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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
26/35

マロの面接(五) 義元の本心

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛五十四日目~。


伝説の氏真蹴鞠披露の後です。

春の恵み。

閻魔大王の役所?

崇徳上皇の怨念?

義元への追想。


「今日は東山に行きたい」


 蹴鞠披露の翌日三月二十一日、氏真の希望で一行は東山を散策した。東山といってもどこか行きたい場所があるわけでもないようだった。ただ、桜の季節が過ぎた後に咲き出る新しい花を探し見つけて氏真は喜んだ。


「あれ見よ、古畑の下草にすみれが混じって咲いておるぞ。うむっ!」


「おっ、あの薮の中に山吹が隠れるように咲いておるのが見えるか? 誰ぞあれを取って参れ。……ううむ、春の恵みはこんな所に隠れておる草花にも訪れるものなのだのう……うむっ! 一首浮かんだ」



 東山の辺其所となく見めくりて

 うち残す賤か後の古畑に菫交の花のした草(1‐233)

 人しれぬ薮し隠の山吹も一へに春はもれぬ成けり(1‐234)

 


 やがて一行は柔らかい草花の広がる野原で中食を取る事にし、氏真は山吹の枝を花入れに入れて自分の前に立て置かせた。


「どうじゃ、この黄金色の山吹の見事さは。往く春を惜しむにふさわしいではないか。……うむっ、一首浮かんだ」


 中食の後もしばらく東山を散策したが、


「野歩きも飽きたのう……。船岡山にでも行ってみるか」


 と氏真が言い出して、船岡山に向かった。


 船岡山に着いてみると、同じように過ぎ行く春を惜しむ人々が麓に集まって、船岡山を眺めていた。


「皆何を見ているのかのう……おお、風が吹いて霞の中から船岡山が現れたように見えるのう。おお、皆夕陽の光に照り映えるあのつつじの花を見ていたのであるな。……うむっ、一首浮かんだ」


「今はつつじの季節じゃのう。衣笠の丘はどうであろう……加茂の神山も行ってみたい」


 船岡山のつつじを見て久々に氏真の好奇心に火が付いたらしく、一行は船岡山から東へとつつじを求めて歩き回る事になった。


「うむ、衣笠のつつじは麓に咲いておるか。衣笠の丘がまとっておる霞の単衣(ひとえ)からちらりと漏れる袂のように咲いておるのう。うむっ、一首浮かんだ」


「おお、神山は麓は白い花、あとは色とりどりのつつじの花が見えるではないか。白い袖の付いた七色の単衣をまとう風情よのう。うむっ」


「山々が花の衣をまとうというお見立てがお見事でござりまする。いつもながら御屋形様のひらめきには敬服いたしまする」


「うむうむ」


 衣笠山の衣の字からの連想は弥三郎でも分かる。歌というのは安易な言葉遊びを使い回すものなのか、と聞いてみたくなった。が、殿は昨日の蹴鞠披露の大役を果たしたあとだから、ご褒美、ご褒美、と思って弥三郎はその言葉を飲み込んだ。


 宿には日暮れ前に着いた。氏真は昨日の疲れが残っているらしく、早々に床に就いたらしい。弥三郎たちも蹴鞠披露の大仕事を終えた翌日で取りあえず急ぐ仕事もないので早く休んだ。



 八重山吹をたて置たるを

 一時の春を惜むや是ならむ色もこかねの山吹の花(1‐235)


 躑躅さける所みれは人こそりて麓よりみる

 夕日影つゝしの色にこかれつゝ霞をいつる舟岡の山(1‐236)

 一へなる衣笠岡の霞よりもるゝ袂やつゝし咲らん(1‐237)

 白妙の袖の外には虹のつゝしひとへの賀茂の神山(1‐238)


 

 三月二十二日は氏真はまだ蹴鞠の疲れがぬけないらしく、昼まではのんびりしていた。当年取って三十八歳の氏真なので、筋肉痛も翌々日に来ると見える。弥三郎たちは休む事ができたが昼になると、


「これから健仁寺に参るぞ」


 と氏真から告げられた。


 建仁寺は京都最古の禅寺で京都五山の一つであるという。祇園のすぐ南にあるので、木下の宿からは一里半ほど歩く事になる。


「建仁寺は父上がまだ幼い頃雪斎和尚と共に修行をされた寺なのじゃ。京に来たというのに行かぬでは父上に申し訳が立たぬような気がする」


 確かに、京に来てから物見遊山に耽っていた上に、親の仇信長の下に付いて蹴鞠まで披露したと知ればあの世の義元様も怒るかも知れない。弥三郎はそう考えたら笑いがこみ上げたが、険しい顔をしてそれを押し殺した。


 一行は建仁寺に着いたが氏真は特に義元ゆかりの者を探す風でもなく、ただ境内を一通り見て回っただけで寺を後にした。


「雪斎様は建仁寺の文学禅ではだめだと言って妙心寺に移って大休宗休様のお弟子となられた故、御屋形様も建仁寺の者に声を掛けにくかったのでしょう」


 弥太郎がそう教えてくれた。


 建仁寺を出た氏真はその東にある六道(ろくどう)珍皇寺(ちんのうじ)に立ち寄った。珍皇寺は建仁寺の系列に属する寺だが、平安京への遷都の前後に開創されたというから七百年以上の歴史がある古寺である。京から鳥辺野に至る道筋に当たり、死者を火葬する人々はこのあたりで野辺の送りをしたので、この世とあの世の境目と思われているという。


 小野篁が珍皇寺の井戸を通って夜ごと地獄に行き閻魔大王の役所で働いたというので弥三郎は面白く思ったが、氏真は


「ほう」


 と言ったばかりで、ほんのしばらく境内を見ると、すぐにその北数町の場所にある光堂に向かった。


「山科大納言からは建仁寺に行くなら光堂の藤も見るとよいと言われておる」


 どうやら氏真は好きなものは後に取っておく性質らしい、と思いながら弥三郎は後に続いた。光堂は光明院といい、元々は藤原鎌足が藤を植えて藤寺という名だったらしいが、保元の乱で流罪にされて讃岐国で崩御した崇徳上皇の怨霊が夜ごと現れて光を放ったため鎮魂のために光堂が建てられたという。


「珍皇寺といい、光堂といい、穏やかならぬ所よのう」


 光堂の由緒を聞いた氏真は笑ってそれだけ言い、藤の木の下に向かったが、それから一刻ほどもその場から動かなかった。弥三郎たちにとっては退屈この上ない事だったが、氏真が身動き一つしないので、ひたすら我慢していた。


 日が傾き弥三郎がもう我慢できないと思った時、氏真が口を開いた。


「見ておったか、雲間から射す光が藤の花の下で少しずつ動いておる……庭の面は藤の花が波のように揺れておる……うむうむっ!」


 確かに一刻も経てば日が傾いた分日光の射し方も変わって来るだろう。しかしそんな事にまでこれほどまでに執心するとは。歌人って奴はこういうものなのか。感銘もしないし見習いたいとも思わなかったが、かなわないな、とだけ弥三郎は思った。


 宿に戻って夕餉を終え、今日詠じた歌を書き留めた懐紙を見ながら氏真は今日訪れた場所を思い浮かべて感慨に耽った。


 亡き父義元ゆかりの建仁寺を訪れて、義元は信長に怨念を抱いているだろうか、駿河を取り戻すために信長にすがり、蹴鞠を見せて機嫌を取る自分に怒っているだろうか、という疑問に囚われたのだ。


保元の乱に敗れて流罪となった崇徳上皇は「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を取って皇となさん」と激しく呪詛して怨霊となったという。そのゆかりの光堂の藤を見ながら氏真はずっと考えていたのだった。


 幼い頃から禅門に入って修行を積んだ義元は家臣にも子の氏真にも理解しがたい存在だったが、氏真は一度だけ義元の本心を聞かされた事がある。氏真は苦い思いと共にその記憶を呼び戻した。


 それは義元が武田北条と三国で同盟を結ぶために氏真に北条氏康の娘春姫を娶らせようと氏真を呼び出した時の事だった。


「私は顔も知らぬ女子を娶りたいとは思いませぬ!」


 既に瀬名を妻にしようと内心決意していた氏真は思いがけない縁談を義元に持ち出されて即座に拒絶したが、義元の怒りは激しかった。


「本来いるはずのない者が何を言うか!」


 義元はそう言い放ったのだ。


「私が、いるはずのない者!?」


「そうじゃ。兄者たちが健在ならば仏門にいたわしが還俗する事もなかった。還俗したわしがお前のように好きにしておれば、武田からそなたの母が嫁いできてお前が生まれる事もなかったのじゃ。わしは罪なき衆生を救うため、天下のため、今川家のために修行を捨て、……愛欲を捨て、今川家当主の務めを果たしてきたのだ。そなたもそのために産ませた子じゃ。そなたもそうせい」


 そう言い捨てて義元はその場を去り、残された氏真は激しく惑乱した。義元が捨てたという愛欲が、武田との同盟のために瀬名の母井伊御前と別れたという意味だと知ってその惑乱は一層深まった。


 瀬名の母井伊御前は父義元が家のために捨てた想い人だった。自分はその娘に懸想し、妻にしたいと思ったのだ。氏真は瀬名が義元の娘ではあるまいか、と疑った事さえある。冷静になれば義元が今川一門の関口氏広に嫁した後の井伊御前に不義を働くとは考えられないと思えたが、氏真は瀬名を諦め、春を娶る事にしたのだった。


 あの義元ならば信長も先代信秀からの因縁もあって今川と戦う他なかった事も、武田に裏切られた氏真が駿河を取り返すには家康や信長と手を結ぶほかない事も分かってくれるであろうから、怨念を持つ事はないだろう。光堂でも氏真が見たのは崇徳上皇の怨霊の光ではなく、天地開闢の昔から天下を遍く照らしてきた太陽の恵みの光だった。


 そこまで考えて、信長や家康に与して武田と戦い、駿河を取り戻す事がかえって義元の意にかなうのだと思えた氏真であった。



 健仁寺光堂の藤見物時うつる

 古寺は雲の見越に顕れて光合たる藤の下かけ(1‐239)

 立よりて思えば藤の花盛波に漂う庭の面かな(1‐240)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第26話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落して面接編!


上洛五十四~五日目、伝説の相国寺での蹴鞠披露を終えた氏真さん、翌日はリラックスムードだったようです。


桜の季節は終わったけれど、山吹やつつじを楽しみました。


おそらく蹴鞠披露の日は「今さら人に知られぬるかな」とぼやいた氏真さんですが、山吹の花を見て「一へに春はもれぬ成けり」と詠んでいます。


最悪の場合その場で成敗されることもあり得たので、信長への出仕がうまくいって、駿河復帰の支援も取り付けて、自分にも遅れて春の恵みがやってきた、春の恵みはもれなく訪れるのだなあ、という安堵と満足感がうかがわれます。


本作冒頭で、氷を詠んだ正月の地味な歌と比べると、氏真さんはどうやら長い冬の時代を乗り越えたと実感しているように思われます。


その翌日、三月二十二日は亡父義元が幼少期に修業した建仁寺を訪れたようです。二十一日に花を求めて結構歩いているので、二十二日と推定しています。ひょっとしたら二十一日かも知れませんが、そうすると二十二日はお休みしたと思われます。


しかし、歌の様子がちょっと変わっているので、やはり二十二日か、と。


氏真さん、光堂でじいっと藤の花を眺めていたようです。物思いモードのようです。


亡父義元を偲びつつ、今回の信長への出仕についてあれこれ考えていたのでしょう。


気分が盛り上がるとあっちこっちと四十キロ以上駆けずり回るけれど、こうやって物思いにふけったり涙で枕を濡らしたりする氏真さんは、躁鬱気質でしょうね。


その要因は、父義元や雪斎らの影響を受けて仏教的無常を強く意識していた、まだ幼いころ母定恵院と妹隆福院が相次いで亡くなった、瀬名との結ばれぬ恋などではないかと思います。


氏真さんの父義元は、家康を人質として冷遇したと長らく信じられていたこともあって、冷酷な、あるいは計算高いイメージが広まっていると思いますが、元々物心ついた時から一族の後生のために禅僧として育てられた人なので、現代の我々には測りがたい、突き抜けた所があったように感じます。


義元本人も花倉の乱の後、今川家当主になりたくてなったわけではない、と手紙を遺しています。


義元も氏真も生身の人間ですからそれなりに欲はあったでしょうが、今川家当主としては物欲や権勢欲とは違った次元から自身を突き放して遠くから見ることもあったのではないでしょうか。


……と書きつつ、翌日の氏真さんはまた元通り元気になるんですけど。


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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