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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
33/35

マロの京都観光再び(三)葵より神山

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛七十六日目~。


葵より神山!

糺の森が好き!

また例によって何もない・・・

一宿、密かな逡巡を語る。

京での日々はあと幾日?


 四月も半ばを過ぎ、信長の三好攻めも決着が近いと村井から知らせがあったので、氏真一行は下向の準備を始めた。そんな中、四月十六日には山科言経が葵の葉を氏真のもとに送ってきた。


京のあらゆる事に興味を持っているように見える氏真に気を利かせたつもりなのだ。弥三郎が山科家の青侍の口上を承って伝えた。


「今日は上賀茂神社の御阿礼(みあれ)神事、明日は葵祭だとお伝えせよとのことです」


 御阿礼神事とは、卯月の中の午の日に行われる賀茂祭(葵祭)の前儀の一つで、深夜に御神霊をお迎えする神事である。


「ありがたくいただこう」


 青侍に会った氏真は微笑んで礼を言ったが、使いが帰った後弥三郎は余計な事を言ってしまった。


「葵といえば徳川殿を思い出しまする。近頃武田が三河境を越えて押し出してきているとか…。戦も近うござりまするな」


「……うむーっ! 一首浮かんだ。ちぎりありてえ、きょうのみあれにあういよりい、そのかみやまのお、すえやたのまんん……」


 氏真は歌を詠じた後いつになくつんと澄ました表情をしている。どうやら徳川の話を持ち出したのが気に食わなかったらしい。弥太郎の方を振り返るとこちらは居心地悪そうな表情で黙っていた。


 夜になって部屋に戻ってから弥三郎は弥太郎に聞いてみた。


「先ほどのお歌はどういう意味でござろうか? 徳川の事を持ち出したのがお気に召さなかったのはそれがしにも分かり申したが」


「成り上がりの徳川ではなく、その上にある神の裔たる帝に頼りたい、という意味でござりましょう。御屋形様はその日その日の強者の力にすがるのではなく、朝廷の下に天下静謐を実現するために働いておられると思いたいのではないかと拝察仕りまする」


「なるほど、本心ではやはり義元様を討ち取った信長やかつての謀叛人家康と手を組みたくないのですな」


「そのようです」


 人情としては理解できるが、所詮戦国の世は弱肉強食、力なき者は恥も外聞も忘れて強き者に媚びすがらなければ生き延びる事はできない。名家の生まれ故にこだわりを捨てられない氏真に弥太郎は一抹の不安を感じた事だった。



 かもの祭ありしとて葵を人の送る

 契ありて今日のみあれにあふひよりそのかみ山の末や憑まん(1‐280)



 四月十七日、葵祭があるとのことだったが、氏真は宿から出ずに過ごした。信長が明日にも三好攻めを終えて帰京するかも知れないと思われたからである。


信長は前日天王寺から再び河内に本陣を移し、十七日から十河因幡守、香西越後らの籠もる新堀の出城を力攻めに攻め始めていた。


数日前から信長の軍勢からは毎夕使番が村井の許へと走ってその動静が伝えられ、村井からの使いが毎晩氏真を訪れて報告するようになっていた。氏真が織田勢に従軍するか、浜松に戻って徳川勢に加わるかは信長の胸三寸次第だったが、いずれにしても信長が帰京し次第氏真は信長に会って直々に指図を仰ぐ手はずであった。


 しかしいまだ京での暮らしに名残りが尽きない氏真は、宿にいてもクイナの鳴き声に思いを巡らせ、雲まで夏めいてきた京の月夜がいまだ肌寒いと言っては興がり、眺め続けていた月が霞んでくると、里の炊煙のせいかと想像したりして歌を詠み暮らした。



 旅宿にて

 あら小田に任る水や伝ふらむ中垣近く水鶏なく也(1‐281)

 雲井さへ夏のけしきの月影に都はいまた夜寒成けり(1‐282)

 見るまゝに月そ霞める小深山里の煙や立のほるらん(1‐283)




 四月十八日になったが三好方の城が落ちるという知らせはなかった。


「戦はもうしばらくかかるのではないか。ならば少し出歩くとしよう」


 無聊を託った氏真がそう言い出したため一行が向かったのは御輿岡(みこしがおか)神社である。御輿岡神社は北野神社の瑞饋祭りで神輿を置く「御旅所(おたびじょ)」である。宿から西南に半里余りと近いが氏真がまだ見ていない場所だったので立ち寄ってみた。


 しかし、氏真が興味を持つ場所の例にもれず、神輿岡も過去の面影はない。


「夏草が茂って道さえもないではないか。北野天神の神輿の御旅所とはいつの頃の話なのかのう……うむう、だが一首浮かんだ」



 見こし岡を近く見やりて

 いつの名を残し置くらむみこし岡夏草茂り道たにもなし(1‐284)

 


「ならば糺の森に参ろう。あそこならば間違いはない」


 一行はこれで何度目かになる下鴨神社境内の糺の森に向かった。


「知っておるか、糺の森には偽りを糺す糺の神が鎮座ましますのじゃ。うき世をば、今ぞ別るるとどまらん名をば糺の神にまかせて。この歌は光源氏が都を離れて須磨に下った時の歌でな、都で自分のどんな噂が人の口に上ろうとも糺の神にお任せしよう、というのじゃ。石川や、瀬見の小川の清ければ、月も流れをたずねてぞすむ。これは鴨長明の歌じゃ。月も清らかさ故にわざわざ御手洗川を訪ねて来て、空に澄み、月影は水面に住むのじゃ。どうじゃ、よい歌であろう。うむっ! 一首浮かんだ。みたらしのお、ひびきもまつにい、すむつきはあ、なつにしられぬう、こおりなりけりい……」


「御手洗川と月の清涼さが伝わってくるよいお歌でござりまする」


「うむうむ、よう言うてくれた」


 弥三郎もこうした日々がもうすぐ終わる事が分かっていたからいつものような皮肉は思い浮かばず、名残り惜しさを感じた。しかし、糺の神の正義を求めるのは氏真の心の中に何か割り切れぬものがあるからだろう。弥三郎はその事が気になって氏真を凝視したが、その穏やかな表情からは何も読み取れなかった。



 たゝすにて

 みたらしのひゝきも松にすむ月は夏にしられぬ氷なりけり(1‐285)

 


 四月十九日、氏真一行は西京を散策して過ごした。下向の日も近い事を知った月航宗津から竜安寺に一宿するよう誘いがあり、氏真は喜んで応じたのだ。


竜安寺を訪れる前に、北野天満宮、平野神社、等持院、仁和寺、妙心寺などをもう一度見て回った。等持院では歴代足利将軍の菩提寺でありながら荒れている事に再び慨嘆し、妙心寺では明智光秀の叔父密宗宗顕と別れを惜しんだ。


 竜安寺に着いてから再び寺の中を見物している間に入相の鐘が鳴った。


「あと幾日都にいられるかと思うと入相の鐘も今日の夕べはひとしおしみじみと感じるのう。うむっ! 一首浮かんだ。いりあいもお、きょうのゆうべぞあわれなるう、いくひみやこの、なごりとおもえばあ……」


「誠に名残り惜しい気持ちになりまする」


 夜に入って一行は竜安寺の塔頭桃花院で心尽くしの振舞いを受け、氏真は宗津と忌憚なく語り合った。


 宗津の問いは直截だった。


「信長と共に戦う覚悟は出来ましたかな? この前お会いした時には氏真殿のお心の中にはためらいがあるやに見受けられ申したが」


「ううむ、それを悩ましく思っている所なのです……」


「やはり父君の仇にすがるのは気が進まぬのですかな」


「旧敵に頼って駿河を取り返してもらおうとするのも無節操なれば、父の仇の天下取りに力を貸すのも人の子の道に背くように思えてしまうのです」


「ならば象耳泉奘様に還俗して氏真殿の代わりに今川家当主となっていただいてはいかがであろう?」


 思いがけない言葉に氏真は不意を突かれて宗津を見つめた。


「信長が氏真殿の父君義元殿の仇ならば、義元殿は泉奘様にとっては弟であられると同時に、同腹の兄玄広恵探様を討って今川家の家督を奪った仇でもありましょう。泉奘様が仏門にいて安逸を貪るのも無節操で人倫に悖るのではござりませぬか。……俗世の恩讐にはきりがない。どこかで誰かが現実を受け入れねば争いは止みますまい。体面にこだわるのも同じ事じゃ」


「……」


「それよりも天命に従う事を考えられるがよいと存ずる。人にはそれぞれ為すべき何かがある。それは何かと考えるのじゃ。朝廷を戴いて天下静謐を目指している信長と共に戦う事が氏真殿の天命ではないのか。それともそうせぬ事が天命であろうか。今更になって氏真殿が手を引かれれば、その噂だけで武田を利する事になろう」


 仮に東国に割拠するに過ぎない勝頼が信長を倒しても、天下静謐への道が遠のく事にしかならないであろう。


「和尚殿の申される通りかも知れませぬ……しかしそれがしはまだ信長という男を信用しきれないのです」


 信長は表向き朝廷を尊重しているように装ってはいるが、力による覇道を進んでいても、徳の伴った静謐をもたらす気があるのか。群雄を滅ぼした後には圧倒的なむき出しの力による支配が生まれるだけではないのか。形の上では姻戚となった二条家から屋敷を取り上げようとしているそのやり方に感じている不安を氏真は吐き出した。


「信長が覇者たらんとしているのは言うまでもありますまい。それを徳の伴ったものにするのが氏真殿から聞いた公武一体の天下静謐でありましょう。信長をうまく抑え導くのも氏真殿や公家衆の務めではござらぬかな」


 俗世の外から利害に囚われない目で物事を見ている宗津の言葉には説得力があった。


「和尚殿のお言葉を聞いて、それがしこれから自分がやろうとしている事にようやく納得でき申した。ありがとう存じまする」


「拙僧の言葉がお役に立ったならうれしい限りじゃ」


 二人は間もなく来るであろう別れを惜しみつつ夜が更けるまで語り合った。

 


 西京の辺行くらして竜安寺々中見桃花院一宿

 入相もけふの夕そ哀なる幾日都の名残とおもへは(1‐286)

 都には誰に聞けとて小倉山月すむ方に行ほとゝきす(1‐287)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第33話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

 氏真さんの京都観光も終了間近、上洛七十六~七十九日目です。


氏真さん、珍しく宿で歌を詠み、行動の距離も短くなります。

信長から三好征伐が片付き次第、東に転戦する方針を聞いていたのでしょう。


葵祭は例年通り行われていれば四月十六~十七日に行われたはずです。

何かのきっかけで氏真さんに徳川を連想させたようですね。


「契ありて・・・・・・」は


「べっ、別に家康に媚びてるんじゃないんだからねっ! みかどのためなんだからねっ!」


という氏真さんの想いが表れた一首のようです。


しかしまた御輿岡神社に行っても、例によって何もない・・・

過去の王朝の栄華へにあこがれる。けれど、戦国の厳しい現実を思い知らされたことでしょう。


その後に、下加茂神社の糺の森へ。

氏真さんは自分が正しいことをしてきたという確信があったようですね。


その後月航玄津のいる竜安寺を再訪、一宿、何を話したでしょう?


ここでおさらい。

月航玄津は氏真統治下の駿河清見寺の住持で妙心寺四十四世を務めた高僧。

後に信長の妹お市と夫柴田勝家が執り行った織田信長の百ヶ日法要を執り行い、「天徳院殿龍厳雲公大居士」という法号を贈ったそうです。

また、月航和尚は信長の妹お犬の方(細川昭元の正室、宗倩尼)の支援で妙心寺に霊光院という塔頭を開き、お犬の方が亡くなった後に描かれた肖像画に「讃」を遺しています。


氏真は共通の知人を通じて信長側に取り込まれていったようです。


月航玄津の外にも叔父の象耳泉奘、山科言継も、信長の支援を受けています。


氏真が信長や家康の力を頼った面はもちろんあるでしょう。しかし、同時に氏真が朝廷の意向を重視していたこと、仏教思想から過去の恩讐に執着すまいとする傾向があったことも氏真の信長への出仕の大きな要因と思われます。


信玄叔父さんの裏切りから武田に強烈な敵意と不信感を抱いていたのも大きいでしょうね。


月航玄津とはまもなく訪れる別れを惜しんだことでしょう。


氏真さんも京での日々はあと幾日かと一首詠みました。


さあ、氏真さんも京都滞在も残りわずかですが、お別れの前にちょっとした出来事が。


それは次回のお楽しみ!


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。



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