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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
31/35

マロの京都観光再び(一)空行く月を指す暇ぞなき

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛六十九日目~。


鬼のいぬ間の何とやら!

またぁ!? あんたも好きねぇ……

「空行く月を指す暇ぞなき」どういう事!?

歌を詠みながら弥三郎をディスる氏真さん。


マロの京都観光再び


「よし、宇治に行くぞ」


 信長に孫二郎を引き合わせた翌日の四月七日、氏真一行は宿を出ると宇治に向かった。


 氏真は初めて京の都に来た時のように浮かれていた。陣中見舞いの後信長は京から不在となるので、開放感があるんだろうと弥三郎は思った。


 宿から宇治までは東に二里半ほどある。途中谷あいの道に入ってしまった時は氏真はおやっ、という顔をしたが、辛抱して馬を歩ませていると、視界が開け、宇治川の流れが見渡せた。氏真は機嫌よげに鼻をひくつかせている。


「道に迷うたかと思うたが、辛抱して歩き続けたら広き所に出たな。うむっ! 一首浮かんだ。さとのやもお、なにうらみけん、ゆくみずのお、とどこおりなきい、よものながめにい……」


「御屋形様のご運もかくの如く開けるように思われるよいお歌にござりまする」


「うむうむ、よう申してくれた。マロもそう思うたのじゃ」


その後も氏真の詠歌が次々に炸裂した。


「どうじゃ、あの柴舟の速さは。我らが水際をさかのぼっておるとじっくり見る間もなく下って行ってしまうではないか。うむっ!」


「ほれ、槇島の嶋人が白妙の布を晒しておるぞ。川波も、水際も鮮やかな白さではないか。……うむっ!」


「春が過ぎて山吹の花は面影もないがな。うむっ!」


「おお、宇治では山の麓を川霧が上ってゆくのか。……うむっ!」



 八幡より宇治へ行道すがら名所こゝか

 しこ有見物して宇治に暫やすらふ


 里の谷も何恨みけむ行水のとゝこほりなき四方のなかめに(1‐261)


 さかのほる(みぎわ)にむせふ柴舟のしはしとみれは下るまぞ間そなき(1‐262)


 しからみの波も汀も白妙に布かけさらす槇の嶋人(1‐263)


 春過て面影もなし山吹のせゝの波さへ白妙にして(1‐264)


 山遠く都のたつみほのほのと麓をのほる宇治の川霧(1‐265)



 氏真が大はしゃぎしている間に一行は宇治川をさかのぼって平等院に着いた。


 藤原氏の全盛期に建立されたという平等院だが、やはり戦乱の世にあっては荒廃は隠せなかった。しかし氏真は目ざとくカキツバタを見つけた。


「平等院は荒れてしまっておるが、澄んだ池の水もカキツバタも時を隔てる事なく昔と同じであろうよ。うむっ!」


 さらに周囲を見回して、次々に歌をひねり出した。


「あの大きな宮は何じゃ? ほう、あれが宇治神社と申すか。兄ながら自ら命を絶って仁徳の帝に皇位をお譲りになった菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)を祭っておるとな。この末世には決して見る事のかなわぬ清廉さよのう。青柳の茂る姿が爽やかだのう……うむっ、一首浮かんだ」


「水煙の上に見えるあの山は? 朝日山というのか。西行法師の歌があるぞ。『天の原、朝日山より出ずればや、月の光の昼にまがえる』というのじゃ。今宵は夕方の月の光が朝日山の木立を濡らしているようで涼しげじゃのう。……うむっ、一首浮かんだ」



 平等院庭杜若あれたる中にさけり


 池水もすみにしまゝの庭の面の昔へたてぬ杜若かな(1‐266)


 汀のむかひに大なる宮やらん残れるあり柳茂る


 青柳の下枝を分て行舟に波も糸おるうちの川嶋(1‐267)


 水の煙ふかく上は朝日山と云


 夏木立緑の露の朝日山又夕月の影もすゝしき(1‐268)



「もう日も暮れまする」


 弥三郎は帰りが気になった。どこかに泊まるならその手配をしたい。


「うむ、そうだのう。では弥三郎、船に乗って帰ろうではないか。船を見つけてくれ」


「船でござりますか?」


 昼宇治川沿いで見た船が印象に残ったのか、平等院が藤原家の邸宅だった頃池に船を浮かべて遊んだだろうという想像に触発されたのか。とにかくこれから船を探すとなると日帰りは無理だな、と弥三郎は内心嘆息した。だが、信長が三好との戦いから帰ってくれば京での日々も終わるから、楽しんでもらおうか、と気を取り直した。


 弥三郎は他の者たちと手分けして船を探したが、一行が乗れるほどの大きさの船は見当たらない。結局そのあたりの住民に小舟を出してもらって氏真と弥太郎を乗せ、弥三郎たちは二人の馬を引いて川沿いを歩く格好になった。それでも氏真は機嫌よげに舟からの風景を見回していた。


 しかし一里ほども川をさかのぼると日が暮れてしまったので、氏真を舟から下ろして、近くで宿を探した。近くの者に地名を尋ねると、指月(しげつ)の森の近くだと言う。


「おお、ここが名高い指月の森か。ここは空の月、川の月、池の月、盃の月の四つの月を一度に見る事ができる故指月の森というてな。一度来てみたかったのじゃ。もう日も暮れてしまった故ここで宿を取りたいものじゃのう……うむっ、一首浮かんだ」



 舟にのりて汀を行指月庵と云河の辺に

 着る暮ふかくなる


 過かてに長き日暮ぬうちの里あかぬ今夜の中宿もかな(1‐269)



 付近を探すと氏真が気に入りそうな指月庵という庵を見つけたので、庵主に頼んで一行は宿を借りる事が出来た。庵主は氏真を迎えて色々と話したがる。


「ここ指月の森は四つの月が楽しめるという名所ではございますが、当庵の名は指月の譬から俗世の煩悩に溺れる事を戒めるという意味もありましてな……」


 と庵主はその由緒を語りたげであったが、


「おう、それを聞いて当座に一首浮かびましたぞ」


 庵主の話には全く道心を書きたてられる様子もなく欠伸を噛み殺しながら眠たげに聞いていた氏真だったが、庵主の発した言葉を聞いてはっと閃いたという表情で話を遮って、一首を詠み上げた。


「みじかよにい、いかでふしみのかりまくらあ、そらゆくつきをお、さすひまぞなきい」


 弥三郎は、殿、いささか浮かれ過ぎではござりませぬか、と言ってみたくなったがぐっとこらえた。


 庵主も歌の寓する所を理解したらしく、憮然とした表情で


「お疲れでしょうから……」


 と話を切り上げて、氏真らを休ませた。弥太郎が自室に行こうとする氏真に、


「一瞬のうちにあのように様々な意味合いを一首に込めるとはお見事にござりまする」


 と少し声を抑えて話しかけた。


「分かっておったか。うれしいのう」


 弥三郎は気になったので相部屋に入ってから弥太郎に聞いてみた。


「あの歌にはどんな意味があるのでござろうか。それがしには、短い夜に説教を聞いている暇がない、というくらいしか分からなんだ……」


「そうですなあ、指月の森にいながら月を楽しむ余裕がないという意味もござりましょうし、夜遅くなってからの仮の宿で、説教されても思いを致す余裕がないという意味もありましょうな。そういえば弥三郎殿は指月の譬をご存知ですかな」


「いや、あいにく……」


「惑える者は月を指さされても指を見て月を見ぬように、惑える者は仏の教えを示されても、その真実にたどり着けないという事にござりまする……あのお歌には他にも御屋形様は四つの月を楽しむという風流に心が動くので、指月の譬に思いを致す余裕がないとも解けましょうし、この度は駿河回復のための仮の宿でまだ俗世でやるべき事があるので、仏の教えに思いを致す余裕がない、とも解く事ができましょう。御屋形様はそれだけの意味を庵主殿のお言葉からあのお歌に込められたのでござりまする……」


「なるほど、尋常ならざる智慧の回りようでござるな……」


 弥三郎も氏真を見なおす気になった。

 


 彼寺に立寄て


 短夜にいかて伏見のかり枕空行月をさすひまそなき(1‐270)



 四月八日、前日八幡から宇治まで方々を巡った上に、空、川、池、盃の四月(しげつ)を夜更けまで堪能した氏真は昼まで指月庵を動こうとしなかった。昼になってようやく一行は指月庵を後にした。弥三郎が礼と詫びの言葉と共に十分な謝礼を渡したのは言うまでもない。


 しかし、例によって氏真がまっすぐ宿に戻る事はない。随分長い間指月の森を歩き回り、宇治川の流れを眺め続けてから帰途についた。


 途中遠くに見える山が花山というと聞いて、氏真ははしゃいだ。


「おお、あれが六歌仙の一人遍照僧正が住持した寺のある花山か。亭子の法王が行幸されてお帰り遊ばす時『待てと言わばいともかしこし花山にしばしと鳴かん鳥の音もがな』と詠んだというぞ。やんごとなきお方に待てと言うのは恐れ多い故、しばしと鳥が鳴けばよいのに、という事じゃ。我らに待てと鳴く鳥の音がないのは残念じゃのう。……うむっ!一首浮かんだ」


 いや、引き止めてくれなくていいから、と弥三郎は思ったが、黙っていた。

 


 花山とてかすかにみえたり


 まてと鳴鳥の音もかな花山の跡は青葉の夕暮の道(1‐271)



 花山を見た頃既に日は暮れかけていたが、その後も氏真は


「鳥辺野を通って行こう」


 と言い出してまっすぐ帰らせてくれない。


 鳥辺のあたりで阿弥陀ヶ峰が見えた時には、


「誠に阿弥陀ヶ峰よのう」


 と意味ありげに言って笑みを浮かべた。弥太郎も、


「御意」


 と言ってキリリと引き締まった顔で微笑む。


「どういう事でござりましょうか……」


 と聞いてみると、氏真は得意げに説明してくれた。


「なに、大した事ではない。阿弥陀仏の別名が無量光仏と申される故、阿弥陀ヶ峰もその名前の通り、冴えわたる月の光を浴びて輝いておると思ったのじゃ。そうじゃな、弥太郎?」


「御意」


 こいつは本当に分かっていたのか? 調子を合わせてただけじゃないのか、と弥三郎はイラッとしたが確かめるすべはない。


「それにしても涼しげな月よのう。うむっ、一首浮かんだ」


 しかしその後一行は道に迷ってしまった。


「申し訳ござりませぬ」


「よいよい、心地よい月夜ではないか」


 弥三郎は詫びたが、氏真は咎める様子がなかった。弥三郎は一度は氏真の心の広さをありがたく思ったが、それが思い違いだとすぐ分かった。


 氏真が道々詠む歌がうっとうしいのだ。弥太郎も苦笑するばかりである。


「うむっ、一首浮かんだ。ゆうけむりい、さとよりくれてえ、ふかくさのお、うずらのとこもお、やどりからましい……」


 それって鳥の寝床でもいいから早く寝たいという事ですよね?


「うむっ、しるべとやあ、おとわのやまのお、ほととぎすう、よるのゆくえのおぼつかなきにい……」


 道に迷っているのが面白くないならそうはっきり言ったらいいでしょうに……。


 夜になって木下の宿に着いた時には弥三郎はすっかりふてくされてしまっていた。

 


 行行て暮て月のすむ峯はあみたの嶺と云


 名もしるしうつる光の半天に行方涼しき嶺の月影(1‐272)


 夕煙里より暮て深草の鶉の床もやとりからまし(1‐273)


 しるへとや音羽の山の時鳥夜の行ゑのおほつかなきに(1‐274)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第31話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光再開!


上洛六十九~七十日目、


鬼のいぬ間の何とやら! 信長が三好征伐に出陣して氏真さんの京都観光再開です!


またぁ!? あんたも好きねぇ……


前泊して四月六日に八幡まで南下して信長の陣中見舞いをした後、


「賤が車ぞ行き廻りける」


という、珍しく信長をディスる和歌を詠んだ氏真さん。


詠草を読んでいると風流な歌人として詠草をまとめたいという想いが強く表れる氏真さんですが、何か面白くないことがあって「こん畜生」と思ったのでしょうか。


しかしこれを機会に今まで行っていない所を巡ろうと気を取り直したらしく、翌日はどこかに泊まって宇治まで足を延ばしました。


また例によって過去の王朝の栄華を忍びたいけれど平等院は荒廃していたパターン。


夜は「指月の森」近辺でお泊り。

後に秀吉が伏見城を立てた地域です。


「指月」は「四月」=四つの月、空の月、川の月、池の月、盃の月を同時に見られる名所との事。


昔の風流人は盃に映った月を見て楽しんだのでしょうね。


泊まったところは「指月庵」。こんな名前で四つの月を楽しむ和食レストランがあったら面白そうですね。

スペシャルメニューで月を映せる大杯の盃「指月の盃」を出す展望レストランとかで。

ちなみに京都嵐山に同じ名前の甘味処があるようです。


さて、氏真さんが詠んだ「空行く月を指す暇ぞなき」には氏真さんの心境が詠まれているようです。


元々仏教の教えに強い関心がある氏真さん。「指月の教え」はもちろん知っているけれど、月を楽しみたいとか、歌を詠みたいとか風流ごとへの関心もあるし、駿河は取り戻したいし、まだ俗世を捨てる気にはならない、ということのようです。


今回も、暗愚で怠慢な通り一遍の評価とは全く違う氏真さんの実像が見えていますね。


よく学び、よく遊び、思いっきり京都観光を楽しんでいるのに、「二十四時間戦えますか?」という勢いで戦っている信長や家康から咎められる様子もなく、駿河復帰支援を認められている。

かなりちゃっかりした人であり、仏教的素養や意識も高い。


ちなみに永禄十一年(一五六八)以降の駿河侵攻で氏真さんはあえなく敗れたという印象があるかも知れませんが、実際の氏真さんは信玄軍と対峙してまさかの潰走をした後、かなりしぶとい抵抗をしております。


家康は掛川城と堀川城の予想外の抵抗を受けて氏真と講和、この講和と北条の援軍に加え安倍一揆や氏真家臣岡部正綱たちの駿府奪回などのせいで信玄は外交的にも孤立、しばらくの間甲斐にも帰れず、滅亡の危機を感じていたようです。


翌年四月に何とか甲斐に戻った信玄叔父さんは、物凄い勢いで駿河に再侵攻し、北条を攻め、三方ヶ原で家康を痛破しますが、そこにはこの時の屈辱が強い動機となっていたようです。


氏真さんは要領がよく、意外にしぶとい、いわゆる「外柔内剛」の士と言えましょう。しかし「以外に」しぶとい、という所が弱点。信玄にたぶらかされた今川家臣たちは氏真さんのこのしぶとさを理解できなかったのでしょう。


強さを誇示する、誇示しないまでも理解させる、という所で失敗したように思います。


もう一つの弱点は「KY」な所。善政を布いて一般領民の支持はあったようですが、武士たち、とくに重臣クラスの支持獲得に鈍感だったようです。




さて、宇治・伏見観光の帰り道。氏真さんご一行はまた道に迷っちゃったようです。

それを題材に、ウズラの床でも借りたい、とか、夜道がおぼつかない、ホトトギスが道しるべとか歌を詠んでいます。


黙って紙に書いたかもしれませんが、本作のように声を上げて詠んだなら、道案内の家臣は聞く度に内心イラッ、イラッとしたでしょうね。



そういえばリツイートしましたが、京都市には「平成KIZOKU」という公式キャラクターがいるようです。京都市政を伝えるため、マシュマロ、マロヤカ、マグロという名前の三人が変な、いやユニークな踊りをしていますw


こちらからご覧になれます。

http://www.heisei-kizoku.jp/



京都をこよなく愛し、晩年まで数十年京都に住んだ戦国最大のお上りさん今川氏真さんも「京都観光大使」として加えてあげていただけないでしょうか!?



さて次回はちょっと変わった人たちとの接点が見つかり、ちょっと面白い歌も出てきます。



『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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