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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
23/35

マロの面接(二) 花にくらして有明の月……

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」


氏真さん、上洛五十日目~。


「笑っていいとも」出演祝い!?

花盛りで世を捨てる気持ちも鈍る?

静心なく散る桜……

花にくらして有明の月……


三月十七日、弥三郎は爽快に目覚めた。昨日の信長との対面はそれこそ生きた心地もしなかった。後で氏真が見せられたのが信長が桶狭間で義元から奪った宗三左文字だったと知ってまた肌が粟立った。あの時信長が氏真を信じなかったら主従共々討ち取られていたかも知れない。だが、氏真はうまく切り抜けてくれた。


 無事信長との対面も済んだ後も公家衆宅を回り、宿に戻ってからも祝いの客が続いて夜も応対に追われ、その後昏倒するように床に入った。しかし、駿河回復も現実味を帯びてきたし、氏真が公家衆に得意の蹴鞠を披露する事になって面目を施した。とても爽やかな気分だ。


「御屋形様、今日はどこぞへお出かけなされまするか?」


「むう、そうだな……」


 昨日のご褒美と思って朝餉の後聞いてみたが、当の氏真は煮え切らない。信長との対面もうまくいった事だし、京で過ごすのも後わずかかもしれない。楽しむなら今のうちだろうに。


「うむ、そうだな……昨日は色々と気苦労が多かった故、今日は宿でゆるりと過ごす事にしよう」


「御意」


 弥三郎としては氏真の望む通りにしてくれればいいので、宿に留まる事になったが、昨日に引き続いて客が宿にやって来た。最初に訪れたのは桜の枝を手にした山科言経である。


「昨日の夜鞍馬山の雲珠桜(うずさくら)を見て今川殿にお目にかけたくなりこの枝を折って参りました」


 そう言われて枝を受け取った氏真はにっこりと微笑んだ。


「この一枝の桜を見て鞍馬山では夜でさえも桜を求めて道に迷う事はないと分かり申した」


「と言いますと?」


「夜でも分かるほどに雲珠桜の色と香りは深うござりまする故」


「なるほど」


 昼前には紹巴の弟子心前がこれまた花を手にしてやって来た。


「諸国より京を訪れ花を見ようとする人は貴賤を問わず多うござりまするが、大原の桜を見残す人が多い故、今川様に大原の桜を献上いたせと師紹巴に言付かって参りましてござりまする」


「それは大儀であった。世をそむくかたはいずくにありぬべし、大原山はすみよかりきや」


「和泉式部でござりまするな」


少将井尼(しょうしょうのいのあま)の返しは『思うこと大原山の炭竈はいとどなげきの数をこそつめ』であったかな」


「御意。炭竈に投げ木の数を積むように、歎きが増えるばかりというわけで」


 何やら二人の風流人の間で丁々発止の蘊蓄合戦が始まったな、と側に控える弥三郎は思った。


「しかし、このように盛りの花が美しくては俗世に背を向けて生きようという心も鈍ってしまいそうじゃのう」


「誠に……」


「うむっ、一首浮かんだ。よをそむくう、こころぞあさきおおはらやあ、かかるさくらのお、はなをみるにはあ……」


「お見事にござりまする」


 氏真の歌を久々に聞いたような気がする。


 心前が帰ると、氏真は


「これから小原の花を見に行くぞ」


 と言い出した。紹巴の言づてを聞いて思い立ったのだろう。


「御意」


 小原は木下の宿からは二里ほどだから、今から往復しても日のある内に戻れる。早速支度して出立した。


 春の陽気の中を小原へと歩いていくと、行商の女たちとすれ違った。多くの女が手拭いを被った頭に薪を載せて歩いている。


「あれが小原女(おはらめ)か……」


 小原あたりに来ると、満開の紅桜が咲き誇っている。氏真は感にたえないといった様子で一枝を折り取って、召し出した里の者に聞いた。


「静原の桜もこのように盛りか?」


「御意にござります。こぼれんばかりの花盛りでござりました」


「そうか、小原の桜は見るからに静心なく慌しく散ってしまいそうだが静原も同じか……。小原の花の盛りも過ぎようとしておるなあ……。うむっ、一首浮かんだ」


 今日の氏真は名所をあちこち訪ねようとはせず、小原からそのまま宿に引き返した。すると、今度は三条西実枝の青侍がこれまた桜の枝を手にして氏真の帰りを待っていた。


「我が主が八幡山にて見た桜が見事である故今川様にお届けするようにとのことで参りました」


「そうか、これはよい物をいただいた。氏真が喜んでいたと伝えてくれ」


「御意」


 小原から折り持って来た枝を背後に隠しながら氏真が言うと、青侍は余り気にする様子もなく一礼して去った。


 氏真が部屋に戻ると、弥三郎が宿の者に命じて部屋に方々から贈られた桜の枝を運び込ませていた。弥太郎が見立てた花器にそれらしく活けて、誰それよりのどこどこの花、と札が添えてある。


 盛りの花を追い求めるよりは孤高の月でありたいと昨夜思ったばかりなのに、気が付けば花だらけ、進物だらけである。氏真の駿河復帰や信長への接近を見越して花を追う俗人たちに乗せられて、ほいほいと歌を作り、小原まで浮かれ歩いてしまった。氏真はそんな自分に一人苦笑するしかなかった。



 鞍馬のうす桜とて人の持きたる


 一枝の花にしられて鞍馬山夜もたとらし深き色かは(1‐224)


 諸国貴賤花見る事まゝたると聞て見残

 す方多し大原野の花とて人の送る


 世を背く心そあさき大原やかゝる桜の花を見るには(1‐225)


 小原の花手折て行色ふかししつ原も同じと云


 見るからにしつ心なししつ原やをはらの花の折や過まし(1‐226)


 八幡の花人のをこせるに


 木の本の面影なからやはた山折つたふ花の枝にみる哉(1‐227)



 三月十八日も昨日と同じく朝から暖かい。


「今日は嵯峨野まで行きたい」


 と氏真は言い出した。昨日の桜はいずれも盛りを過ぎようとしていたから、やはり見納めになると思って名残り惜しくなったのだろう。


「御意」


 一行は昼前には嵯峨野に着き、小倉山まで足を延ばした。氏真は以前見た名所の桜が今はどうなっているか知りたいらしかった。少し前の氏真なら三鈷寺まで行こうと言い出すのではないか、と弥三郎は少し心配したが、小倉山まで来てあたりを少し散策すると氏真は引き返し始め、平野神社や妙心寺に再び立ち寄った後夕方には宿に戻った。


 京見物に飽きたのかと弥三郎は気になったが、しかし氏真は上機嫌で弥三郎と弥太郎を呼んで盃を与えつつしばらくの間歓談した。


「さすがに平野神社の魁桜は散っておったが他の名所はどこも満開、四方の景色はおしなべて桜一色であったな。名高い色香を示すのは今と言わんばかりであったわ……うむっ、一首浮かんだ」


「今日妙心寺でマロが少し話をした老僧がいたであろう。あれは明智光秀殿の叔父御じゃ。名は……密宗宗顕(みつしゅうしゅうけん)と申されたのう」


 二人を下がらせると今日は随分歩き回ったせいか氏真は急に眠気を催してすぐに床に就いたが、深更に目覚めた。寝付かれないので、ならば飽きるまで見ていようと庭先に出て宿の桜を眺めていた。格別な花でもないのに気付くと有明の月が出ていた。


 しかしそれは目の前の桜を見ていたからではなく、春の盛りに俗世の花を求める事について思いを巡らしていたせいであった。


 盛りの花もいずれ散るという思いに変わりはなかったが、散り始める桜を目にするとやはり名残りを惜しむ気持ちは止められない。いずれ全てに終わりが来るなら終わりを焦る事もないではないか。それまでは心のままに散る花を惜しめばよいではないか。そう思い直した氏真であった。



 こゝかしこ見物暮てかへり旅宿にて


 名にしおふ色香も今とをしなへて桜に成ぬ四方のけしきは(1‐228)


 あくまでになかめそへむと思ひきや花にくらして有明の月(1‐229)

 



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第23話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落して面接編です!


上洛五十~五十一日目。


無事信長への「御出仕」を果たした後と思われますが、氏真さん、「鞍馬のうす桜」「大原野の花」「八幡の花」を贈られたことを詠草の詞書に書き残しています。


「笑っていいとも」のテレホンショッキングに出演した芸能人のようですね。

氏真さんは詠草には歌人として書くべきことしか書かないので、他にも色々とお祝い責めにあったと見てよいようです。


451年たった現在では、氏真さんは信長への出仕や蹴鞠で天下に恥をさらしたようなイメージが流布していますが、根拠のない偏見のようです。


その当時の人々は、信長が武田に勝てば、無事信長との対面を済ませた氏真が駿河に復帰する日は近いと感じたことでしょう。

そのなかでも風流心のある公家や文化人などが氏真に桜を贈ったのだと思われます。


氏真さんもいい気分になって桜をなかなかいい歌に詠んでいます。

うず桜の歌もいいですが、


 世を背く心そあさき大原やかゝる桜の花を見るには(1‐225)


この歌は文中で取り上げた和泉式部と少将井尼の歌のやり取りを踏まえて、逆の思いを詠んでいます。

「世を捨てて住むにはどこがいいのかしら?大原山はすみやすいの?」

「大原山に住んでも悩みが多くて炭竈に投げ木を積むように、嘆きの数が増すばかりです」

駿河復帰できそうな情勢に気をよくして、世を捨てる気も浅くなるな、という氏真のうきうきした気分が伝わってきます。


静原を詠み込んだ一種は有名な紀貫之の歌を意識していますね。


しかし例によって氏真さん、夜になって月を見上げて感傷に浸ったようです。

「花にくらして有明の月」の一種ははかない桜の花と桜を追い求める人生を悠久の月と対比しているようです。

繊細な氏真さんは夜が来るたびにこうして人間世と花を見下ろす悠久の月に思いを馳せていたのでしょう。


しかし、戦国の世は待ってくれません。いよいよ信長への蹴鞠披露の日が近づきます。どうする、どうなる、氏真さん!?


いや、その前に蹴鞠ってどういうことするの?


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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