マロの面接(四) 【超重要】氏真蹴鞠伝説
「戦国最大のおのぼりさん」あるいは
「動いたっきり風流人」またの名を
「『風流仕様』のタフガイ」
氏真さん、上洛五十三日目。
きたーーーーーーっ!伝説の氏真蹴鞠披露@相国寺!
……って、こんなんで、いいの!?
ええと、三国志の時代、「専横を極める」丞相曹操を討たんと挙兵した袁紹は家臣の陳琳に檄文を書かせ、さすがの文豪曹操もそれを一読して顔色を失ったとか。
ご存知の通り袁紹はあえなく曹操の神算鬼謀に敗れ、捕らえられて曹操の前に引き据えられた陳琳はくだんの檄文を咎められ、はらはらと涙をこぼしてこう言ったとか……
「止めても止まらぬ筆の勢いでした……」
と、言うわけで、今回の内容は非難轟轟(非難Gogo!笑)かも知れませんが、何とか耐えて一番下まで読んでくださいね!!!
なぜなら……
末尾にはこの日の心境を詠んだと思われる氏真の和歌があるからです!!!!!!
明けていよいよ三月二十日、信長に蹴鞠を披露する日が来た。氏真は念のため朝庭に出て鞠を蹴り上げてみたが、いつもと変わりなく調子が良かった。雅教から預かった燻鞠は弥太郎に渡して一足先に相国寺に持ち込ませ、氏真一行は軽い中食を済ませてから相国寺に向かった。
相国寺の庭先には雅教の差配で急ごしらえだが立派な鞠庭が整えられていた。七間(約十二・七m)四方の鞠庭の中には飛鳥井流に則って艮(北東)に桜、巽(東南)に柳、坤(南西)に楓、乾(北西)に松の四本の式木の切立が持ち込まれ、立てられている。鞠庭の周囲には通常一丈五尺(約四・五m)から二丈(約六m)ほどの高さの鞠垣を巡らせるものだが今回はあえてそうしなかった。
今日の鞠会には鞠足として飛鳥井雅教・雅敦父子、三条西実枝・公明父子、高倉永相・永孝父子、広橋兼勝が加わる。信長は専ら見物する事を望み、これに近々信長と姻戚になる関白二条晴良・昭実父子、山科言継・言経父子ら公家衆が見物衆に加わった。
冷泉為益・為満父子も見物に加わったが、今回は雅教のたっての望みで為益は信長に解説をし、為満は鞠が蹴られた回数を数える見証を行う事になった。織田家中や公家衆の供の者たちが見物を許されて、鞠足たちの邪魔にならない位置から鞠庭を取り囲んで立ち見した。
鞠会のしきたりに従って解鞠の式が執り行われた。
「此度はそなたの蹴鞠披露ゆえ……」
と飛鳥井雅教が遠慮したので、氏真が解役の栄誉を与えられた。桜の枝に紙縒で結び付けられた鞠を役曹から受け取った目代が西側にある下の口から鞠庭に入り、南側にある中の口の少し前で氏真を待つ。氏真は東側の上の口から入り、下座正面で目代と共に蹲踞して枝鞠を受け取り、中央に進んで鞠の紙縒を解いて鞠をその場に置き、庭から退がった。
続いて八人の鞠足が最上位の「軒」を務める飛鳥井雅教を先頭に鞠庭に入った。氏真は今日特別に雅教に次いで二の鞠足を務める事を許された。氏真は松の木の横に立つ雅教の対角線上、柳の木の横に立ち、屋内から見物する信長と対面する格好になった。
信長は二条、山科らを左右に従えて縁側近くに座っている。信長は公家や氏真と同じ庭に立って鞠を蹴るのを嫌ったのだ。己を中央にして朝廷の首脳を従えてマロや公家衆の鞠を見る事で自身が朝廷に望む地位を暗示したのだと氏真にも分かった。
八角形に立った八人の鞠足が中央に向かって礼をすると八の鞠足を務める年若い高倉永孝が中央に進んで鞠を取り、下がって七の鞠足広橋兼勝に蹴り渡した。兼勝はその鞠を一の鞠足雅教に蹴り渡す。雅教から練習として軽く鞠を蹴る小鞠を数回ずつ行い、小鞠を終えた八の鞠足永孝から戻された鞠を雅教が蹴り上げて鞠会が始まった。
鞠会は八人の鞠足が互いに助け合って鞠を落とす事なく蹴り上げ続けるものである。今日は皆で三百六十回鞠を蹴る事になっている。
「ありいい、やあ、おうっ」
雅教が蹴り上げた鞠は氏真の足元に正確かつゆっくりと落ちてきた。これを受ける氏真も緩やかに請声を上げて受ける。
「やああ」
蹴鞠は一段三足と言って、一足目の「受取鞠」で受け、二足目の「手分の鞠」で自ら楽しみ、三足目の「渡す鞠」で他の鞠足に鞠を送る事になっている。氏真は一段三足のしきたり通りに従って鞠を受け、三の鞠足三条西実枝に蹴りやすい鞠を送った。
「ありい」
実枝はかなりの高齢だが蹴鞠の年季もあり、氏真の配慮もあって問題なく鞠を受け、次の鞠足へ蹴り返した。
今日の蹴鞠披露では故実や形式よりも信長が好みそうな技を見せる動きのある蹴鞠をするように鞠足たちは申し合わせてある。
信長の父信秀は雅教の父飛鳥井雅綱から蹴鞠を学んでいるが、信長が蹴鞠を格別嗜むという話はなかったので、これをきっかけに蹴鞠に興味を持ってもらおうと考えたのである。
信長に蹴鞠の面白さを分からせて蹴鞠を通じて公家の世界の故実を学ばせ、公家の世界に取り込む事ができれば、朝廷が武家を取り込んだ形で天下を鎮める事も出来るのではないか。そんな淡い期待もあった。
三条西実枝は齢六十を越え、高倉永孝は十六歳で蹴鞠の技量には多少不安があるが、所謂「人に立てる野臥」を鞠庭に入れて助けさせる事はしない事に決めた。雅教や氏真が人に立てる野臥の代わりに奔走して公家だけで蹴鞠を成り立たせ、公家は軟弱でも怠惰でもない所を信長に見せようという心意気であった。
氏真と雅教は他の鞠足の負担を軽くするためはるかに広い範囲を動き回ってよい鞠を送り、実枝、永孝、兼勝ら他の鞠足たちは鞠を落とさない事に専念した。自然と氏真と雅教の二人の動きが大きくなり、見せ場が増える。冷泉為益はその技を解説する。
「おおっ、兼勝殿が力余って遠くへ蹴りすぎた! それを氏真殿が延足で拾う! ああっ、氏真殿の傍身鞠! 雅教殿も傍身鞠!」
「ツバサ!」
信長は、氏真が擦足ですばやくしかも優雅に鞠を追う姿を見てつぶやいた。為益も相槌を打った。
「誠に、氏真殿の進退は見えない翼を得ているかのようにござりまする……」
鞠数は既に百足を越えたが、どの鞠足も一度も鞠を落とす事がなかった。それに氏真と雅教、そして時々四の鞠足雅敦が曲芸的な技で信長たち見物衆を魅惑した。
鞠を落とす事なく中断がないため鞠足たちが蹴り上げる鞠数は着々と増えて行ったが、その分鞠足たちの疲労も早い。最後まで鞠を落とさずに鞠会を終えられるのか、見物衆は手に汗を握るようになった。
二百足を越える頃から特に年配の実枝の疲労が目に付くようになったが、他の鞠足たちは実枝を休ませつつ、たまに蹴りやすい鞠を送るようにして鞠を落とさせないように細心の注意を払った。横に立つ雅教や永孝が気を付けていて、他の鞠足が蹴り損ねて予期せず飛んでくる鞠に実枝が反応できないと見て取ると、すばやく
「ありっ!」
「やあっ!」
と鋭い請声を上げて鞠を掬うのだ。特に五の鞠足高倉永相が蹴り損ねて実枝のはるか前に低く弱い鞠を蹴ってしまい、ほぼ対面している位置にいる氏真が、
「ありありっ!」
と滑り込むようにして延足で鞠を救った時は、
「おおっ! おおう……」
と鞠足の邪魔にならないように押し殺した驚嘆と安堵の声が見物衆から漏れた。
しかし、異変は三百足を超えた時起こった。まだ若いが心身頑健とは言えない六の鞠足三条西公明が疲れのせいか、誤って三条西実枝のいる方へ人の肩の高さ程に蹴り上げてしまったのだ。
「やあっ! ……ああっ!」
疲れきっている実枝に代わって永孝が肩で鞠を受け、傍身鞠で鞠を体に伝わせて処理しようとしたが、慣れない曲技のため手分の鞠がうまく揚げられない。
慌てて蹴り上げた渡す鞠は力が入り過ぎて、遥か遠く高く鞠を蹴り出してしまったのだ。鞠は楓の背を越えて行き、八の鞠足永孝は恐慌に陥り、四の鞠足雅敦は必死の面持ちで鞠を追い掛けようとした。
これでこの鞠会も土が付いて終わるか。
信長が心中冷ややかに思ったその刹那、氏真の眼がきらりと光った。
マロはあきらめないぞ、この世に拾えぬ鞠などあるわけないのじゃ! という氏真の心中の叫びを聞いたように信長には思えた。
「ありありっ!」
鋭い請声を浴びせて氏真が韋駄天の如くしかし優雅な擦足で鞠を追い始めた。
氏真を眼で追って、その尋常ではない身のこなしを見た信長は思わず叫んだ。
「ツバサ!」
鞠は飛鳥の如く擦足で滑るように走って追う氏真の前方に落下すると見えた。その刹那氏真が跳躍する。為益が叫んだ。
「氏真殿の延足っ!」
落下する鞠と地面の間に氏真の右足が入り込み、辛うじて鞠を人の背丈ほどに蹴り上げた。しかし左膝を地に着いた氏真はほとんどあおむけの体勢を取っており、立ち上がって手分の鞠を蹴られるのか予断を許さない。
「おおっ!」
見物衆がどよめく中、氏真は左のつま先を起点として素早く立ち上がった。片足のつま先で全体重を軽々と支える程に足腰を鍛え上げている事が分かる身のこなしだった。
氏真は手分の鞠を見事に蹴り上げたが、見ている者たちは別な不安に襲われた。十五間(約27m)近く離れた鞠庭に無事鞠を蹴り返せるのか。
氏真は前傾姿勢を取り、右足を大きく後ろに振り上げて渡す鞠の体勢に入った。
「擦足蹴鞠だぁ!」
氏真が叫んだ瞬間鞠を蹴る鋭い音が聞こえ、鞠は直線状の軌道を描いて鞠庭へと飛んだ。
「行けえっ!」
鞠の軌道を見た為益が無念のつぶやきを漏らした。
「あれでは、高すぎ速過ぎまする……」
蹴鞠では受ける側が鞠を落とさないように軌道が予測できる緩やかな放物線を描くように蹴るものだが、氏真の蹴りは強すぎた。このままでは鞠はまっすぐ飛んで鞠庭にいる鞠足たちの頭上を飛び越えてしまう。
「雅教殿っ!」
「おうっ!」
氏真の呼びかけに応えた雅教は、高速で飛ぶ鞠を見据えた。このままでは鞠は頭上を越える。跳躍して胸で受け、傍身鞠で魅せる。雅教はそう思いつつ跳躍しようと身構えたが、
「むっ!」
近づく鞠を見て何かに気付き、全身の力を抜いた。
飛鳥井流宗家の雅教殿さえもあのように頭上をまっすぐに高速で飛び越える鞠ではあきらめる他ないのか。見物衆の誰もが無念に感じた時、また異変が起こり、見物衆がどよめいた。
「おおっ!」
鞠は雅教の面前で急に勢いを失い、雅教の右足に帰るように落ちて来たのだ。
鞠庭にいる他の鞠足も見物衆も鞠の軌道の急変に度肝を抜かれたが、雅教はそれを予想していたらしく何食わぬ顔で受け取り蹴り上げた。しかし蹴り上げたその鞠は鋭く回転しながら舞い上がり、見ている者を再び驚かせた。
蹴鞠の名足と呼ばれる者たちの間では、鞠に意図的に回転を与えて軌道を変える事はよく行われていた。しかし、氏真の擦足蹴鞠ほどに軌道を変化させるのは至難の業である。
擦足蹴鞠という氏真の一声と鞠にかかった鋭い回転で雅教は氏真の意図する所を見抜いたのだった。
蹴鞠は軟弱な公家のする事と信長に侮られないためにあえて強い鞠を蹴る。しかし、受け手が見苦しく足掻く必要がないように足元に落ちる鞠を蹴る。そして、この擦足蹴鞠で見物衆の眼を驚かせる。
しかし擦足蹴鞠の鋭い回転は未熟な鞠足では受け切れない。そこで氏真は雅教を名指しして受けてくれるよう頼んだのである。
雅教は受取鞠で見物衆に鞠に鋭い回転がかかっているのを見せ、手分の鞠でその回転を殺し、渡す鞠で四の鞠足である息子の雅敦に鞠を送った。雅敦が丁寧に鞠を受けている間に氏真は鞠庭まで戻った。見物衆から安堵のため息が漏れ、何事もなかったように蹴鞠が続いた。
信長も他の見物衆と同じように氏真の妙技に感嘆しつつ見ていたが、その氏真に自分の面前で義元から奪った宗三左門字を渡して問い詰めた事を思い起こしてどきりとした。あれほどの体術の持ち主なら、その気になれば信長に飛びかかって刺す事など簡単にできたのだ。信長は自分の軽率さを内心責めた。その間も鞠数は増え、鞠会は終わりに近づいて行く。
「三百六十!」
鞠足たちが蹴る鞠数を数えていた見証役の為満が予定の鞠数に達した事を告げると、軒の鞠足雅教がもう終わろうと目顔でうなずいた。鞠を受けていた兼勝はしきたり通り二の鞠足氏真に鞠を送り、氏真は雅教に鞠を蹴り送った。雅教はその鞠を受けて軽く蹴り上げ、右手で受け取ると、鞠を前方に転がした。
鞠は鞠庭の中央でぴたりと止まり、その間に鞠足たちは蹴鞠を始めた時の位置に戻った。八人の鞠足たちの顔は一度も鞠を落とさず鞠会を終えた偉業への喜びに満ちあふれていた。鞠足たちは揃って一礼し、入ってきた時と同じ順番で鞠庭から退出した。鞠会は無事終了した。
信長が急ぎ足で庭に下り、鞠庭から出て来た鞠足たちの前に立った。見物の公家衆も後に続いてやってきた。
「氏真殿の妙技、噂以上でござった! 余も蹴鞠を学んだ事はあったが、これほどまでに面白きものとは知らなんだ。鞠庭を自由に舞うがごとき進退、翼ある者のようであったぞ!」
「おほめに与り恐悦至極……」
信長が絶賛すると、公家衆も口を極めて鞠足たちをほめ称えた。
雅教が口を開いた。
「蹴鞠は激しき動きを礼を以って収め水鳥のごとく典雅に見せ行うことを旨としておりまする。今日の我らの蹴鞠がそのような公家のあり方をお伝えできたのであれば祝着至極に存じまする」
「なるほど、天下も今日ご披露いただいた蹴鞠のごとく激しく動きながらも礼を以って治めるべしと言われるのだな。その事、肝に銘じる事にいたす」
「ありがたき仕合わせ!」
引き続いて鞠足を労う宴が開かれて贅を尽くした酒肴が出され、しばし歓談した。氏真は今日の妙技を口々に賞賛する人々に盃を与えられて快く酔った。
宴が果てて退出する時、山科言継と飛鳥井雅教が追いかけて来た。
「今日の蹴鞠披露、誠に大儀であったな。これで信長殿と我ら公家との間も身近になった」
言継が言うと、雅教は泣かんばかりの表情で氏真の手をおしいただいた。
「氏真殿、今日の蹴鞠の冥加、これに過ぎるものはござらぬ。誠にありがたき限り」
「お役に立ててこちらこそ光栄の至りにござりました」
「今後とも蹴鞠の道を広めるのにお力を貸してたもれ」
「承知仕りました」
弥三郎ら供の者は蹴鞠を遠くから見物した後氏真が出て来るのを首を長くして待っていた。氏真を迎えるどの顔も主君を誇らしく思う気持ちで輝いていた。
「先ほどの蹴鞠、誠にお見事でした」
「うむ」
「我らも鼻が高うござりまする」
「む、そうか」
弥三郎としては絶賛したつもりだったが、氏真は何事もなかったかのようなそぶりだった。どうも弥太郎が歌をほめるようにはいかない。
宿へと向かう途中氏真は町人たちが道沿いの林へと登って行くのを見つけて、弥太郎を呼び止めた。
「あの者どもが何をしに行くのか見て参れ」
様子を見に行った弥太郎はすぐ戻って来た。
「あの者どもはまだ花の付いている桜の木の下で宴を催すようにござりまする」
「そうか、見てみよう」
弥三郎も氏真に続いて林を分け入って、気付かれないように少し遠くから見てみたが、花が残っているだけで格別風情があるわけでもない桜の木がぽつんと立っている下で町人たちが酒を飲んで浮かれ騒いでいるだけだった。
氏真もそう思ったらしく、そのまま道に戻って宿へ向かって再び馬を歩ませ始めたが、しばらくして笑顔を浮かべて後ろに従う弥三郎を振り返った。
「ふむ、一首浮かんだ。みやまぎもお、うきよのはなにい、ふれてよりい、いまさらひとにい、しられぬるかなあ……」
なるほど、浜松に移ってから世捨て人のような生活をしてきたが、俗世に関わって今さらながら人に名を知られるようになったなあ、とぼやいているわけだ。
しかし、今日の晴れ舞台をそこまで後ろ向きに考える事はなかろう。弥三郎がそう思っていたら、少し前を進んでいた弥太郎がキリリと引き締まった顔で振り返り、すぐに反応した。
「御屋形様のお気持ちをよく表したよいお歌でござりまする。しかし、あれほどに見事な蹴鞠披露で御屋形様の高名が知れ渡ると存じ、我ら家臣は誇らしき限りにござりまする」
「それがしも弥太郎殿の申される通りと存じまする」
相変わらず弥太郎は口がうまいなとは思うが、弥三郎も確かにあの蹴鞠はすごかったから自慢してもいいじゃないか、と思っていたので同調した。
「しかし、蹴鞠ぶりは後世には見せられぬ。マロが信長の下に膝を屈して蹴鞠を見せ、信長がマロと公家を堂上から見下ろすように見物した事だけが後世に伝わるであろうよ」
氏真が気のない顔で答えるので、弥三郎はついむきになった。
「いえ、御屋形様は今日の蹴鞠披露をきっかけに織田徳川と共に天下静謐のために戦い、駿河を取り戻されるのでござりまする。駿河遠江の者たちは、後世御屋形様を誇りに思い後に続くに違いござりませぬ」
「そうだとよいな。しかし、蹴鞠ぶりは後の世に見せられぬ。その点歌はよいぞ。述懐の歌を残せば我が思いが後の人にも伝わるであろう。そういう思いも込めてこうして色々書き遺しておるのじゃ。どうじゃ、そなたも歌を詠んでみぬか」
思わぬ方向に話が飛んで不意を突かれた弥三郎はあわてた。
「あ、いや、それがしにはちと難しすぎるようで……」
「ははは、そうか。まあ気にするな……」
そんなやり取りをしている内に木下の宿に戻った。出迎えた宿の主人にも今日の蹴鞠披露の噂が伝わっていたらしかった。
「お疲れ様でござりました。里村紹巴様から今日のお祝いの酒樽が届いておりまする」
弥三郎が氏真にこの事を伝えると、氏真は眠そうな顔で、
「そうか。では皆の者にも分けてやるがよい。紹巴には明日礼を言っておいてくれ」
とだけ言い、夕餉を済ませるとすぐ床に就いたようだった。さすがの氏真も疲れたのだろう。
見物しただけの弥三郎以下供の者たちは、振舞い酒に心地よく酔った。弥三郎は部屋に戻ると、今日の事について話がしたくなった。
「弥太郎殿、今日の見事な蹴鞠披露で御屋形様の駿河奪回の実現に一歩近づいたとは思われませぬか?」
「同感にござりまする。御屋形様の蹴鞠ぶりは信長の心をつかんだように見え申した」
「御屋形様が文弱の徒ではない事も伝わったであろう。いや、実のところそれがしもあの蹴鞠ぶりで御屋形様を見誤っていた事を思い知らされ申した」
「御屋形様はあのようにお優しく見えて実は外柔内剛の士であられまする。むしろ、信長に警戒されぬように気を付けて韜晦した方がよいのかも知れませぬ」
「なるほど、能ある鷹は爪を隠さねばならぬという事ですな」
「左様。御屋形様は信長と公家衆をつなぐ役割も果たされ申した」
「なるほど、信長も公家衆も互いに近づくために御屋形様を必要としておるのですな」
「そう思われまする」
しばらく語らってから明日があるからと床に入った弥三郎だったが、かなりの間興奮で眠れなかった。宿なしと言おうか、根なし草と言おうか、歌を詠んでばかりいた氏真に仕えていると、先行きが不透明で焦燥感が募っていたが、どうやら氏真は信長や公家衆を通じて天下の形勢に関わり始めたらしい。これから面白い事になりそうだ。
そんな事を思い巡らしながら弥三郎は眠りに就いた。
かたはらに人のあつまるをみれは花一本あり
深山木も浮世の花にふれてより今更人にしられぬる哉(1‐232)
『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第25話、いかがでしたか?
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
氏真さんの京都観光が一段落して面接編!
上洛五十三日目、とうとう伝説の相国寺での氏真蹴鞠披露です!!!
むしゃくしゃしてやった。こ、後悔は、して、していない……。していない、していないぞお、こんちくしょう!!!
……ど、どう見てもKプテンTバサです、ありがとうございました。
今川氏真が厚顔無恥にも父義元を打ち取った織田信長の前で蹴鞠をして見せた。
暗愚なさらし者の今川氏真。
氏真はどんな思いで蹴鞠をしたのだろう?
家康死後、
家康死後、
家康死後、
徳川御用学者が方々で一生懸命書いたおかげで、江戸時代以降現代まで暗愚で厚顔無恥な今川氏真の印象が流布されていますが、これまで書いてきたように、そうではないようです。
相国寺での氏真の蹴鞠披露は、強敵武田との決戦を控えた「上様」=武家の棟梁となる信長の権威づけのための一大政治イベントだったようです。
正当な駿河国主今川氏真が信長の徳を慕って出仕する。
信長は旧怨を水に流して氏真を受け入れ、縁戚氏真を裏切った悪逆非道な武田を討つ。
当時の状況からみて、氏真の信長への出仕の舞台が岐阜ではなく京都であり、蹴鞠の宗匠飛鳥井雅教父子や三条西実枝ら錚々たる公家たちと蹴鞠を披露した理由はそうした意図があったと思われます。
戦国いい話まとめサイトでも「氏真の蹴鞠」として『甫庵信長記』が氏真の並ぶ者のない蹴鞠ぶりを絶賛していますが、そうした事情を反映したのではないでしょうか。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-286.html
『甫庵信長記』は大田牛一の『信長公記』を脚色しており、資料としての信頼性が低いとされていますが、氏真在世時に書かれたものです。著者小瀬甫庵は氏真と面識があった可能性も高いので(秀吉祐筆大村由己は氏真と同席した記録が『言経卿記』に残されている)、あからさまな嘘は書けなかったと思われます。
さらに、氏真は武田信玄の駿河侵攻前後から上杉謙信との同盟者でもありますので、家康と同様、信長も謙信を自分の側につなぎとめるためにも氏真を駿河国主に据える決断をしたのでしょう。
氏真もそれを理解してちゃっかり信長を利用して
「駿河を取り戻すぞ!」
と張り切って、お馴染みの三条西実枝さんや飛鳥井雅教さんとその縁のある蹴鞠上手のお公家さんたちと共に、蹴鞠を披露したと思われます。
それで、
「氏真はどんな思いで蹴鞠をしたのだろう?」
という問いの答えは?
天正三年今川氏真詠草にしっかりと遺っておりました。
かたはらに人のあつまるをみれは花一本あり
深山木も浮世の花にふれてより今更人にしられぬる哉(1‐232)
「花一本」「深山木」が氏真自身の比喩、集まる「人」は、信長や公家衆や氏真の駿河復帰に利権を見出した人々でしょう。
「花」は氏真が魅せた蹴鞠の妙技や、信長への出仕でゲットした駿河国主復帰の利権と解釈できるでしょう。
詞書と和歌から下記のように解釈できると思われます。
◎氏真にとって信長の前での蹴鞠披露は、屈辱ではなく、信長政権と朝廷の融和のための一大エグジビションだった。氏真はその妙技で面目を施した(信長も氏真をさらし者にするようなゲスではない)
◎しかし、元々父義元や雪斎の影響で仏教への関心が深く、おそらく初恋の人築山殿と引き裂かれて以来厭世的傾向が強かったので、氏真は俗世から離れて静かに暮らしたかった
◎とはいえ、今川家当主として家臣やご先祖様に対する責任もあるので、駿河回復のため頑張って信長に出仕して、蹴鞠も披露した
◎とはいえ旧怨を水に流すといってもかつての敵信長に出仕して蹴鞠をして見せるのは、やはりカッコ悪い
◎なので、蹴鞠の妙技自体では面目を施し、信長と公家衆のつなぎ役としても結構いい仕事をしたが、「今さら(こんな形で)人にしられぬるかな」というぼやきになった
大体このような理解で間違いないでしょう。
この和歌が天正三年(一五七五)三月二十日の蹴鞠の後に詠まれたと分かれば、氏真の心境は簡単に読み解けますね。
しかし、なぜこれが四百四十一年もの間知られなかったのか?
それは戦国史研究者の政治軍事中心主義、実証主義の限界故だと思います。もう少し敷衍します。
◆(徳川御用学者の思惑通り)「負け犬」として散々けなされてきた氏真の詠草は無視されてきた。(しかし、おそらくそれは御用学者が神格化に努めてきた「神君」家康本人の意図ではない)
◆日付もほとんどない和歌を寄せ集めた氏真詠草という「面倒くさい」史料、政治軍事好きの研究者が読みたがらない史料「氏真詠草」の読解がなおざりにされてきた。(僕も「戦国時代の大名かっちょいい!」という所から入っているので、わかります)
◆日付がないので、「深山木も……」の和歌が蹴鞠披露直後の和歌だとは分からなかった。『マロの戦国』でやっているように、腰を据えて日単位で追いかけないと三月二十日以後の和歌とは分からない。
というわけで、蹴鞠披露後の氏真の心境を明らかにするという史上初の快挙はぼく嵯峨良蒼樹が達成させていただきました!?
他にも和歌集や詠草の形で歴史上の重要人物が密かに己が思いを書き残している可能性について、注意を喚起したいです!!!
それで、蹴鞠がKプテンTバサもどきになった件ですが、「犯行動機」は四つあります。
1.むしゃくしゃしてやった(すいません、無視してください)
2.炎上商法でやった(話題を集めて出版したいなあ……すいません、これも無視で)
3.今川家に冷淡な静岡県民に氏真さんもTバサくん並みにヒーローとして大事にしてほしかった
4.実証主義の限界への警告:実証主義だとどうしても多くの史料で流布されるイメージ(氏真暗愚説)に引きずられがちだが、史料に遺っていない史実は後世の研究者からは想像もできないようなものである可能性があると訴えたかった。
というわけで、今回は氏真の蹴鞠披露が「上様」信長の創出と、信長と朝廷との融和を演出するための政治イベント、という仮説をぶち上げさせていただきました。
……そして、氏真の蹴鞠はこれで終わりではありません。もう少し後(数話あと)に再び
アッと驚くタメ五郎!(古い!)
な出来事が起こります!!!
知ってる人は知っている、しかし知らない人は全く知らない今川氏真の蹴鞠にまつわる史実が明らかになります!
『マロの戦国』次回もお楽しみに!
お知らせ1。
世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html
『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!
詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。
この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。
これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。
この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。
しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。
現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。
お知らせ2。(再掲)
大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。
こちらも是非ご覧ください!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。




