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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
24/35

マロの面接(三) 氏真、蹴鞠の神妙を得たるか

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛五十二日目。



いよいよ蹴鞠前日!

蹴鞠って何するの!?

氏真の蹴鞠の神髄が今ここに明らかになる!?


 三月十九日も以前見た桜の名所を再訪する事になった。今日は上洛間もない頃からよく訪れている知恩院や清水寺に行くと氏真が言い出した。


「今日は清水寺の桜も見納めになるかも知れぬからな」


 一行は散る桜を見ようとまずは清水寺を訪れたが、音羽山の桜も、その東の清閑寺の跡だけが残る東亀山の桜も既に散ってしまっていたので、見どころも少なく、一行は日が沈んだ頃に霊山まで戻った。


 霊山では少し前に訪ねた時には遅咲きの桜が咲き始めていたが、今宵はさすがに散り始めていた。しかし氏真は悲しげな表情で桜から顔をそむけている。弥三郎は怪訝に思って声をかけた。


「どうなされました。ここの花もこれで見納めかもしれませぬぞ……」


「散る花を見るのはつらいではないか……。それで代わりに月を見ているのだ。月ははかなく散る事はないからのう」


「はあ、左様でございますか……」


 氏真が本当にそう思っているのか、風流人を気取っているのか、弥三郎には正直なところ分からない。だが、明日氏真ははいよいよ信長の前で蹴鞠を披露する。京の名所を訪ねてはしゃぎ、桜の花を愛でてきた悩みなき日々が花の季節と共に間もなく終わろうとしているのは弥三郎にも感じられた。


 しかしそれは言葉にせぬまま主従はそこに佇んでいた。


「ああ……」


 氏真は今度は溜息をついた。


「此度はどうなされました」


 弥三郎がまた尋ねた。


「月だけ見ようと思っても、桜の花が風に吹かれて月の光の前で舞っておるのだ……」


「誠に……。もはや三月も何日も残っておりませぬなあ……」


「うむ……一首浮かんだ」


 駘蕩たる春風に吹かれて月の前でその光を浴びて舞う散華の姿に弥太郎が嘆声を上げ、弥三郎も言葉がなかった。主従はしばしの間花と月の前に佇んでいた。


 宿に夕刻に戻るとそのすぐ後に飛鳥井流蹴鞠宗家の飛鳥井雅教自らがやって来た。


「明日の鞠会のご相談を致したくてな」


 雅教は氏真が信長との対面後に飛鳥井邸に立ち寄ってから、明日の蹴鞠披露のために種々奔走していたのである。


「わずか数日の間に色々とお手配りいただき誠にお礼の言葉も見つかりませぬ」


「いやいや、公武一体のためのそなたの蹴鞠披露に我ら飛鳥井家がご相談に与ってこちらこそ有り難い限りじゃ」


「それがしも故雅綱様以来の飛鳥井流門弟にござりまする故」


 明日の鞠会は飛鳥井流で執り行う事や、装束や会の次第に関する確認などを行った後雅教は帰った。


「明日の鞠会ではこの鞠を使いとう存ずる。試しに蹴って慣れておかれるがよろしかろう。それでは明日はよろしゅうお頼み申しまする」


 雅教は去り際にそう言って燻鞠(ふすべまり)を置いていった。春には松の葉を燃やして表面を(ふす)べた鞠を使うのである。


 夕餉を済ませ、しばらくしてから氏真は雅教から預かった鞠を持って宿の裏庭に出た。いつも練習用に使っている鞠水干、鞠袴に身を包み、鞠沓(まりくつ)を履き、頭には飛鳥井宗家から許された紫組懸緒(くみかけお)の付いた(たて)烏帽子(えぼし)を被っている。


 鞠は鹿革でできた二つの半球を繋いだ繭のような形をしている。その上部に付いている取革を胸の高さで右手でつまみ、左手を添えて持ち、静かに落として身の丈ほどの高さに蹴り上げ始めた。


 鞠には何の問題もなく、いつもの通り、鞠を落とさずに蹴り続ける事が出来る。一丈五尺(約四・五m)ほどの高さに真上に蹴り上げ続ける鞠高(まりたか)数鞠(かずまり)も問題なく続けられる。


 鞠を蹴り上げながら庭を静かに行き来してみたが、右左右の順に繰り出す三拍子の擦足(すりあし)で体をひねらずのどかに優雅に蹴る事ができた。美しさと俊敏さという二つの徳には問題ないようだ。


 蹴鞠に関する故実や作法は既に十分会得しているから、蹴鞠を嗜む鞠足(まりあし)として修めるべき三徳には問題ないと氏真は確信を持てた。


 では、三曲はどうか。氏真はわざと鞠を遠くに蹴り、擦足で鞠を追った。水面下で足を忙しく動かしながらも優雅に水面を進む水鳥を思いつつ、左膝を地に着きながら右足を伸ばし、地面すれすれのところで鞠を蹴り上げた。それをさらに数回繰り返して、一度も鞠を落とす事はなかった。延足(のべあし)に問題はない。


 そのまま鞠を蹴り上げ続けながら氏真は宿の土塀に近づき、鞠を土塀に蹴り当ててくるりと背を向けた。氏真の予想通り、跳ね返った鞠が肩に当たると氏真は鞠を肩でほどよい力で受けて緩やかに落としながら振り返り、また塀に蹴り返した。同じ所作を数度繰り返して帰足(かえりあし)も思い通りにできると確認した。


 さらに氏真は土塀に向けて鞠を蹴り続け、今度は正面から様々な高さで鞠を受けた。受けた鞠を身体に流れるように足まで伝わせて、また蹴り返す。


 肩に、腹に、腰に、太腿に、氏真が受けた鞠は全て滑らかに足に伝わり、三曲の中で一番難しいとされる傍身鞠(みにそうまり)も意のままになった。一度も鞠を落とさなかった。


 自らの蹴鞠に一点の曇りもない事を確信して氏真は満足した。


「御屋形様は蹴鞠の精のご加護を受けておられまする……」


「誠に……」


 弥太郎と弥三郎は声を押し殺してささやきあった。氏真が庭に出てしばらくしてから蹴鞠の稽古をしている事に気付き、ずっと見守っていたのだ。氏真の蹴鞠はそれを見る二人が身を震わすほどに神妙を得ていた。


 氏真は土塀から跳ね返って来た鞠を胸の高さで受け止めると、先ほどから感じていた気配の方に身を向けた。そこには月明かりを浴びた氏真にこの世の者ならぬ何かを感じた二人が平伏していた。


「その方ら、見ておったか」


「御意。御屋形様は紛れもなく春楊花(しゅんようか)夏安林(げあんりん)秋園(しゅうおん)の三精のご加護を受けておられまする!」


「この世のものとも思われぬ妙技、確かに拝見仕りました!」


 氏真は微笑んだ。


「マロはただ明日の鞠会が公武一体となっての天下静謐に役立つ事を望むばかりじゃ」


「御意!」


「夜も更けた。明日に障らぬよう今宵はもう休む事にする。そなたらも休むがよい」


「御意!」


 氏真の妙技を見て感じ入ったものか、三人を照らす月の光は穏やかであった。

 


 音羽山は散霊山も漸うつろひ過ぬ


 月はまたいくかもあらむ山端に惜くも花のうつろひにけり(1‐230)


 つらしとてなかめすつれは散る花の尾上の月にかほる春風(1‐231)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第24話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落して面接編です!


上洛五十二日目。


相国寺での蹴鞠披露がいよいよ前日に迫りました。


今回収録の和歌は翌三月二十日蹴鞠披露後に詠んだと思われる「今さら人に~」の一首の前にあるので、ここに書いたように、前日の和歌である可能性が高いです。


前にも書きましたが、氏真の蹴鞠披露は恥さらしな見世物ではありません。武田攻めを前に名実ともに「上様」=武家の棟梁になろうとして朝廷への接近を図る信長と、信長を朝廷に取り込みたい公家たちの思惑が一致して行われた政治的大イベントと見たほうが良いと思われます。


蹴鞠に参加した公家たちも、三条西実枝(実澄)のような高官と、蹴鞠の宗家飛鳥井家父子ら達人ぞろいと思われます。


特に飛鳥井家はこの頃天下の蹴鞠の宗家としての地位固めをしていたようなので、この蹴鞠披露には気合が入ったと思われます。


信長のほうも本当はそれほど好きではない蹴鞠に興味を示して、朝廷との接点を持とうとしたようです。信長にしてはかなりすり寄っているんですね。


多分、和歌、漢詩やその他芸事よりも蹴鞠の方がとっつきやすかったのだと思います。


さて、蹴鞠をしたという話を見聞きすることはあっても実際何をするかが語られることがないので、今回は蹴鞠の詳細についても書きました。


蹴鞠については岩井三四二さんの『踊る陰陽師―山科卿醒笑譚』、伊藤潤さんの『国を蹴った男』などで取り上げられていますが、ここまで蹴鞠の詳細を描写した「本格蹴鞠小説」は『マロの戦国』が初めてではないでしょうか!?


自画自賛はこのくらいにして。


いよいよ次回は相国寺での蹴鞠披露です!


しかし、実際の相国寺での蹴鞠をどう描くかが難しい。どう「面白く」書くかが難しい。そこで色々悩んでいたのですが、ある思い付きで思い切った(!?)書き方をすることにしました。


キーワードは実証主義批判(?)です。


そして、歴史好きにとって何より面白いのが、その時の氏真の心境。


氏真さんはどんな気持ちだったのか。「どんな気持ちだったのだろう」とばかり書かれてきたその心境を次回明らかにします!


これも史上初ではないでしょうか!?


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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