氏真にはこれくらいの軽やかさと明るさがあった方がよい、と弥三郎は思った。


 歌の話は勿体ぶっていて無駄に難解だし騒々しくてうっとうしいが、ふさぎ込んでいる氏真を見るよりよほどいい。領国を失った今川家の命運は氏真の心ひとつに懸かっているのだし。


 供の者たちも同じ思いなのだろう、宿に帰ってから夕食を取る者たちの表情もいつもより明るく感じられた。



 北野参詣申花もこゝかしこ咲そむ


 燈の花を映せる神垣の木々は桜にてりまさりけり(1‐84)


 山桜初花見ゆる傍らに猶神松そ翁さひたる(1‐85)


 みしめ縄くちて世ゝふる神垣のしるしさひしき森の真榊(1‐86)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第8話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光八日目~十五日目です。


鳥辺野、鳥辺山は昔から火葬場として有名で、この世とあの世の境目のような場所と考えられてきました。どうやら氏真は鳥辺野付近を通ってこの世の無常を感じてしまったようです。

桶狭間の戦い以来、周囲の数多くの人が非業の死を遂げておりますので、心がひどく沈む時もあったようです。

しかし、氏真も戦国武将なので、沈みっぱなしではありません。どうやら時の関白二条親子に会ったようです。

和歌を書き付けた詠草の詞書なので、「陽明院」なんて曖昧な表現をしていますが、京都で陽明院というと、昔陽明門院の御所だった関白二条邸しか見当りません。

「人」という書き方も、どうやらVIPを意味する様です。

氏真は猛烈に遊ぶ一方で、こうやってVIPに会っていろいろ情報収集していたようで、油断のならない人物だったようです。

氏真は現代の我々が氏真を間抜けな蹴鞠ファンタジスタとして面白がっているのを知ったらニヤリとするかも知れません。

なぜなら、氏真は韜晦することを狙っていたのですから……

氏真への密着調査で、戦国の秘密がまた一つ明らかになって行きます……



こんなブログもやってますので見てくださいね!

大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。

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