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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
29/35

マロの面接(八) 歌会の誉れ、鞠会の鬱屈

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛六十五日目!


うれしい歌会デビュー!

懐かしい人たちとの心温まる&風雅な交流。これぞみやこ人ライフ!

しかし、そこにあいつが乱入!?


鞠を「見物」!

鞠を「見物」!

鞠を「見物」!


氏真さんの「幸せ回路」が発動しました!


世界初!?今川氏真上洛に関する新事実が暴かれる!?

後書きも是非ご覧ください!!!


 四月三日、氏真は晴れ晴れとした表情で三条西実枝の当座歌会に参上した。集まった人数は十七人。その中には三条西実枝・公明父子を始め山科言継・言経父子、冷泉為益・為満父子ら駿府時代からの付き合いの公家たちがおり、ほとんどが旧知の者であった。


「皆様とこうしてうち揃って歌会が出来るとは、夢のようでござりまする……」


 氏真が感極まって目を潤ませると、


「ほんにのう……」


と三条西実枝がすすり泣き、皆が喜びと感激の言葉を口にした。


 冷泉父子を始め京の名だたる歌人が集まる歌会だけに、氏真は昨夜眠りに就くまで様々な題を思い浮かべていたが、「聞時鳥」という題にはにっこりして詠んだ。


「まれにきくう、くもいのこえをお、ほととぎすう、おもかげのこせえ、ゆくすえのそらあ……」


「おお……」


 一座の間には感動と驚きの入り交じったかすかなどよめきが起きた。それは氏真の歌が横死した前将軍足利義輝の辞世に拠りながら義輝を追慕するものと受け取ったからである。


 

 五月雨は つゆかなみだか 時鳥 わが名をあげよ 雲の上まで


 

 三好三人衆や松永久秀の大軍に襲われた義輝は伝家の宝刀を何本も二条御所の畳に突き刺して刃こぼれする刀を取り換えつつ十数人を斬り殺し、死ぬまで戦った。その時この辞世を遺したという。


 氏真と義輝のつながりをよく知る者は氏真が義輝と同じく塚原卜伝を師として剣を学び修めた事、そして永禄三年(一五六〇)五月八日、義元が征西の軍を起こした頃には義輝は義元が三河守に、氏真が治部大輔に任じられるようにはからい、いずれ今川が上洛して幕府を支えてくれると期待していた事を思い起こしたのであった。


 しかし、義輝は同時に信長が追放した義昭の兄でもある。それ故この歌は義輝を追慕し天下の静謐を願う歌には違いないが、義輝を弑逆した三好を討つ信長の側に立っていると解釈できる一方、信長が義昭を追放して事実上滅んだ幕府を未だ思慕しているとも解釈できる歌なのであった。


 一方氏真のもう一首は歌会の衆には納得と共に受け入れられた。


「うつしみよお、よものさかいもわだつみのお、なみかぜたたぬう、みよのかがみを……」


 強敵武田との無二の一戦をきっかけとして信長に朝廷を護持させ、公武一体となって天下に静謐をもたらす。一座は氏真の意思を改めて示したこの一首を聞いて、志を同じくする者だと頷いたのだった。


 日が傾く頃に歌会が終わり、酒食の振舞いを受けつつ歓談していると、飛鳥井雅敦が駆け込んで来た。


「氏真殿、皆の衆、信長殿が蹴鞠見物を所望じゃとて我らが屋敷に参られた。急ぎお越し下され」


 信長が近々蹴鞠を再度見物したがっているという話は聞いていたが、こう突然に呼び出されるとは思っていなかった。


 取るものも取りあえず飛鳥井邸に向かうと、村井貞勝が待ち構えていた。


「急にお呼び立てして申し訳ござりませぬ。主信長が急に氏真様の妙技をまた拝見したいと申しましてな。既にご存知でありましょうが信長は思い立ったらすぐ行動する性分でして、しかしまあそれが織田家の今日をもたらしたとは存じまするが……」


 申し訳ないとは口ばかりで本心では全くそう思っていない事を態度で露骨に示しつつ、村井は氏真に支度するよう促した。これから仕える主人の性分くらい覚えておけと言わんばかりの態度に、これが主に仕えるという事か、と氏真は思いつつ鞠装束を整えて鞠庭に向かった。


 信長は庭に向かった縁側に、吉田兼見や寿桂尼の実家の中御門宣教ら信長のご機嫌うかがいに来ていた公家衆と、明智光秀や羽柴秀吉ら重臣たちを従えて座っていた。


「氏真殿、急に呼びつけて済まぬがお主の蹴鞠をまた見たくなってな」


「かようなお言葉をいただきそれがしこの上なき面目と存じまする」


 飛鳥井雅教が礼問の公家衆と当座歌会に来ていた衆から鞠足を選び、雅教・雅敦父子、三条西実枝・公明父子・高倉永相・永孝父子、広橋兼勝、五辻為仲、庭田重保、烏丸光康らが氏真と共に鞠を蹴る事になった。いずれも錚々たる名足たちだ。


 どうやら信長という人は、人も物も一度気に入るとのめり込む性質らしい。急に蹴鞠を見たくなったというのは嘘ではないだろう。


 しかし蹴鞠を見るのに天下の宗匠飛鳥井家の屋敷に乗り込んで、蹴鞠の名足たちをすぐさまかき集めさせるとは、今では信長以外にはなし得ない途方もない贅沢だ。


 公家衆や氏真との親交を深めたいという思いもあっただろうが、それだけではなく自分のやり方と権勢を公家衆や氏真、家臣に見せつける意図もあるだろうと思われた。


 何事も、公家や朝廷に対しても家中と同様、自分の思いのままにするから覚悟しておけ、という事だろう。


 鞠足たちが支度をしているうちに日が暮れてしまったので、雅教は家中の者に松明を持たせて鞠庭の周囲に立たせて鞠会を始めた。解鞠の栄誉は今回も二の鞠足となった氏真に与えられた。


 今日は鞠足の人数が多いので、代わる代わる蹴った。時刻も遅いので、百八十足で終わった。日が暮れて鞠が見えにくい事もあって、氏真が抜けた時には鞠を落とす事が数回あったが、氏真自身は落とさず、まずまずの出来で鞠会は終わった。


 しかし信長は見物し足りないらしく、鞠会が終わった後自ら庭に降りて氏真や雅教に鞠の蹴り方で特に気を付けている事、鞠への回転の掛け方など熱心に質問してきた。ひとしきり質問し終えた後、信長はその場の者たちに告げた。


「今宵は急なお願いにも関らず我が儘にお付き合いいただきかたじけのう存ずる。ご披露いただいた蹴鞠、誠によい見ものではあったが、それ故また我が儘を言いとうなり申した」


 聞いていた者たちは何か不都合があったか、どんな無理難題が出てくるのか、不安げに顔を見合わせた。


「明日もここにて昼から鞠会を開いてこの信長にも蹴らせていただけぬか?」


 おおっ、と控えめながら驚きと歓喜のどよめきが起こった。雅教がいそいそと信長の前に出て深く一礼して言う。


「この上なき仕合せにござりまする。是非とも、是非とも明日もお越しいただきたく」


 他の鞠足たちも緊張と歓喜の混ざった表情で聞いている。


「では明日の昼にまたここにてお会いしよう」


 これにて鞠会は散会となり、人々は帰り始めたが、氏真は村井に呼び止められ、信長の前に連れていかれた。信長の側には光秀が控えていた。


「氏真殿、雅教殿、明日の鞠会は軍陣の鞠と心得られよ。我らいよいよ三好を討つべく出陣いたす。光秀は明日出陣させる。それ故我ら織田家の武運を祈る蹴鞠としたい」


「御意」


 信長からはそう申し渡され、氏真は雅教と共に承った。


 氏真は帰途に就きながら今日の出来事を思い返してみた。京の都で三条西家の歌会に呼ばれる名誉に感激していたのも束の間、信長の思い付きで蹴鞠に駆り出された。


 もはや公家の世界の催しも信長の鼻息を窺わねばならなくなったか、と心中嘆息した事だった。


 宿に戻った氏真は今日の歌会で詠んだ歌を書き写そうと文机に向かった。



「三条西殿実澄めされて参す……」



 氏真は二首の歌を書きつけながら、憧れの京での歌会に加わることができた喜びにしばしの間我が身を委ねた。


 しかしその喜びは、信長に急に呼びつけられて蹴鞠をさせられた苦い思いによってすぐにかき消された。


 信長に、公家を屈従させようとか、氏真をさらし者にしようとかいう悪意があったわけではない。 信長の氏真への扱いも、非の打ちどころのない鄭重なものだった。


 信長は足利将軍に代わる武家の棟梁として朝廷との融和を志し、今日の蹴鞠もその一環だったと公家の誰もが信じていた。


 氏真も信長が名実共に武家の棟梁となるための演出に、正当な駿河国主として加わったといっていい。


 信長はまた、武田との決戦に備えて朝廷からの大義名分を求め、武田家中を切り崩すために氏真も味方につけている事を天下に知らしめようとしている。


 それも駿河回復を悲願とする氏真にとっては歓迎すべきことだ。


 しかし、終日歌会を楽しんでいたい所に突然の気まぐれで慌ただしく支度をさせられて蹴鞠をさせられたのが、氏真にはどうしてもすっきりしないのだった。


 いやいや、物事をそんな風に暗く考えるのはよそう。蹴鞠の宗家飛鳥井殿のお屋敷に呼ばれて蹴鞠ができたのも、三条西殿のお屋敷での歌会と同じくらいに、名誉なことではないか。


 そうだ、今日は参加した人数も多かった事だし、マロが蹴鞠に加わった時間も短かった。むしろ、マロは蹴鞠を見物していた時間の方が長かったのじゃ。


 そうじゃ、あれは蹴鞠をさせられたというより、蹴鞠見物だったのじゃ。今日は蹴鞠の宗家飛鳥井殿のお屋敷で公家衆の蹴鞠を見物できたのじゃ。


 そんな風に考えて微笑みを浮かべた氏真は、今日詠んだ二首の後に一行を書き記してから床に入り、快い眠りについた。



 三条西殿実澄めされて参す二十当座人数十七人


 聞時鳥 寄世祝

 稀に聞雲井の声を時鳥面影残せ行末の空(1‐253)

 うつし見よ四方の境もわたつみの波風たゝぬ御代の鏡を(1‐254)


 同日晩は於飛鳥井殿鞠見物



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第29話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落して面接編!


上洛六十五日目。


今日は今川氏真上洛に関する新事実が発覚しましたね!


氏真さんと信長の蹴鞠は三月二十日相国寺だけではなかった!

信長は氏真さん「と」蹴鞠していた!これ、超重要!

信長は蹴鞠にフィーバーしていた!?

そして、氏真さん、「見物」だって。こっぱずかしい事を書いちゃいましたね(笑)



氏真の祖母寿桂尼の遠縁中御門宣教(なかみかどのぶのり)が日記『宣教卿記』を遺しています。

その天正三年四月三日の条によると、宣教ら公家の礼問を受けていた信長が夕方に蹴鞠を見る事になり、飛鳥井父子が仰せつかって急遽人数を集めて蹴鞠をすることになったようです。

そしてそこに「駿河の今川等也」と書かれてしまっているんですね。


『宣教卿記』当該記事の原本をご覧になりたい方は下記をどうぞ。


http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/

東京大学史料編纂所の大日本史料総合データベース

>所蔵史料目録データベース で『宣教卿記』で検索

>「2(2) 【注記】 (天正3年正月-12月)(記録1点) 」の「イメージ」ボタンをクリック

>0230の画像データにあります。


  参加した鞠足は氏真を含め十八名で、三条西父子ら前回の鞠会参加者のほとんども参加しています。信長は宣教や山科言継、中山大納言ら十人ほどの公家と見物したようです。

 歌会を開いた実枝が参加している所からすると、三条西邸で歌会を一通り終えて余韻を楽しんでいる所をまとめて急に呼び出された可能性が高そうです。

 歌会で二十題も読んだのなら、終わるのも夕方、それから終日ゆっくりしている方が自然ですから。

 多分氏真は自分や公家が信長の気まぐれに振り回されて見世物をさせられたようで面白くなかったでしょうが、これで終わりではなかった。

 翌四月四日、また同じメンバーが飛鳥井邸に呼び出されて蹴鞠をさせられたんです。夕方急遽呼び集めて蹴鞠してみたが、日も落ちて物足りなかったので、信長が翌日も見たいと言い出した可能性が高そうです。

 メンバーは同じ、とすれば氏真も参加していたはずです。


ただし、「信長ケラルゝト也人数前衆也」


今回は信長も蹴鞠に参加して鞠を蹴ったと宣教は記しています。


 これも重大な意味を持ちますね。


 従来氏真の蹴鞠は信長に屈従した氏真が信長に見下ろされながら蹴鞠をさせられた、という印象が広まっていました。誰と蹴鞠したかは知らないが、蹴鞠の芸人のように見られていました。

 確かに、名実ともに武家の棟梁として足利将軍に取って代わる決心をした信長が、氏真や公家衆の蹴鞠を見下ろす形になった。そんなデモンストレーションの要素は十分あったと思います。

 しかし、氏真が蹴鞠を一緒にした人たちは三条西実枝ら朝廷の高位の公家たちで、氏真も公家並みの官位を持つ駿河国主として信長の権威づけに手を貸していたと見た方が当時の認識に近そうです。

 だから『信長公記』でも「今川氏真御出仕」「今川殿鞠を遊ばさるる」と敬語で書かれている。その後の「公家領、徳政」「主上、公家、武家ともに御再興。天下無双の御名誉、これに過ぐべからず」という記述にもつながります。


 もう一つ、氏真の蹴鞠披露は信長のお公家「社交界」デビューのお手伝いの要素もありそうです!

 流れとしては、

 信長、お公家社交界デビューのため蹴鞠の練習。山科言継が目撃。

>まだ自信がないので氏真の蹴鞠披露でお公家社交界の先達氏真さんの立ち居振る舞いを見学

>四月三日、公家衆との会話の中で蹴鞠を話題にして「蹴鞠が見たい!」と言い出す。

>「見たりない!自分もやりたい!」

>四月四日、信長、氏真さんのエスコート付?でお公家との蹴鞠デビュー。


 その後、お公家の間で信長が蹴鞠を好むという印象が広まったようです。

七月、朝廷が信長に官位昇進を勧めるにあたって、誠仁(さねひと)親王は盛大な蹴鞠大会を催し、その後も蹴鞠大会が繰り返されています。


 しかし、信長は本当に蹴鞠が好きだったのか?


武田との決戦を前に朝廷との関係を強化したい信長が、和歌や連歌ほど面倒ではなさそうな蹴鞠を公家との付き合いの方便として選んだのではないかと思えます。

 この頃の信長と公家衆は、お互い手探りしつつ距離を縮めていったような印象があります。

 その時氏真さんは信長サイドにとってもお公家サイドにとっても、余人をもって代えがたい橋渡し的存在だったのではないでしょうか。氏真は公家と対等に付き合える経験と官位を持った数少ない武家ですから。


 のちに徳川幕府では今川家や分家の品川家は朝廷との折衝や儀礼の指導を行う「高家」になります。最初期の高家的な家は吉良家、大沢家などは、今川家と関係が近い、娘婿や家臣の家です。

 氏真は(家康の対等の大物すぎるので)高家にはされませんでしたが、高家創出で助言したかもしれません。

 同じように、氏真さんは信長の「上様化」でも、儀礼や立ち居振る舞いなどでアドバイザー的役割も期待されたかもしれません。

対武田戦での調略、駿河国主としての信長「上様化」への権威づけ、そしてアドバイザー役といった役割を果たせば駿河を取り戻せる!

浜松出立から、氏真は信長に出仕する事を屈辱と思っているように見えません。いそいそと京への道を急いだり、京都に入るや気兼ねする様子もなく観光三昧の日々を過ごしているのは自分の利用価値に自信を持っていたからと思われます。

働き者の信長や家康の目を恐れていたなら、こんなに遠慮なく遊べませんよね!

相国寺での蹴鞠披露も、「今更人に知られぬるかな」とぼやいていますが、結構自信満々だったのではないでしょうか。

しかし、そんな氏真さんも四月三日から四日の接待蹴鞠は面白くなかったのでしょう。


「同日晩は於飛鳥井殿鞠見物」


 と他人事のように詞書に書き加えてしまいました。


 しかし、ざーんねん。遠縁の中御門宣教さんにちゃっかり蹴鞠の人数の一人として「駿河の今川等也」と書かれてしまっていたのでした。


「鞠見物」!

「鞠見物」!

「鞠見物」!


 著名な歴史上の人物が自分の都合の悪い事をごまかして私的記録に書き遺す。


そんな世にも珍しい出来事を21世紀の我々は目にすることができました!


しかし、氏真さんもまさか四百四十一年後の未来に、自分がこっそりと書き遺したごまかしまで今川ストーカーに暴かれるとは、想像もしなかったでしょう!


 歴史上の人物の日常がここまで分かる資料は中々ありません。氏真詠草にはまだまだ面白い情報が眠っています。


 さて、「幸せ回路」を発動して楽しいことだけを書き遺した氏真さんですが、またまたやらかしてくれます!


それは次回のお楽しみ!


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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