表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
4/35

マロの止まらない京都観光(一)

「戦国最大のおのぼりさん」今川氏真、ついに上洛!

「恋の中川よおん」

いよいよ氏真の止まらない京都観光が始まる!


マロの止まらない京都観光


 一行は突如疾駆し始めた氏真を必死に追った。弥太郎が何とか氏真に追いすがって氏真が予定通り下京の宿に行く事を確認して取って返し、弥三郎にその旨を告げた。それで弥三郎もひとまず安心して氏真の警護は弥太郎に任せ、自分は徒の者たちが落伍しないよう引率する事に専念した。とはいえ徒の者たちは氏真に出来るだけ遅れないように歯を食いしばって急がねばならなかった。

 氏真はといえば京に入りたい一心で、家臣たちのそんな苦労など思いも及ばぬ様子で馬を進めて山を下り、白川を通り過ぎた。神楽岡には吉田神社があるが、気にも留めずにその前を通り、左手に八代将軍義政の建てた銀閣があると聞いても

「ほう、そうか」

 とだけ答えて馬の歩みを止めない。

「御屋形様、ひとまず宿に参りましょう。供の者たちも休ませねばなりませぬし」

 このまま放っておくと京の町中にさまよい出て行方をくらましかねない氏真の様子を見て、弥太郎は必死に頼み込んだ。

「……分かっておる」

 と答えるが氏真はそんな事などうわのそらといった表情である。

 弥太郎が氏真の馬の手綱を取るようにして何とか下京の宿に着き、弥三郎と徒の者たちも追いついて旅装を解き、ようやく一息つく事ができた。

 今回の上洛は駿河奪還のために信長に出仕する事であるからまずは信長の京都所司代村井貞勝に到着を知らせ、信長への謁見の日取りを決めねばならない。京都で家康の目耳のように働いている茶屋四郎次郎にも連絡が必要である。しかし、氏真はそんな事はどこ吹く風、京都見物をしたいばかりと見え、中食の間もそわそわしていた。

 落ち着かない氏真をそのままにしておけないので、弥太郎が氏真の京都見物に従い、弥三郎が貞勝や茶屋などに挨拶し、その他の縁故ある者たちへの挨拶は、それらしい口上を述べる事ができそうな徒士(かち)二三人に回らせる事にした。

 弥三郎が弥太郎と相談した後二人でその旨を告げると、氏真は初日から見物できると思って機嫌を良くしたらしく、

「うむうむ、そうしてくれ」

 とだけ言って自室に入った。都を歩く前に身づくろいをしておこうという考えらしい。

「弥太郎殿も着替えられたがよかろう。駿河太守のお供が埃にまみれていては御屋形様も面目が立つまい」

「かたじけない」

 弥太郎も着替えのため部屋に入り、弥三郎はそのまま挨拶回りに飛び出して行った。

 身支度を済ませた氏真は弥太郎を従えていよいよ京の町中に出て行った。弥太郎はまだ元気な小者を三人ばかり選んで引き連れた。他の数名は疲れ切った様子だったので休ませておいた。

 特に案内の者も立てずにふらりと宿を出たので、氏真は当てもなく北に向かう。弥太郎は初めての京の都で迷わないよう道を覚えるのに必死だ。さすがに京の都は大きい。商店や家が立ち並び、貴賤貧富、老若男女が絶えず広い道をそぞろ歩いている。駿河では信玄に焼かれる前の駿府の町を東の京などと呼んでいたが、比べものにならない。

「どうじゃ、この賑わいぶりは。これほどに栄えておるとはのう。都は駿府の町と比べていかほどのものであろうかと思うていたが駿府など物の数ではないな……。うむっ! 一首浮かんだ。おもいしはあ、かずにもあらず、ここのえやあ、やえににぎわうのきをならべてえ……」

 氏真の詠歌をすれ違う京娘たちがくすくす笑うのを見て弥太郎は秘かに赤面したが、氏真は気にする様子もなく、

「弥太郎、どうじゃ、この歌は?」

 と聞いてくる。弥太郎は正直返事に困ったが、

「はっ……、都の栄えぶりをよう詠んでおられまする」

 と少し小声で答えた。

「うむうむ」

 氏真は機嫌よげであったが弥太郎は居心地が悪かった。


 山を下白川を過神楽岡吉田の前を行東 

 山殿御旧跡なとゝ聞て程もなく下京着

 思ひしは数にもあらす九重や八重ににきほふ軒をならへて(1‐37)


 氏真は初めての京を歩いて感激しきりだったが、不案内な京の町中をふらふらと歩くばかりである。馬に乗る氏真と弥太郎は平気だったが、自分の足で歩かねばならぬ小者たちはうんざりしているようであった。

 四半刻も北に歩くと公家の屋敷の立ち並ぶ鷹司小路あたりまで来てしまった。その気になれば氏真の祖母寿桂尼の実家中御門家、歌道指南だった冷泉家、縁戚の正親町三条家、駿府で庇護していた三条西家など公家衆への挨拶回りもできただろうが、氏真は面倒臭がって知り合いの公家に会う前に西に曲がり、上京をさらに一刻ほどぶらぶらと歩いた後南へ下ってしまった。

 氏真は気にしていないようだったが、弥太郎はさすがに名所を何も見物せずに帰るのも体裁が悪いと思い、四条のあたりで通りがかりの女に聞いて見た。

「近くに名所はないだろうか」

「あら、いいおとこお」

 弥太郎の顔を見た京女は問いには答えず、嬌声を上げた。

「このあたりに名所はないだろうか」

 弥太郎はキリリと引き締まった顔の表情を変えず同じ質問を繰り返した。

「恋の中川よおん」

 女はいたずらっぽく媚びるような笑みを浮かべて答えたが、小唄を引いて弥太郎に戯れたいだけであった。


 恋の中川うつかとわたるとて袖をぬらひた


「左様か。かたじけない」

 しかし弥太郎は女の言葉の裏を考える事なく表情を変えずに会釈して氏真の所へ戻って行く。女は不服げに口許を歪めたが、そのまま立ち去った。

「このあたりが恋の中川という名所とのことにござりまする」

 弥太郎は聞いたままを氏真に報告した。

「ほう、そうか。しかしそれらしい川もないようじゃがのう……。うむっ! 一首浮かんだ。かよいけんん、たがなかがわのお、ながれてもお、むかしこいしきい、なごりなりけりい……」

 氏真と弥太郎はそれからあてにならない女の戯言を信じて恋の中川を探して見たが結局見つからず、日が傾く頃宿に戻った。同じ頃弥三郎も宿に戻り、京都最初の夜をゆっくりと過ごしてここまでの旅の疲れを癒した。


 上京所々見物四条の辺にて人にとへは

 恋の中川と答ふる有

 通ひけん誰か中川の流れても昔恋しき名残成けり(1‐38)


 一月二十五日、氏真はいよいよ京都見物を本格的に始められる興奮と共に夜明け前に目を覚ましていた。昨日のように当てもなくさまよう事がないように、と宿に案内者をつけてもらって、氏真は弥太郎と弥三郎その他数名を引き連れてまずは近所の祇園神社へと向かった。祇園会の時には山鉾が巡行するという四条大路を通って行くと、応仁の乱で一度は荒廃したというが茶屋や商家が並び、にぎわいを取り戻しつつあるように見える。

 氏真は舞い上がりそうなほどにうきうきとした様子で馬を進めるが、すぐ後ろに従う弥三郎は、むっつりと不機嫌そうな表情で昨晩の会話を思い出していた。

「氏真様のご上洛は祝着至極、主信長様ご上洛まで京の見物などしてごゆるりとお過ごしいただきたい。村井様はそのように仰せでした」

 弥三郎がそう報告すると、

「そうであろう。我らに合わせて忙しい信長が上洛して来るはずはあるまい。あちらから声がかかるまでゆるりと京見物して過ごせばよいのじゃ」

 氏真は弥三郎の言葉を遮るように、分かり切っていたと言わんばかりの表情でそう言い捨てたのだった。

(何しに来たんだ、駿河回復のために来たんじゃないのか……)

 信長はいつ上洛するのか、いつまでこんな下らない物見遊山が続くのか、とほほ……。しかし主に仕える身はその言葉をぐっと飲み込んでしまわなければならない。弥三郎は自分が何か大きすぎる物を呑み込んでしまった蛙のような顔をしているのではないか、と思いながら氏真の後に続いた。

 一行は祇園神社に着くと本殿に参拝したが、氏真は何故かきょろきょろと見まわして、林の方へと向かっていく。

「祇園といえば姫小松であろう。姫小松はどこかのう……」

 それを聞いた弥三郎は柄にもなく読んでみてすぐ投げ出した平家物語の冒頭を思い出した。

「姫小松といえば、平家物語の祇王か建礼門院の話ではござらぬか?」

 と弥太郎に耳打ちしたが、

「そうですなあ……」

 と弥太郎も要領を得ない。

 移り気な平清盛の寵愛を失った美貌の白拍子祇王と心ならずもその愛を奪った白拍子仏御前が共に仏門に入って往生を遂げる物語の中で仏御前が歌った今様の事か。


 君を初めて見る折りは千代も経ぬべし姫小松


 そうであれば氏真は

「祇園精舎の鐘の声……」

 という有名なくだりのせいで姫小松と祇王と祇園神社を何となく混同しているのか?

 弥三郎は聞いてみたいと思ったが、氏真と話す面倒臭さが先に立って黙っていた。

 氏真はしばらく姫小松を探していたが、ないものはない。

「うむう……」

 どうやら諦めたようだが、氏真はふくれ面をしながら懐紙に何か書き付けている。どうせまたありもしないものをねたにして「一首浮かんだ」のだろう。氏真の表情を見て弥三郎は少しだけすっきりした。


 祇園林は木うすく松杉老木若き有

 いつの世かいひ伝へけむ姫小松同老木とならふ神杉(1‐39)


 歌を書き付けた氏真はその後あたりを見回していたが、

「おっ、あれなるは八坂の塔に相違あるまい」

 と少し南にある五重塔を指さし、馬にまたがって進んでゆく。

 国を逐われたとはいえ(じゅ)四位(しいの)()治部(じぶ)大輔(だゆう)としての官威をかざして氏真たちは五重塔に上った。京都の町並みを見渡した時から氏真は再びはしゃぎ出し、手がつけられなくなった。案内の者に北西の先ほど通り過ぎたあたりが無名抄にある『腰の句の末のて文字』の逸話で有名な雲居寺(うんごじ)、先ほど歩き回った祇園神社の西側が歌枕の()葛ヶ(くずがはら)と聞くと、

「おお、基俊が伊勢の君琳賢に貫之の証歌を出されてやり込められた雲居寺はあのあたりにあったか。おお、あそこが真葛ヶ原であったか。そういえば慈円僧正が詠んだ『わが恋は松を時雨の染めかねて、真葛ケ原に風さわぐなり』も「て文字」を用いておるな……。うむっ! 一首浮かんだ」


 やさかの塔雲居寺跡計まくすか原も此辺と云

 久方の雲ゐの寺の跡とへはま葛か原の風も答えす(1‐40)


 さらに南を望んで半里足らずの所にある清水寺を見つけていそいそと参詣し、

「音羽の滝の流れは糸のように細いな、音羽山は枯れ松ばかりか、しかし春にはまた緑になろう。……うむうむっ!」


 清水寺参詣ふるき堂塔数ありあたり名 

 所古跡見物多し

 名に遠くひびく音羽の滝の糸むすへは細き流れなれとも(1‐41)

 音羽山霞の内は枩計かれ木も春の緑とやなる(1‐42)


 それからまた祇園神社の北東に知恩院があるのを思い出して、来た道をまた半里ばかり引き返して参拝したが、今度はまたその南に霊山(りょうざん)があるのを思い出した。

「山の形が釈迦(しゃか)牟尼(むに)仏が説法したという(りょう)鷲山(じゅせん)に似ているとて伝教大師がこの山を霊山と名付けられたというぞ。西行法師もこのあたりに庵を結んで歌を詠んだとか。『雲はるる鷲のみ山の月かげを心すみてや君ながむらん』であったかな。……しかしここも寺の跡ばかりであるなあ……うむーっ!」


 下向に知音院其あたり見物して霊山八 

 寺の跡計ありて小庵所々あり

 花ならぬ法の莚は谷ふりて鷲のみ山の跡としもなし(1‐43)


「諸行無常よのう。しかしもう少し何か見たい」

 とてさらに南に半里ばかりの所にある後白河法皇が創建したという三十三間堂に向かう。

「おお、これがかの千体仏か。おお、これが二十八部衆。おお、千手観音は何と温雅なご本尊か。うむっ! 一首浮かんだ」


 三十三間堂蓮華王院と云法住寺御影堂也

 遥かなるもとの誓を其ままに照す光は末もかはらし(1‐44)


 弥三郎はもうこの辺でいいだろうと思い、作り笑顔で

「御屋形様、今日は随分堪能されましたな」

 と聞いて見たが、氏真は聞く耳を持たない。

「いやいやまだまだ。……そういえばこのあたりに(しゅん)(ぜい)の御廟のある東福寺があったのではないか?」

「御意。ここから四半里ほど南にござります」

「よし、案内せい」

 よせばいいのに案内の者が馬鹿正直に答え、氏真をますます元気づけてしまった。

 疲れを知らない氏真は摂政九条道家が十九年を費やして造営させたという京都最大の大伽藍を隈なく見て回ろうとする。

「おお、これが有名な五丈の釈迦仏か。何と広大な伽藍か、お堂が七つもある。塔頭はいくつあるのであろう……。おお、これがあの俊成の御廟か。あれわたる秋の庭こそ哀なれまして消えなん露の夕ぐれ。おきあかす秋のわかれの袖の露しもこそむすべ冬やきぬらん……うむーーっ! 一首浮かんだ」


 当福寺(東福寺)七堂本尊四天王塔頭所々見物南 

 明院俊成御廟あり

 あれわたるあたりは秋の庭とのみ霞も袖をしほる露哉(1‐45)


「俊成卿の名歌を二首も本歌取りされるとはお見事にござりまする!」

 弥太郎もキリリと引き締まった顔でまた余計な事を言うので弥三郎は歪んだ顔を一層歪めた。しかし氏真はご満悦である。

「うむうむ。我ながらよくできた。……さて、そろそろ帰ろうか」

 おや、どうやら帰る気になったらしい。

「御意!」

 弥三郎は氏真の気が変わらぬように願いつつ間髪入れず答えた。

「では、元来た道とは違う道を通ろう」

 と東福寺から三十三間堂の横の大和大路を通って行くと、

「おや、あの寺は何じゃ?」

 氏真がまた余計なものを見つけてしまった。

「あれなるは仏光寺と申し、かつては本願寺を凌ぐほどに栄えたという真宗の寺にござりまする」

 案内の者もまた余計な餌を付けて氏真に与える。

「ほう、それは面白い。少し見て回ろう」

 一行はまた四半刻ほどを費やして氏真の見物に付き合ったが特に見るべきものはない。

「ふーっ、夕餉が楽しみにござりまする」

 仏光寺を出ながら疲れ果てた顔に引きつった作り笑いを浮かべて弥三郎は氏真に語りかけた。もういい。帰りたい。勘気を蒙ってもどうでもいい。

 氏真はそれには答えずに馬を歩ませながらあたりを見回していたが、

「……このあたりは六条河原ではないのか」

「御意の通りにござります」

「ならば六条河原院(かわらのいん)があるのではないのか。河原(かわらの)()大臣(だいじん)(みなもとの)(とおる))のお屋敷の事じゃ。光源氏の屋敷も六条河原院を基にしているというぞ」

 勘弁してくりゃれ、と弥三郎は半分狂った頭で思った。

 また氏真の気まぐれで一行はしばらくの間六条河原院を探したが、そんなものはない。それらしい屋敷跡もない。あるのは若草の茂る畑ばかりでどことも分からない。

「どうやらこの畑の下に埋もれてしまったのではござりますまいか」

 弥太郎もいい加減に氏真にあきらめてほしいようだ。

「うむう、そういえば貫之も『君まさで煙絶えにし塩がまの浦さびしくも見えわたる哉』と詠まれたというな。河原左大臣は陸奥の塩竈の風景をまねた庭にここまで尼崎の海水を運ばせて塩焼きをさせて見て楽しんだそうなが、お亡くなりになった後は煙の絶えた庭だけが残ったのじゃな……」

 と氏真は夕陽を浴びながら役に立たない蘊蓄を語り続ける。だったら、最初から探す価値がなかったんじゃないのか、と弥三郎は秘かに脱力感に襲われた。

「光源氏はまだ少女(おとめ)の若紫を我が手に摘みたいと思って『手に摘みていつしかも見ん紫の根にかよいける野辺の若草』と詠んだというが……。枯れた畑に生える草では風情もないのう……」

(一日中神社仏閣を巡って今度は色好みですか、はいはい)

 と弥三郎が思わず自分の世界に入り込んでしまっていたら、氏真の様子がおかしくなってきた。

「煙の絶えた塩竈の浦……うら若草の下にどことも知れぬ河原院……。うむーーーっ! 一首浮かんだ!」

 ああ、やっぱり来るのね。

「けむりてぞお、たゆとききつるう、しおがまのお、うらわかくさにい、いづちともなしい……。うむうむ、これはよい出来じゃ! どうじゃ、弥太郎!」

「はっ! 二首の本歌取りの上に『浦』と『うら若草』の掛け言葉もお見事なれば、煙り絶ゆる塩竈の上に萌え出ずる若草を配するもお見事、まっことによいお歌にござりまするっ!」

 弥太郎は最後に残った力を全身から振り絞るように氏真の歌をほめ上げている。いつもはキリリと引き締まった弥太郎の顔が皺だらけになってしなびて行くように弥三郎には思えた。

「そうであろうそうであろう、はっはっはっはっはっはっはっは……」

 まぶしい夕陽を全身に浴びていかにも心地よげに高笑いする氏真を囲んで、供の者たちは夕闇に背中を包まれながら立ち尽くしていた。そんな様子を見ながら弥三郎はがっくりとうなだれた。

 やっぱりこの殿にはついていけない……。

 

 長い一日を終えた氏真一行は宿に戻って身を清め、夕食にありついた。徒で供し続けた者の中には疲れの余り飯椀を持ちながら舟を漕ぐような者もいた。

 氏真もさすがに疲れたと見え、夕餉が終わった後弥太郎と弥三郎が挨拶した時には小さく欠伸していた。その後早々に自室の火を消して寝入ったようだった。帰ってきた時に弥三郎たちが挨拶して回った先から留守中に届いた手紙や言づてをもらっていたが、目を通したがどうかは分からない。

 挨拶を済ませた弥太郎と弥三郎は二人の相部屋に戻り、寝支度を始めた。

「弥三郎殿、早く休まれた方が良うござりましょう」

「弥太郎殿もそう思われるか」

「嫌な予感がいたしまする」

 同じ思いだった事が分かって二人は互いに苦笑いを見せあった。

 しかし、弥太郎はできる男と見えて、自分の布団に入ると間もなく静かな寝息を立て始めた。

 一方の弥三郎は、やはり殿は明日に備えているのか、と思うと心配になって色々考えてしまい、かえって眠れなくなった。

 今日の氏真は疲れる様子もなく祇園神社から始めて十一ヶ所も歩き回った。馬に乗っていた事もあろうが、やはり剣と蹴鞠で鍛え上げられているのだろう。

 歌は八首も詠んだ。文武両道の殿なのだろう。心根も優しく滅多な事では怒らない、楽な殿様だ。そのあり余る才能を歌や風流ごとに注ぎ込む代わりにもう少し武将らしい事に向けてくれれば仕えやすいんだが。

 しかし、あの歌の世界にはどうしてもなじめない。何もない所でさえ昔話から歌をひねり出し、それを分かっているような分かっていないような言葉でほめそやすために、一日中歩き回るのだ。

 これから信長に会うまで毎日こんな事に付き合わされるのか、とほほ……。

 信長、早く来て。

 そんな事を思いながら弥三郎は眠りに着いた。


 仏光寺こゝかしこ見物六条河原院の跡畠也

 煙てそたゆと聞つる塩竈のうら若草にいつち共なし(1‐46)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第4話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光がついに始まりました。


「本作の中心部分となる」と三度繰り返したのは警告のためです。


これから読者のみなさんは本作が「戦国文芸観光蹴鞠小説」であることを思い知らされることになるでしょう。

そもそも何人が読み終わることができるのか? 心配ですw



本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ