マロの上洛(二)
琵琶湖を渡った氏真は比叡山を歩いた後あの人に出会います。
そして山中に至り、いよいよ京の都へ。
一月二十三日、空は晴れているが風が強い。今日は比叡山周辺を歩いてから昼頃坂本城主明智光秀を訪ねる事にしている。光秀は村井貞勝と共に京都の代官を務めているので、氏真上洛の件は家康から一報し、氏真自身も近江に入ったら会っておく事になっていた。昨夜の舟で渡ってから弥三郎が宿を探している間に弥太郎が坂本まで使いに立って到着を告げてあった。光秀はいつでも歓迎するとの返事であったから、弥太郎は氏真の望み通りに昼ごろに来訪する旨を告げておいたのであった。
出立は明け方だった。馬に乗る氏真たちを追って歩かねばならない徒の者たちは薄着しており、早く歩き始めて体を温めたい様子だったが、氏真は湖畔を見渡す場所に立ち止まってしばらく遠くの山々を眺めた。坂本城の壮麗な天守閣も見える。おりしも淡雪が降り始めたが、氏真は寒さがこたえるどころかかえって興を増したらしい。
「あれなるが比良の山々。古来より雪景色を愛でる歌がよく詠まれておる」
氏真は北に連なる山々を指さして悦に入っている。
その時北風がさっと吹いて、
「ひええーっ!」
と弥三郎が悲鳴を上げた。
「ひえいではない、ひらじゃ……うむっ、一首浮かんだ。はなならばあ、におわんものをお、あわゆきにい、かすみみだるるう、ひらのやまかぜえ……」
もうそんな事はどうでもいい、と弥三郎は思った。
しかし、氏真は一向に動こうとしない。
「あれなるは伊吹山。どうやら向こうは晴れておるようだの。しかし頂の雪は積もる一方ではないのか……」
「ああっ、さぶっ!」
今度はびゅっと風が吹いて、弥三郎はつい声を上げてしまったが後悔していない。いい加減に旅を始めようじゃないか、と露骨に催促してみたつもりである。
「さぶいではない、いぶきやまじゃ……。うむーっ! また一首浮かんだぞ。いぶきやまあ、あめもかすみもけさはれてえ、ありしがうえにい、つもるしらゆきい……」
弥三郎は肩を落とした。この殿には何をしても歌しか返ってこないのか。これが信長なら手討ちにされるかもしれないが、もう少し、人間らしく、怒ったりしてもいいから普通の人の反応をしてくれないものか。めったに怒らずいつも温厚な主君なので仕えやすいが、それだけに我がままを言ってやりたくなる事がある。
弥三郎があきらめた後氏真はようやく満足したらしく馬に乗り、比叡山への道を進み始めた。供の者たちもほっとして後を追う。
道中里の者に比叡山への道を聞いて進んだが、四年ほど前の元亀二年(一五七〇)九月に信長の軍勢に焼き討ちされたままで、どこまで行っても焼け跡が残っているばかりだ。信長の赦しが出ていないので、再建もできないという事らしい。
「これも盛者必滅のみ仏の教えであろうよ……。うむ、一首浮かんだ。さかえしはあ、あとなきものとお、あれにけりい、これやおしえのお、おおひえのやまあ……」
氏真は誰に語りかけるというでもなく話しながら歌を詠んだ。
比叡山延暦寺は大きく区切れば根本中堂のある東塔、西塔、横川の三つからなるが、一番北の横川まで同じ有様であった。里の者に聞くと、ここが東塔、あそこが横川と指さすが、焼け跡でなければ杉の木が立ち並ぶ中から雲が見えるだけで何の名所も見所も見つからない。ただ出立した後すぐ雪が止んで、冬日ながら日光を浴びて馬を進めるので苦にはならない。徒の者たちもうっすらと心地よい汗をかいているようだ。
(無駄足だな)
と弥三郎が思っていると、
「うむっ、また一首浮かんだ」
と氏真が歌を詠じ始める。
「そことさすう、よかわのすぎまあ、くもこりてえ、ありししきいのお、けむりとぞみるう……」
なるほど、焼け跡さえも見えないが、遠くからわずかに見える雲を焼き打ちされた寺の建物が上げる煙に見立てて見たわけだ。しかし、そこまでして歌を詠みたいのかねえ……。
そう思いながら弥三郎は沈黙を守っていたが、元から弥三郎の言葉を聞く気もない氏真は意に介する様子もなく歌を懐紙に書きつけるとそのまま馬を歩ませ始めた。
結局横川まで歩いて見たが、何も見るべきものがないので、南に向かって坂本へと下りる道をたどり始めた。かつては坂本側から延暦寺へと向かう参道だったはずの道に出て来たが、出会うのは薪を切り出そうとする里の者ばかりで僧はいない事には弥三郎も気づいた。
すると、いきなり氏真が、
「うむっ! もう一首浮かんだ。さとびとのお、わがたつそまぎい、とりもちてえ、かようやもとのお、のりのふるみちい……」
と声を張り上げた。
この歌の意味は弥三郎にも分かったので、
「さすがは殿、よい歌にござりまする」
とほめ上げて笑って見せた。
しかし、氏真は変な顔をしただけで、黙って懐紙に歌を書き付けてそのまま馬を歩ませ始めた。
何か変な事を言ったのだろうか? 弥三郎は考えてみたが、なにも思いつかなかった。
暁出て浦山見わたせは霞わたりて坂本三里なと跡
計さしてそこ共なし叡山はつゐちの功たてたると
みゆる跡あり是より道すからの所所行行書し
るすも同計なれはつゝかすとも哥にして田舎のな
くさみにもと書付
花ならは匂はん物を淡雪に霞みたるゝ比良の山かせ(1‐26)
伊吹山雨も霞も今朝晴て有しかうへに積る白雪(1‐27)
さかへしは跡なき物とあれにけり是や教への大比えの山(1‐28)
そことさす横川の杉間雲こりて有ししきひの煙とそ見る(1‐29)
里人の我かたつ杣木取持て通ふやもとの法のふる道(1‐30)
午の刻になって氏真一行はいよいよ坂本城に着いた。
「氏真様、ようこそお越しくだされました」
明智光秀は額広く、目に柔らかな光を宿し、穏やかな物腰の柔和な人物であった。
実を言えば氏真が昼まで比叡山を散策したのは光秀に会う心の準備のためだった。明智光秀は美濃の土岐源氏の庶流だったが若い頃から諸国を放浪した後朝倉家に仕えたという。しかし将軍義輝が謀叛によって討たれ、その弟一乗院覚慶が京を逃れて朝倉家を頼って還俗し、将軍の位を狙うようになるとこれに仕えた。将軍となった覚慶改め義昭が信長と不和となって信長に対して兵を挙げると、今度は義昭と袂を分かって信長の家臣となり、義昭を攻める戦に加わったという。
さらには信長が比叡山を焼き討ちし、僧侶、僧兵、女子供も容赦なく殺し、根本中堂を始め一宇も余さず灰燼に帰した時には一方の攻め手となって大いに働いたと聞いている。坂本城を与えられたのもその功績故と思われる。
要するに叛服常ならぬ油断のならない男ではないかと思われたので、氏真は光秀に会う前にどのように接するべきか考える時間を持ちたくなったのだった。放浪の後に次々と主君を取り替え、浅井朝倉との戦いで敵方を手助けしたとはいえ伝教大師(最澄)以来八百年にも及び王城の鎮守であり続けた比叡山を焼いた後その近辺に城を立てる明智光秀とは一体いかなる男なのかと。
しかし目の前の光秀は柔和なほどの常識人に見えた。髪を隠して名僧だと紹介されてもそのまま信じてしまいそうなたたずまいであった。ただ、その表情には微かな翳があるように思えた。
城での初対面の挨拶が済むと、光秀は氏真一行を舟の上の中食に誘った。
「琵琶湖で取れた魚料理をお楽しみ下さりませ」
と光秀に案内されて乗り込んだ舟は少しばかり沖に出て停まった。今日は風のない小春日和で、琵琶湖は波も穏やかである。氏真たちは湖上の中食を楽しんだ。
「氏真様、朝方は名所を巡られましたので?」
「いや、実は比叡山を横川まで歩いて見たのでござる」
「左様でございましたか……」
光秀はなんとなく聞いて見たようであったが、氏真の返事に刺されたように一瞬はっとした表情を浮かべた。氏真が先ほど感じたあの翳がまたちらりと見えたように思われた。
「しかし本来王城鎮護が務めであったはずの延暦寺には僧兵が幅を利かせて天下の争いに関わり、坊主どもは修業も教学も怠って酒色に耽ったとのこと、これも因果応報でござろう」
「…………」
「そういえば、山中を歩いていて二三歌を思いつきましてな」
と氏真はいまだ浮かぬ顔の光秀に先ほど詠じた三首を詠んで聞かせた。
光秀は最初の二首も興味深げに聞いていたが、三首目には特に興味を持ったらしく、
「『我が断つ杣木取持て』とは、よく詠まれたものでございますなあ」
と微笑んで讃辞を述べた。
お世辞ではないように思われたので、氏真もつい身を乗り出した。
「おお、そなたもこの歌の元歌がお分かりのようだな」
「御意。比叡山を開かれた伝教大師は『阿耨多羅、三藐三菩提の仏たち、我が立つ杣に冥加あらせたまへ』と詠まれ、前大僧正慈円は『おほけなく、うき世の民におほふかな、わがたつ杣に墨染の袖』と詠まれた」
「その通り」
「それを踏まえて今では叡山に入る者は己が生計のために杣木を切る里人ばかりとなったと詠んでおられる。お見事にございます」
「いや、こうまでお褒めいただいては汗顔の至り」
なるほど、光秀も比叡山を崇敬する心は持ちながらも信長の厳命で心ならずも焼き討ちしたという事か。それで未だに秘かに煩悶しているのであろう。
「光秀殿も歌にお詳しいようですな」
「いや、信長様ご上洛の後いささか嗜むようになりました。京にて細川藤孝殿や連歌師里村紹巴殿に教えていただいております」
「おお、里村紹巴は冨士を見るために駿府に参った折幾度か連歌の座に招き申した。此度の上洛でも会うのを楽しみにしており申す」
「駿府での事は紹巴殿からうかがいました。『富士見道記』も拝見いたしました」
「左様か」
「都で連歌を好む者であれを読まぬ者はおりますまい」
歌を語る光秀は少し上気しているように見えた。
その後紹巴や富士見道記など連歌の話題で盛り上がり、光秀との距離が縮まったように思った。さらに色々話を聞いていると、光秀は諸道練達の士ではあろうが権謀術数を弄ぶという類ではなく、光秀なりに天下静謐のために果たせる役割を求めて織田家家臣としての道を選んだのだと思われた。釈教(仏教)や風流を解する心も持っているらしい。氏真は光秀という男が分かったような気がした。
船上の中食が終わる頃には申の上刻(午後三時)になろうとしていた。
「ご都合よろしければ坂本城にて一宿されてはいかがでしょう」
と光秀は申し出てくれた。氏真は
「これはかたじけない。では夕刻に再び参上仕る。唐崎の松や志賀の都を見ており申さぬ故これから南に下って見てみとうござる」
と答えた。
光秀は何やら言いにくそうにしていたが、それは言わず、
「ならばそれがしの家臣を案内にお付けしましょう。左馬助」
と傍らの侍を呼んだ。
「はっ」
弥太郎に劣らずキリリと引き締まった顔の侍が氏真に近づいて一礼した。
「これなるは我が従兄弟明智左馬助。唐崎や志賀の都跡の事はこの者にお聞きくださいませ。左馬助、頼んだぞ」
「はっ。氏真様、お見知りおきのほどお願い申し上げまする」
きびきびとしていかにも有能そうな左馬助に氏真は鷹揚に頷いた。
「では、案内を頼む」
一行は早速坂本城から半里ほど南にある松の名所唐崎神社に向かった。氏真は湖畔に広がる清爽たる松林を期待していたが、予想とは違って唐崎には大木だが孤松が海に向かって枝を伸ばしているだけだった。
「実は我らが坂本に入った時既に唐崎の松は失われており申した。それを我が主光秀があの松を選んでここに移したのでござる」
明智左馬助はキリリと引き締まった顔ですらすらと申し述べた。
「なるほど、そうであったか……」
氏真は左馬助の話に心を動かされた様子で聞き、思いを馳せていた様子だったが、
「なるほど、霞に覆われて一本の松が……、ふむ、一首浮かんだ」
といつもより上品に歌を思いついた。
「からさきはあ、かすみのうみのお、ながれずにい、やどりきなれやあ、ひともとのまつう……」
「これはよい歌をお聞かせいただきました。唐崎の松を詠む歌ではささ波を詠んだ歌は多くござりまするが、霞の海を詠み込まれたのは氏真様が初めてではござりませぬか」
氏真が一首詠じ終わるや間髪入れずキリリと引き締まった顔で左馬助が氏真の歌をほめ上げる。
ここでもそうなのかい、と弥三郎はキリリと引き締まらない顔を伏せてそっぽを向いた。
一方弥太郎はキリリと引き締まった顔だが、ほう、という表情で左馬助を見ている。
「うむ、そうかもしれぬ。そなた、なかなか歌の嗜みは深いようじゃの」
「いえいえ、ご家中ほどではござりますまい」
「いやいや、謙遜せずともよい。ところでそなた、兼家のこの歌は知っておるか。『類なき身こそ思えば悲しけれ、一本立てる唐崎の松』というのは」
「はい、存じておりまする」
左馬助はキリリと引き締まった顔をほころばせて我が意を得たりといった様子で答える。弥太郎はキリリと引き締まった顔を一瞬引きつらせたが、己が住処の歌枕故よく知っておるのに違いあるまい、と秘かに自分を納得させようとしているようである。
「うむ、この松も霞の海に流されて失われそうな類なき悲しい松のようではあるが、そうではない。霞の海はそのまま松を流す事なく、自らも流れ去るでもなく、松が枝に宿り来て、来馴れて、松に宿る宿り木のようになっておる故松も淋しい事はないのじゃ」
「なるほど。このようなよいお話をお聞かせいただけるとは誠にありがたき仕合わせに存じ奉りまする」
弥太郎が口を挟もうとする前に左馬助がキリリと引き締まった顔に感にたえないという表情を浮かべて平伏しながら口をきわめて氏真をおだて上げる。弥太郎はいつもはキリリと引き締まっている顔を一瞬歪めたが、落胆している場合ではないと気を取り直して
「ごもっとも」
というばかりである。
弥三郎は両者を交互に見比べていた。今川のキリリと引き締まった顔の方が分が悪いではないか。
「うむうむ」
氏真は左馬助の受け答えが相当気に入ったようで、目を細めて聞いていた。
それから一行は志賀の都跡に案内されたが、ここは本当に何もなかった。家さえもない。
「何と……」
氏真は絶句した。
「ご覧の通り、ここは志賀の都跡と言い伝えがあるばかりで、何もござりませぬ」
「あるのは霞ばかりか……」
「御意」
「うむ、一首浮かんだ。きてみればあ、かすみばかりぞここのえのお、みやことききしい、しがのふるさとお……」
弥太郎が何か言おうとして息を吸い込んだが、左馬助はそれより早く間髪入れず話し始めた。
「さすがは氏真様、かの人麻呂も志賀の都の衰亡を嘆く歌を残しましたが同巧異曲ですな」
弥太郎のキリリと引き締まった顔が一層歪む。
「ははは、うまいのう、左馬助は」
氏真は機嫌よげに笑った。
「弥太郎殿も何か言おうとされたのではござりませぬか」
左馬助が弥太郎に聞いたが、
「いや、何も……」
弥太郎は口ごもった。どうやら左馬助ほど気のきいた事を思いついたわけではなかったらしい。
「そうでござるか」
左馬助は口では何ごともなかったように答えたが、弥三郎はその一瞬のどや顏を見逃さなかった。弥太郎のいつもはキリリと引き締まった顔が歪むのはちょっとした見ものだが、今川と織田の風流合戦と思うと今川方に肩入れしたくもなる。
志賀の都跡は言い伝えばかりで何もないではこれ以上する事もない。一行は元来た道を引き返して坂本城に戻った。その夜はまた光秀の心づくしのもてなしを受けて城内に一宿した。
から崎の枩大木の海へさし出たる計家もなし
から崎は霞の海の流すに宿りきなれや一本の枩(1‐31)
きて見れは霞計そ九重の都と聞し志賀の故郷(1‐32)
一月二十四日、坂本城から京の都までは三里ばかり、いよいよ今日こそ都に入る事ができる。朝食を振る舞われた後氏真は光秀に誘われて天守閣に上がり周囲を遠望した。空は晴れて朝陽に彩られた湖面の向こうに鏡山が浮かび上がって見える。
「ふむ、一首浮かび申した。いずるひのお、さきうつろうやあ、かがみやまあ、いくえのみねはあ、かすみかかりてえ……」
「お見事」
氏真は思わず微笑んだ。光秀の一言は千万言を費やすよりも説得力がある。
「いよいよご上洛でございますな。ここからは三里ばかり故、昼前には着き申そう」
「夢にまで見た京の都、全く楽しみでござる」
「それがしも二月には都に参ります。その節には再びお目にかかりたく」
光秀に別れを告げて氏真一行は坂本城を出た。唐崎を通って坂本から一里足らずの所で西への山道に入って志賀の山越えをし、二里ほど歩けば白川に着くという。心配していた雪もなく、霞の中の山越えである。
「霞の中の志賀の山越え、風流だのう。まあ雪の山越えも風情があろうがな。古今集にな、『白雪のところもわかず降り敷けば 巖にも咲く花とこそ見れ』という歌がある。吹雪も朝寝坊したかのう……」
「御意」
弥太郎がキリリと引き締まった顔で答えるが、弥三郎は雪なんてない方が楽でいいじゃないか、と心の中で口ごたえする。
氏真は機嫌よげに語り続ける。
「花の山越えの方がよいのう……。そなたら知っていようか。志賀の山越えは能の三井寺にも出てくる」
ああ、三井寺の話なら弥三郎も聞いた事がある。子供をさらわれた女が三井寺に来て、夢のお告げ通りに鐘を撞くとそこで我が子に再会するという話だったような。その女が駿河の清見ヶ関から来た事になっていたので覚えている。
「『雪ならばいくたび袖を払はまし、花の吹雪の志賀の山越』というのじゃ……。うむっ! 一首浮かんだ。はなにまがうう、ゆきのふぶきもあさいしてえ、かすみをそでのお、しがのやまごええ……」
あんたも好きねえ、と弥三郎は心中つぶやいた。
「一首の歌に花、雪、霞を詠み込むとはお見事にござりまする!」
と弥太郎が久々に氏真の歌をほめた。あんたも好きねえ、と弥三郎はまた心中つぶやいた。
出る日の先うつろふや鏡山幾への峯は霞かかりて(1‐33)
花にまかふ雪の吹雪も朝ゐして霞を袖のしかの山越(1‐34)
半刻余り山道を進み続けたが、あまりに曲がりくねっているので、弥三郎は心配になった。
(光秀様は一本道だと言っておられたが……)
しかし杞憂であった。もう少し進むと数軒の家が立ち並んでいるのが見え、茶屋も見つかったので一行はここで休息した。
茶屋の者に聞くと、このあたりを山中といい、都まで一里足らずの場所だという。弥三郎が氏真に告げると、
「ここがあの山中か! ここはな、かの猿丸太夫が『をちこちのたつきもしらぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな』と詠んだ有名な歌枕じゃ。河内も『いかにせんたつきもしらぬ山中に帰らんかたは霧たちにけり』と詠んでおってな……。うむっ! 一首浮かんだ。たびごろもお、たつきもしらぬやまなかにい、みやこちかしときくぞうれしきい……」
「お見事! 山中での不安を詠った名歌を本歌に取りながら、都に近づく喜びを表した所が鮮やかにござりまする! 同工異曲とは正にこの事!」
弥太郎も氏真の興奮に煽られるように勢い込んでほめ上げる。しかし、ここでこの調子では、都に入ったらますます手がつけられなくなるんではあるまいか。とほほ……。
束の間の休憩を終えて、一行はいよいよ山を下り始めた。
「いよいよ京の都に入るぞ……」
氏真は興奮を抑えきれぬ様子でぶつぶつ呟きながら肩で息をしている。その様子が後ろに続く弥三郎には手に取るように分かった。氏真の馬の歩みもややもすると小走りになる。
徒の者たちを取り残して行ってしまいそうになるので
「殿、しばしお待ちを……」
と弥三郎が引き留めようとすると氏真は、
「早ういたせ」
と珍しくじれったそうに馬を乗り回しながら供の者たちを待つ事を繰り返した。
ついには先駆けしているはずの弥太郎と馬を並べて話しかけるようになった。
「弥太郎、京はまだかのう」
「もう少しでござりましょう」
「早くこんな山道は通り過ぎてしまいたいぞよ」
「いましばらくのご辛抱でござりまする」
「ああ、早う白川の流れたゆたう京の大路を歩きたいものじゃ」
「もう少しでござりまする。白川ならばすぐ下を流れておりまする故」
「何と!? この小川が白川!?」
はやる氏真をなだめたいばかりに言った何気ない言葉だったが、氏真は驚いたらしく、弥太郎に向かってビクッと体を動かして尋ねた。
「御意。あそこを曲がれば京が見えるかも知れませぬ」
氏真の中に歓喜と興奮が見る見るうちに拡がって行くのが弥太郎には分かった。余計な事を言ってしまったかも知れぬ、と弥太郎は不安になったがもう遅かった。
「こうしてはおれぬ! 者ども続けーっ!」
氏真はそう叫ぶと馬にぴしりと鋭い一鞭をくれ、疾風の如く駆けだした。その姿が十間ほど先の曲がり道で見えなくなったと思うと、
「ヒャッハーーーーーーーーーーーーーーーー!」
という狂喜の叫びと疾駆する馬の蹄の音が聞こえ、遠ざかって行った。
弥太郎も、弥太郎にようやく追いついてきた弥三郎も徒の者たちも、思わず歩みを止めて数瞬の間呆気に取られていたが、はっと気を取り直した弥太郎が
「しまった! はっ!」
と馬に鞭を当てて駆け出し、弥三郎も
「遅れるなっ!」
と続いて馬を駆けさせ、徒の者たちも必死の面持ちで再び駆け始めた。
茶屋ありて家も少ある所山中といへり
旅衣たつきもしらぬ山中に都近しと聞そうれしき(1‐35)
遠めにも都はやかて白河や霞む雲ゐの空も長閑に(1‐36)
かくして氏真一行は京の都に入ったのであった。
『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第3話、いかがでしたか?
今回はあの人に会ってしまいました。
和歌と詞書からすると、氏真は比叡山に入ってから坂本へと出ているので、こうしました。
後のエピソードで分かりますが、風流人の氏真さんは詠草には生臭いことは書かないようにしていたので、この推測が正しい可能性大です。
どうやら一般的な印象とは違って氏真さんはかなりのVIP待遇で上洛したようです。
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。