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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
28/35

マロの面接(七) 四月の衣更え?

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛五十七日目~。


あのパラサイト親子再び。

動く信長、動かない氏真。

三月も終わり、衣更え?

うれしいお誘い。


 三月二十四日、今日はどこへ行こうかと氏真が思案していると、従兄弟の氏秋とその子孫二郎が再びやって来た。氏秋は遠慮がちに尋ねた。


「先日お願いいたしました織田家への口利き、いかが相成りましたでしょうか」


「おお、済まぬ。危うく忘れるところであった」


 氏真が信長に対面する事を知っていながらそれまでは姿を見せず、全てがうまく行き始めてからその尻馬に乗る態度はほめられたものではなかったが、目くじらを立てずに望みをかなえてやる事にした。


「では次に村井貞勝に会うた時に孫二郎の仕官の話をしておこう。信長にしても今川一門を従えるのは鼻が高かろうから断りはすまいよ」


「誠に有り難き仕合せに存じ奉りまする」


「ただし、約束してくれ。今川一門の名に恥じぬ働きをする事、我らが織田家の様子を尋ねたら出来る限りでよいから消息をよこす事、必要な時は今川家に戻って働いてくれる事、この三つじゃ」


「一々ごもっともな事に存ずる。孫二郎、異存はないな?」


「はい。ござりませぬ」


「よかろう。では貞勝に申し入れておこう……」


 氏秋父子が辞去した後氏真は書状をしたため弥太郎を呼ぶと早速貞勝のもとに遣わし孫二郎に仕事の世話をしてくれるよう依頼した。弥太郎はすぐ戻って来た。


「村井様は少し思案された後、この件は信長様まで話を通してから返答されると仰せでした。それから信長様がまた蹴鞠を見たいと仰せなので、御屋形様にもお伝えいただきたいとのことでした」


 氏真はこの事を聞いてすぐ飛鳥井雅教に知らせ、今度の鞠会をどうするか相談する一方稽古も始めた。


 三月二十八日には信長の養女となった赤松家出身のさごの方が二条昭実に嫁ぎ、両家の間で祝言が執り行われたので、氏真も祝儀の品を考えて贈るなどした。


 東でも決戦に向けての動きがとうとう始まった。武田勝頼が足助方面から三河に侵入したのだ。信長は家康からの急報を受けたが西で三好との戦端を開いたばかりで身動きが取れない。そこで嫡男信忠に尾張勢を預けて援軍に向かわせた。武田と三好の挟撃が功を奏するのか、信長が両面作戦を成功させるのか、予断を許さない状況になって来た。氏真も織田徳川と武田の決戦の前に調略を仕掛けて揺さぶりをかけるべき相手を選び始めた。


 そうこうしているうちに三月も終わりを迎えてしまった。


 「年明けに浜松を出たが、都で三月を終えるとは思わなんだ。春も行ってしまうのう。我らの帰りを待ってくれたらよいのに……。うむっ、一首浮かんだ」

 


 三月尽

 旅衣道かたらはん行春も我か帰さを待て友なへ(1‐245)



「四月が始まったな。今日は衣更えの日ぞ」


 四月一日の朝、氏真がそう言ったので、町中に出て衣更えした都人を見ようと言い出すかと思われたが、特にそういった言葉もなかったので弥三郎たちはそれぞれの仕事をした。


 昼をかなり過ぎた頃、山科言継から会いたいと使いがあり、氏真はそれを予期していたらしく快諾して山科邸に向かった。


 道中氏真は衣更えした人を探してきょろきょろしていたが、弥三郎には都の人の着物が昨日と変わっているようには見えなかった。


「今日は信長から我ら公家にとって誠に有り難い話があった」


 言継はそう前置きして、今日信長が公家衆を相国寺に呼んで発表した公家への徳政の話を聞かせてくれた。戦乱が続く間に横領されたり借財の形に取られてしまった公家の領地を村井貞勝と丹羽長秀に命じて取り戻すので、公家衆は申し出るように信長から言われたという事だった。


「それはよろしゅうござりました。武田が動き出した今、信長も天下静謐のためいよいよ公武一体となって取り組む必要に迫られているのでござりましょう」


「うむ、そうであろうな。武田に勝ってそなたも領国を取り戻せるとよいな」


「お心遣いありがとう存じまする」


山科邸を辞去して宿に戻る帰り道でも氏真はきょろきょろしていたが、やがて諦めたように言った。


「都が京に移ってから宮中で衣更えが始まったと聞いた故都の者は皆従っておると思うたが、そうではないのだな……まあ、麻衣に着替えたとはいっても契りを交わした後の朝の衣でもない故花の移り香があるわけでもないがな。……うむっ! 一首浮かんだ」



 今日は衣かへの日なれ共都さへ其姿みへす

 ぬきかへぬ卯月のけふのあさ衣さりとて花のうつり香もなし(1‐246)

 


 四月二日、氏真はしばらくぶりに清水寺に出かける事にした。都を南に下ってから鴨川を東に渡ると、明るい陽気の下で東の山々が青々と爽やかな姿を見せている。もうすぐ夏だな、と弥三郎はすがすがしい気分になったが、ふと気づくと氏真は残念そうな表情を浮かべている。


「いかがなされました?」


「三月の頃は山に咲く花が霞に包まれて見えぬのを無念に思ったものじゃが、霞が晴れて見えるのは青葉が茂る山ばかりではないか。春が恋しいのう。うむっ、一首浮かんだ」


「花の春を惜しむお心が表れたよいお歌でござりまする。さりながら卯月には卯月のよさを楽しむのもまた風流かと存じまする」


 弥太郎は氏真の機嫌を取りつつうまく誘導しようとする。


「卯月には卯月のよさがあるか。うむ、そうだな。そうするとしよう」



 山の色あきらかに見えしを

 あやにくに花をはおほふ霞晴て青葉の山に春そ恋しき(1‐247)



 さらに南に下って音羽山が遠くに見えるようになると、氏真が


「おや、音羽山の青葉の下に雲が見える……」


 と言い出した。そんな事はないだろうと、弥三郎は思っていたが近づいてみると、


「麓に一帯に卯の花が咲いておったか。うむっ」


 氏真は弥太郎に勧められたように四月のよさを探そうとしているようであったが、ついつい過ぎ去った春の名残りを探してしまうようだった。野原に分け入ってみても、


「桜の香りがせぬか……おお、まだ芝生に春の下草が混じっておるぞ……うむっ」


 今年初めて聞いたときには大喜びしたホトトギスの鳴き声を聞いても、


「うるさいのう。春の風情を思い出して名残を惜しんでおったに。あのけたたましい鳴き声で現実(うつつ)の夏に引き戻されたわ。……うむっ、だが一首浮かんだ」


 といった調子だった。この殿は夏の活気より春のはかない花の方が好きなのだなあ、と弥三郎は思った事であった。



 清水辺に出こゝかしこくらす

 音羽山青葉の下の白雲や麓の里にさける卯花(1‐248)

 分ゆけは夏野にかほる花の香や芝生に残る春の下草(1‐249)

 思ひ出る花の名残に時鳥さらに音羽の山そ過うき(1‐250)

 


 一行が宿に戻ると、三条西実枝の使いが宿に来ていた。使いの青侍は今時珍しい桜の枝と実枝から託された書状を持って来ていた。


「これなるは我が主より、仁和寺の遅桜にござりまする」


「おお、また桜の花を見られるとはのう。今日は春の名残りを求めて得られずむなしく戻って来たところなのじゃ。一枝の桜で山の姿が思い浮かぶぞ」


 続いて青侍が差し出した書状もまた氏真を大いに喜ばせた。


「おお、三条西殿がマロを明日の歌会にお誘い下さるのか! 願ってもない事じゃ。喜んでおうかがいすると伝えてくれ」


 使いを送り出した氏真はうきうきとした表情で明日着ていくものを選んでから床に就いたようだった。

 


 一枝さき出る花を遅桜と云夕は雨になりぬ

 雨霞む入相遠き山端にすみ昇たる郭公哉(1‐251)

 遅桜一枝見れは見ぬ山もなへて心に思ひたつ哉(1‐252)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第28話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落して面接編!


上洛五十七~六十四日目、氏真さんの在京生活もとうとう三月も終わり、四月に突入しました。ちなみに、天正三年三月は陰暦の「小の月」なので、二十九日までしかありません。



氏真さん、この十日近くは余り外出していません。


何か今川家当主らしいお仕事があったかもしれません。


信長は三月二十八日に養女(赤松家のさごの方)を関白二条晴良の嫡男昭実に嫁がせ、名目上は関白二条家の姻戚となり、また四月一日には公家への徳政を通達して、朝廷に接近し、一層「上様」らしくなります。


氏真さんがこうした動きにどう関与したかは不明です。


さて、本能寺の変で信長と共に戦って死んだ近習の今川孫三郎、氏真の従兄弟氏秋の子のようですが、仕官したなら信長が「上様化」したこの頃かも知れません。


今川一門の仕官ですので、氏真を無視して仕官したのではないと思われます。氏真が信長に直接口利きできたのは、おそらくこの時しかないと思います。


氏真と信長にとって、孫二郎の仕官は今川と織田を結びつけるというポジティブな要素もありますが、権謀術数的要素もあったかもしれません。


氏真にとっては織田家の情報源つくりであり、信長にとっては氏真が邪魔になったら、孫二郎を今川家当主に据えるという手品のねたにもなります。


公家の徳政令があった四月一日、相変わらず尚古趣味的な氏真さんは都の人々は宮中にしきたりに従って衣更えをするだろうと期待していたようですが、やはり、そうした風習はすたれていたのでがっかりしたようです。


『マロの戦国』愛読者の皆さんにはもうおなじみの、氏真さんが昔の物事を探訪して空振りするいつものパターンですね。


一方で氏真さん三条西実枝さんの歌会にお呼ばれすることになってうれしかったようですが、一ひねりありました。


何が起きたか?


それは次回のお楽しみ!


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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