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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
32/35

マロの京都観光再び(二) 昔語らえ井手の玉川

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛七十日目~。


ちょっとのんびり。

やんごとなき方もあいつにはお困り。

連歌の闘将再び!

西の方から趣味の合いそうな善い方のあの人が!?



 四月十一日、信長の陣中見舞いから帰ってから二日ほどは何事もなく過ごした後、氏真は小倉山に行くと言い出した。二月に訪れた栖霞寺や二尊院などを巡り歩き、小倉山付近を散策してまた夜になってしまった。


「もう日も暮れてしまいましたなあ……」


 弥三郎が感慨に浸っている氏真を気遣いつつも話しかけた。


 氏真がぼそりとつぶやいた。


「小倉山を見るのもこれで最後であろうなあ……」


「また駿河を取り戻した暁には京へ上る折もござりましょう」


弥太郎が慰めるように言うと、氏真も気を取り直したように、


「うむ、そうだな、そうしよう。駿河を取り戻して皆でまたここに参ろうな」


「御意」


「うむうむ……月影を浴びた小倉山の姿が美しいのう、うむっ……田の面から聞こえるのは蛙の問答ばかり、静かでよいのう……うむっ」



 月は西の山にうつり田の面朧なり

 向ひ行都は暮て小倉山そなた計にうつる月影(1‐275)

 夕月夜田面は人の音もなく問も答ふも蛙鳴なり(1‐276)



 四月十二日、氏真は関白二条晴良に呼び出されて二条邸を再訪した。


「よう参られた。先日の蹴鞠は見事であった……」


 信長の三好討伐が進み武田との決戦も迫っていると見て、晴良・昭実父子は氏真の情報を求めたのであった。信長からは三好を討った後取って返して徳川と共に武田を討つつもりと聞いている事、氏真も武田軍中の駿河遠江の衆を切り崩すため後詰する事を伝えた。


「なるほど……」


「昭実様と信長殿のご養女との婚礼、改めてお祝いを申し上げまする」


「うむ、それはよかったのだがのう……」


 晴良は浮かない顔で応じた。というのも、さごの方の養父として婚儀に訪れた信長がこの屋敷を気に入って譲ってくれと頼んできたためだ。


「誠にござりまするか?」


「うむ、このような仕儀になるとは思わなんだ。しかしこれも公武一体となっての天下静謐のためには致し方ないかのう……」


 話が一通り済んでから、再び庭に案内された。花咲く春は過ぎて青葉茂る庭も、風情のあるものだった。しかし、それが仇となって二条家はこの屋敷を信長に明け渡して出て行かなくてはならない。


 信長に近づく事で得るものも大きいが、逆に信長に取り込まれてしまうのではないか、という不安は氏真も抱いていた。孫三郎を信長に仕えさせたのはよいが、それもいざとなれば今川家を奪われ、孫三郎に継がされる危険をはらんでいるようにも思われたのだった。


「ふむ……」


 氏真は一首浮かんだようであったが、二条関白父子には聞かせるのを憚ったようであった。その後特にどこに行くわけでもなく氏真は宿に戻り、その一首を書き付けた。



 二月の初見たりし所青葉みてめつらし

 夏草も青葉隠もなき物を都の巷なに迷ふらん(1‐277)

 


 翌四月十三日は昨夜からの雨が降り続いていた。氏真はただ降り続く雨を眺めていたが夜に入って雨が上がると、


「少し歩きたい」


 と言い出した。晩酌の酒のせいかも知れなかった。氏真を独り歩きさせるわけには行かないから、弥三郎と弥太郎は数人の供を連れて従った。


 氏真は宿を出てただふらふらと寺之内通りを西に歩いて行く。どうやら月を見上げながら後を追っているつもりらしい。雨が上がって間もない夜空には霧が出ていて、月も霞みがちである。


 何事も極端に走る氏真の事だからこのまま夜明けまで月を追って歩き続けるかもしれない、と弥三郎が危惧していると、氏真が口を開いた。


「いよいよ武田との戦いが始まるのう」


 いつもと変わらぬ飄々とした調子であった。


「それがし、武田との戦いを思うと武者震いいたしまする」


さすがは弥太郎、氏真にやる気を見せようと意気込んでいる。


「うむ、武士としてはそうあるべきであろうのう……」


 おやっ、殿にしては気のない返事だな、と弥三郎は思った。


「月は衣笠山の霧間から内野へ移っていくか。……うむっ、一首浮かんだ」


 弥太郎もいつもより口数の少ない氏真を訝しく感じているようであった。



 むら雨の跡に月うすく出於上京

 雨残る衣笠山の霧間よりうちのゝかたへ月そうつろふ(1‐278)


 

 四月十四日は何もしなかったが、夕べには里村紹巴が訪れた。


「信長様の軍勢は河内の高屋城を激しく攻め立てた後天王寺に陣を移して大坂本願寺を攻めるとか。十万を越す大軍と聞いておりまする。信長様の武威は古今に並びなきものと京雀どもは申しておりまする」


「そなた、色々とよく知っておるのう」


「手前どもの門人が陣中にいて歌と共に消息を知らせて参りましてな……」


 紹巴は歌について語りあうためではなく、信長や自分の動向を知りたくて来たらしい。連歌を広めたいがための熱心な営業ぶりには氏真は感動はしないが感心はする。


「しかし東では武田が三河に攻め込んで信忠様が援軍に向かわれたとか。いよいよ氏真様が駿河を取り戻す戦いが始まるのでございましょうな」


「うむ、信長が三好を討てば軍を返して武田を討とうとするであろう。その時にはマロも織田徳川の軍勢に加わる事になる」


 その後よもやま話になったが、綴喜の都跡に行った話をすると、


「氏真様は山吹もお好きであれば井出玉川もご覧になられましたか?」


 と聞いてきた。


「おお、井出の左大臣橘諸兄が、井堤寺(いでじ)を建立し、玉川の堤にも山吹を植えてから、井手玉川は山吹の名所となったのであったな。小野小町が『色も香も懐かしきかなかわず鳴く井手のわたりの山吹の花』と詠んだのであったな」


「御意。駒とめてなお水かわん山吹の花の露そう井手の玉川」


「俊成卿のお歌であるな。……春深み井堤の河風のどかにて、ちらでぞなびく山吹の花。これは慈鎮であったろうか」


「そうでございましょう」


「そうか、あの井手玉川が近くにあったか。気が付かず残念な事をした」


「いえ、むしろご覧になられなくてよろしかったやも知れませぬ。今は山吹もなく蛙の様子も昔とは変わってしまっておりまする故」


「うむ、一首浮かんだ。やまぶきはあ、あるともちらんん、かわずだにい、むかしかたらえ、いでのたまがわあ」


「誠に王朝華やかなりし頃が慕わしゅう存じまする」


「うむ、マロもそれ故公武一体となっての天下静謐のために一臂を貸すつもりなのじゃ」


「誠にありがたきお志にござりまする」


 そのまま酒宴となり、よもやま話をする中で、紹巴が言った。


「近々はるばる薩摩太守のご一門島津家久様が上洛されまする。歌も蹴鞠も嗜み深きお人のようにござりまする。その折にはお引き合わせいたしたく存じまするがいかがでございましょう」


「ほう、それは面白い。日が合えばお会いしよう」


 村井や光秀から三好攻めの状況を知らされており、信長は間もなく東へ転戦するはずであった。その際氏真も従軍する事になっていたので、都合がつくか分からなかった。


 さらに歓談した後紹巴は辞去した。



 井出玉川見さる由申せは今は山吹もなし

 蛙さへむかしにはかはりたるなと云に

 山吹は有ともちらむ蛙たに昔かたらへ井手の玉川(1‐279)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第32話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光再開!


上洛七十~七十五日目、


宇治や伏見を堪能した後、氏真さんの京都観光はちょっとパワーダウンしたようです。


信長の征西の間に、氏真さんも武田との決戦に向けて色々と準備したのかも知れません。


関白二条さんはしばらくすると二条屋敷を出て法恩寺に移り、信長が二条屋敷を譲り受けて手を加え、二条御所となります。後の本能寺の変で信長の嫡男が明智勢と戦ったあそこですね。


本作で書いたようにこの頃信長養女さごの方と二条昭実が婚儀を挙げているので、信長が二条屋敷を気に入っておねだりしたのもこの頃かと思われます。


さて今回は「連歌の闘将」里村紹巴を再登場させました。


氏真さんはこの頃の詞書で「井出玉川は見なかったと言ったら『今は山吹もないし、蛙さえも昔とは違う』と言われた」よしを書いています。誰かに信長への陣中見舞い前の綴喜周辺へのお出かけについて話した模様。


氏真さんは身分の高い人は「人」と書く傾向があるので、氏真さんより身分が低い、歌枕としての井手玉川について語り合える教養人、という事で、紹巴に登場してもらいました。


ちなみに、詞書で「井出玉川」、和歌で「井手の玉川」と字が異なっていますが、これは翻刻文のママであります。


紹巴を登場させたのは、島津家久さん上洛というイベントがあるからです。


「戦国いい話」で「善久」さんと呼ばれている方の人です。今京都に向かって移動中です。


氏真さんも家久さんも上洛に関して詳細な記録を残しているのですが、時期もほんのちょっとだけかぶっているんですね!


『マロの戦国』でも家久さんの上洛について調べて参考にさせてもらっています。


ちなみに家久さんは上洛中は紹巴の世話になり、明智光秀の坂本城にお邪魔して、琵琶湖で舟遊びを楽しんでいます。


もう少しすると信長は光秀ら家臣に九州の名族の姓を与え、光秀も「惟任日向」になります。


光秀の家久さん接待も西国情報収集という政治的価値を認めていたからでしょうね。


もうちょっと先の事ですが、家久さんと氏真さん、どんなニアミスをしたのか、出会いがあったのか、気になる所です。


そしてあまり知られていない連歌師里村紹巴の生態も要注意。こうやって色々立ち回っているのです。


歌、連歌、蹴鞠の人脈、あなどれません。


さて氏真さん、この後また


「どういうこと?」


と勘ぐりたくなる一首を詠みます。誰の事か? どんな歌か?


それは次回のお楽しみ!


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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