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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
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マロの面接(六) ホトトギス狂「騒」曲

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛五十六日目。


ホーホケキョ! いや、違うって。


 三月二十三日の朝、弥三郎は氏真の言葉を待ち構えていた。昨日は一刻もずっと立ち続けで藤の花を見ていたから休むだろうか、しかし落ち着きのない殿だからまたどこかへ行きたがるかも知れない。とにかく早く決めてもらいたいものだ……。


 そう思っていると、鳥がけたたましく鳴き出し、鳴き続けた。最初はどうという事もなかったが、鳴き声があまりにしつこく激しい。


 ああうるさい鳥だ、追い払ってやろうか、と思い始めていると、氏真が慌てた様子でやって来て、


「こりゃっ!」


 となぜか小声だがいつになく厳しい声を掛けてきた。弥三郎は訳が分からず平伏してみた。一緒にいた弥太郎も平伏する。


「今日は何人も宿の庭に出てはならぬと皆に伝えよ! 家中の者も宿の者も宿の客も皆じゃ」


「へっ!?」


 氏真は知らず知らず声が高くなるのを抑え抑え変な事を命じてきたが、弥三郎には訳が分からない。弥太郎を見てもキリリと引き締まった顔に怪訝そうな表情を浮かべている。


「宿の中にいても声を出したり物音を立ててもならぬ。宿から出る者も庭に届くような音を立てずに出るのじゃ。左様皆の者に伝えよ」


「はあ、承知仕りました……」


「そなたマロがなぜこんな事を言うか分かっておらぬであろう。分かっておるのか?」


「いや、実は……」


 弥三郎は頭を掻いた。


「それはな……」


 と言いつつ氏真はにやにやしているがやはり弥三郎には訳が分からない。


「鳥の鳴く声が聞こえるであろう。あれはな、ホトトギスの忍音(しのびね)なのじゃ。あのホトトギスが自分から飛び去るまでマロは鳴き声を聞いていたい。それ故何人も庭に近づけるな、声も音も立てさせるな。ホトトギスを驚かせて飛び去らせた者は死罪じゃ。よいな、そう伝えよ」


 言われてみればホトトギスのようだが、それがどうした。そんなものになぜ死罪が必要なのか。弥三郎はますます訳が分からなかったが、弥太郎が


「御意」


 と小声で答えたので一緒に平伏し、手分けして宿にいる者たちに氏真の命を伝えた。命令される側も訳が分からなかったようだが、氏真の厳命とあって宿はたちまち沈黙に包まれた。


 それでも訳が分からないので弥三郎は小声で弥太郎に聞いた。


「なぜ御屋形様はホトトギスの声を聞きたいのでござろう? なぜ死罪などと言われたのであろう?」


「ホトトギスのさえずりはよく歌に詠まれて珍重されているのでござる。特にその年に初めて泣くのを忍音と申し、風流人の御屋形様は人より早く聞きたいのでござるよ。まだ三月に聞くホトトギスの忍音といえば、これほど珍しいものはござりますまい」


「ふむ……」


 ホトトギスがいつ鳴き始めるかなどよく考えた事もないし、増して風流人が珍重しているなど夢にも思わなかった弥三郎だった。もしさっき氏真が来る前にホトトギスを追い払ってしまっていたら、死罪にされたのだろうか?


 そう思っていると、氏真がホトトギスを見ながら弥三郎たちに小声で話しかけてきた。


「花の都にはホトトギスが似つかわしいのう。あの鳴き声のけたたましさは春が過ぎようとしているのを分かっているのか、過ぎゆく時を留めようというのか、うむっ! いや、小声でうむ、一首浮かんだ。……よいか、弥生の忍音は初音の中の初音なのじゃ。マロは前にも聞いた事があるがのう、うむっ。……それにしても都へと急いで旅立ったのが正月じゃが、もう忍音を聞く頃になったのだのう。幾日経ったか日数を数えるのも忘れてしまったわ。じゃが、春の忍音はうれしいぞ、ホトトギスよ。卯月に来ると誰かと約束したわけでもあるまいからのう。うむうむっ」


 物音を立てたくなければうむうむ言わなければよいものをと思うが、氏真は歌を詠むのをやめない。どうやらホトトギスがいる間に出来るだけ多くの歌を詠むのが勝負だと思っているらしい。


 次々と歌を詠みあげた氏真はいそいそとしかし忍び足で自室に戻り、しばらく部屋にこもって出てこない。弥三郎は庭のホトトギスを睨み付けた。


 お前のせいで死人が出るかもしれないんだぞ、早く飛んでけ!


 そう思っているとホトトギスはけたたましくさえずるのをやめた。そのまま飛んで行くのかと期待したが、軽く枝を飛び移っただけでまたさえずり始めたので、弥三郎はますます苛立った。


 そうこうしているうちに部屋から出てきた氏真は何通か書状を持っている。


「これは里村紹巴へ、これは冷泉為満殿へ、これは三条西実枝殿へ……」


 都の風流人たちと三月のホトトギスの初音を聞きたいから、書状を持っていけ、と言う事のようだ。これはますます厄介だ。都の風流人たちの前でホトトギスを驚かせて氏真に恥をかかせたら本当に死罪になるかも知れない。


「急げ」


 小声だが険しい顔で氏真に促されて、弥三郎は徒士たちに書状を持って行かせた。徒士たちはそれぞれ急ぎながら、しかし忍び足で宿を出て、十分遠ざかってから駆け出した。


 新在家町の紹巴は幸か不幸か在宅で、使いを迎えるとすぐにやって来た。弥三郎は門前で待ち構えていて、そこで一旦紹巴を留め、氏真がホトトギスを驚かせた者を死罪にすると言っている事を伝えた。


「承知いたしました」


 紹巴は肝が据わっているようで、落ち着いた受け答えをして氏真の前に出た。


「これはこれは、今川様……」


 紹巴は大きな体を無理に小さくして、小声で挨拶する。


「よう来た。今日はあれなるホトトギスの初音を聞いたのじゃ。そこで弥生の初音を共に聞こうと思うてな」


「これはお誘いいただき恐悦至極に存じまする……」


 そう言って紹巴が縁側へ一歩踏み出すと、縁側がきしんでみしっ、という音を立て、驚いたホトトギスは飛び去ってしまった。


「あっ」


 紹巴と氏真は同時に声を上げ。、氏真は紹巴をじろりと睨んだ。紹巴は慌てて平伏し、


「誠に申し訳ござりませぬ! お手打ちでも打ち首でもお受けいたしまする」


 と詫びた。弥太郎もすかさず後ろに平伏し、


「御屋形様、どうか紹巴殿をお許しくださいませ」


 とかばった。弥三郎も一緒に平伏して許しを請うか、と思ったら、氏真が口を開いた。


「いや、よい。死罪というのは言ってみただけじゃ。皆マロを気安う思うておる故ああでも言わねば真面目に受け取るまいと思うてな。よいよい、これから来る冷泉殿と三条西殿にはマロだけが弥生の初音を聞いたと自慢してやろう」


 それを聞いた者は皆安堵し、一旦張りつめた場の空気が緩んだ。何だ、言ってみただけか、と弥三郎は拍子抜けした。


 その後為満と実枝がやって来たが、氏真は機嫌よく迎え、酒肴でもてなした。


「あいにくホトトギスは紹巴に怯えて逃げてしまいましてな……」


「いやあ、面目次第もござりませぬ」


「それで弥生の初音を聞いた者はそれがしだけになった次第」


「いや、それはうらやましい」


「ホトトギスめ、今川殿だけにひいきしおったな」


「ははは、いやいや……」


 風流人ってやつは全く下らんっ!


 聞いていた弥三郎は苦々しく思ったが、今も日本中で侍たちが命のやり取りをし、飢えている百姓もいるだろうと思うと、こうしてくだらない事にうつつを抜かしていられるのも幸せなのかもしれない、と思い直した事だった。



 三月廿三日時鳥初て鳴く


 いつとても花の都は時鳥時しわかてや声いそくらん(1‐241)


 またて聞弥生の空の時鳥初音の中の初ね也けり(1‐242)


 都にと急ぐ心に時鳥日数忘るる旅ねなるらん(1‐243)


 なけはこそ春にもきなけ時鳥誰に卯月と契置けん(1‐244)




『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第27話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落して面接編!


上洛五十六日目、氏真さん、リラックスムードが続いたようです。


氏真さん、ホトトギスの初音がうれしかったらしく、詞書に三月二十三日と明記してくれたおかげで、天正三年上洛の日程の推定の精度を上げるのに役立ちます。


「今さら人に……」の和歌が『信長公記』で三月二十日とされる氏真蹴鞠披露前後、おそらく後と思われ、その後二十三日まで東山→船岡山→建仁寺と歌が詠まれているので、三月二十一日に東山と船岡山、二十二日に南方祇園の建仁寺に行ったであろう、そうでなければ片方の日に強行軍、もう一日は特に外出なし、ということと思われます。


氏真さんがホトトギスの初音を聞いて本作のようなひと騒ぎがあったか、もっとお上品に一人心静かに歌を詠んだかもしれませんが、今となっては知る由もありません。


氏真さんが和歌と詞書という形で色々書き遺してくれたおかげで、現代の我々は氏真さんの日々を知ることができる。これはすごいことだと思います。


歴史は往々にして勝者の事件史が注目されますが、大事件という目立つ点を結ぶような歴史認識は歴史の単純化につながります。


今川氏真の詠草を丁寧に読み解いて、敗者の日常史から戦国時代を捉えなおすことも大事だと思います。氏真詠草というピースをはめ込む事で、信長や家康の動静やスケジュールについての認識が正されることも期待できます。


なお、三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』によると、父明智光秀が本能寺の変を起こしたために丹波味土野に幽閉されていたころのガラシャの書いた和歌や日記が遺っているようです。


また機会があったら丁寧に読んでみたいです。


おしゅうとさんの細川幽斎玄旨の詠草も氏真詠草と同じように時期が特定でき、述懐の和歌が詞書があるなら、読んでみると面白いかも。


さて、三月二十四日以降数日間詠草の記載が減り、氏真さんの活動は少し見えなくなりますが、「マロの面接」はまだ終わっていません。


もうちょっとしたら、


「へえ!?」


と思われるエピソードが発生します。


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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